母の名は。 第17回・タワラシリーズ
ここまで読んでくださっている方は
じゃがいもの主要品種がなんとなーくうっすーら
見覚えがあるようになってきたと思うが(別になってなくても大丈夫)
一区切りとして
これまでとは一味違った
俵の一族
の話をするときじゃな。
もうね、
川田男爵の生涯と同じくらい(第3回参照)
ドラマ化してくれ
って思うエピソード。
図書館にある偉伝マンガで読みたいやつです。
私が書くまでもなく
もうここにまとまっちゃってるんだけどね~。
なのでこのリンク先を読んだ人は、以下は読まなくてもいいのだが、
もう少し短くしてみるよ。
今まで紹介してきた日本のじゃがいもは
男爵とメークインのように外国から導入されて、そのまま普及したものと、
公的機関で開発・育成されてきたものばかりである。
品種改良って時間と手間がすごくかかるからね
個人でやるなんてことはまずありえない。
だが、長崎に
個人で10品種も登録したすごい人がいた。
それが俵正彦さんである。
彼が育成した品種の中で一番有名になったのは「グラウンドペチカ」
その赤まだらの印象的な外見を覆面レスラーに見立てて「デストロイヤー」の名でも販売されている。
さてさて、ではでは、ゼミ長の昔話、はっじまるよ~。
俵正彦伝
俵正彦少年は長崎県島原半島で武家の流れをくむ名門農家の長男として生まれました。
家は地元の名士ではありましたが、俵少年は小学生の頃から畑に出て農作業に励むことになりました。
どうしてかといえば、俵少年のお父さんは
いろいろ思いついて導入する割に、仕事はなんにもしないのです。
お父さんは、マルチ栽培やハウス栽培を率先して取り入れて
島原半島にジャガイモ栽培を根づかせるきっかけを作ったのに、
自分は土にまみれないタイプの人間でした。
ですから、生活していくためには俵少年が鍬を握るしかなかったのです。
1974年に農業高校を卒業した後、俵青年は研修生としてアイダホの農場に派遣されました。
アイダホといえば、ポテトですね。
アメリカの先進的な栽培法と科学的思考を経験し、
最終的に240haに及ぶポテト畑の管理を託され、
親分にここに残れと信頼されるまでになりました。
せっかくの誘いでしたが、長男として弟たちの学費を工面しなくてはいけませんでしたので、
その誘いを断って帰国した俵青年は
売上を上げるべく農地を広げ、生協と取引を始めます。
熊本の阿蘇に借りた草原を開墾し、最初の作付けだからと無農薬で「デジマ」を栽培したところ、
消費者から手紙が届きました。
「俵さんのような安全なものが食べたかった」 と。
過作による病害を防ぐために農薬で土壌消毒をしてから作付けすることは、今も珍しいことではないのです。
農薬をやめてもじゃがいもが育つなら、みんなそうするでしょう。
ですが、いきなり無農薬に切り替えただけでは、芋たちは恐ろしいそうか病や青枯病に襲われてしまいます。
少年時代から様々な試練にさらされてきた俵さんは、どうにかできないかと悩みました。
農薬がなかった時代の栽培法や
原産地であるアンデスの栽培技術も調査しました。
赤や紫の有色種の方が連作や環境に強いことなどを知りながら、
行き着いたのは
突然変異
俵さんが読んだ文献には「男爵薯やメークインがアーリーローズからの突然変異で生まれた品種」と書かれていました。
これまで母の名は。で主に紹介してきたような交配による品種改良ではなく
突然変異育種法を採用することこそが、
俵さんの答えだったのです。
長崎県農林技術開発センターに出入りをしていた俵さんは品種の特性をよく理解していました。
青枯病に強い「チヂワ」という品種は、収穫時に芋の先が腐る症状があり普及しなかったのですが、
俵さんは通常より早めに掘り出すことで尻腐れを回避していました。
チヂワの子供の「メイホウ」も尻腐れの性質を受け継いでいましたが、
あるとき尻腐れ症状のないメイホウを発見し、優性遺伝で異常がなかったものを繰り返し栽培してみることにしました。
12万株から収穫されたじゃがいもをチェックしていると、
その中にたった1つだけ表皮に紫色の線が入った個体を発見しました。
