Bounty Dog 【アグダード戦争】 0

 “彼ら”が生きている、今我々が覗いている此の異世界は、我々が生きている世界に酷似している。そして我々が生きている世界で時期に訪れる可能性がある未来の、数百年先を走っている。
 此の世界に存在している殆どのモノは、我々の世界にあるモノと同じである。しかし我々の世界と全く同じではなく、此の世界だけにしか存在しない特有のモノも幾つかある。
 その1つが『亜人』。人間のような見た目をしており、人間と同じ言葉を使って喋る事が出来、二足歩行が出来、明瞭な感情表現が出来、人間からで無く己達で名前を付け合って呼び合い、種ごとの本能的価値観もあるが個々でも個性という独自の価値観を明瞭に持っており、独自の文化すらも明瞭に築いている生き物。
 亜人は、人間よりも優れている点が多い。特定の動物の特徴を受け継いだ上で人間の特徴も受け継いで独自に進化しており、例えば身体能力に関して、全く無い種も居るが、殆どの亜人種が人間を軽く超えて極めて高い。知能に関しても、早急に救済が必要である程に極めて低い種も居るが、人間の秀才レベル程度なら産まれた時から全個体が備えている種も居る。人間にとっては成立する事が信じられないような、神的な特殊能力を持つ亜人種も幾つか存在する。
 しかし、此の世界の人間達が『亜人』に最も価値を感じているものは、我々の世界の人間達が多くの動植物に対して感じるものと同じだった。ーー高品質・高価格の生物素材。亜人も加工して売買すれば大金を稼げる生物素材を採取出来る種が非常に多かった。
 我々の世界で現在、将来的に絶滅する恐れがあると危惧されている生き物は、およそ3万種。此の世界はそれに亜人種と、人間の現住民族・部族および人間達が築いた世界に散らばる幾百の国々にある独自文化財も”生き物”として加えており、およそ4万2千5百種がレッドリストに指定されている。
 此の世界には、星が持つ神的で強大な力が扱えた1種の亜人が強欲な人間達によって絶滅させられた事をキッカケにして作られた、”人間によって”脅威に晒されている生き物達の保護と種の存続を目的に活動する国際組織がある。
 組織の名前は『世界生物保護連合』。班は全部で9つあり、担当する生き物が異なる。1班・哺乳類課、2班・鳥類課、4班・爬虫類課、5班・両生類魚類課、6班・昆虫課、7班・微生物課、8班・植物課、9班・民族文化課。
 そして組織が最も重要な役目を担わせていると扱っている、3班・亜人課である。

人間は、忘れてしまっているモノが沢山ある。

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 人間が世界に7体しか確認していない絶滅寸前の狼の亜人『獣犬族』のヒュウラは、空を見上げていた。彼が座っているベンチという人間が人間と他の生き物や無機物を座らせたり置いたりする為に作り出した中型の道具は、其れが設置されている場所の床から下の建物を含めて、半壊していた。
 今は消し止められている炎が燃やし尽くしたモノ達の、燃えた時に発生した様々な臭いが空気の中に溶け込んで充満していた。吐き気を催す程の耐え難い悪臭も混じっていたが、ヒュウラは鼻を指で押さえない。両腕は脱力していて、掌を上に向けた状態でベンチの座部に投げ出されている。
 身の側に置いていたテレビのリモコンが、風に揺り動かされてベンチの座部から落ちた。拾おうともしない持ち主に、ベンチの背の後ろに立って白銀のショットガンを構えていた人間の女が銃を下ろして相手の前に回り込み、代わりに拾ってやった。
