風の診療所『調』"マグマオーシャンの時代"


 先程、バイト先へ向かう途中で、平塚駅西口で、政治家の河野太郎さんが、国会報告のためのチラシを道ゆく人達に配っていたので、僕はそれを受け取った。今までの僕だったらそんな行動には出ないような所だけれど、今日の僕は朝起きた時からなんだか心持ちが違って、まるで生まれたての赤ちゃんのような気持ちで1日が始まった。午前6時に目を覚まして、まず最初にミスチルの、"足音〜BE STRONG〜"という歌を聴いた。そんな気分だった。起きた瞬間から、頭の中でその歌が歌っていた。

 チラシを受け取った僕は、同時に河野さんの想いのようなものも受け取った。それには体温があり、温かくも力強く、一瞬のことではあったけれど、様々な事を僕に語りかけて来た。この国の行く末を決めるのは、僕ら一人一人なのだ。その事を思い出して欲しい。そして、共に考え、想像して、行動していきたい。彼の手から、眼差しから、佇まいから、そんな声が聞こえてくるようだった。

 思い出すのは、僕がまだ幼い頃、動物園の檻を乗り越えて、ペンギンのいるところまで会いに行ったという話だ。僕はきっと直接触れたかったのだと思う。直接触れなければ受け取ることのできないものは確かにあるのだ。直接触れなければ伝えることのできないものがあるのも確かなのだ。だから直接会いに行って直接伝えるのだ。直接会いに行って、直接受け取るのだ。これまでも僕はそんな人生を生きてきた。旅を続けてきたのだ。

 そういえば、"ピング"という名前のアニメだったか。ペンギンが主人公の、氷の世界での物語。僕は幼い頃そのアニメをよく見ていた。楽しかった、面白かった、という記憶よりも、とても怖かった、暗い話だった、という印象がなぜか僕の中には残っている。その怖さは、その暗さは、きっと生きていく上でとても大切なものだと思えるけれども、あの時の僕がそんな事を意識していた訳もなく、それでも何か興味を惹かれるものがあり、むちゃくちゃはまっていたのだと思う。

 幼い頃には人生を理解していないという思い込みがあるけれど、むしろ本能的には幼い頃の方が人生を良く理解しているのではないかと僕は思う。嬉しい、楽しい、大好き、等といった明るい世界というよりは、悲しい、辛い、大嫌い、怖い、というような暗い世界に、幼い頃の方が必然的に近く、ある意味でその中で生きていかなければならない状況な訳で、それはその世界から目を背けることもできる大人なんかよりも、よっぽど世界そのものの中で、ありのままの現実を扱い、生きていく力が育まれていくものと思われる。

 僕は今、"闇"の存在に強く心を惹かれている。"闇"という漢字は、"音の門"と書く。なんてロマンチックな響きなんだろう。"闇"という漢字を生み出した人にぜひ直接会ってみたい。それが叶わないならせめて、"闇"という存在そのものに直接触れたい。

 "闇"っぽい"闇"に触れたい訳ではない。僕が触れたいのは、"音の門"としての"闇"だ。僕は"音の門"を開きたい。だから今日も"闇"を探している。自分の中に隠されている"音の門"を探しているのだ。置き去りにしてきた記憶がたくさんある。

 僕は小学3年生の頃、同じクラスのゆきなちゃんに、酷いことをした。同じクラスの久保田くんのフリをしてラブレターを書き、彼女に送ったのだ。僕はゆきなちゃんのことを好きでもなかったし、むしろ汚い、くらいに思っていて、そんな彼女をからかうために久保田くんのことを利用して、そんな陰湿なイジメを企てたのだ。当時の僕にはそれがどんなに卑劣な行為なのかということの自覚はなかったか、と聴かれれば、そんなことはない、というのが正直なところ。むしろ子どもの時の方がその辺りのことには敏感だから、これが何か酷いことだという意識はより強く感じていたはずだ。それなのな僕はやった。何が僕をそんな行動へと駆り立てたのか。

 寂しかったんだと思う。苦しかったんだと思う。しかしそのことを素直に表現できないが故に、表現がこじれてこじれて、そんな形で表出してしまったんだと思う。もっと構って欲しかったし、もっと遊んで欲しかった。もっと抱きしめて欲しかったし、もっと愛されたかったんだ。拗れる、という漢字が面白い。幼い、というのは、何もただをこねることを言うのではないと思う。むしろただをこねるくらいでないと大人とは言えないだろう。最も幼いのは、寂しいという気持ちや苦しいという気持ち、抱きしめて欲しいという気持ちや、愛して欲しいという気持ちを、真っ直ぐに表現できずに、そのことを隠すために卑劣な行為に及ぶことで代わりにその寂しさを埋める、という行動に出ることだ。しかしこれほど虚しいこともないだろう。これほどお粗末なこともないだろう。これほど悲しいこともないだろう。僕はあらゆる場面で、知らず知らずのうちに、そんな行動に出る事が癖づいている自分を発見し始めている。

