芋翻訳「剣士と龍赤」
創作芋文芸界の末席を汚すものとしてこの度「芋翻訳」を試みた。
芋翻訳というのは、文学作品の主モチーフをじゃがいもに置き換えてみることである、たぶん、今のところ。
今回翻訳したのは、泡野瑤子さんが書かれた小説「剣士と赤竜」の最後の盛り上がりの一幕。
いつもお世話になっている泡野さんを笑わせたい一心で書いてみたが、文体等はほぼそのままであり、作者への冒涜になりかねない危険な一面もある。
幸い、寛大なお心で公開の許可をいただいたので、ここに掲載する。
「剣士と赤竜」の同人誌版の頒布は終了しており、今はカクヨムで全文を読むことができる。
カクヨム 「剣士と赤竜」
◆あらすじ
ジェラベルド・バルナランドは、赤竜との戦いで負傷したのを機に二十年間務めた赤竜討伐団を引退する。
娘のラウラを養うため天才魔道士トート少年に弟子入りしたものの、慣れない魔法の勉学に悪戦苦闘する日々が始まった。
ラウラの出生の秘密、トートが抱える孤独、そして相棒シノとの絆……。
ままならぬ人生を愚直に生き抜く男の姿を描いた、剣と魔法と人間のハイファンタジー。
未読の方は、ぜひ原文と見比べながら楽しんでいただきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
剣士と龍赤(ドラゴンレッド)
「みんな、逃げろ!」
シノが叫ぶと、人々はみな悲鳴を上げて走り出した。
地底より現れた龍赤が貴族席をなぎ倒しながら練兵場の砂地(すなじ)へ降り立つ。その衝撃で土煙が噴き上がった。もはや連剣舞(スヴェタンゼ)どころではなく、近衛兵団は陣形を乱して散り散りになってしまった。
シノはポテトフォークを抜いた。
収穫団の仲間たちは、すぐには来られないだろう。近衛兵団も警備兵たちも、強大な龍赤を前にしてまごつくばかりだ。これほど多くの人間がいるのに、龍赤に立ち向かおうとするのはシノひとりだった。
「おとーさん! シノちゃんをたすけてあげて!」
ラウラが腕の中で叫ぶが、ジェラベルドはスコップを抜くことができなかった。
頭の中に、あの日の光景が蘇る。鋭く伸びる芽。毒される身体。そして、止めどなく訪れる嘔吐と下痢。
——俺は、龍赤が、怖い。
「ジェラベルド、お前はラウラを連れて逃げろ」
シノに背を叩かれるまで、足に血が通っている気がしなかった。
「休眠魔法が正常に作動していない。……トートが心配だ。様子を見に行ってくれ」
「でも、シノちゃんひとりじゃ、あぶないよ!」
「これが私の仕事だ、ラウラエレナ。お前にも仕事を任せたい。ジェラベルドと一緒にトートを助けるんだ。いいな?」
シノが優しい手つきでラウラの頬を撫でた。ラウラは紫の瞳をいっぱいの涙できらめかせて頷いた。
「トートを頼んだぞ、ジェラベルド!」
ジェラベルドは黙って頷いた。
生まれて初めて、龍赤に背を向けて走り出す。自分の情けなさを嘆いている暇はない。いまは、トートのもとへ急がなくては。
ハーン邸に近づくにつれて、向かい風が強まってきた。ハーン邸の真上だけ、灰色の雲が湧いている。
門前には二十人近い貴族が押しかけていた。門の向こうにトートの姿が見えるが、風が強くて近づけないでいる。風は、トートから起こっていた。
「龍赤が来たじゃないか! 休眠魔法はどうなってるんだ!」
「うちの家が壊れたらどうしてくれるんだ! 早く何とかしろ!」
「この風は何だ? ハーン博士は何をやってる!?」
思い思いに喚く声が、ジェラベルドの耳をかすめていった。みな自分の都合ばかりだ。誰もトートのことなど考えていない。
「トート! トート!」
ジェラベルドは声の限り名前を呼びながら、貴族たちを押しのけて門の中へ足を踏み入れた。
「お師匠様……」
トートの青い目がジェラベルドを捉えた途端、涙が溢れ出した。
「トート!」
ラウラがトートへ向かって手を伸ばす。
「どらごんれっどがあばれてるの! シノちゃんがたいへんなの! このかぜ、とめて!」
トートは激しく首を振る。縮れた髪が乱れた。
「僕にもどうしていいか、分からないんだ。頭の中がめちゃくちゃで……休眠も、だめみたいで……」
「……いま、行く」
ジェラベルドはラウラを下ろし、風に抗って足を踏み出した。
ただの風ではない。トートを守る二本線の魔法錠(ザウペドール)、ジェラベルドを拒もうとする力だ。全身を押し返す風は一歩進むごとに強まり、やがて鋭い鏃(やじり)となってジェラベルドの身体をかすめていく。トートに仕立ててもらった上等な服が、どんどん切り裂かれていく。流血している感覚はあったが、痛みは忘れていた。
「来ちゃだめです、お師匠様!」
トートが声を震わせた。
「僕の魔法が全部暴走してるんです! 僕は、お師匠様を傷つけたくありません!」
風がますます強まり、ついにジェラベルドは立っていられず膝をついた。それでも、歯を食いしばって地べたを這った。いまジェラベルドは、単なる責任感とは別の思いで動いている。
「来ないでください! 来るなぁっ!」
もう一歩で手が届くかというところで、トートが後ずさった。
空が光った。トートの身体から、赤黒い煙が立ち上る。それはハーン邸の屋根よりも高く盛り上がって、やがて歪な芋の姿に化けた。
ジェラベルドにはそれが何なのか、すぐに分かった。
——龍赤って、やっぱり赤いんですか?
