Bounty Dog 【14Days】 81-83

自分がこの世界に生きる理由を形作っている結晶は、自分自身では無い。

81

 南西大陸の端に位置する、とある国の、とある都市は、人間、人間、人間ばかりが犇き合って暮らしていた。虫1匹飛んでいない高度な衛生管理が施された人間だけの楽園に植えられた街路樹達は、実が付かない様に殆どの枝が切り取られている。
 早朝の通勤ラッシュで、人間を運ぶ様々な乗り物はどれも人間達で鮨詰めになっていた。地下を掘ってコンクリートを流し入れて作られた人工の横穴を走る列車の中も、人間と人間の作った道具達で押し合いへし合いの状態になっている。
 座席に座って左右と前から人間達に挟まれている1人の初老の男が、小さく折り畳んだ新聞を読んでいた。他の人間達は本を読んだり、隣り合って雑談に耽たり、窓の外を見たり居眠りをしたりしている。
(あらゆる機能を付けた平べったい電話機を皆が延々と眺めて操作していた、あの不可思議な時代も随分と懐かしい過去になったんだなあ)
 ふと思考に耽ながら、手に掴んでいる情報の集合の中で最も大きい文字で書かれている記事の見出しを黙読した。
『連続大量殺人爆弾テロリスト。中央大陸から南西大陸に魔の手広げる。未だ犯人像・凶器すら一切不明』
 男は新聞紙を少し広げる。見出しの記事を読もうとすると、甲高い生き物の泣き声が車内に響いた。突然の騒音は人間の赤ん坊が発しており、歳の若い人間の女が、鮨詰めになりながらのんびりと赤ん坊をあやし出した。
 周囲から舌打ちと文句が聞こえてくる。女の前に大きなベビーカーが、折り畳まずに置かれていた。座席と荷台に乳幼児用の菓子や食品が積み入れられている。モラルの欠けた母親への怒りを鎮めようと、誰かが列車の壁を小突く打音も聞こえてくる中、男は眉間に皺を寄せて再び記事を読もうとした。
 読もうとしたが、読めなかった。何かが弾ける音が2回して、焦げ臭い煙が漂ってきた。列車の窓が割れた。鮨詰めになった人間達が黄色い声を上げて騒ぎ出した。
 男は煩いとだけ思った。不機嫌になったまま新聞の記事をもう一度読もうとして、
 永遠に一文字も読めなかった。首が突然温かくなると、何かが弾ける大きな音がした。

 列車が地上で止まると、黒煙を出す車両の窓から1人の子供が這い出てきた。サイズの大き過ぎる黒い魔法使いのようなフード付きのローブを着ており、靴は履いていない。頭にフードを被っている銀髪の子供は、雪のように真っ白な肌をした素足でペタペタ地面を歩くと、両手で掴んでいる乳幼児用のスティックチーズを前歯で齧り食べながら、瞳孔の濁った赤い大きな目を三日月型にしてニッコリ笑った。
「うきゅう、ちーず見つけた。うわーい、ちーず」
 食事を終えてゴミを放り捨て、腕を伸ばして指を数字の1を示す形にすると、上機嫌でクルクル回りながら歩き出す。
 子供が去ると、列車が大爆発した。中に居た人間全ての命が焼き尽くされて喪失した。

