ヴィンセントとかプロジェクト・ジェノバとかその周辺
これは考えれば考えるほど残念だと思う。
無印FF7のゲーム中、ヴィンセントというキャラクターはエアリスの父ガスト博士に対する言及がかなり多い。FF7のシステム上、パーティメンバーの台詞の全てを読まずともゲームは進められるので見落とす人も多いかもしれないが、ヴィンセントの台詞は読むと非常に興味深いものが多い。
そのヴィンセント自身は隠しキャラであるにも関わらず人気を博し、スピンオフ作品の主役になるまでに至った。それ自体は悪い事ではないと思う。ただ、肝心のその内容があまりにも残念。ダージュ オブ ケルベロス ファイナルファンタジー7(DCFF7)は、ガンアクションとしての出来の悪さのみならずストーリーも無印との矛盾が多く、設定の壮大さも後日談なのに無印のストーリーを矮小化させてしまうようなものとなっておりバランスが悪い。さらに一部既存キャラクターの好感度を下げてしまった。返す返すも残念だ。ガンアクションとしての出来の悪さのみならずストーリーも無印との矛盾が多く、設定の壮大さも後日談なのに無印のストーリーを矮小化させてしまうようなものとなっておりバランスが悪い。さらに一部既存キャラクターの好感度を下げてしまった。返す返すも残念だ。
DCFF7の中ではセフィロスの母ルクレツィアの本命はヴィンセントであり宝条を選んだのも彼を守るため、そして以前はヴィンセントの父グリモア博士を好きだったと語られる訳だが……この何とも言えない残念さ。ルクレツィアがどうにも気持ちの悪いキャラクターになってしまった。ヴィンセントはタークスの優秀なガンマンではあっても、彼自身の血縁とかそういうのは別に要らなかったと思う。順風満帆だった人生がルクレツィアへの想いを気に狂った……その方がよかったと思う。
無印でのヴィンセントの台詞からはガスト博士が率いるプロジェクト・ジェノバの背景や人間関係が読み取れた。ガスト博士とブーゲンハーゲンの交友関係に関する言及からは、科学と自然がけして敵対するものではなく、人間は自然やモラルを重んじながらも科学文明を発展させていくことができるという可能性が示唆されていると考えられる(それは本編のエンディングである緑に包まれたミッドガルの風景にも共通する)。ヴィンセントが語るガスト博士の姿は理性と感性、科学と信仰、両者を併せ持つバランスの取れた人間像だ。神羅ビルにある、生物学者ガスト・ファレミス著の『歴史の中の古代種』という本。生物学者という肩書と著書のタイトルからは、ガスト博士が文理両面に優れた頭脳の持ち主であった事が推測できる。
ガスト博士は功罪相半ばする存在だ。2000年前の空から来た厄災・ジェノバを目覚めさせ、その因子を受け継ぐセフィロスを生み出した。セフィロスの存在はメテオを呼びウェポンを呼び覚まし、星にも人間社会にも被害を与えた。しかしこの事件があったからこそ人は自然の驚異を知り、星を大切にするようになったと考える事もできる。そして最後の古代種エアリスの父でもある。ガスト博士とイファルナの出会いの具体的な様子は本編では不明だっただけに、何らかの形で語られないものかと期待してもいた。
もしもDCFF7が、無印本編でのヴィンセントの台詞を発展させ、ガスト博士やプロジェクト・ジェノバについて本編と矛盾しないように掘り下げた内容であったとしたら。その上でプレジデント神羅やブーゲンハーゲン、エアリスの母イファルナなど、本編で十分には語られなかった人物の過去が組み込まれFF7世界を綺麗に補完するものとなっていたら。きっと良作になっていただろうにと思うとつくづく残念だ。
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