Bounty Dog 【アグダード戦争】 3-5
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紛争地帯アグダードで行う保護任務は、シルフィの独断だった。絶滅種と扱われている鼠の亜人の救命に手一杯になっている上層部の隙を突いて、組織を信用していない彼女が己のエゴで実行する極秘任務だった。
亜人課現場部隊の支部から丘を上った先にある広場を通って辿り着いた輸送場には、部隊が普段使っている大型の輸送機の隣に、何時の間にか見知らぬ小さな飛行機が停まっていた。
強引に座席を取り払って作られたらしき小さな倉庫のような内部に2人の保護官とシルフィ、そしてもう1つの存在が乗り込むと、組織の関係者では無い人間の男が操縦席に座っていた。銀色に近い白髪が交じったブロンド髪の白人男はフリーランスのパイロットらしく、自分は送り届けるだけだ、送り届けた瞬間に契約は終了だ、と何度も業務委託依頼者(クライアント)のシルフィに向かって言ってきた。
シルフィは適当に相槌を打ちながら、操縦席に近付くなりパイロットに空路を示した世界地図を見せて、指での地図叩きと言葉を使って指示をする。パイロットに指示を粗方伝えてから後方に振り返ると、座席が無い機内の床に伏せて待機している2人の若い保護官達と、1体の特別保護官を見つめた。
操縦席の横、副操縦席の座面に麻の袋が置かれていた。人間が1人丸々入れる大きな袋の中に、何かが入っていた。
ミトはシルフィの視線を無視する。機内の壁に背を付けて両足を投げ出して座っている特別保護官兼超希少種の亜人の青年だけに、意識と視線を向けていた。
今は人形のようになっている狼の亜人ヒュウラは、此処に来るまでに既に1度問題を起こしていた。輸送場に行く為に支部を出てから通った広場で突然立ち止まり、自分の足で歩かなくなった。
広場の端に作られているデルタ・コルクラートの墓の前で、岩のように動かなくなった。シルフィが頭にショットガンの銃口を突き付けて怒鳴っても一切反応しなかった。顔は何時も通りの無表情だったが、酷くやつれているようにも見えた。結局何を言っても小突いても全く動かなかった為、シルフィに命令された男性保護官に担がれて連れていかれ、この飛行機の中に乗せられていた。
(ヒュウラは、私が思っている以上に心が喪失してる)
ミトはヒュウラが心配で堪らなかった。赤い腰布に覆われたポケットからテレビのリモコンの一部が飛び出ている。自分でリモコンをポケットに入れたのでは無いとミトは確信していた。
(アレは昨日までは電源ボタンを押すのが楽しくて仕方が無かった、ヒュウラお気に入りの人間の道具。だけど彼はもう見たくも触りたくも無いだろう。アレは取り返しが付かない最悪の事態を招いた、彼の罪の象徴)
搭乗口の扉が閉まった。飛行機は滑走路を暫く走ると、とある平和な国の丘の上から勢い良く飛び立った。目的地への方向を定めて、人間が作った機械の鳥は羽ばたかない翼を広げて空高く飛んでいく。
此の世界にある人間が支配している土地の中で、どんな存在であろうとも瞬く間に命を失う可能性が極めて高い、人間が作った此の世に存在する地獄・戦争地に向かって。
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飛行機は随分と長い時間を掛けて空を飛んでいた。機内に窓が1つも無い為、外の様子は一切分からない。
ミト・ラグナルと若い男性保護官はシルフィ・コルクラートと一緒に、現場に到着するまでの準備を整えていた。男性保護官は銃身が短く弾倉の部分が長いコンパクトタイプのサブマシンガンと刃が槍のように細長い西洋の剣を持っている。ミトは己の愛銃であるドラム型弾倉付きサブマシンガンに、持参していた麻酔弾入りの大きな円盤型の弾倉を取り付けようとして、
