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”Coda” 旅立つ時はすぐそこに
『コーダ あいのうた』を鑑賞してきました。
アカデミー賞でも「作品賞」「助演男優賞:トロイ・コッツァー」「脚色賞」の3部門にノミネートし、話題の作品になっています。
SNSやテレビでも感動の一作として紹介されていたので、気になって映画館へ行ってきました。
今回はこの『コーダ あいのうた』の感想・考察について書いていきたいと思います。
こちらの記事ではもうすでに観た方に向けて書いているのでネタバレなどには注意してください。
まだ観ていない方はおすすめですので、こちらを閉じて作品を観ていただければと思います。
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ルビーの依存
この作品は家族の中で自分だけ耳が聞こえるルビーが巣立っていく物語です。
今まで通訳として娘を頼っていた家族と娘であるルビーの葛藤が描かれます。
この葛藤の中には何があるのでしょうか。
漁業を営んでいた家族は、自分達の生活を守るためにも、ルビーに頼っていました。昔からそうであり、音大で歌うことを磨きたいと望んでいたルビーにとってはもう頼られることが負担になっていました。
しかし、この依存の関係は一方的なものなのでしょうか。
生活の面では明らかに家族はルビーに依存しています。一方、ルビーは家族に精神的に依存しているのです。
家族、特に自らの主張を積極的に伝える父親の通訳をしていたルビーの言葉は彼女のものではなく、家族のものだったのです。
通訳を今まで続けてきたので、自分の言葉は家族の言葉となり、自らを家族に依存する存在にしてしまったのです。
それが表れてるのがこのシーンです。
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合唱の先生に歌うのはどんな気持ちだ、と聞かれた彼女は自分の言葉で説明できません。今まで、言葉を自分のものとして使えていなかったからです。その代わりに自分と家族の境界がはっきりとする手話で気持ちを伝えようとします。
このシーン以外でも、家族なしでやったことがない、という弱気な発言や、漁業組合で父親の攻撃的な言葉を代わりに言った後に、細々と自分の言葉ではない、と言ったシーンから彼女が家族に頼りきりだったことがわかります。
ルビーの自立
そして物語の後半では、お互いに依存する関係を解消させて、自立していく様子が描かれます。
ルビーは歌に出会い、それを自分を表現するものとして育てていきます。その表現方法は自分一人のものであり、歌を通して自分を獲得していくのです。
今まで親に頼りっきりだった状況を、自らが成長することで自立していく。その過程にはいくつかのトラブルもありましたが、そうしたトラブルがあったこそ、自分の殻を打ち破り、瞬く間に成長していくのです。
そうした娘の自立に両親はすぐにはついていけません。ずっと娘として愛し、一緒にいるのが日常であったので、離れることをすぐには受け入れられません。歌の上手さがわからないから音大に行かせるのを躊躇しているとは思いません。昨日まで、そばにいた娘が突然いなくなってしまうことが受け入れられなかったのだと思います。その結果、ルビーの音大への進学を否定してしまいます。
夢を否定されたルビーは何を思って彼と泳ぎに行ったのでしょうか。
自立を拒む壁に打ちひしがれ、現実逃避をしていたのでしょうか。
その後帰ってくると、免許停止という残酷な現実にぶち当たります。
しかし、精神的に自分を獲得したからこそ、家族のもとに残るという決断を自らの手で下しました。この判断は決してネガティブなものではなかったと思います。道は一つしかなかったかもしれませんが、それは逃げ道が一つなのではなく、山に昇る登山道が一つだったのです。
ルビーは夢は諦めながらも、その後自分を表現するためにコンサートに臨みました。
そのコンサートは大成功ながらも、家族には娘の自己表現ではなく、彼女が観客に与えたエネルギーしか感じることができませんでした。
それではだめだ、と父親は娘に自分のために歌ってもらうようにお願いして彼女の喉に手を当てます。父親は娘の自己表現を必死に受け取ろうとします。歌に身を捧げている娘と必死に向き合おうとする父親の姿は夜空の下であろうと輝きます。
そうしたことを通して、娘の自立を受け入れた父親は、自分を犠牲にしながらも、音大受験というもう一つの登山道を切り開く決心をします。
コンサートから音大受験への出発までの父親の娘を理解しようとする必死な姿勢にはずっとうるうるしていました。
そして受験本番のシーンでは、涙を流さずにはいられませんでした。
家族に本当に自立を認められたのか、ルビーは迷います。
その迷いから思い切り歌うことができません。
それでも、先生のおかげで自分には伝えたい思いがあることを思い出します。
その思いを乗せて彼女は歌い出します。
その時、予期しないことに、家族が2階席へ入ってきました。
そして次の瞬間、涙は一気に流れました。
彼女なりの方法で、家族にも歌で伝えたい想いを伝えたのでした。
自分の今の姿をわかってくれようとしてくれた家族に、自分の今の姿をストレートに届けたのでした。
自分一人だけの表現として得た歌で、家族に自己を直接表現したのでした。
お互いに通じ合って巣立っていく。
きっとどんな人にとっても簡単にできることではないのだからこれほど感動したのだと思います。
巣立つ時に一番大切なのはお互いに理解し合うことなのかもしれないですね。
向き合うメンター
家族以外にこの物語にかかせない人がいます。
ルビーのメンター的存在であるV先生です。
ルビーが自立するためには、まず自分が自立してないということを知らなければなりません。
おそらく今までルビーは聾唖者の子供として見られていたことが多かったと思われます。
しかし、V先生はルビー自身に熱心に向き合いました。そのおかげでルビーは自分を見つめ直し、曖昧になっている自分という存在を見つけ出すのです。
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厳しくも熱心に愛を持って指導している姿には憧れます。
そして受験のシーンですよね。自分が恥をかこうともルビーのために演奏する姿には彼の信念が感じられました。
そんなルビーの自立を見守ってくれたV先生のようなメンターの存在がTeenが成長する時には必要なのでしょう。
そんなメンターに会いたいと思いながらも、自分がそんなメンターになりたいとも思い劇場を後にしました。
以上になります。ここまで読んでいただきありがとうございました。