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私という人間 1

少しずつではあるが、自分のことを書いてみようと思う。最近、本を読む機会が増え、書店で過ごす時間もあっという間に過ぎていく。自分が満たされているような気がして、「書きたい」という気持ちが芽生えてきた。

これまでなんとなく生きてきた人生。そんな私という人間に誰も興味を持たず、私自身も今では他人に対して興味を持つことは少なくなった。影響を受けるばかりだった私も、本というものに触れることで、不思議と外部の影響を受けることが少なくなった。

語彙力なんて乏しいし、心に響くような文章が書けるわけでもない。でも、私が生きた証として、ここに綴りたいのだ。

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私、恋愛経験はなく、好きという感情は年々薄れていくばかり。中学生から高校生の頃は、好きな人がいないと生きていけないんじゃないかと思うほど、好きという感情に支配されていた。好きな人がいるから学校に行く、それが唯一の目標だった。今思えば、あの感情は本当の「好き」ではなかったのだと思う。私は、誰かを好きな自分に酔っていただけだった。ほんと、相手からすれば迷惑な話だ。

その頃の私に影響を与えた一冊の本がある。私を知る人なら皆が知っているだろう……『スターガール』だ。普段、本なんて読まなかった。他の人よりも優れた読書感想文を書きたいという思いから、いつも難しそうな本を選び、なんとなく読み流していた。その私が初めて夢中になって読んだ本が『スターガール』だった。そして、私はスターガールそのものになろうとした。“好き”がはっきりとしていた彼女は、私の目にはキラキラと輝いて見えた。これ以上素敵な女の子はいない、彼女こそが人間そのものだと、私はそう思い込んでいた。このまっすぐな気持ちが、こんなにも自分を苦しめるものになるなんて、中学生だった私には思いもよらなかった。

よくある話だ。「こうあるべきだ」と思っているのに、うまくいかない自分に苛立ち、心に余裕がなくなり、次第に周りのすべてが嫌になっていく。好きという感情が醜くなり、友達や思いを寄せていた人を好きな自分が、気持ち悪く思えてきた。誰にも会いたくなかった。きっかけなんてなかった。逃げるという言葉は好きではないが、自分の殻に閉じこもり、全てから離れる感覚が心地よかった。普段は部屋を好きなもので飾るのが好きだったが、この時期だけは、ほとんどのものを収納し、何も置かなくなり、好きを隠した。

どれだけしんどかったのか、そういった話はしない。世間で言う「病んでいる時期」に、一度これでもかというくらいに泣き叫んだ。自分が何者でもないと気づいた瞬間があったのだ。「スターガールなんだ!私は!」と、そう思い込んでいた私が、ただのわたしであったと気づいたとき、脳と心が追いつかず、ただひたすらに泣き続けていた。

私は、何者でもなく、ただの弱く未熟な存在だった。中学生の頃の私、高校生の頃の私が抱いていた「明るくて強い自分」という幻想は、実はこんなにも小さく、脆い生き物だった。もしあの頃の私が今の私を見たら、どう思うのだろう。スターガールは、かつて私の心の全てだった。

焦りと不安が混じる日々が続き、このままでは何かが終わってしまうのではないかと恐れるようになった。さっきも言ったが、きっかけなんてなかった。そして、立ち直るきっかけもまた、なかった。でも、これだけは覚えていた。「スターガールはやめよう」と。

誰かのせいにしたかった、そうしなければならなかった。

一番の好きを消したんだ。



2024.08.13   24歳の私

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