シルフィに妨害された。弾倉を強奪され、代わりに別の弾倉を渡される。ミトが受け取った弾倉は己が持参していたモノと全く同じ形だったが、弾倉を持つなり妙な重みと強い違和感を抱いた。
貰った弾倉を愛銃に取り付ける。剣と小型サブマシンガンを片手ずつ握った男性保護官が、全身から多量の冷や汗を流しながら閉まっている搭乗口の扉を見つめていた。シルフィも両腕で白銀のショットガンを握っている。謎の麻袋も彼女の足元に移動されていた。
3人の人間の保護官達は、全員がカーキグリーン色のリュックサックのような道具を背負っていた。肩と腰を固定しているショルダーベルトに結ばれて背中に張り付いている布は物を入れる袋状の形ではなく、巨大な一枚布が数回畳まれてから横巻きにされて別のベルトで固定されている。
軍隊用のパラシュートは、ミトがヒュウラにも取り付けていた。壁から身を離すよう相手に依頼して、人形が揺れ動くような動きだったが大人しく従った相手に装備を取り付けている間、ミトは終始、亜人の背中側に回って作業を行った。
作業中、ミトは心の中で呟いていた。
ーーリーダー。デルタリーダーに、彼と一緒に任務をしていた時に良く言われていた事がある。ヒュウラに何かする際は、背中からしろと。他の亜人や動物に対しても、何かする時は背中からしろと。
ヒュウラは極めて大人しいから大丈夫だが、念の為だとも。人間を含めて生き物は抵抗したり襲ってくる時は大抵、前に向かって前に向かって攻撃するから、と。ーー
パラシュートを装着させてから、亡き上司を真似してヒュウラの首輪に付いている機能の確認と生体情報の確認も併せて行った。終わってから彼の頭も撫でた。己がして良いのか躊躇したが、実施した。
相手は己よりも2年早く此の世に生まれている存在だった。亜人や他の生き物も人間と同じように、自尊心(プライド)がある故に尊重すべきであるとミトは保護組織に入隊する前から考えており、亡き上司からもそう教育されていた。”子供扱いをして無礼にならないか”と心配になったが、ヒュウラは反応しなかった。どう思われたかは、今の彼の状態では例え表情が豊かであったとしても、全く分からなかった。
思考が唐突に喪失させられる。シルフィが操縦席に向かって怒鳴った。
「貴方やっぱり、ワザと旋回していたわね!?予定地にさっさと行かないなら、此処で降りるわ!扉を開けなさい!!」
航空機操縦士用のヘッドセットとゴーグルを付けているパイロットは、操縦桿を握りながら悲鳴のように叫び返した。
「何言ってるんですか?!お客さん!!此処の方が危ないですよ!!オーケー、分かりましたよ!直ぐに予定地にーー」
「いいえ!貴方とは契約終了よ!!私が扉を開けるわ!!」
操縦席の背面から身を乗り出したシルフィが、剥き出しになった操縦室(コックピット)に飛び掛かる。操縦席と副操縦席の間に設置されているスラストレバー・リバースレバー等が付いている機械装置に掌を押し付けて大きなボタンを押すと、パイロットは断末魔のような甲高い悲鳴を上げた。
飛行機が大きく傾いた。ミトと男性保護官がバランスを崩して倒れ、麻の大袋も倒れてグネグネ揺れ動く。ヒュウラは倒れなかった。壁に寄りかかって座ったまま伏せていた顔を上げると、
開け放たれた搭乗口の扉の先に広がっている、黒と真紅が混ざった夜空を見つめた。
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其処には、支部が建っている丘で見られる景色や世界の殆どの場所で見られる平和な景色とは真逆のモノが広がっていた。人間も他の生き物達も悍ましい数を苦しめて無差別に殺し続ける戦争という狂気が、飛行機の下に広がっている大地に渦巻いて沸き上がっていた。
