Bounty Dog 【14Days】 26-27
26
40代程の見た目をした大人の男達が、沼の水の中に垂らした何かを引っ張っている。灰色の作業着を着た痩せ気味の男が、太鼓腹で捲れ上がった茶色いシャツを着ている小太りの男に時々話しかける。灰色の小さな目が弱々しく相手の焦茶色の目を見つめると、鋭い目をしながら怒鳴り声を挙げた相手の唾を顔に浴びた。
カイは周囲に目を走らせてから、怪訝そうに眼前の光景を眺める。原子の気配を今は感じない。代わりに、沼の淵から水が跳ねる音が頻繁に聞こえてきた。
男達の痩せた手が、大きな漁業用の網を掴んでいる。網の中で大量の魚と共に1匹のフナが、とぼけた顔をして口をパクパク開閉していた。
カイは、眉をハの字にして、困惑した表情を浮かべながら大人達を見る。視線に気付いた男達が振り向いてカイを凝視すると、黒ローブの子供が裾を引き摺りながらカイの背に走り寄ってきた。
「カイ!置いて行かないでよー!急にどうしたの?」
息を切らせながら膝を手で掴んで、俯いていた子供が顔を上げる。カイは顔を向けずに大人達を見たまま、大きな瞳を太い眉と一緒に釣り上げて返事した。
「すまーん!こっちに原子の気配を感じた!けど、ちょっと待ってろ。オレ、用事出来た」
カイは眉間に皺を寄せて右手の人差し指を前方に伸ばす。爪の先が空気に漂う見えない原子を触るのでは無く、前方にいる2人の大人達の顔を指し示すと、口を開けて息を吸ってから大声で話し掛けた。
「おっさん達、此処で魚捕っちゃ駄目だぞー!そいつら皆んな保護されてるんだぞ、犯罪になっちゃうぞ!!」
「嬢ちゃん?」「いや、あれは坊主っすね」と、相手が向かい合ってひそひそ会話をしている声が聞こえる。カイは赤いシュシュで二つ括りをした水色の髪の先を無意識に指で弄ると、燻げな顔をして説教を続けた。
「聞いてるのかよ?お前ら、そんな事したら犯罪だぞー!そいつらは法律でー」
「保護団体が作った国際法だろ?知ってるさー!ガキンチョ。分かっててやってるんだよ、俺達はな」
太った男が、肉が付いた頬を引っ張るように口角を上げて歯を剥き出しにする。不気味な笑顔をした大人に、カイは首を傾げながら返事した。
「は?」
痩せ型の男も、眉はへの字に寄せているが薄ら笑いを浮かべる。手に掴んだ漁業用の網の中で、大量の魚達が積み重なって尾を必死に動かしている。
水が忙しなく跳ねる。木々が焼ける臭いを鼻で感じたので視線をずらすと、男達の居る場所から少し離れた所に、縦に積まれた大きなクーラーボックスと、白い煙を吐いている焚き火が見えた。
簡易な折りたたみテーブルの上に、紙皿とハーブ入りの塩胡椒の瓶とバーベキュー用の焼き串が束ねて置かれている。男達が網を掴む手に力を込めると、地に引き上げられた魚達が狂ったように暴れ出した。
張り付いた笑顔をして、カイに語り掛ける。
「保護されてると言う事は、希少と言う事。希少と言う事は、数が少ないから、価値があるという事だ」
「価値とは、金になるという事。俺達は世間で言う所の、密猟者って奴だな。流石に獲るのが危険な動物……特に亜人は、手が出せねえが」
カイの背後に立っている黒ローブの子供は、眠そうに目を萎める。フードの中が膨らんで萎み、端から垂れている髪飾りの先が揺れると、指と指を重ねている両手を顔の前に上げて、指を離さないまま小さな欠伸をする。
子供の態度に気付かないカイは、大人達に強い憤りを感じて頭から湯気が出そうになる。左手に掴んだ本が腕の動きを受けて細かく振動すると、突き出した指を振り回しながら声を張り上げた。
「んな事なんて知らねえよ!兎に角、魚を勝手に捕っちゃ駄目なんだ!そいつら全部、離してやれ!!」
「グチャグチャギャーギャー煩いぞ、ガキンチョの癖に!さっさとお家に帰らねえと、お前も魚と一緒に焼いて食っちゃうぞ!!」
(……焼く?)
