見出し画像

スパイダーマン:ノーウェイホームにラブレターを書く! 感想・ふせったー(ネタバレあり)

ノーウェイホームを見てきたのでその感想や考察としてふせったーで「スパイダーマンへのラブレター」と名付けて、あげたものを再掲します。ネタバレありなのでよろしくお願いします。作品の性質上、他のスパイダーマン作品のネタバレもあるのでご注意ください。

四つありますがそれぞれ独立しているので気になるものだけでも読んでいただければ幸いです。

第1弾 グリーンゴブリンについて言いたい!

もう!グリーンゴブリン!ピーターの大切な人奪いすぎ‥どの世界のピーターもグリーンゴブリンにハリー、グウェン、メイを奪われていますが、サムライミでもアメイジングでもグリーンゴブリンに本当の意味で打ち勝つことはできていなかったと思います。そんなグリーンゴブリンを3人のピーターで倒す。オズボーンを殺すのではなくグリーンゴブリンを倒す。ここに今までスパイダーマンが紡いできた全てが詰まっているのだと思います。サムライミもアメイジングもこの瞬間のために作られた。そんなわけはないのですがそう感じるようなNo Way Homeでした。

第2弾 予告で一番衝撃だったあのシーンについて言いたい!

あのシーンとはもちろんMJが落ちるシーンです。アメスパ2では糸の手でグウェンを助けようとしましたが、NWHではトムホ、アンドリュー共に直接その手でMJを助けようとしました。
クモの糸は人々を救える象徴だった。しかしアメスパ2でその象徴は覆された。ピーターの大切な人を救うにはスパイダーマンの力だけでは不十分だと。
"You're Spiderman. And I love that. But I love Peter Parker more."(グウェン-アメスパ2)
スパイダーマンとしてだけでなくピーターパーカーとして好きだったグウェンを救うには不十分だった。ピーターとしてグウェンを救わなければならなかった、もっと愛さなければならなかった。アンドリューは正体をグウェンに明かすのが早かった分、その境界が一番曖昧だった。だから失ってからピーターとしての自分に気づく。
トムホピーターとMJの関係も同じだ。MJはスパイダーマン以上にピーターのことが好きだ。ピーターもピーターとしてMJを愛している。しかし、彼にはヒーローとしての自覚が足りない。だからその手で救おうとしてもグリーンゴブリンに邪魔されてしまう。
それを見たアンドリューはMJの元へ飛び込む。my MJへのピーターとしての愛を知り、親愛なる隣人としてのスパイダーマンの責任を知り、その境界に苦しんできたアンドリューにしか救えない。そしてMJを救った彼はグウェンを失ってしまった自分をやっと許すことができたのだと思います。
アメスパ2での糸の手から自分のピーターの手に変化するセカンドチャンスを得た時アンドリューはMJを離すことなく、グウェンの死は無駄じゃなかったともう一度知る。弟であるピーターの愛する人を救えたのだから。

第3弾 ピーターについて言いたい!

トムホピーターは私たちだった。
言い方が不適切かもしれないけれど、サムライミ・アメイジングを見て憧れて育ったファンにとっては自分の葬式で流してほしいほどの作品だと思う。あの時はただ憧れていたけれど、今見てみると、どのピーターだってもがき苦しみながらもスパイダーマンとして輝いていたことに気づく。長く生きていれば必ず喪失を経験する。大切な人の喪失だけでなく、信頼や目に見えないものの喪失もあるだろう。自分の責任かも他の人の責任かもしれない。そんな時支えてくれるのはスパイダーマンではないだろうか。未熟なトムホピーターは私たちなのだろう。怒りや悲しみで我を忘れ、誤った道を進もうとした時、止めてくれるのは喪失と向き合い、それでも前を向こうとしたアンドリューでありトビーである。そして”親愛なる隣人”に少しでもなれるように生きていきたいと思うのではないのだろうか。
トムホスパイダーマンには子供の不在が見られる。なぜならトムホピーターがトビーやアンドリューからエネルギーをもらった子供なのだから。今までのスパイダーマンの電車やライノのシーンに代表されるようにトビーとアンドリューは子供たちにエネルギーを与えた。その子供がまさにトムホピーターであり、喪失に打ちひしがれながらも子供から大人へと成長する時、友に支えられながら、人生の兄と喪失の共有をするあの瞬間が生まれたのでは。そして全てが収まった後は”家に帰る道なんてない”ことを受け入れ、新しい道を進んでいく。Home3部作は家でスパイダーマンを見ていた子供達が”大いなる力には大いなる責任が伴う”ことを実感し、巣立っていく物語だと思う。Homecoming, Far From Homeと少しずつHomeが遠くなっていく。私たちもきっとスパイダーマンに会うために少しずつ家から離れていった。そして最後には実際にNo Way Homeになった雪の日を体験したファンが何人もいた。こんな夜遅くまで外にいるなんて私たちはもう子供ではない。”大いなる力”と”大いなる責任”がある。時々パルパティーンを見て過去を振り返ってもいいのだろう。スーツを着るという前を向く選択をしていれば。