それを秋の種イモとして植え付けると皮色は白に戻りましたが、
翌春にはまた紫線が現れるという具合に変化します。
それからは皮色に着目しながら青枯病やそうか病に汚染された畑で選抜を繰り返しました。
春・秋合わせて15作の歳月をかけて固定できたのが「タワラムラサキ」でした。
1997年に品種登録
出願時の名称は「サン カラー プルプラ」
……しょっぱなから独特なネーミングセンスです。
俵さんは育種に情熱を注ぎ続けます。
消費者、生産者両方に喜ばれるために
減農薬でも病気になりにくく、少肥栽培下でもたくさん収穫できる芋を作ってやるんだ!!と。
ご本人の言葉を引用
「突然変異はな、一遍には出てこんのよ。葉っぱに出てきたり、花に出てきたり、もちろんイモに出てきたり。最初はイモに出てきたのが一番わかりやすかった。1本の茎で葉っぱが3種類出てきたのもあったな。よよいとびっくりした。最初はみんな同じなんよ。ほんとちょっと違うくらい。自分にはその違いがわかっても、ほかの人には誰もわからない。出てきても見つけられる人がいない。でも、俺にはわかる。ジャガは自分の子どもじゃけん。それくらいジャガに目が向いている。そんなのを繰り返していると、葉っぱも花も違う完璧な個性が出てくるんよ。そうしてできたジャガを『環境適応型』と呼んでいる。突然変異を見つけたときはな、ほんとはそれを見て見ぬふりをしたい。カネにもならんものを何十作もまた苦労すると思うとな。でも、俺は自分のためじゃなく、日本国の消費者のためにやっている。そう思うとやめられない。品種で儲ける気はないんよ。第一、自分で品種を作ったとは思っていない。『与りました』としたいくらい。人間の子どもも一緒で、天から授かったもんよ」
「ジャガは自分の子どもじゃけん」ですよ、奥さん!
個人的な儲けではなく、消費者のために貢献したいという思いが俵さんを突き動かしていました。
タワラムラサキのあとも
突然変異を固定化していき
2000年からは「アンデス赤」(第16回)の突然変異の「タワラヨーデル」
「レッドムーン」(第16回)の突然変異の「デストロイヤー」の異名を持つ「グラウンド ペチカ」
など販売マーケットを東京、愛知、大阪へと拡大していきます。
順調に思われましたが、
2006年、母と妻が立て続けに亡くなると、支えを失った経営は右肩下がりに。
子供たちの学費を捻出をしなくてはならず苦しい日々が続きました。
海外から品種改良を要請されたり
農林水産省評価され、「農業技術の匠」に選定されたこともありましたが、
種苗業者や行政との避けらない衝突もあり、
うまくいかないことは多く、思い描いた経営構想は儚く消えてゆきました。
時代や環境の中で困難にもがきながら人生を駆け抜けた俵さんは
病を患いながらも最後まで
日本の将来のために安全なじゃがいもを世に届ける壮大な夢を抱き続け
2017年に亡くなりました。
【俵の育成(出願)品種一覧】
(1)タワラムラサキ (1997年に品種登録)
(2)タワラヨーデル (2000年に品種登録)
(3)タワラマガタマ (同)
(4)グラウンド ペチカ (同)
(5)サユミムラサキ (同)
(6)タワラアルタイル彦星 (長女の俵直子名義で出願、2008年に品種登録)
(7)タワラ小判 (同)
(8)タワラ長右衛門宇内 (同)
(9)タワラポラリス北極星 (同)
(10)タワラマゼラン (同)
(11)タワラビーナス (品種登録に至らず)
(12)タワラ ワイス (同)
(13)徳重ヨーデルワイス (同)
(14)クワタルパン (同)
(15)朱美呼ヴェガ織姫 (同)
15品種のうち5品種は登録には至りませんでしたが、
10品種はいずれも育成者権が消滅し、国の品種になっています。
今後も栽培が可能で、消費者に食べてもらえるのは、俵さんの願った形であったでしょう。
我が子のように芋に愛情を注ぐ父の姿を見てきた息子さんが
俵さんの残したじゃがいもをオリジナル有色ばれいしょ「アップルポテト」として
世に広めていく活動を続けていくとのことです。
俵死すとも品種は死せず!