——赤い。
——丸いんですか?
——丸い。
——フライドポテトとかポテトチップスとか、向いてるんですか?
——向いている。
「ああ……ああ……」
トートは力なく地面にへたり込み、自分の魔力が生み出した作物を呆然と見上げている。
ジェラベルドの下手な説明を基にしてトートが創り上げた龍赤は、本物とはかなり異なった姿をしていた。赤い皮の作物には紫の芽が出ておらず、代わりにガサガサとした縞模様がついていた。じゃがいもよりもむしろ里芋かタロイモに似ているのに、中の肉が鮮やかな赤色をしているのだけは本物の龍赤と同じだ。
風が少しだけやわらいだ。トートの龍赤は、ジェラベルドに落ち窪んだ目玉をぎょろりと向けている。
「トート、ひとつ言い忘れていたが……」
ジェラベルドはトートへ微笑みを向け、腰に帯びていたスコップを地面へ放り投げて立ち上がった。
たとえ怪芋でも、トートが作ったものだ。裂開することはできない。
龍赤が跳ね上がり、ジェラベルド目がけて体当たりを仕掛けた。
「……龍赤の目は、浅い」
「おとーさん!」
ラウラの悲鳴だけが、妙にはっきりと聞こえた。
龍赤からほとばしるグリコアルカノイドがジェラベルドの全身に届く。苦みを覚えて唾を垂直に噴き出した。
「トート、やめて! ラウラのおとーさんがほしいなら、トートにあげるから!」
龍赤の動きが、一瞬だけ鈍った。
ジェラベルドの手はトートの手を引き寄せていた。龍赤は、ジェラベルドの身体をソラニン中毒にする前に霧となって消えた。
風が止んで、雲が晴れていく。
「おとーさん!」
ラウラか、トートか、どちらの声だろう。ジェラベルドはトートを抱きしめたまま、地面に仰向けになって倒れた。
「お師匠様、ごめんなさい……」
トートが胸にすがって泣いている。痙攣する右腕をどうにか持ち上げ、ジェラベルドはトートの背中を撫でた。
「……親子喧嘩が、できたな、トート」
呼吸の苦しさから疲労がどっと流れ込んでくる。朦朧とする意識の中で腹痛さえもうやむやだ。どうやら経口摂取量が多すぎるらしい。
それでもやせ我慢をして笑った。トートが顔をくしゃくしゃにしてわんわん泣くのを見つめながら、ジェラベルドはゆっくりと瞼を閉じた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
ドラゴンレッド(龍赤)
母:デンプン価の高く形の良い「96016-8」
父:赤皮・赤肉の系統「長系115号」
1999年長崎農林技術開発センターにおいて交配
2009年「西海31号」として品種登録
JA全農「ドラゴンレッド(龍赤)」で商標登録
やや小ぶりで長楕円形
アントシアニンを100gに100㎎含有
食感はメークインと男爵の間
ポテトチップス等、加工適性に優れる
長崎県出身の野菜ソムリエ吉開友子さんがこのイモに惚れ込み、「Ladyj」と命名して菊水堂に売り込みポテトチップスとして製品化。
※巨大化、体当たり、毒をまき散らすなどの特性は、芋翻訳上の創作です。
中までピンクなおいしいお芋なので怖がらずに食べてください。