 シルフィ・コルクラートはヒュウラの真正面で向かい合わせになってから、手にリモコンを握らせる。礼はおろか何も一切反応しない相手に、シルフィは銀縁の眼鏡を掛けている青い目を吊り上げて、無表情で延々と空を見上げている亜人の顔を睨んだ。
 虹彩が金、瞳孔が赤い不思議な目は、輝きが無かった。此の目は生物素材になる目で、特殊な加工を施せば眼球1つで最低価格5億エード(=5億円)の人間の金に変わる宝石になる。宝石にする為の加工手段は極めて残虐だった。此の生き物の眼球が金になる生物素材になる事を発見し、加工手段を確立させて密猟者達に広めた人間達は、確実に狂人だっただろう。
 シルフィは銃を背負うと、ヒュウラの頭を両手で掴んで空から視線を下げた。強制的に己の顔を見せると、相手にとっては”正常”である無表情ではあるが、今は現実の何も見ようとしていない亜人の青年に向かって話し掛けた。
「ヒュウラ、聴きなさい。この支部はローグのお陰で、ほぼ壊滅。復旧までざっと見積もっても、早くて半年は掛かるわね」
 シルフィはヒュウラの頭部から手を離すと、背中に右腕を回した。着ている紺色のスーツの上着と銃を押し退けて白いカッターシャツとスーツスカートの間に挟んでいるノートパソコンを掴んで引っ張り出す。
 濃い灰色のノートパソコンの背面に、ストリート系のシールが大量に貼られている。シールよりは数が少ないが、近距離で撃たれたショットガンの弾が作った穴も機械の背面に複数開いていた。機械には内部をこじ開けられて弄られたような痕もある。充電バッテリーが入っていた箇所のカバーが無く、平たく四角い独特の形をしている専用電池もケーブルを引き千切られて喪失していた。
 シルフィは折り畳まれている壊れた機械を鷲掴みにして広げながら、ヒュウラに機械を見せた。ヒュウラも見た事がある、ある人間が使っていた私物で愛用品の機械だった。   
 液晶画面が銃弾で粉々に割れていた。二度と動かないガラクタになっている機械をシルフィは乱暴に放り投げて、床に激しく叩き付けた。
 ノートパソコンが真っ二つに割れると、シルフィがスーツの腰ポケットから通信機を取り出す。傷1つ付いていない正常に動作する小さな機械の画面を一瞥し、裏返して別のシールが貼られている機械の背を見つめる。機械を握っていない側の掌を機械の背面を押し付けて目を閉じ、暫くしてから瞼を開いた。通信機をポケットに戻すと、ヒュウラの肩を両手で掴んで強引に立ち上がらせた。
 棒立ちしている亜人の青年に、シルフィは再び話し掛ける。
「ヒュウラ、貴方の保護施設への護送の件は有耶無耶になってるわ。上層がすっかり貴方の事を忘れてる。大いに、大いに笑って頂戴。御立派な名が付いている人間の集団なんて、何だって漏れなく”貴方達”にとっては、非常に馬鹿な事しかしない傍から要らない存在だもの」
 ヒュウラは返事も反応もしなかった。シルフィは無視して話し続ける。
「馬鹿だと思っているのは私もよ。貴方はこれで暫く”私”の自由に出来る。でも決して吉とは思っていないわ。貴方のせいで私は最愛の弟を失った」
 シルフィはヒュウラを平手打ちで殴った。レッドリスト記載の生き物の中で、特に早急に保護が必要だとされる『超希少種』に何の躊躇も無く暴力を振るった保護官は、頬を赤く腫らして口から血を垂らしても何の反応もしない保護対象を激しく睨み付けながら怒鳴った。
「大事な事だから、もう一度ハッキリと大きな声で言ってあげるわ!デルタが死んだのは、貴方が勝手にリモコンを取りに行った我儘のせい!!」
 2発目の平手打ちを喰らわせた。両頬に血が滲んだヒュウラは一切抵抗しない。生きたサンドバッグになっている絶滅危惧種の亜人に、人間の保護官は再び怒鳴った。
