見出し画像

”Last Night in Soho” エネルギッシュで正夢のような悪夢

Last Night in Sohoの感想・考察を書いていきます。この作品のエドガーライト監督がネタバレはやめてほしいというほどのネタバレ厳禁作品であるのでまだご覧になってない方はぜひこの映画を観てからこの記事を読んでいただければ幸いです。

Twitterやふせったーで書いたものをまとめたものなのでご了承ください。

それぞれの章は独立しているので気になる章だけでも読んでいただければと思います。

Sandy

画像1

彼女の生きている世界はホラーの世界ではありません。現実の世界なのです。
Last Night in Sohoでは女性を追う男の幻影・亡霊がホラーとして描かれていますが、Sandyは現実の男たちに苦しんでいました。
これがもしホラーの世界に生きていたら?男たちを倒して最後に生き残る”Final Girl”にふさわしいのがSandyです。不道徳なセックスを求めない姿勢や中性的な名前などFinal Girlの素質を持っています。

しかし、彼女が生きているのは現実の世界。” Final Girl” ではなく” Killer” になるしかなかった。Sandyも殺してAlexandraになるしかなかった。そうしないと解放されなかったのです。
ホラーというフィクションを現実に落とし込んだことで、見落とされがちだったFinal Girlの感情をリアルに描くことができ、日常にある恐怖を表現するホラーとして完成したのではないでしょうか。

SandyがAlexandraになることの名前の考察をします。
コリンズはあの部屋でSandyとして殺されたと告白しました。
そして本名であるAlexandraとなったと。
書いたようにSandyはFinal girlからKillerになる可能性がありました。
ホラーにおいてFinal Girlは中性的な名前の女性がなる傾向があります。SandyはAlexander(男性のことが多い)やAlexandra(女性のことが多い)の愛称などとして使われることが多く中性的な名前です。
そこからAlexandraになりました。
何気ない一言がこのような重要な意味を持っていたかもしれません。

Eloise

画像2

そんなSandyを救おうとするのがEloiseです。
夢でシンクロすることによりSandyの感じる恐怖に同じように苦しみながらも、彼女がそこから解放されるように奔走します。彼女の武器は共感力です。
見える力を持っていますが、これは他の人の気持ちを理解することができることを意味しているのではないでしょうか。
ロンドンの刺激とは、大きな光の裏にある多くのネガティブな感情、つまり闇です。個人的な尊厳が無視されているにもかかわらず、世界を導く文化が生まれていることが刺激なのです。
エドガーライト監督のインタビューを読んでもこの部分に焦点を当てていることがわかります。
Sandyを直接救うことはできませんでしたが、過去の美しいファッションは受け継ぎ、闇の部分は理解し受け止め、未来に繋いでいく、まさにEloiseはエドガーライト監督が今作で目指したゴールなのです。

John

EloiseのボーイフレンドであるJohnですが、彼は女性の夢を応援する男性として注目すべき存在です。
フェミニズムでよく問題になるのは女性のことを深く考え受け入れようとせずに、それらの問題を解決するヒーロー的な存在として自分を見てしまう男の存在です。
性被害にあった女性のことを理解しようとせずに決闘裁判をしてしまうような男の存在です。
しかし、Johnはそうではなく、彼はEloiseのことを丁寧に支えようとします。彼女の話を聞き、Sandyのことを調べようとした際には彼女主体のままで協力しています。
女性を恐怖に陥れるような多くの男の存在が強烈に描かれる中、Johnは男性のなるべき姿、いや、最低限ならなくてはならない姿として描かれたのではないでしょうか。

銀髪の男

ジャックのミスリードのためだけの人物という印象を与えがちですが本当にそうでしょうか。
バーのオーナーによると、彼、リンジーは歓楽街に目を光らせていた警官でした。Sandyと会っている所もEloiseは夢の中で見ました。そして、Sandyに鏡を見ることができなければもう手遅れだ、と言う。その時Sandyを救おうとしたのはガラスを割ったEloiseであり、銀髪の男ではありません。
彼は歓楽街に目を光らせていたにもかかわらず、性的に搾取される女性を助けることはできず、ただ一言言うだけでした。
この罪の罰として事故死してしまったと考えることもできるのではないでしょうか。
許されるべきではないと思っていても傍観することしかできない人々への警告、すなわち、沈黙は同罪という意味なのかもしれません。

エンディングについて

初めはエンディングにちょっと納得していませんでしたが
鏡に映るSandyを見てたら寒気がしてきました

SandyがKillerになって焼かれて自死を選ぶところまでは完全に持ってかれました。
が、最後の最後でエリーが60年代ファッションで華やかに成功して終わる、という結末があまり印象に残らず、家が焼けた時点で私の感情はストップしてました。
他の方の感想を見ても、ハッピーエンドは無理やりじゃないかというのが目立ちました。
しかし、このちぐはぐ感が鍵ではないかと!
サントラにあるように作品で使われてる曲は楽しいメロディと暗い歌詞の皮肉によるちぐはぐ感で埋め尽くされています。(イギリスバンドによくあるらしいですが詳しくはわかりません)
そしてこの作品のテーマとして過去を美化しないということがあげられます

これらを踏まえて最後のシーンを見ると、過去を美化してしまった人々が描かれています。そして私たちは鏡に映るSandyを目にします。彼女の目は本当にハッピーな目なのか、鏡のSandyと向き合ってほしいです。エリーに投げキッスするのって2回目です。1回目は…

忘れてしまっていたら予告にもあるのでそれを観てほしいです。

最後に超勝手な予想:Anyaの進化とThomasinの継承

超勝手な予想ですがAnyaってもうホラー映画に出ることはないと思います。

正確に言えばホラー映画でFinal Girlを演じることはないかもと…
Anya演じるSandyはFinal GirlになれずKillerになってしまいました。
Last Night in Sohoの真のFinal GirlはThomasin演じるエリーでした。
Final Girlの話になりますが、彼女達は自分が生き残った経験を発信して新たな被害者を生み出さないという使命があります。
今作品でテーマとなっている「過去を美化しない」というのは今後エリーは発信していかなければなりません。物語は彼女達の手が、鏡越しに触れ合う瞬間に終わります。最後の鏡のシーンでその使命を任されたと言っていいでしょう。エリーとその周りの人の間の温度差を埋めなければなりません。それが出来なければFinal GirlがKillerになってしまうのだから…

少し逸れますがThomasinがシャマラン監督の”Old”でFinal Girl的立ち位置を演じたのは偶然でしょうか
AnyaからThomasinへの継承の物語としてとらえると面白いかもしれません。

一方Anyaはマッドマックスのフュリオサの撮影を通じて新しい自分になると言ってました。Final Girlとして女優の地位を確立し、今作で別れを告げたAnyaは新しい女性の象徴として輝いていくのではないでしょうか。

過大解釈している部分もありますがご容赦ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?