優しい肉まんと常識について
いつの間にか刷り込まれていて、それが当然になっていることってあるよね。
気付いたら立派な大人を目指させられてる。
働いて、お金を稼いで、なるべく人に迷惑をかけずに生きようってね。
本当にそれが正しいのか?いいのか?については誠にに不明である。
そもそも人に迷惑をかけないなんてこたぁ出来ねぇ。
もう息してるだけで大体何かに迷惑かけてる。
身近な例で言うと電車で座ってるだけで、座りたかった誰かの迷惑になってる。
歩いてるだけで誰かの進行方向を邪魔してるかもしれない。
いやいや私ちゃんと左に寄って歩いてますー。って人は外国の人からしたらどうなんだろうね?だし、そもそも息を垂れ流してる時点で地球に迷惑かけてる。
別に法に触れなければ迷惑かけてもいいんじゃないのか?
マナーがとか、一般常識的にとか、ちょっとうるさいよね。
常識とかマナーとかって、世代や育って来た環境で感じ方が違うから、とてもアバウトだよね。
いつか死ぬのに人にばかり気を使ってやりたいことをやらなかったら、死ぬ間際にどう思うだろうね?
まだ死ぬ間際になった事ないからわからないけど、想像するともっと好きにやればよかったなぁって思いそう。
はいはい、じゃあ好き勝手やりますよ。
全人類が好き勝手やったらどうなるか想像したの?あんたバカ?って思った人がいたら、ごめんなさい。
私ってバカなの!!!
今回ね私は、マナーとか常識じゃなく、優しさで繋がろうよって言うご提案なんです。
何か同調圧力によって抑えつけられてるその心を、優しさと一緒に解き放ったらいい世界になるんじゃないかなと私は思うんです。
例えばね、本当例えばね、ビュッフェで最後の一つの肉まんがあったとしよう。
手を伸ばしたら他の人と同時だったという、少女漫画的なノリが起こったとしよう。
一般的な選択肢としては下記の通り
①奪う
②譲る
①奪った場合
肉まんを食べたいと言う欲は満たされるし、お腹も満たされる。
それと同時に意地汚さや、罪悪感も一緒に食べて、どんどん強欲になる。
②譲った場合
肉まんを食べたいという気持ちとお腹は満たされない。
さらに自己犠牲の種も一緒に食べちゃうから、自分なんてって気持ちになりやすくなる。
後味に食べたかったなぁって気持ちが残る。
ここで優しい世界ならどうなるかと言うと、見ず知らずの奴と半分こにするんだ。
そうするとどうなると思う?
肉まんを食べたいと言う気持ちは半分満たされ、優しさを半分食べることが出来るから、体も心も満たされる。
半分こした相手も同様に半分の肉まんと半分の優しさを食べるから、総合すると優しさ一個分の価値を世界に生み出してると思う。
これが優しい世界である。
素敵じゃない?
でもこれが常識やマナーで考えたらどうだ?
知らんやつと半分こってちょっとねぇって思うでしょ?
常識だけでは解決できない問題を、優しさが解決してくれる説!
でもその優しさを搾取されることもあるんだ。
なるべく人には優しくしようと、自己犠牲の精神を持ち過ぎたら吸い尽くしてくる人もいるから、あくまでも無理のない範囲で優しくすることをオススメしたい。
まずは自分に1番優しくしてあげないとね。
私は先日薄めの知り合いから誘われて、全く興味ないライブに行ったんだ。
人数を集めないといけないから云々ということで、お願いされたので、いい人の私は興味のないライブに付き合うことにした。
もちろんチケットを買う。
時間をかけていく。
そしたら全く知らない奴が、全く知らない曲をやって、全く知らない奴らが、全く知らないノリ方をしていた。
「盛り上がっていこうぜぇ」「そんなもんじゃねーだろ?」「手あげろー」
誠に無理である。
私はそんなノリを知らない。
私はそんな曲は知らない。
私はそんなもんである。
ぽけぇとステージを眺める事1時間半、ついには笑けてきた。
これは何の時間だ?
私はここで何をしてるんだ?
そう、気軽に、考えなしに優しさを発動して、貴重な時間を垂れ流していたんだ。
この様に自己管理が甘いと、比較的にうっかり、考えなしに、誰かの役に立てるならと、いい人をやってしまう。
その結果得れるリターンなんてものはほぼない。
試しにライブに誘って来た方へ、一つお願いしてみたんだけど、「確認しておきますね」から連絡はない。
まぁそんなものだ。
基本的に人は自分であるという広い心で、なるべく沢山の人に親切にしたい気持ちはあるが、自己犠牲が発生する優しさはなんか疲れるし、大変だからやめていこうと思う。
じゃあどんな優しさがいいのかというと、肉まんを半分こしたときの様な、自分もいい、相手もいいという様なクリエイティブな優しさか、自分が溢れんばかりに持っていて、人にあげても差し支えなくて、それを人にあげると喜ぶものを差し出す様な優しさが理想的であると私は考える。
大体の人が溢れんばかりに持っていて、枯渇することのない優しさの一つに言葉というものがある。
正しく利用すればとても効果的に優しさを提供できる。
逆に使い方を誤れば、人をすごく傷つける。
だから言葉には気をつける必要があるよね。
専門知識なんかも枯渇するものでもないから、優しさを示すのに役立つ。
ただ、だからと言ってあげすぎると、貴重な時間という資源が減るので、関係性にもよるが、その人に対して使っていい時間の範囲に限る方がいい。
大切な人にはどっぷり使えばいい、そこそこの人にはそこそこ使えばいいし、知らん奴には少し使えばいい。
そうしないと優しさで世界が溢れるのを見る前に時間切れで死ぬ。
何が言いたいかというと、常識にとらわれず法に触れない程度に適当に好きなようにやったらいいけど、優しさは忘れないでね。そして優しさの最優先はまず自分、それから近い人でいいんじゃないか!その様に思いました!どうですか?