「貴方の我儘のせい!!そして私の我儘のせい!!貴方と私のせい!!だから一緒に、責任を取るわよ!!」

 ヒュウラは支部の中で比較的損壊が少なかった会議用の小部屋に連れて来られた。入隊して2週間経ったばかりの新人保護官ミト・ラグナルも、ローグから生き残った他の3班現場担当保護官達と共にシルフィに徴集されていた。
 弟の形見である白銀のショットガンを背負い、腕を組んで仁王立ちしているシルフィ・コルクラートの背後の壁に、端が焼け焦げた白い大きな布が貼られている。煤で汚れたデスクトップパソコン一式とプロジェクターも部屋の端に並んで置かれていた。
 ヒュウラはシルフィの足元で胡座を掻いて座っている。顔を伏せて大型の人形のように脱力していた。シルフィ以外の保護官全員が、特別保護官として13日間保護任務を手伝ってくれていた亜人の様子が極めて可笑しいと勘付いた。
 ミトはヒュウラの姿を見て心が痛んだ。相手がそうなってしまった原因を、此の場に居る人間達の中でシルフィを除いて唯1人知っていたからだった。
 元凶になった存在は、未だ生きていた。ヒュウラが死ぬ寸前まで追い込んだが今は人間に救われて一命を取り留めており、人間達が完治させようと全力を注いでいる。”人間嫌い”の相手にとっては皮肉な状態になっているが、相手はヒュウラよりも遥かに希少な亜人で殺す事が絶対に許されない存在だった。
 シルフィはヒュウラに知らせていたが、ミトはヒュウラの為にローグの事は知らせていなかった。
(何故、あなたは余計な事をするの?)
 ミトは1時間後にシルフィから直接伝えられた時、心の中で刹那に毒付く事になる。

 ミト・ラグナルと他の亜人課現場担当保護官達は、軍隊のように縦横に整列して立っていた。小さな会議室は中に置かれていた家具が全て撤去されていても非常に狭く、部屋に収まらなくても並べるよう、左右の壁に縁がギザギザしている大穴が開けられていた。シルフィがヒュウラに蹴り壊させたようで、亜人の青年が履いているカーキグリーンの靴にコンクリートの欠片と粉がこびり付いている。
 ミトの隣に立っている、ベリーショートの金髪をした女性保護官が、怪訝な顔をしながらシルフィを見ていた。反対側の隣に立っている迷彩柄のベレー帽子を被った男性保護官も、同じような顔をしている。
 ミトを間に挟んで、2人が会話を始めた。
「彼女は一体誰?この部隊で見た事が無いけど」
「私は知らない。だけどリーダーに物凄く似てないか?」
 殉職して役職から外れている元上司を未だに『リーダー』と称した男性保護官に、ミトの後ろに立っている背の高い別の女性保護官がシルフィの代わりに相手の自己紹介をした。
「彼女はシルフィ・コルクラート。3班・亜人課保護部隊の前最上指揮官で、現最上指揮官よ。デルタ”元”リーダーの双子のお姉さん。でも通り名があるの、曲者シルフィ」
 長身の女性保護官は目を吊り上げると、シルフィを激しく睨んだ。女性保護官はシルフィが班長をしていた時代を知る、数少ない古株の保護官だった。
 視線に気付いて微笑を返してきたシルフィに、保護官の女は憎悪を膨らませた。猛毒を吐き出すように、己を見つめてくるミトを含めた3人の保護官達に伝える。
「あの女の頭のネジは、緩んでるとか外れてるんじゃ無い。付いている場所が可笑しい。やる事も考える事も無茶苦茶なのよ。政治家にすると独裁者になるタイプよ」
 ミトはシルフィに視線を向けた。腕を組んで大股で立っている、紺色のヒール靴を履いて同じ色のレディーススーツを着て青い目の上に銀縁眼鏡を掛けている、青い直毛の髪を胸まで伸ばして結ばずに垂らしているその女は、服装が違い、髪型が違い、性別も違うが、デルタ・コルクラートに見事なまでに瓜二つだった。
