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スナック忘れな草~2023京王杯SC・若手騎手からの詫び状~

■ 真一郎の就活

2023年5月12日(金)午後7時
-東京都某区 スナック忘れな草-

真一郎がスナック忘れな草の扉を開けると、店内には香ばしいにおいが漂っていた。麗子ママがキッチンで何かを作っているようだった。すでに一杯やっていたギョニ子の右隣りの右角に座るとすぐに、マスターが生ビールを置いてくれた。真一郎の一杯目は生ビールと決まっている。

「いらっしゃい、しんちゃん。就活はどんな感じですか?」マスターが尋ねる。

月曜日の夜にみんなで軽くNHKマイルCの回顧をしたあとも東京に残っていた真一郎は、火曜日から就活をしていたのだ。

「今日ある病院に面接に行ってきました。ちょうど言語聴覚士がひとり辞めたばかりとかで、手ごたえはよかったです。週明けには合否の連絡が来ると思います」

真一郎が笑顔で答える。

「来週はもろもろの手続きなどで岩手に帰るので、仕事を始めるのは5月の下旬あたりになりそうですけど・・」

「これで少し落ち着けそうね、しんちゃん」

そう言いながらママが、真一郎の前に小鉢を置いてくれた。ピーマンと魚肉ソーセージをごま油で炒めて、塩コショウと醤油で味付けしたシンプルなつまみだ。同じものをピーマンが嫌いなギョニ子の前には置かず、左角で飲んでいたタコ社長にも配る。

「これこれ!昔からこれが好きでねえ」タコ社長はさっそく箸をつけると、眞露の水割りで流し込んでいる。どうやらこの一品はタコ社長のリクエストのようだ。

「パプリカならなんとか食べられるんだけど、ピーマンはどうも苦手。中身がないのが許せないのかな?」

いつものように魚肉ソーセージを生のままかぶりついていたギョニ子は、そう言ってタコ社長を横目で見た。

「おめえさん何かい?俺は中身がねえ人間だって言いたいのかい?」

タコ社長がそう反応したところで、マスターが話題を変えた。

「みなさん。春天といいNHKマイルCといい、残念な結果に終わってしまいましたね。今週はGⅠヴィクトリアマイルがありますが、過去2週は軸馬を早く決めすぎていたのかもしれません。今日は明日の京王杯スプリングカップに絞って予想をしてみませんか?」

マスターの提案に、タコ社長は大きくうなずいた。

「そうそう、マスターいいこと言うね!どうしてもGⅠを優先しがちだけど、未勝利だろうがGⅠだろうが当てたもん勝ちよ。GⅠだけに時間を割くのは得策じゃねえやなぁ」

タコ社長はもっともらしいことを言っていたが、真一郎にはこのあとタコ社長がどんな話をするかがわかっていた。東京に住んでいるころ、何度も聞かされた話だ。マスターもそれがわかっていて、タコ社長に話題を振ったのだろう。

■ 大五郎のカミナリ

「京王杯スプリングカップといえば、1992年のダイナマイトダディを思い出すぜ・・・」

タコ社長は顎を少し上げて、遠くを見るような目をして語りだした。口調が芝居がかっている。

「あの年、京王杯スプリングカップの2日前に、10年振りに会う友人と飲む約束をしていた俺は、仕事でしくじっちまったのよ・・・」

タコ社長のしくじりとはこんな話だ。1992年当時、タコ社長の父であり先代にあたる袴田大五郎が社長兼工場長だった。寡黙で仕事に厳しい人だった。工場の最後の戸締りはタコ社長の役目だったが、友人との久しぶりの再開を楽しみしていたタコ社長はその日、普段なら工場を出る直前に行う空き缶の処理を、15時の一服休憩終了後に行っていた。

15時の一服休憩で、工員たちが缶コーヒー缶ジュースを飲んだときの空き缶がゴミ箱に捨てられると、そのあと新たに空き缶が捨てられることはまずない。過去の経験からそれを知っていたタコ社長は、少しでも早く帰れるよう、一服休憩後に空き缶を処理していたのだ。

ところが、その日はたまたま誰かが帰る前に空き缶をひとつ捨てて行った。タコ社長は最後にもう一度ゴミ箱を確認することなく帰ってしまったため、たまたま用事があり工場に戻った先代にそれを見られてしまったのだ。

次の日タコ社長が出勤すると、タコ社長のデスクの上に空き缶がひとつと、新しいノート一冊、新しいボールペン1本が置いてあった。ノートを開くと、1ページ目に父からの伝言があった。

何があったかは知らないが、空き缶がひとつゴミ箱に残されていた。最後の確認を怠ったようだな。たかが空き缶ひとつと思うなら仕事は辞めた方がいい。ひとつの確認ミスが、いつか何百万という大きな損失につながるかもしれない。いや、お金ならまだいい。工員が一生働けなくなるような大怪我をしたり、命を落としたりしたらお前はどう責任を取るのか?