 その時の担任の先生が言ってたことが今も忘れられない。自分の心の鏡に自分でつけた汚れは、一生消えないんだよ。その事で一番自分が傷つくんだよ。僕はそんな先生の言葉に耳を塞いで、ひたすらに腰を低くして頭を隠していた。先生にはきっと僕がやったことなどお見通しだったのだろう。それでも先生はそのことを僕に告げることはなかった。僕はホッと胸を撫で下ろし、何事もなかったかのような顔をして、またいつもの毎日に戻っていった。何を失ったという自覚もなく、痛みもなく、苦しみもなかった。

 というのは今の僕のカッコつけであり、本当は痛かった。苦しかった。僕は一人で勝手に絶望していた。そしてそんなことを誰にも打ち明けることが出来ずに、一人で胸の奥に抱え込んだ。奥の奥の方にその絶望をしまい込んだ。2度と取り出すまいと心に誓って。それから僕の悲劇が始まった。偽りの日々。奥の奥の方にある本来のありのままの声を隠すために、取り繕って取り繕って取り繕ってハリボテの虚像で自分を彩り始めた。どれも僕のことを心の底から満足させるものではなかったけれど、僕はそんな自分にもいつしか不満を抱かないようになっていった。いや、その不満すらも、さらに奥の奥の方へと仕舞い込んで、タンスの中身はそんな僕のありのままの声でいっぱいになりながらも、僕はそのタンスに一度しまったものを2度と取り出すこともなく、そこにあるということを何とか忘れようとして、他のことに一生懸命になり、他の誰かに認められることで、少しでも楽になろうと必死になっていた。

 その行為にはそれなりの成果があった。上辺の成果。目に見える成果。周りに賞賛されるような成果。そのことで多少の満足を得ることもできた。目に見える満足。周りに賞賛される満足。上辺の満足。しかしやはり、心のどこかで足りない、と思う自分がいて、その声を無視するには、あまりにも他のことに一生懸命になる必要があり、そんな事を続けていると、自分はいったい何のためにここまでして頑張っているのか、途端に分からなくなって塞ぎこむ、何てことも頻繁に起きるようになってきた。しかしそうなると僕はもう八方塞がりで、どうすることも出来なくなってしまっていた。自殺を考えるほどに、どうにもこうにも追い詰められてしまっていたのである。

 滑稽だなと思った。自分が必死になっていること。そのことによって掴まされているものがいかにくだらないものなのかということ。僕は僕が作り出した罠な自らハマり、マイラ取りがミイラになるように、平凡の渦に、貧しさの渦に飲み込まれてそこから出る事も困難な状況に陥っていたこと。

 今の地球こそまさにそんな状態であると言うこともできるのかもしれない。これも僕の中の思い込みでもあるのかもしれないけれど、僕が地球なら、地球は僕だ。世界がくだらないと思うなら、その時くだらないのは僕なんだ。誰かや何かを見下している時、本当に見下しているのは僕自身のことなんだ。見下したところで、蔑んだところで、実は誰も傷つきやしない。そうすることで傷つくのは他でもない自分自身ただ一人だけだ。それはとんでもなく悲しいことなんだ。それはとんでもなく虚しいことなんだ。それはとんでもなく寂しいことなんだ。

 しかし人を見下すことも、蔑むことも、止める事ができない。ならばいったいどうしたら良いのか。そんな自分と共に生きることだ。そんな自分から目を逸らす事なく、そんな自分を拒絶することもなく、そんな自分を排除することもなく、そんな自分と共に生きること。僕はそれに尽きるし、まずはそこから対話がはじまり、探求は進んでいくのではないかと思う。共に生きるということ。共にあるということ。ありのままでそこにあるということ。

 ウルトラマンコスモスが大好きだった。コスモスが一貫して貫いていたのは、そんな姿勢だった。どんな怪獣とも、カオスヘッダーとも、共に生きる道を模索すること。共にあろうとするということ。僕は本当にその時大切なことを受け取っていたのだ。あの時間はなかったことなどには出来ないし、無駄な時間だったと片付けてしまうにはあまりにも輝きを放って今の僕に迫ってくるような時間だ。

 愛って何なんだ?正義って何なんだ?
 力で勝つだけじゃ何かが足りない
 時に拳を時には花を闘いの場所は心の中だ

 もう知っている、と思いながら聴いてしまう事ほど悲しいことはないんだ。もう知ってる事など殆どない世界の中で、それはあまりにも世界を限定的にしてしまうし、それはあまりにも虚しい世界の中で生きることを僕は知った。だからもう辞めたいんだそんな自分は。どんなに情けなくても良いから、僕はもう嘘はつきたくないんだ。

