インディーズ映画って何?
当館「第8電影」はインディーズ映画を主軸とした上映を行なっておりますが、しばしばお客様から「インディーズ映画って何?」というご質問をいただくことがあります。
そこで今回はインディーズ映画とは何か?と題しまして、インディーズ映画の定義やその魅力について簡単にまとめてみようと思います。
インディーズ映画の定義
インディーズ映画、インディペンデント映画、あるいは自主制作映画。映画好きであれば誰もが聞いたことのある単語ですが、意外にもその定義はあやふやです。それというのも、「インディーズ」の意味する内容が国によって微妙に異なっているからです。
アメリカの場合、大手映画スタジオ(ユニバーサル、パラマウント、ワーナーブラザーズなど)以外で製作された映画のことは十把一絡げに「インディーズ映画」とカテゴライズされる向きがあります。
20世紀初頭、映画の商品性にイチ早く気がついたハリウッドは「夢の工場」を自称しながら、数多の大作映画を世に送り出してきました。そこでは製作から配給、上映までの流れを最大限効率化すべく、映画に関わる全ての過程を一つの映画スタジオで賄うような方式が採用され、その結果上記のような大手映画スタジオが覇権を握るようになりました。
アメリカのインディーズ映画が「インディーズ映画」というよりは「インディペンデント映画」と形容されることが多いのもまさにこの点に起因しています。製作→配給→上映が一体となった大手映画スタジオ製作の映画作品とは異なり、あくまで映画のみを「独立して(=independent)」製作しているから「インディペンデント映画」なんですね。
日本の場合、インディーズ映画は「商業映画でない映画」のことを指します。商業映画が映画制作会社等の出資を受けて製作される一方、インディーズ映画は個人資本ないし個人調達よって得た資本によって製作されます。
先のアメリカとの比較で言えば、日本における「インディーズ映画」の方が意味の幅がやや狭いといえるでしょう。日本の場合、松竹や東映といった超大手でなくとも、映画制作会社さえ絡んでいればそれは定義上商業映画と呼ばれるわけですから。
ただ、上述の定義も一つの見解に過ぎず、商業・インディーズの違いを単に興行性や娯楽性の高低によって分類する向きもあります。あるいは製作費用の多寡など。
商業映画とは、インディーズ映画とは何か?それらを厳密に線引きするためには、製作形態・製作規模・作風などの各種パラメーターを総合的に判断する必要があるといえるでしょう。
とはいえ意味があやふやなまま先に進むのはよくありませんね。以下本記事では、商業映画=映画制作会社等の出資を受けて製作される映画、インディーズ映画=個人資本ないし個人調達よって得た資本によって製作される映画、という定義を採用するものとします。
インディーズ映画の陰陽
8ミリ、デジカメ、次いでスマートフォン。今や撮ろうと思えば誰もが自由に映画を撮ることのできる時代。畢竟、カメラフォルダに転がっている適当な動画でさえ、映画と言い張ればそれは映画なのです。
このフリーダムさこそが商業映画に比した際のインディーズ映画の大きな特徴といえるでしょう。
先述の通り、商業映画は映画制作会社等の出資を受けているため、商品としての側面が非常に強いといえます。
いくら作家側がコレをやりたい、アレをやりたいとアイデアを出したところで、出資側がリターンを見込めなければ却下されてしまいます。逆に、作家側がどれだけやりたくないと言っても、それが莫大なリターンを産むと出資側が判断したならば、作家はできる限りそれを受け入れるしかありません。「商品」は売れなければ意味がありませんから。
要約すれば、商業映画においては潤沢な資金リソースと引き換えに作家の自由がある程度制限される傾向にあるということです。
一方でインディーズ映画は個人で資本調達を行うため、上記のような「縛り」を受けづらいといえます。つまり予算が許す限り作りたいものを作ることができる。オチをハッピーエンドに変えろと要求されることもなければ、意図的な「間」を無惨にカットされることもありません。
それゆえインディーズ映画には非常に個性の強い作品が多いです。当館で上映させていただいた作品をいくつか例に挙げさせていただきましょう。
・地獄のIT研修に参加した新入社員が邪悪な地球外生命体と邂逅するハードメタルSF→高橋佑輔『アベンド』
・昭和気質の人情漢がマドンナ目がけて突っ走る令和版『トラック野郎』→伊藤大晴『浪花無鉄砲伝』
・古事記呪術で蘇った女と自称神な男のシュールコメディ→宙崎抽太郎『超局地的伝説実験映画 ブキニョボキ』
思い返せばどれもこれも作家精神の迸る怪作揃いでした。行儀の良い商業映画界では決して拝めない異色作といっていいでしょう。こうした作品に巡り合うことができるのがインディーズ映画という世界なのです。
とはいえインディーズ映画にも弱点はあります。それは資金力です。
先述の通り、インディーズ映画において製作資金は自己調達となります。商業映画の平均的な製作資金は3.5億円程度と言われていますが、これは制作会社やスポンサー企業の大規模出資があるからこそ達成される額です。したがって自己調達によって億越えの資金を用意することは非常に難しいといえるでしょう。
規模の小さいインディーズ映画とはいえ、映画である以上は相当額のお金がかかります。機材費、レンタル費、交通費、食費、宿泊費、キャストやスタッフへのギャラなど…
となれば当然、商業映画のようなド派手な演出は不可能です。廃墟を爆破したり、スポーツカー同士を正面衝突させたり、といったことはできませんし、『シン・ゴジラ』のようなリアルなCG、VFXもかけられません。あるいは日本国民全員が知っているような超有名役者を雇い入れることも困難でしょう。
撮影以外にもお金はかかります。作品を大々的に宣伝するとなれば、撮影以上にお金がかかることもザラにあります。民放キー局で15秒のCMを1回流すのに75万円程度かかることを考えれば、テレビでCM広告を流している商業映画がどれだけ宣伝にお金をかけているかが窺い知れるでしょう。
資金力に乏しいインディーズ映画の中には、内容自体は非常に面白いにもかかわらず世間にほとんど周知されていないような作品も数多く存在します。それは宣伝にまで資本を投入する余力がないから、というのが大きな理由なのです。
まとめ
日本におけるインディーズ映画とは、個人調達資金のみで製作された映画作品のことを指します。
インディーズ映画は商業映画と比較して商業的制約が緩く、それゆえにバラエティに富んだ秀作が多い。しかしながら主に資金力の乏しさから十分に周知されていません。
この現状をどう変えていくかが今後のインディーズ映画の課題といえるでしょう。…が、その点についてはまた別の機会に。メチャクチャ長くなりそうなので…!
当館が一つのミニシアターとしてできることは、良質なインディーズ映画を発掘し、観客の皆様にお届けすることです。これからも一風変わったインディーズ映画を仕入れて参りますので、ぜひ当館まで足を運んでいただけますと幸いです。
そして単に映画を観るだけでなく、バーエリアにて作品の監督ならびにキャスト・スタッフの皆さんと直接コミュニケーションを取ることで、より立体的に作品を理解していただければと思います。
それでは今回はこの辺りで。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
(文責:「第8電影」支配人・岡本)