 だが、身から放たれている威圧感が、猛獣のような悍ましさを纏っている。酒は飲むが終始温和で優しかった故人とは似ても似付かない存在だと思った。同時に故人を哀れんだ。ーー苦労していたと思う、リーダー。あんな怖い人が自分のお姉さんで……。ーー
 シルフィは腕を組んだまま、眼前に並ばせている部下の保護官達を流し見る。微笑を浮かべていた口を結んで真顔になると、暫く経ってから再び微笑を顔に浮かべて言った。
「上司の許可無く勝手に私語が出来る程、この部隊が腑抜けてしまって非常に残念だわ。さっき其処のお馬鹿さんが説明してくれていたようだけど、私が今の班長よ。呼称は何でも良いわ。『クソ女』でも大歓迎」
 女保護官が鬼の形相でシルフィを睨んだ。シルフィは無視して話し続ける。
「此処に貴方達を呼んだのは、これから行う保護任務のメンバーを選ぶ為。私が今から担当保護官を指名する。ちなみに私ともう1人は確定しているから、先に伝えておくわね」
 ミトはヒュウラを見た。シルフィもヒュウラを見た。シルフィは企むような笑みを浮かべていた。
 ヒュウラは、顔を伏せたまま口だけを動かして言った。
「俺か?」
「そうよ、当たり前でしょ?さっき言ったわよ。貴方は私と一緒に、愚行の責任を取らないといけない」
 シルフィは身を伏せると、ヒュウラの頭を鷲掴みにして無理矢理持ち上げた。金と赤の輝きが死んでいる目は、虚になってシルフィを見つめている。
 シルフィは小さな溜息を吐くと、銀縁眼鏡のレンズに覆われた青い目を釣り上げながら言った。
「デルタは人間の世界の常識を”幸い”貴方には教えて無かったようね。でも今は別。会話をする時は相手の顔を見なさい。貴方がどんな状態であろうと、私は一切知ったこっちゃ無いの」
 ミトは、ヒュウラに乱暴をするシルフィに嫌悪感を抱いた。ヒュウラの頭から手を離したシルフィは、己の足元に置いている段ボール箱から通信機を複数台取り出して抱える。部下の保護官達を再び流し見ると、
 特定の保護官に、通信機を投げ渡してきた。
 ミトにも投げられた。飛んできた機械を慌てて受け取る。ミトを含めた10人が通信機を受け取ると、シルフィは腕の中に残っている機械達を段ボール箱の中に放り戻した。
 再び腕を組んでから、保護官達に指示をする。
「以上。その他の保護官は解散、御苦労様」
 シルフィは片手で虫を追い祓うようなジャスチャーをした。シルフィを睨んでいた女保護官は選ばれずに、鼻息を吹き上げながら退室した。ミトの左右に居た保護官達も選ばれなかった。長い黒髪を二つ括りにして白い迷彩服と短い鎧を付けている若い女保護官が半泣き顔をしながらヒュウラを暫く見つめた後に立ち去ると、10人と1人と1体だけが部屋に残った。

 ミトと9人の選ばれた保護官達は、投げ渡された機械を掴みながら凝視した。己達が本部から支給されているモノと余り変わらないが、ボタンの位置が異なっており、液晶画面の下に3つ、横に並んで付いている。
 先端が円盤状になったアンテナも付いている、古くて滑稽な形をしている機械を手に持ちながら、ミトはシルフィを見つめた。プロジェクターをリモコンで遠隔操作しているシルフィに、ミトでは無い保護官が尋ねる。
「リーダー……で、宜しいですよね。リーダー、任務地は何処ですか?」
 シルフィは口角を上げて返事した。
「そうね、教えておかないと」
 シルフィは床に座ったまま微塵も動かないヒュウラを見下ろして一瞥してから、正面を向いた。リモコンでプロジェクターを操作して、薄暗い部屋の隅に置いている機械から白い布に眩い光を当てると、
 布を手の甲で叩いて、画面に映し出されたモノがある場所を伝えた。
「アグダード」