かしましかしましまし Vol.9(藤居) ~Eclecticされた言葉たち~ Part II
最近夏に向けて服が欲しいなと思って高円寺へと出かけました。
ぼくは川崎に越してきたのがもう3年前とかになるのですが、高円寺にはほとんど行ったことがありません。高円寺に対して斜に構えてたとかではないのです。川崎から高円寺が電車で1時間と若干遠いというのも理由のうちなのですが、それよりも東京からその郊外にかけて他に興味惹かれる場所が多すぎなんですよね。
たとえば川崎から横浜でも電車乗ったら10分くらいで着くし、そこからみなとみらいでブラブラしたり、黄金町という街のミニシアター「ジャック&ベティ」にふらっと立ち寄ったりとかもできます。中華街もありますね...。
東京側で言うなら、渋谷とかお台場とか (めちゃくちゃミーハーですが...)、関西にいた頃テレビに当たり前のように映ってた街がたくさんあって、細かくみていくとほぼ必ずと言って良いほど興味を惹かれる場所やものがあります。
平日は働いてるので遊びに行くなら週末となるのですが、例えば今日は井の頭公園に行ってみよう、とか来週は渋谷のミニシアター観にいこうとかしてると気づいたら3年もたっていたと言う感じなのです。
なんでほとんど満を侍して高円寺へ行けたわけなのですが、なんだかエネルギッシュでいい町ですね。
元々目当てだった古着屋さんはまず腐るほどあります。高円寺パル商店街という通り沿いに何十店舗も立ち並んでて、やはり割と雰囲気が被ってる店も多し。どうやってこの全ての採算が間に合ってるのか不思議なくらいでした。(下北でも思ったけど...)
エネルギッシュなのは町もそうなのですが、人が特にそうだと思います。
道ゆく人は特に若者がファッションの主張が皆それぞれにあって、田舎モンからするとこの雰囲気!POPEYEで見た感じ!となりました。
それと当たり前のように20時以降も店はやってるし酒も出してるみたいでした(笑)
外の席でタバコ吸いながらジョッキ持ってる光景はやっぱりいいですね。やってることは賛否両論、というか否の方が多いのでしょうが、やっぱり入ってた人たちはみんな楽しそうで、土日くらいガス抜きしたいよなと少し共感してしまいました。
そして買い物も終わって駅に向かってると、21時前くらいですかね。3箇所くらいからいろんな音楽が聞こえてきました。一つはアホみたいにでかいスピーカーを肩に抱えてヒップホップを流しながらシート広げて宴会してる若いニイちゃんたち(駅前で)、もう一つはシンプルなドラムセットとアコギでアメリカで流行ってるカントリーみたいなのをやる二人組、最後がタブラみたいなインドっぽい打楽器をゆる〜く叩いてる家族連れのお父さんでした。ご想像の通り見た目は中東系です。
この最後のお父さんがめちゃくちゃ良くて、通りがかるひとも少しノったりなんかしてるんですが、本人は小さい子供とかと話したりしながらのんびりやってるんですね。
今あげた彼らのように、色んな場所で手の混みすぎない音楽がこんなご時世でも楽しげになってるのを見て、なんとなく高円寺初心者のぼくは町そのものに心惹かれる思いでした。
世の中がこう言う状況だからこそ、振り子のように生まれる感性があり想像力があるのだとしたら、ぼくはなんとなく前回から取り上げている小沢健二の「Eclectic」にはそう言う今だからこそできる見方をしている気がします。
前回は「Eclectic」、アルバムそのものとして俯瞰した上で、歌詞を取り上げました。と言っても導入止まりでしたね。
まずはこの「麝香」についてみていきたいと思います。
これはサビの歌詞ですね。サビ自体は何度か繰り返されるのですが、毎回歌詞はこれです。
以前話したように、このアルバムはいくつかテーマのような単語があります。
そのうちの一つに「心」があるのですが、曲でいうところの「あなた」の「心」の動き。これに感じ入る、感覚的にいうと感染することで「魔法」にかかる(この歌詞の場合「喜び」になる)。というイメージが多くみられます。
他に例えば、この「あらし」という曲のこの部分。
明確に自分に向けられた愛や感情ももちろんありますが、やはり全体的に漂うのは能動的に受動する感覚なんですね。ただ受け取るだけでなく、自分から「あなた」の心に感じ入ろうとしに行くと言いますか。ニュアンスの問題に見えますが、この辺りの意識の違いは重要な気がします。例えば自分から相手に直接求めたりするのではなく(能動的)、相手がする細かい所作や、不意に見せる「心」の動きを積極的に「受け取っていく」イメージなんです。
「麝香」に戻ります。「穢れのない魔法使い」というフレーズ、なんとなく童貞を想起させますね(笑)。一説によると男性が30歳まで性行為の体験を得られなかった場合、魔法が使えるようになるらしいです。すごいですね。
「魔法使い」というのはググったところによると、本人がいわゆる魔力 (=神秘的な力や超自然的な力) を持つというより、何らかの道具や技術を使うことで神秘的な現象を起こす人のことを指すらしいです。(『魔女幻想』)
ちなみに自らが魔力を駆使する存在のことは、「魔女」とか呼ばれるそうです。(男の場合なんて呼ぶんですかね。)
今回オザケンが「魔法使い」としたことに理由があるのかは全く定かじゃないのですが、
同じく「麝香」のこの部分や、
「欲望」という曲のこの部分など、「バッグ」や「靴」、「黒いドレス」などの「あなた」が身に纏うものに魅了される表現が多くあります。もちろんものそれ事態に魅了されるのではなく、ものはいわゆる「魔力」を持つだけであって、全ては「魔法使い」のサジ加減なのです。
今回も長くなってしまいましたので、この辺でお開きにしたいと思います。
一応予定ではもう一回くらいこのお話を続けたいなあと思うのですが、ちょっと事情がありまして、数週間別の話題に触れていくことになります。
なんで、その話題が終わった後気がまだ向いてたら、続きを書いていこうかなと思います。レスポンスをいただけた場合その確率は飛躍的に上がりますので、何卒よろしくお願いいたします。
では、今週も頑張っていきましょう!