 オーストラリアを旅していた時、ヒッチハイクで乗せてもらった車で、どこまでも続く一本道に差し掛かった時に、僕は心の底から叫び出したい衝動に駆られて、思わず窓を開けて空に向かって大声を上げていた。"夢叶ったぞーーー!!"。何が夢だったのか、何が叶ったのか、今となってもそれは分からないのだけれど、ひとつ言えることがあるとすれば、夢は必ず叶うんだ、ということ。それだけはなぜかあの時あの瞬間、たった十秒程の世界の静寂の中で歌った歌の中に、僕の一生分の真実がぎゅっと凝縮されて、どこまでも広がるオーストラリアの大地に、流れる雲に、吹き抜ける風の中に全て溶け込んで、その時世界は僕にその素顔を見せて、ニッコリとこちらを眺めながら微笑んでいた。

 もう戻る事は出来ないいくつもの奇跡を潜り抜けてきた。それらがすべて旅の証だとするならば、僕はそのことを今ここで心の底から認め、許して、受け入れることで、全て手放すと宣言する。僕は僕の器にあるものをなるべく空っぽにしていたいんだ。あまりにも過去の堆積物に埋め尽くされてしまっていては、僕は君のことが好きなのに、君の全てを受け入れる余白がなくなってしまっては元も子もないのだから。全ては君のために、僕の全てを手放すことを決意しよう。何でもできる君なら何にも出来ない僕になろう。

 ここに僕がいて横に君がいる人生なら
 もう何もいらない嘘じゃなかったはずだから
 電話握りしめて朝まで口実を探していた
 胸の痛みは僕の虚しさこんなことにしたから

 マグマオーシャンの時代

冴えないやつだと笑ってくれるなら
抑えないで声を上げて笑ってあげよう
鮮やかな赤が心臓に突き刺さって気持ち良い
快楽のキューバ音楽新世界のビート

ビートルズが残したものは
十人十歩き
あの夜あの海岸で生まれた歌は
お前へのラブソング聞いてくれてありがとう

46億年の道を一歩一歩歩いていこう
地球と月と太陽と
想像してみよう
imagine
君1人じゃないその夢を見てるのは

僕らは薄着で笑っちゃう
真冬でも短パンTシャツで歌っちゃう
さすがに寒かったぜ
歌ってると熱くなるんです
何て強がりのような可能性のような

シンガーソングライタージジさんに憧れて
横浜O-SITEの箱を15万円で予約する
目標は100人に一枚3000円のチケットを届けること
はじめから全部できてた
そこに全て揃っていた

支離滅裂な物語
継続していくことの難しさ
歌っていきなさい
あなたの一言が今も忘れられない
"歌う"ってどういうことなのか知りたい

ずっとずっと旅して来た
きっときっとそれだけは
鶴屋橋の真ん中で愛を叫ぶ
泥臭さの中にある優雅な音楽貴族

帰属意識を取り戻すんだ
この地球へのこの宇宙への
潜在意識に語りかけるんだ
マグマオーシャンの時代
過去を過去に戻して未来と一緒に歩いていく

歩く花を歌いながら君の結婚式に向かう
僕は思い出す1人歩いていたアリススプリングスの街を
そういえばあの時路上で声をかけてくれた君は今頃どうしてるだろう?
キキ
魔女の宅急便を見ながら奏の森へ車で向かう

君の歌ったスピッツのチェリーは
曲がりくねった道を行く
生まれたての太陽と
夢を運ぶ黄色い言葉
マグマオーシャンの時代
過去を過去に戻して未来と一緒に歩いていく

2度と戻れないくすぐりあって転げた日
11時11分33秒
たまらないよなこの瞬間が
まだつかないのって君が聞く度に
ずっとこのままこうしてたいなって
意地悪な僕はゆっくりと車を走らせてたんだ

幼い微熱を下げられないまま
トラウマの影怖れて
隠した菜っぱが似合わない僕を
おどけた音楽で慰めた
マグマオーシャンの時代
過去を過去に戻して未来と一緒に歩いていく

色褪せながらひび割れながら
輝く術を求めて
君に抱きついたあの夜は
きっとそばで笑っていて欲しい
マグマオーシャンの時代
過去を過去に戻して未来と一緒に歩いていく

太陽の塔に登った
国立民族学博物館
暮らしの中で脈々と受け継がれていく
may the force be with you
フォースと共にあらんことを

君と出会った奇跡がこの胸に溢れてる
きっと今は自由に森も飛べるはず
音を濡らした言葉が空間に溢れたら
マグマオーシャンの時代
過去を過去に戻して未来と一緒に歩いていく




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