一事が万事

このことばを毎日ノートに1ページ分書きなさい。ボールペンのインクがなくなるまで毎日だ。

「いやあ、あれはこたえたね・・・こんこんと1時間ぐらい説教されるほうがまだましだったよ。でもおかげで、うちの工場ではもう何十年も、大怪我をした者がいないというわけさ。工場だって綺麗なもんよ。それこそチリひとつ落ちてねえ」

タコ社長が毎年恒例の思い出話をそう締めくくったとき、「頭のほうにもチリひとつないけどね」と、真一郎は言おうとしたがやめた。タコ社長の話には続きがあるのだ。

「そしてその週の京王杯スプリングカップ。ダイナマイトダディに『かみなり親父』という意味があるのを知っていた俺は、ダイナマイトダディから勝負したってわけよ。聞いて驚くなよ?ダイイチルビーとダイタクヘリオスをぶった切って、相手はバンブーパッションに絞り馬連1点勝負!ダディとパッション・・・そう、親父の情熱ってわけさ・・・」

そう言ってタコ社長は人差し指と中指で煙草を吸うマネをした。店内は禁煙なので、気分だけでも紫の煙を吐いたつもりなのだろう。

タコ社長の話を鵜吞みにすると、馬連1点買いで29.5倍を仕留めた会心の予想となっているが、実際はそうではなかったらしい。その日一緒に府中に行っていた、おかめ食堂の先代店長おさむちゃんから聞いた話だ。

本来はダイナマイトダディとバンブーパッションから、ダイイチルビーとダイタクヘリオスに馬連で流す予定だったが、10Rまで絶不調で軍資金がなくなってしまった。熱くなったタコ社長はダイイチルビーとダイタクヘリオスを泣く泣く切り、やけくそで1点勝負した。

まさか当たると思っていなかったタコ社長は、ダイナマイトダディ、バンブーパッションの順に入線したのを見届けると、その場でうんこを漏らしたという。

「そりゃあもう大騒ぎよ。大勝ちした日はロシア人を抱くと決めていた俺は、すぐに浅草に向かったね。とびっきり美人で長身のロシアっ娘がいる店さ。8本の腕を持つ袴田大作のテクニクシャンぶりに、ロシアっ娘はなにやら叫んでたね。『ごめんなさい北方領土を返しますぅ』とか、『ジャパニーズマトリョーシカ最高!』とか、たぶんそんなところだろうなあ」

「マトリョーシカ!タコ社長のナニは確かにそうかもね」

ギョニ子が笑いをかみ殺しながら言った。

「だって、年々小さくなっていくもの」

「そうそう昔はこんな大きかったけど、今じゃ小指の先ぐらい・・ってやんのかコラアーーッ!!」

ギョニ子のボケにノリ突っ込みをするタコ社長。ここまでがダイナマイトダディ事件の一連の流れだ。真一郎が東京に住んでいるころ、少なくとも5回は聞かされているが、どうやら毎年繰り返されていたらしい。

■ 古川奈穂と吉井章騎のトレード

「社長さん、そうなると今年はダディつながりでダディーズビビットでしょうか?」

マスターがタコ社長の前にある小鉢をさげて、代わりにチーズとサラミが乗った皿を置きながら言った。

「うーん、そうなればいいんだけど、サイン的にどうなんだい?ダディーズビビットにつながるのがあるかい?」

タコ社長は自信なさげだ。

「ひとつこんなのがありますよ」

マスターはパソコンの画面をタコ社長に見せた。

「古川奈穂騎手と大井の吉井章騎手の期間限定トレードです。吉井章騎手の誕生日とダディーズビビットの誕生日が、同じ3月26日なんです」

「へえ、ニュースのタイミング的にありそうだなあ」

タコ社長が目を見開いて言った。スマホの不正利用により騎乗停止処分を受けた6名のうちのひとりである古川奈穂騎手が、大井競馬場で調教などの仕事に携わり、吉井章騎手のほうは栗東で仕事をするというニュースだ。

「吉井章騎手は、JRAではひとつだけ勝ち星をあげていますね」

いつの間にか自分のパソコンを開いて、調べものをしていた真一郎が言った。

「2020年12月26日、阪神7Rのヤングジョッキーズシリーズファイナルラウンド阪神第1戦。騎乗馬はスカーフェイスでした」

「スカーフェイス?ダービー卿に出てなかったかしら?」

ギョニ子がスマホを操作しながら言った。

「あ!やっぱり出てるわ。横山和生騎手で13着。ももクロちゃんの4番勝負のラスト、百田夏菜子杯の勝負レースがダービー卿だったのよ!」

ももクロ試練の五番勝負のうち、メンバー同士が戦う四番勝負のラストである百田夏菜子杯への投票は、この日18時に締め切られていた。すぐに結果発表の動画がアップされており、ギョニ子は飲みながらその動画をチェックしていたようだ。

