懐かしい年賀状のやりとりから、原点を考える。
マーブルコミュニティの「新年書くチャレンジ」2日目。
今日のテーマは「年賀状2025」。
年始の挨拶、いつの頃からかSNSで済ましてしまうのが当たり前になってしまいました。
最後に手書きで送ったのが、思い出せないくらい……。
LINEのデータを吹っ飛ばしてしまったとき、同級生や社会人になってからの友達などの連絡先も分からなくなってしまったので、年始の挨拶を送る相手もほとんどいません。
(あ、唯一の親友と親にLINEするの忘れてたなぁ)
今年も、元日に私宛で届いた年賀状はたったの2通。
1通は保険会社。
もう1通は推しのファンクラブから。
今年はもう来ないだろうと踏んでいます。
小さい頃は、ステンシルシートとカラフルな水性インクで、1通1通年賀状をしたためたものです。
空いたスペースに「メッセージ、なんて書こうかな」なんて、相手のことを思い浮かべながら考える時間も楽しい思い出。
正月は、年賀状の配達が待ち遠しすぎて、郵便受けを何度も偵察しに行ったものです。
自宅に来た大量の年賀状を家族と手分けし、振り分けるのも正月ならではの我が家の風物詩でした。
ライターの端くれとなった今、改めて年賀状を通じて考えることは、
「相手のことを考える」という基本姿勢の大切さです。
記事を書くときも、読む相手のことを想像しながら、深掘りしたり言葉を選んだりします。
年賀状を書く行為そのものが、実は私のライターの原点なのかもしれません。
ステンシルと直筆メッセージで作ったカラフルな年賀状。
あの頃は、ただ作業を楽しんでいただけだったかもしれないけど、今振り返ると、「相手のことを想って感謝する」という大切な行動が詰まっていた気がします。
今の自分に、その感覚は残っているでしょうか……。
もう一度、あの頃の心を取り戻してみたいと思います。