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一年間現実逃避をしてみてわかったこと
一昨年末に仕事を辞めてから、人生史上最高のちゃらんぽらん生活をしてみました。
制限を受けるのはゴミ出しの時間くらいで、勉強も仕事も一切せず、テレビも動画も見たいだけ見て、眠くなったらそのまま寝て、最高に体たらくな生活をしました。
しがらみや義務がなくなって、死ぬほど暇な生活をおくれば、やるべき事がふつふつと芽生えるのではないかと思ったのですが、そんなことはお花畑で見る夢でしかありませんでした。
どれだけ待っても、どこからも助けはこない
ただただ引きこもっていても、そんな人がいる事にすら、世の中の誰も気づくことはありません。長くなればなるほど、自分の感覚が鈍磨し、体力が落ち、ひたすら自滅に近づいていくだけです。
逃避したままでは自助もできない
右目に緑内障と網膜前膜という二つの疾患があるため、どちらかの手術をすると、もう一方の疾患が悪化するというジレンマが存在します。
もはや時間の問題と、今では割り切っていますが、当時はその現実を受け入れられませんでした。受け入れる努力をするより、現実逃避したほうが楽だったのです。
現実と向き合う事がないから、この自分をどうにかしようとする事もない。誰も助けに来ない。自助もない。
一年前と同じ場所にいる
気づいたら、うだうだと寝転がり、一年前と同じようなことをうだうだと考えているだけでした。変化したのは一年分、体と脳が老化したことだけでした。
いくら考えてもわからないことは、考えること自体が無価値
何も変わってない。哲学者っぽく何か考えてる風で、何の意味も持たない。考えること自体が無価値だと感じました。
自分のことしか考えていないから詰む
何をうだうだ考えていたのでしょうか?まあ、自分のことです。自分を憐れんでいただけです。前進できるわけありません。外部との接触も絶っていたのですから。
Giveを考えればひらけてくる
「利他」という立派なことではありません。人生詰んだ私の逃げ道です。自分のことだけ考えて詰んだわけですから、逆のことをするしか道が残されてなかったのです。
引きこもっていた私に何ができるかなんて、私にもわかりません。でも、まず発信してみよう。内から外へ。それは私にとって大きな変化でした。
Giveできる何かを探すための出発だったのですが、今、発信するという行為そのものに癒されています。
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