ギョニ子は続けた。

「スカーフェイスに乗っていた横山和生騎手が、ダービー卿で1人気だったレッドモンレーヴに騎乗か・・・百田夏菜子ちゃんのカラーはレッド。あるかもしれないわね」

2023/4/1(土)ダービー卿チャレンジトロフィー
2-03 レッドモンレーヴ(1人気)7着
3-05 スカーフェイス(横山和生)13着

京王杯スプリングカップ
6-12(レッドモンレーヴ)(横山和生

すかさず真一郎が援護射撃を出した。

「京王杯SCにはダービー卿組が5頭出てるけど、6枠が唯一、前走ダービー卿の同居だね」

京王杯スプリングカップ
6-11 ミッキーブリランテ(前走ダービー卿CT6着)
6-12 レッドモンレーヴ (前走ダービー卿CT7着)

「ももクロの動画から京王杯SCにサインが出ているのであれば、6枠は面白いかもしれませんね」

マスターはそう言って、自分のパソコン画面をみんなが見えるようにした。

「例の『競馬法100周年記念オリジナル フレーム切手』ですが、今週JRAFUNのツイッターで、切手シート『』のウオッカとシンザンが紹介されています。ウオッカはヴィクトリアマイルを勝っていますから登場するのは自然だとしても、シンザンを出してきたのは少し引っ掛かります。2頭がいる切手シート『』から、今週も6枠は注意かもしれません」

月曜日に行ったNHKマイルCの回顧。「3分で分かった気になる名馬」のタニノギムレットから、娘ウオッカがいる『』の緑枠シャンパンカラーだったのではないかという話が出ていた。

京王杯スプリングカップは6枠のレッドモンレーヴを軸にしようということになり、10分ほど休憩となった。スナック忘れな草での競馬予想は、煮詰まりすぎないよう適宜休憩をはさみながら行うことが習慣化されていた。

■ ファイナルファンタジー

10分後、最初に口を開いたのは麗子ママだった。

「ダービーの新しいコンテンツが発表されたわね。人気ゲームファイナルファンタジーとのコラボ。京王杯スプリングカップの1枠が面白い組み合わせよ」

麗子ママのいう面白いとはこういうことだった。ファイナルファンタジーといえばダノンファンタジーという馬がいた。また、ファイナルファンタジー同様、根強い人気を持つRPGにドラゴンクエストがあり、クエストと言えばロードクエストという馬がいた。

京王杯スプリングカップ
1-01(ダノン)スコーピオン
1-02(ロード)マックス

1枠はそれら2頭と同じ冠名の同居になっている。

「1枠が怪しいってことかい?」

麗子ママの説明にタコ社長が反応した。

「わたしも最初はそう思ったのだけれど、昨年のファンタジーステークスの出目を使うのもあるんじゃないかと思うの」

麗子ママの言葉を聞きながらスマホを操作していたギョニ子が言った。

「昨年のファンタジーステークスは枠連の5-6よ。ちゃんと6枠が入っているし、相手はピクシーナイトとウインマーベルのいる5枠。ありそうね」

枠連1点勝負するにはもうひとつ決定打が欲しいと、その後も30分ほど話し合いを続けたが、これといって目ぼしいものはみつからなかった。再度10分間の休憩を取っているときに、タコ社長がガラケーを操作して言った。

■ 若手騎手たちの詫び状

「お!靴磨きの政やんからメールが来てるぜ」

その言葉にみんなが注目した。

「どれどれ、今週から騎乗停止になる6名の騎手から乗り替わった馬が、土曜日には計31頭出走するそうだ。その31頭から2頭以上が同じレースに出走するのが計7レース。ところがその7つのレースで、前走が騎乗停止騎手だった馬同士の接触があるのは、新潟6Rだけだそうだ」

マスターが素早くパソコンを操作し、画面をみんなに見せた。

5/13(土)新潟6R
5-09(外)ウェイオブサクセス(前走:今村聖奈
6-10   ルクスメテオール (前走:永島まなみ
6-11(外)ネフェルウラー  (前走:角田大河

「おお!5枠と6枠じゃねえか!こりゃ京王杯の枠連5-6暗示かもな!」

タコ社長が叫ぶと、みんなもうんうんと頷いた。

「よし!枠連5-6の1点勝負。深く反省しているであろう若手騎手たちからの、お詫びの印ということで、ありがたくちょうだいしよう!!」

真一郎がそう締めたところで、京王杯SCのスナック忘れな草勝負馬券は、枠連5-6と決まった。

京王杯SC
枠連5-6

スナック忘れな草~2023京王杯SC・若手騎手からの詫び状~
-完-

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