82

 とある別の大陸の、別の国の丘の上にある『世界生物保護連合』3班・亜人課の専用支部は、慌ただしかった。
 迷彩服の上に鎧を付けた人間達が、通路を右往左往している。段ボール箱を両手に抱えて走っていく、黒髪を二つ括りにした黄肌の女性は涙を流していた。箱の中には海苔が付いた醤油煎餅の袋が詰まっており、骨の形をした犬の玩具のぬいぐるみが、ビニール袋に入った未開封の状態で煎餅の中に埋まっている。
 支部の一角にある班長用の執務室で、木製の椅子に腰掛けているデルタ・コルクラート保護官が、執務机に肘を付けて手を組んだ格好で、横並びに立っている部下のミト・ラグナル保護官と2体の亜人を睨んでいた。
 ミトを一瞥してから右側で退屈そうに立っているGランク『超過剰種』の猫の亜人・喵人の女、リングを見る。首を振ると、ミトの左側に立っている青年を見た。Sランク『超希少種』である片目5億エードの宝石を生成できる狼の亜人・獣犬族のヒュウラを凝視すると、デルタは眉間に掘った皺の堀を深めて口を開いた。
「諸々の事務手続きに1日、施設と護送の準備に丸1日掛かってしまったが、今日で私達とお別れだ、ヒュウラ。約束通り、お前を絶滅危惧種の保護施設に送る」
 ヒュウラは無表情のまま大股で仁王立ちをしている。デルタは反応しない亜人を無視して続けた。
「その首輪は保険として身に付けたまま行って貰う。前にも伝えたが、施設には煎餅は無い。斧も没収だ。が、保護の条件だったテレビは送ってやろう。どうか大人しく安楽に暮らしてくれ。もうお前は二度と、人間の脅威に晒されない」
 ヒュウラは返事も反応もしなかった。デルタは手首を奥から手前に振ってミトとリングに退室を促した。ミトは首を上下に振って応答すると、リングの背中を押して部屋から出る。
 男2人が残された空間で、デルタとヒュウラは向かい合わせになった。執務机の天板から腕を離したデルタは、威圧的な責任者の口調を辞めて、友人に接するようにヒュウラに話し掛けた。
「ヒュウラ、お前に会えなくなるのが残念でならない。俺にだけで良いから教えてくれないか?何故Sランクを喪失(ロスト)させた」
 ヒュウラは無表情のまま、返事も反応もしない。デルタは椅子から腰を上げて立ち上がった。白銀のショットガンと共に壁に立てかけていた松葉杖を掴んで、包帯を巻いた右足を杖で支えながらヒュウラに歩み寄ると、肩を鷲掴みにして振った。怒鳴るように声を出した。
「彼が失ったものが尾鰭だったのなら、我々が”世話”さえすれば彼は生きていけたんだぞ!?彼に何か言われたのか?!蹴り殺したいと思うような事をされたのか?!」
 ヒュウラの目がやや釣り上がった。デルタは険しい顔をして叫んだ。
「ヒュウラ!お前のお陰で保護活動は快調だった!!あと3日も猶予があったんだぞ!!」
 デルタは扉を蹴破って入ってきた何者かに羽交い締めにされた。松葉杖が手から落ちて、保護組織の紋章が大きく刺繍されたカーペットの上に倒れる。
 デルタを拘束したリングは、橙色の愛嬌のある目を釣り上げていた。機械人形のように無機質に振り向いてきたヒュウラを一瞥してから、大きな鳴き声を上げてデルタに忠告した。
「ニャー!責める、止めろ!!ヒュウラ、反省してる!!」
 リングはヒュウラを見る。無表情で様子を眺めている相手を暫く見つめてから、再びデルタに向かって口を開いた。
「……多分。ニャー!止めろ!終わり!ヒュウラ、苛める、ニャー、許さない!!」
 デルタは松葉杖を拾って、脇に挟んだ。執務机の椅子まで戻って再び腰掛け、リングとヒュウラを見つめる。リングはヒュウラの肩を掴んで扉のある方向に振り向かせると、背中を押して強引に退室させ始めた。
 デルタは険しい顔をしながらヒュウラを見た。ヒュウラの服の鎧から下の腰の部分に、何かに激しく引っ掻かれたのか無数の小さな破れ傷と微量の血が付いていた。
 リングは鼻息を吹き上げてデルタに振り向いてから、言った。
「デルタ、終わる。ニャー、終わってる。ヒュウラ、ニャー、お前の友、分からせた」

83

 リングは、デルタの自室の扉に寄りかかって腕を組んでいた。荷造りをしているヒュウラの背中を睨み付けている。
 壁に立て掛けていた愛用の巨斧は、部屋から姿を消していた。胡座をかいて座っている茶色い手袋を片方だけ嵌めているヒュウラは、手袋を脱いで、床に敷いた唐草模様の風呂敷の上に置く。
 海苔付き醤油煎餅が入った菓子袋1つと、デルタに貰ったアウトドア用品のカタログ本が2冊と、ミトから盗んだキラキラ光る粉が可愛らしいデザインのケースに入った化粧パウダーと、草臥れている丸められたシーツと一緒に纏めて風呂敷に包むと、出来上がった荷物を前にしてヒュウラは静止した。胡座をかいて座ったまま動かない亜人の青年に、亜人の女は相手の背中に向かって、一声鳴いてから声を掛けた。
「ニャー、ヒュウラ。お前居る、場所、教えろ。ニャー、ヒュウラ、助けに行くニャ」
 ヒュウラは反応しない。リングは続ける。
「お前、助ける。此処、一緒に潰すニャ。ニャー、人間、信じてない。人間、他の生き物、預けない」
 ヒュウラは振り返ってきた。仏頂面で、口だけを動かして答えた。
「お前がやれ」
「ブニャー!ニャー、G!!ヒュウラ、居ない、あいつら、ニャー殺す、絶対!!」
 リングは憤怒した。ヒュウラは風呂敷の結び目を掴むと、憤怒する猫を無視してデルタの部屋を出て行った。