ちゃんちゃん
俵の一族
タワラシリーズで食べたことがあるのは今のところ2つ
「グラウンドペチカ」
出願時の名称は「ですとろいや」
「デストロイヤー」という名前で売られていることの方が多いような気がする。
「レッドムーン」から皮色が紫で目が赤い変異株を発見し、選抜と増殖を行いながら8年後に特性を固定した。
濃い紫色の皮に、目の周りだけ濃いピンクに染まる覆面のような外見にインパクトあるが
味も負けていない。
サツマイモと栗のような食感と風味。レッドムーンの甘みをさらに強くした感じ。
じゃがバターでもおいしいホクホク感があるけど煮物でもいける。
「タワラヨーデル」
「アンデスレッド」から、形がまが玉状の変異株を発見し固定化。
出願時の名称は「ヨーデル」
出願公表時の名称は「アルペン トップ」
肉色は濃黄色
ホクホク系
他のタワラシリーズ
「タワラマガタマ」
「アンデス赤」から、形がまが玉状で皮色の二次色が紫の変異株を発見し固定化。
出願時の名称は「ヨーデルムラサキ」
出願公表時の名称は「アルペン グズリー」
肉色は黄色
「サユミムラサキ」
「メイホウ」から皮色が紫の変異株を発見し固定化。
出願時の名称は「ウンゼン ムラサキ」
形状は楕円形、皮色は紫、肉色は淡黄の調理用品種
肉色はクリーム
「タワラアルタイル彦星」
「グラウンドペチカ」の変異種、肉色は黄色
「タワラマゼラン」
「グラウンドペチカ」の変異種、肉色は黄色
「タワラ小判」
「メークイン」の変異種、肉色はクリーム
「タワラ長右衛門宇内」(たわらちょうえもんうだい)
「メークイン」の変異種、肉色はクリーム
「タワラポラリス北極星」
「タワラムラサキ」の変異種、肉色はクリーム
いい話でまとめたところなのに
水を差すような蛇足をしちゃうと、
タワラシリーズ、このコーナーで耳タコのジャガイモシストセンチュウ抵抗性がないので種芋の配布は今後縮小されていくと思う。
スーパーマーケットで男爵・メークインに変わってデストロイヤーがいっぱいという未来は起こらないのだ。
食べておかないとね。
音楽一家
じゃがいも擬人化小説では
タワラポラリス北極星
タワラアルタイル彦星
の名前のインパクトに惹かれて、
作曲家として登場させた。
北極星はしっとりバラード
彦星はテンポのいいアイドル曲を得意とする。
※妄想です、すべて妄想です。
でもタワラシリーズの品種名一覧を見ていると
音楽一家なんじゃねーかなーと思うんだよね。
フォークとか演歌とかヨーデルとかクラシックとか各自才能を発揮させてそうな
タワラムラサキ
タワラヨーデル
タワラマガタマ
グラウンド ペチカ
サユミムラサキ
タワラアルタイル彦星
タワラ小判
タワラ長右衛門宇内
タワラポラリス北極星
タワラマゼラン
タワラビーナス
タワラ ワイス
徳重ヨーデルワイス
クワタルパン
朱美呼ヴェガ織姫
……ほらだんだんとそう思えてこない?
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