#10 面倒な飲み会であってもたまには面白い話が聞けるという話
私はあまり飲み会が好きではない。
プライベートで気の知れた友人数人と美味しい居酒屋でお酒を嗜むというのは好きだ。
しかし、心の中でプライベートと仕事には線引きをしているタチの人間なので、仕事関係の飲み会については正直かなり億劫に感じてしまう。
家で心静かにゴロゴロしていた方がよいと思ってしまう。当たり障りの無い会話をしたり、おじさんの武勇伝を聞いて何が楽しいのか。
…そんなことを言うと職場のおじさんたちに怒られるので口が裂けても言えない。
まあ、しかし、お誘いいただいた時は、1次会まではイヤな顔を見せずに参加するようにしている。
ある日、職場のおじさんから声をかけてもらった。
直属の上司ではなく、かなり遠い部署の管理職。
喜んで、とまではいかないが、せっかく声をかけていただいたと言うことで、ご一緒することにした。
「乾杯」
「仕事は忙しい?」
「ええ、そこそこ、おかげさまで。」
「スノボが趣味なんですよ」
「奇遇だね、おれもだよ」
最初はいつものように当たり障りの無い会話。
「最近思うことがあるんだ。」
「なんですか?」
「いわゆる''偉い人''と飲む機会は多いが、君みたいに若い人と飲む方が価値があると思うんだ。」
「どういうことでしょうか?」
「もし君が、80歳超えの世界の大富豪から、100億円あげるから君の年齢と交換しないか?と言われたらどうする?」
「断ります。私の50年はお金には変え難いです」
「だよね。」
「質問を変えよう。60歳のお金持ちの人から5億円あげると言われたら君の20年をあげる?」
「先ほどよりも悩む余地はありますが、やはり交換はしません。」
「おれもそう思う。」
「それでは、君より3歳上の人から2000万円あげるから、と言われたら?」
「その質問はかなり迷います。」
「そうだよね。」
人によっては人生の3年を2000万円と交換するだろう。
こうした問いを突き詰めていけば、その人の時間はお金で換算できるのではないか、というのがそのおじさんの発想。
そして、そのおじさんにとっては、お金には変え難い20代を生きる若者と同じ時を過ごすということは、高齢の偉い人と過ごすよりもよほど価値があるのだと言う。
なるほど、その発想はなかったなぁ。
年代が異なる人との交流は、気の知れた友人同士では生まれない新しい着想を得られるものだなと、
その後やはり始まったおじさん武勇伝を聞き流しながら思ったのであった。