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"La La Land" 夢を追う全ての人への讃歌 夢追い人が今、必要とされている
私の一番の映画、La La Landの感想・考察です。 この映画を観た方向けに書いたものなので話の結末など核心についても触れているので、ご覧になってない方はぜひLa La Landを観た後にこの記事を読んでいただければ幸いです。Twitterであげたものの再掲になります。
LA LA LANDとは何の映画なのか
この映画は恋愛映画として捉えられることもしばしばあります。しかし、それが本質ではなく、夢を追う者たちを称えた映画なのです。
冒頭のハイウェイでの圧巻のミュージカルシーンに象徴されるように、夢追い人はLAの街に限定しても数え切れないほどいます。彼らはLAの街で自らの夢を持っており、それを開花させるために奮闘しています。その中のミアとセブにフォーカスを向けただけにすぎません。
LA LA LANDはそんな夢をひたむきに追う人々の映画なのです。
Someone In The Crowd
ここで私の一番好きなナンバーSomeone In The Crowdについて書きたいと思います。
この時点ではまだミアに完全に焦点を当てているわけではありません。ルームメイトも含めて、華やかなパーティーで素晴らしい出会いを期待していますが、ミアはそれに疲れてしまいます。そんな感情になってしまったミアにとっては世界が凍ってしまいます。悲しい音楽に囲まれ、全てが冬となる。これは夢を追うことの裏にある悲哀や苦悩の現れです。派手に見える参加者の裏にはこのような感情もあることでしょう。
しかし、1人の男がプールに飛び込みます。その瞬間、春が訪れます。(物語終盤のAuditionで歌っているようにミアのおばは、セーヌ川に飛び込みました。そのことを曲中で何度も言っていて、それがミアの夢の原点となります。そう考えると飛び込むことが夢のメタファーとして捉えることができるのではないでしょうか。)
夢を追う上ではつらいこともあるでしょう。ただ、そのネガティブな気持ちを変えてくれるのも、また1人の夢追い人なのです。(夢追い人が互いに影響し合うのはAnother Day Of Sunでも見られます。車や荷台のドアを開けて、新たな人が音楽に参加していく様子には同じ構造が見られるでしょう。)
飛び込んだ直後のシークエンスでも、Another Day Of Sunとは全く変わって、真っ暗な夜の空を背景に、夢追い人の生き生きとしたダンスが描かれます。どんなに暗い世の中であっても夢追い人は、輝ける光となることができるというメッセージなのではないでしょうか。
このナンバーは夢追い人の現実的な面を描きながらも、彼らの力強さを表現した曲となっています。
夢を追う姿勢
ここからミアとセブのことについて書いていきたいと思います。彼らの夢を追う姿勢について考えていきましょう。
彼らの夢を語る際に、重要になるのは「目を見ること」です。
ミアを初めてジャズバー(Lighthouse)に連れて行ったとき、セブはミアの目を見て熱く語ります。このようにミアとセブは本当に追いたい夢のことを話すとき、お互いに目を見ているのです。
目を見て話す時に偽りなどありません。夢追い人の情熱がそこに溢れているのです。
そのことを踏まえて、言い争いになった夕食のシーンを見てみましょう。ミアのために、自分の本当の夢を見ないことにしたセブは、ミアの目を見ようとはしていません。(ジャズよりもミアを優先していることは、そのシーンでジャズをBGMとして流していることからもわかります。)しかし、自分もセブも夢を追って欲しい、と思っているミアはセブの目を見ています。そこにふたりのすれ違いが起きるのです。(そのすれ違いはジャズのレコードが止まってしまうことでも表現されています。)
ミアを実家からオーディションに連れて行こうとするシーンでは逆になっています。セブはミアの目を見ていますが、ミアはチラチラとしか見ていません。しかし、セブのまなざしを見て、夢を思い出したのでしょう。
そして、オーディションが終わった後のシーンでは、ふたりは互いに目を見ながら、その後のことについて話しています。なぜセブはこの時、一緒にパリに行かなかったのか!という意見もありますが、ミアもセブも、2人の夢を見つめていたことがこのシーンから感じ取れるでしょう。
「目をみる」ということは、「夢と向き合う」ということを意味していたのではないのでしょか。
IF
そして5年後、物語はクライマックスを迎えます。
出会うきっかけとなったあの曲を聞いて2人はIFの仮想の世界に飛び込みました。
もしもあの時「ミアを無視しないでキスをしていたら」「一人芝居で最後にランプを消さなかったら」「キースのバンドの誘いを断ったら」のように現実世界との対比が描かれています。実際には手にすることのできなかった儚さとカラフルな世界観、押し寄せる音楽に圧倒されるクライマックスになります。この仮想の世界は完璧に思えるかもしれません。
なぜミアとセブはその道を選んで幸せにならなかったのか、と思うかもしれません。
ただ、このIFの世界にはあることが欠けています。それはセブのジャズバーの夢です。
IF世界でも終盤、ミアとセブはジャズバーに入っていきます。もしセブが自分の店を持っていたとしたら他の店になんて行くでしょうか。もちろんジャズバーを持っているという描写もなく、セブは夢を諦める代わりにミアを応援する、というようになっているのがIFの世界なのです。
もし自分がセブだったらどちらの道を選ぶかは人によって異なると思いますが、セブは自分の夢を追うという決断をしたのです。セブの演奏を聞いてミアとセブはこんな世界もあったのでは、と2人でIFの世界に入りました。Auditionの後にはそれを思い描くことができていたかもしれません。
それでも2人はそれぞれの夢を追う道を選んだ、ということになります。
それを象徴するかのように最後のシーンでは2人が無言ながらも目を合わせています。夢を語る時は目を合わせていたからこそ、言葉なんて不要で、ただお互いの目を見るだけで「私たちは夢を叶えたよね」という気持ちを伝え合っていたのではないでしょうか。
2人の恋
ミアとセブの恋は儚いものでした。
それでも2人は夢追い人同士という関係を超えて影響を与えあっていました。ミアはセブと会うことで自分の夢の原点を思い出し、セブはクライマックスの演奏から新しい世界を創ることができました。彼らの恋から創造性が生まれたのです。
この恋がなければ大女優ミアやseb’sなんて生まれていなかったでしょう。
チャゼル監督はインタビューでこんなことを言っています。
「僕がとても感動したのは、人は人生において、自分を変えてくれて、なりたい人物には会えるけれど、最終的にはその道を1人で歩まなければならないということだ。人は、残りの人生を決定づける人と結びつくことはできるが、その結びつきは残りの人生まで続かない。そのことは、ものすごく美しくて、切なくて、驚くべきことだと僕は気づいたんだ。この映画ではそのことを描きたかった。」
まさにこれを描いています。夢追い人が互いに影響し合いながら自分の道を突き進み、夢をひたむきに追っていく。そんな夢追い人へのリスペクトあふれる映画なのではないでしょうか。