③なんでギャルから投資教育の経営者になったか。
生まれてきてくれた子どもは障害児でした。
頼れる身寄りがない23歳のぬいゆり。
家族の支援なく一人親で仕事と障害児の育児を両立することは、想像を絶する心身への負担がかかりました。
子どもは重度のADHD障害(注意散漫、衝動性)とLD障害(学習能力)を持っていました。
“宿題をやる”
“洗濯機に服を入れる時はポケットにティッシュが入ってないか確認する”
“出したものは元の場所に片付ける”
子どもに何度言っても脳の記憶に消しゴムがかけられて白紙になり、個別学習塾に通わせるようになり、怒鳴りつけてその場で言うことを聞かせました。
そのうち小学校3年生になってもおねしょが治らず失敗したパンツを隠してウソをついたり、お友達に暴力をふるい何人も骨折させる問題行動を起こすようになっていきました。
こんなに努力してるのに全然良くならない!
子どもを叱る度に祖母や親戚に「母親の教育が悪い、母親の責任。」と責められ、心の拠り所になる場所がなく憔悴していったのです。
ぬいゆりは育児から逃げるように仕事に没頭するようになりました。
でも、看護師という仕事にやり甲斐を感じず伸び悩み、お金のためだと割り切って仕事をしていました。
毎日朝6時に出社して誰よりも情報収集に力を入れても抜けがある。救命救急のデッドオアアライブを彷徨う環境下で16時間勤務で何度も倒れそうにもなりました。
なんで、なんで・・・。
ある日、ぬいゆりが先輩を探していると、看護師長に先輩が猛抗議している現場を目の当たりにしました。
「師長、ぬいゆりをチームから外して下さい!
シングルマザーだかなんだか知りませんけど、チームの荷物です!」
こちらに気付いた先輩は、ビクッとして口を押さえて目を逸らしました。
ああ、わたしなんで生まれてきたんだろう。
どこにも居場所ないじゃん。
生まれてこなきゃよかった・・・。
涙で赤く腫れた目でターミナル(終末期)患者さんの点滴交換に入ると、寝たきりの患者さんがぬいゆりの手にそっと飴を握らせて下さいました。
「まぁまぁ、どうしたの。べっぴんさんが台無しよ。」
え〜、そうですか❓ははは、は・・・
つーっと頬に涙がつたいました。
余命数ヶ月の患者さん。もう自分で起き上がることもできないくらい病魔に侵されていました。
その方は、死ぬ間際になり“やらずの後悔”を感じているお話を静かな口調で語って下さいました。
なんて偉大なんだろう。
命は有限なんだ。どう生きたいかよりどう死にたいかで毎日を見ないと意味が薄まってしまう。
わたしにも価値はあるのか。
誰かに必要とされたい。
輝ける場所を求めてみたい。
帰り道、ケータイで検索してると
あるHPの広告を目にしました。
「年収2000万円台可。外資系 損害保険代理社員募集!!」
に、にせんまん・・!
金融業界ってかっこよさそう!!
これだーーーー!!
ビビビっと電流が走りソッコー面接予約。
そして後日面接当日向かった先は、広島県一頭地そびえる損害保険会社。
ぬいゆりさーん、お入りください。
面接官がいる重厚なドアが開くと、そこには・・
パリッとした高そうなスーツを身にまとった男性営業マンばかり!!
スマホ片手に「ハイ、全額損金算入可能デス。」とか業界用語で話してて、病棟の外はこんな世界なんだと驚きしかありませんでした。
ぬいゆりの面接結果は、、
不合格。
そもそも未経験でノウハウと顧客を持っていない時点でボツだったそうです。。
そうだ、もういっそ夜の世界でキャバ嬢として一花咲かせよう!と思いそそくさと帰ろうとした矢先、試験官だった男性に「待って!」と呼び止められたのです。
「ぬいゆりさんさ、本気なんだよね❓本気なら俺も何とかしたいから、この件任せてもらえるかな。」
「え❓あ、お願いします・・。」
この試験官が、プロ野球選手に次ぐ2度目の救世主との出会いとなったのです。
数ヶ月後、試験官から連絡をいただき、企業専門の老舗生命保険会社に転職することになりました。
しかし、ぬいゆりは生命保険が大嫌いでした。
生命保険って底辺の人がやる職種でしょ!
「生保レディ」って揶揄されて世間から下に見られてるし、マジで一緒にされるの無理なんだけど!って相当抵抗してました。w
しかし、頑張った分だけ評価される営業がとても達成欲を満たし、今までの想いをぶつけるように保険営業にのめり込んでいきました。
わたしの持ち味はなんだろう。
差別化していくために
持ち味のかけ算をしていきました。
【持ち味のかけ算】
看護師✖️若さ(27歳)✖️度胸✖️
社業の倒産経験✖️目立つルックス
そこから時代や経営者が何を求めているか明確にし問い続けました。
更に、メディカル分野の企業保険に特化したマーケティング戦略を立て、独占マーケットにしていきました。
遂にはブランディングのため、ミャンマー、カンボジアなどの内戦後の貧困地で国際医療活動をし、国内外をまたにかけた日本で初めての現役看護師FPブランドを確立させていきました。
メディカル部門全国No.1、年収は看護師時代の3倍以上になりました。
しかし、ビジネスの成長とプライベートが反比例していました。。
そこでよぎった思い。
これって本当に幸せな状態なの❓
ある日知人の男性のSNSを見て衝撃を受けることがありました。彼は、仕事もプライベートも成果が出てとても幸せそうだったんです。
両立なんてできるの❓
どちらかを犠牲にしないとどちらかを得られないと信じていたぬいゆりは目を疑いました。
そこであるキーワードに出会いました。
それが「成功は技術」。
人はいつからでもどこからでも成功できるというある講座の経営者の格言でした。
その言葉に導かれるように、ぬいゆりは広島から東京へ夜行バスで行き、三日間の公開講座を半信半疑状態で学びました。
そこで人生を変えるきっかけとなった言葉をもらいました。
「あなたには価値がある」
わたしには価値があるんだ。
わたしは愛されていい存在なんだ。
幸せになってもいいんだ。
誰かに言ってほしかった言葉を、
一番最初にわたしがわたしへ
プレゼントしました。
そこから地に根が張り、
ものすごく強大な愛に包まれました。
人前で話すことは苦手だったけど、
会社では中四国エリアの
医学トレーナーに挑戦して
エリア全体の対前年比151%UP達成。
プレーヤーとしても全国表彰に立つ
二刀流選手でしたので、
全国版の広報誌でもたびたび
活躍を取り上げて頂くようになりました。
家庭では、子どもとの時間を
優先的に取るようになり、
多くの人の力を借りながら
育児の幸せを
実感していくように変わりました。
しかし、ぬいゆりはこの順風満帆な
生活を全て置いていき、
ある志のもと知人ゼロの東京で
ベンチャー企業の経営者になる挑戦を
することになるのです。
④へ続く。
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