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値上げが激しいタミヤ製品

2011年に再販売されたタミヤ模型のアバンテ2011は1980年代のバギーブームでタミヤ最強のマシンとして登場したマシン。
2024年に再度の再販売がされた訳だが価格改定を伴っての今回の再販。
如何程に改定がなされたのかを書き残しておきたいと思う。


バギーブームって何?

まずはバギーブームを知らない方も大勢いると思うので簡単に書いてみよう。
1983年頃から1988年頃まで少年の間で大ブームを引き起こした現象。
火付け役はミニ四駆でお馴染みのタミヤ模型。
トイラジコンと言われた完成している子供用のラジコンと違って自身で組み立ててカスタマイズなども自分達で行いながら友達よりも少しでも速いマシンを作っていくことが少年心をくすぐった。
伴いタミヤ模型は勿論のこと各社で同じようにバギーカーを発売した。
タミヤ模型のマシンが強豪揃いで一強状態の中でライバルとして君臨したのは神奈川県に本社のある京商であったことは間違い無いと思う。
こういった現象の中で各社カスタムパーツなども多数発売しラジコン本体だけでなくカスタムパーツでも大いに売上を作って行ったと思われる。
タミヤ模型に関してはタミヤRCグランプリという番組が誕生し地域にもよるが毎週末の朝方にタミヤサーキットで開催されるレースが放送され益々人気に拍車をかけていた。当の本人もそのブームにしっかり乗ってた1人だった。
ナレーションはあの小倉さんであったりする。


当時の最強マシン

当時1985年頃、最強と言われていたマシンはホットショット4WDというマシンで定価が21800円(キットのみ)というかなり高額なマシンだったが従来2WDだったラジコンが4WDとなり当時は敵なしの存在だった。
当時ファミリーコンピューターは定価が14800円だったのでこのマシンがいかに高額かが分かると思う。21800円のキットだけでは動かすことは不可能で別にバッテリー・充電器・プロポ(操縦機)が必要で総額にすると50000円前後になったと思う。当然だが一部の裕福な家庭の少年しか持っておらず我が家には存在しないマシンだった。そんな中で京商がオプティマという対ホットショットのマシンを発売したところホットショットではオプティマに勝てないという事態になり登場したのが今回の話に出てくるアバンテというマシンであった。
このマシンは1988年の3月に発売となりファンを沸かせたが価格も34800円と少年達にはほぼ手の届かない存在となってしまった。
そして1990年も近づくとバギーカーブームは徐々に落ち着くことになる。



バギーカーブームその後

バギーカーブームが終わりを迎えようとしていたが代わりに大人気になって行ったのが世の中で知らない人はもはや居ないのではないか?と思うほど未だに人気のあるミニ四駆である。
ミニ四駆もバギーカー同様、色々なメーカーが参入し競い合ったがイベントやオプションパーツの開発で群を抜いていたタミヤ模型が未だにトップ独走中である。
少年だった僕はまたまたこのブームに乗ることになるが今では息子がその面白さに気がつきハマっている。親としてはゲームばかりするよりは良いだろうと思いながら「どうやったら速く走るのか?」を研究する我が子を応援している。

アバンテ2011の価格改定

さて、長くなりましたが今回改訂されてしまったアバンテ。
発売当時からの価格推移を記載しておこうと思う。

1988年・・・34800円(消費税はまだなかった)
2011年・・・54800円(税抜き)数十年振りに再販される
2024年・・・62000円(税抜き)今回の改定


僕はカメラや音楽などのアナログ製品が好きでnoteでも紹介してるけれど昭和のこういった所謂、娯楽品も大好きであり少年時代に夢中になった製品に懐かしさを感じながら今でも時々こうやって陶酔したりしているのです。
アバンテは過去に6回ほど購入し製作しようと試みたけれど、金欠に陥った際にことごとく手放してしまった経緯がある。
今回また購入して来たわけでありますが今回は絶対に製作して走らせたいと思いながら支払って来た金額についての反省をするわけであります。

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祗ヱ琉(しぇる)
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