第4弾 MJについて言いたい!

NWHはMJの失恋物語かもしれない。MIT進学が決まって不幸ではないはずだが、私達には不幸に思えるMJ。死を迎え、不幸なはずだが、私達には不幸とも言いきれないグウェン。彼女たちは何が違ったのか。
MJは失ったものにも気づけず、得たものにも気づけない。記憶がなくなることが運命であるが、その運命を受け入れることもできない。ピーターは全ての運命を受け入れたにも関わらず、MJにはその機会さえ与えられなかった。

アメイジングでも似ている。ピーターはグウェンの死を受け入れてスパイダーマンとして復活した。しかしグウェンはピーターとの日々が失われる運命を受け入れる時間はなかった。
しかし卒業式の際に”Fight for what matters to you, no matter what. Because even if you fall short, what better way is there to live?”(自分の信じるもののために戦おう、どんなことが起きようとも。たとえ届かなかったとしてもそれに勝る生きる道はないのだから。)とスピーチしておりずっと前から運命を受け入れていたとも考えられる。警察の父を持ち、スパイダーマンと一緒に生きる覚悟はできていた。だからピーターに止められようとも自らの道を行き、運命を受け入れていく。どんな運命かを知ることはできなかったが、どんな運命であろうとも受け入れる覚悟ができていたのがグウェンであった。

話をMJに戻すと、MJには選択肢がなかった。ここにピーター(トムホだけではないのかもしれない)の罪がある。MJは自分から決断して協力したわけではない。彼が彼女とネッドにお願いした。メイおばさんが亡くなりピーターと連絡がとれなくなり、決断する寸前までいったが、ピーターが来てしまう。MJに決断力がないとは全く思わない。ただ選択肢がないだけ。
ただし1度だけ彼女に選択肢があった。トムホピーターが投げやりに全てを終わらせようとした時、彼女は箱を渡さなかった。それでも、トビーとアンドリューが私達の助けが必要だと言ったのが事の発端であり100%MJの決断ではなかった。

MJは最も悲劇的である。ストレンジの呪文を邪魔しているとき、スパイダーマンに恋したのだから仕方ないというストレンジに対して、ピーターは自分が先に恋したと言っているが本当にそう?
MJはホームカミングのときからピーターを見てたからこそスパイダーマンであることを見抜けた。一方ピーターは1度、リズに恋した。
ここからMJの気持ちを見落としていたということが考えられる。だから彼女に選択肢を与えず、ピーターが思う最善を選んだと。MJは愛していたにも関わらず選択肢を得ることができず、ピーターの一方的な判断により記憶を消されてしまい、さらにピーターは彼女のことを思いすぎてもう会わないという決断をしてしまう。
これはMJの一種の失恋物語だと思う。
"We are happy to serve you"「私達はあなたに尽くして幸せだった。」こう書かれたコーヒーを渡すことでピーターとMJは別れる
MJらしいなんと皮肉のこもった一文だろうか。

いいなと思ったら応援しよう!