歯を見せてケタケタ笑い始めた男達に、カイは炎の塊が揺れる焚き火とテーブルの上の串の束を見る。既に一部の捕獲物を調理して食べたらしく、中身の無い海老の殻が藪の中に幾つも落ちており、焼いた海老の香ばしい匂いが仄かに漂ってきた。
少年は勘付き、昨日の記憶を思い出した。ーー兄が顔に押し付けてきた、新聞の1面記事。
目が大きく見開く。
「まさかお前達!!」
黒ローブの子供は目を細めたまま、つまらなさそうにカイと大人達の様子を眺めている。右手を上下に振りながら地団駄を踏み始めたカイを不思議そうに見つめると、のんびりと声を掛けた。
「カイ、どうしたのー?」
「分かった!オレ、分かったぞ!お前らがこの大陸を騒がせてる爆弾テロリストだな!!この犯罪者どもめ!!許せねえ!!」
「カイ、テロリストって何ー?」
「あいつは嬢ちゃん?」「分かんないっすね」と、2人の男達は顔を向け合ってひそひそと話している。揃って子供2人を見て不気味な笑顔を浮かべると、カイは振っていた指を太った男の顔に勢いよく伸ばした。
「極悪非道の最低最凶の、悪い奴だ!!お前ら絶対許さねえぞ、オレが原子操作術で成敗してやる!!」
27
合わせていた指同士が離れると、両腕が前に伸ばされる。袖が肘まで捲られた白肌の小さな腕の先に付く手が動くと、ピアノの鍵盤を弾くように10本の指が空中でくねる。
微笑を浮かべた黒ローブの子供の目の色が赤から深紅に変わる。広げていた指を両の人差し指以外全て曲げて2本の指が宙にミミズ文字を描くと、曲げた指を親指で押さえて勢い良く弾いた。
刺激された原子が光り輝き、2つの爆炎となって発射される。
目を見開いたカイは鞄と本を捨てて全力疾走で大人達に体当たりすると、網を掴んだまま3人共が沼の中に飛び込む。水中に沈んだ人間達の上を2つの炎が飛び過ぎると、木にぶつかって炎上した。
爪の先から上がる白い煙を吹き消して、子供は暫くその場で立ち尽くす。暫くして静寂していた沼から無数の泡と水音が噴き出てくると、初めにカイ、次に痩せた男、しんがりに太った男が水面から飛び出てきた。
全員が岸に上がって、荒れた息を整える。
無表情で首を大きく傾けて様子を伺っている黒ローブの子供は、再び両手の指同士を合わせて顔の前に掲げる。「何あれ、手品?!」「いや、魔法?魔法っすよね多分?!」と顔を突き合わせながら話し合っているびしょ濡れの男達の前で、座っている濡れ鼠のようなカイは子供に睨み目を向けると、釣り上がった目の下に付いた口を大きく開けた。
「危ねえ!凄く危ねえぞー!!お前は攻撃するの禁止ー!!こいつらはオレが原子でぶっ飛ばすから、何もするな!待っていろ!!」
「んー。分かった、カイが言うなら」
子供は素直に首を縦に振って了解する。
突き合わせていた顔を振り向かせた大人達も、燻げな顔をする。奇襲のショックと強制された潜水運動により心臓が爆速で鼓動をしているのを身で感じながら、口を尖らせた太った男は、口をあんぐり開けて視線を落としている痩せた男を無視して抗議した。
「急におっかなビックリな手品しやがって。驚かせるな!全く、もう!!」
「あああー!見てくださいー阿仁ぃさんー!」
「何だよ?!お前も突然」
眉間に皺を寄せて、太った男は苔と泥が付いた水濡れのシャツが捲れて露わになった太鼓腹を揺らして相棒に身体を向ける。痙攣したように全身を震わせている痩せ男は目に涙を浮かべて沼の方を凝視すると、同じ方角を見た男の目が大きく開かれた。
漁獲用の大網が、端を水面から出して沼の中に沈んでいる。緩んだ網の結び口から大量の魚達が脱出していく中、既に自由になっていたフナが無表情の顔を水から出して、此方を見ながら口をパクパク開閉していた。
カイが立ち上がって本と鞄を回収する。ページを捲って素読みを始めた少年の背後で、呆然と沼を見ていた男達が徐々に大きく震え出すと、怒りに顔を真っ赤に染めた。
「このクソ餓鬼!金儲けの邪魔しやがってえ!!」
「本当に焼いてやる!ほっぺたジュッって焼いて泣かしてやる!!」
「いや、もう完全に怒ったわ俺。二度と邪魔しないように、ボコボコにしてから凄く焼いてやる!!」
大股で歩き出した男達に背を向けているカイは、私物の無事を確認して小さく安堵の溜息を吐く。本から目を離して振り向くと、頭上から下された握り拳を身を引いてかわした。
余裕綽々な企み顔を浮かべ、歯を見せて笑う。
「んじゃあ、本気を出すぜ!原子よ、オレに応えてくれ!!」右手を天に伸ばし、人差し指以外を曲げる。大きく弧を描いて振り下ろした指が空気をランダムに押すと、文字を書いてから指で弾いた。
静寂は続き、原子は反応しない。
睨み目を向けた大人達が、それぞれのポケットから同じ物を取り出す。動物を調教する時に使う短い鞭で自身の片手の平を叩き出すと、ジリジリと距離を詰めた。
「先ずはビシバシとお仕置きしてやる!!」
「えええ?!あーやっぱり駄目だー!何故応えてくれないんだー!原子!!」
半泣きになったカイは、再び身体を半回転させて彼方へと駆け出す。逃亡を始めた少年に合わせて大人2人組も走り出すと、沼の周りでぐるぐると追いかけっこが行われた。
ぼんやりと様子を見ている黒ローブの子供は、手で口を抑えて大きな欠伸をする。空気を食むんで萎んだ赤い目がカイの顔を覗くと、のんびりと声を掛けた。
「カイー。だから、全部空振りしてるんだよー。本当にボクは何もしなくて良いのー?」
「絶対するなー!これはオレの用事だー!!」
大声で返事をしたカイの後ろを、男達が鞭を叩きながら追いかける。
「待て待て待て待てー!!」
「焼いてやる、クソ餓鬼!ビシ&バシのお仕置きしてから焼いてやる!!」
カイはズレ落ちかける本を何度も抱え直しては、時々背後を確確認して足の速度を上げる。口開けを趣味のように繰り返していたフナが飽きて水中に潜り去っても続けられるマラソンに、観察していた黒ローブの子供は、両手の指同士を合わせて顔の前に上げた。
(うーん、カイ絶対ピンチ。助けないとね、どうしようか……)
ポーズを保ったまま、辺りを見回す。足元に目を落とすと、長い裾の端から覗く白い裸足を、濃い水蒸気の霧が包んでいた。
赤い目が水色になり、赤に戻って、口角が上がる。沼から漂ってきている霧の足跡を追うように、子供は移動を始めた。
(やっぱりヒントをあげよう。『密集』)