飛行機は13000メートルの限界高度で飛んでいるのにも関わらず、搭乗口から吹き入ってくる空気は熱と悪臭を帯びていた。地で吹き荒れる猛火で死んだあらゆる存在の死体が出す煙と臭いが、天の彼方にある冥土に向かう亡霊のように空高く登ってきている。
シルフィが雇っている民間パイロットを含めた全員が、産まれて初めて肌と鼻で感じ取った”地獄”の空気だった。鼻を抑えながら目に涙を浮かべた男性保護官が、身体を小刻みに揺らし始める。小型のサブマシンガンに取り付けようとしていた剣を、手から床に落とした。飛行機がもう一度傾く。銃に装着出来る特殊な剣が転がって、ヒュウラの足元で止まった。
少年から青年になったばかりの若い保護官は、現場を見た瞬間に勇気が喪失(ロスト)した。シルフィに縋るように訴える。
「リーダー……リーダー、申し訳ありません。やっぱり……やっぱりやっぱりやっぱりやっぱり、自分にこの任務は無理です!!」
シルフィが真顔で返事した。
「そう、良かったわ。貴方が無能だと事前に知れたもの」
掴まれていた白銀のショットガンが火を吹いた。男性保護官が吹き飛んで機内の壁にぶつかってから気絶する。驚愕したミトを無視して、シルフィは気絶した無能保護官を掴んで運転席まで引き摺っていった。副操縦席の座部に座らせると、シルフィはパイロットに向かって指示をした。
「臨時で追加依頼よ、この子を支部まで連れて帰ってあげて。貴方も私達が降りたら此処から直ぐに去って良いわ。麻酔弾から目覚めて辞表を出したら自動的に受理するとも、この子に伝えておいて頂戴」
シルフィと共に任務を行う人間の保護官はミト・ラグナルだけになった。ミトは怒りに震えながら、心の中で毒付いた。
ーーこいつは自分の弟で私の上司だった人が綺麗に整えてくれていた部隊を、瞬く間に破壊していく。ーー
仲間であり己の部下である人間をゴミを見ているような目で睨んでいるシルフィを凝視しながら、ミトは彼女への好感度を底辺まで落とした。
シルフィはミトに振り向いた。微笑みながら話し掛けてくる。
「結局、アグダードに乗り込むのは私と貴女だけね。素晴らしいわ」
(自虐?挑発?)いずれにしても非常に腹立たしかった。ミトは返事も反応もせずに無視する。
シルフィも無視してきた。壁に寄り掛かりながら座っているヒュウラに向くと、ヒュウラの近くでグネグネ動いている麻袋を一瞥してから、開け放たれている搭乗口を延々と見ている相手の顔を見た。
刃物は消えていた。シルフィは口角を上げて亜人に指示をする。
「腑抜け者はもう居ない。だから安心して貴方も挑みなさい。任務開始よ」
黒と真紅に包まれている地獄への入り口を見つめたまま、ヒュウラは返事した。
「御意」
ヒュウラは素早く立ち上がる。金と赤の不思議な目が吊り上がった。搭乗口を凝視しながら足を一歩踏み出すと、
一気に駆けた。搭乗口から勢い良く飛び出すと、そのままアグダードの地に向かって落ちていった。
腕を組んでヒュウラが去った空間をのんびり眺めているシルフィに、ミトは真逆の反応を示す。嫌な予感がした。
ヒュウラの座っていた箇所を見るなり、彼女は驚愕した。嫌な予感が的中して、控えめな胸の中にある心臓が止まりそうになった。
壁に寄り掛かるように、己が取り付けた筈のパラシュートがベルトを切り外されて置かれていた。パラシュートを身から外す為に使われた銃剣が側に転がっていた。
搭乗口から熱気と悪臭が吹き入ってくる。シルフィはのんびりと深い溜息を吐いてから、ぼやいた。
「ヒュウラ。それは唯の自殺よ」