Bounty Dog 【アグダード戦争】30-33
30
軍曹と朱色目の黒布は、部屋の奥に行ったまま戻って来なかった。シルフィが壁から身を離して通信機をスーツスカートのポケットに入れると、ヒュウラとリングの近くに歩み寄り「此の場で待機するように」と指示をした。
リングが大きく了解の一鳴きをする。ヒュウラは返事も反応もしなかった。シルフィがリングの右腕を掴んで持ち上げると、数秒間思考に耽てから、相手の手首に巻き付いているブレスレット型の発信機を外した。
ミトはヒュウラを凝視している。ヒュウラは部屋の奥を延々と見ている。今の彼の顔は”何時も通り”の無表情だった。
ヒュウラが立ち上がって、部屋の奥に行こうとする。シルフィに言葉で静止されて素直に従った。が、胡坐を掻いて座り直したヒュウラは、部屋の奥を延々と見つめ続けていた。
夕飯は無かった。ミトの手首に巻かれているスポーツウォッチが『21:00』を示した頃、部屋の奥から慌ただしい音が断続的に響いて、直ぐに静かになった。
“アグダード民間ゴミ人間掃除部隊”が、掃除任務に出動したようだ。シルフィは地面に大の字になってグーグー寝ていたリングを揺さぶり起こすと、ヒュウラとミトを含めて指示をした。
「私達も行くわよ。任務を開始する」
31
軍曹と朱色目を含めた大勢の黒布達は、アジトから北に十数キロ離れた荒地の一角に群がって立っていた。地雷を避ける為に可能な限り地下を通って移動し、草一本生えていない砂漠の土が盛り上がっている丘の上で、全員が眼前に広がっている建物を睨んでいる。
軍曹は光沢のある青い布を頭から被って、全身を覆っていた。隣に黒布を被った朱色目の男が立っている。朱色目の黒布は軍曹よりも背が高い身を伏せると、片膝を地に付けて建物を見つめている隊長に向かって囁くように話し掛けた。
「満場一致で襲撃地に決定したカスタバラク軍第二修練場ですけど、敵の主要施設の1つですがカスタバラク本人は、偵察にすら滅多に来ないそうです」
軍曹は反応しない。朱色目は言葉を続けた。
「奴の”影武者”が内部を仕切っています。あなたの言い方をすれば『ド三流』と言った所でしょうか」
「いや、ド四流だわ。スカじゃねえかよ」
軍曹は朱色目に不機嫌顔を見せて文句を言った。直ぐに若干機嫌が直る。
「まあ、でも建物はド二流って所か。やっぱ綺麗にしてえゴミダメだわ」
建物を再び睨む。勢力の兵士達を育てている施設である修練場は、正面入口に見張りが数人いた。浅黒い肌に淡色交じりの白髪というアグダードの原住民の特徴を持っている人間の男達は、光が漏れている大きな正面口の前を覆うように立ちながら、アサルトライフルを掴んで草木の生えていない広場に睨み目を向けている。
「彼処、地雷原ですね」
朱色目の黒布は囁いた。施設の前にある広場の数カ所から細長い黒煙が上がっている。朱色目が周囲に視線を移すと、襲撃に参加する黒布を被った10数人の部下達の姿を見つめた。群れの端に立っている背が一番低い黒布を暫く見つめてから、遠くの地にある岩を見て、
朱色目は軍曹に振り返ってから、再び隊長に話し掛けた。
「軍曹。では作戦通りに参ります。よろしくお願いします」
「良いぞー!やってやらあ!!」
軍曹は右腕を青布から出して、握り拳を天に突き上げた。二の腕に巻いている紺色のバンダナの端が、砂漠の夜風で揺れる。
黒布達と軍曹が全員持ってきているアサルトライフルを掴んだ。ゴミ人間掃除部隊が動き出す。軍曹を先頭にして一斉に走り出した。渡り鳥のような扇形の列を形成しながら、建物の正面入口に向かって暫く走ると、
軍曹1人を残して、黒布達が大きく左折した。小柄な黒布人間を囲うようにして、朱色目を先頭に黒布達が新たな扇形の列を作る。軍曹は1人で正面口までそのまま走って行くと、身を包んでいた青布を頭から勢い良く脱ぎ取った。
姿を露わにした革命部隊の大将は、敵地の真正面から1人で”御礼参り”を開始した。
32
軍曹の後ろから、1つの影が追い掛けてきていた。軍曹が脱ぎ捨てた青い布を正面から受けて、頭から被って軍曹の”影武者”のようになる。
軍曹は背後を一度も振り返らずに疾走した。2人の門番が襲撃者を見付けて銃を構える。2丁のアサルトライフルが無数の火を散らし吹いた。足元に撒かれ跳ねる銃弾達に微塵も怯まず、軍曹も汚れたアサルトライフルを構える。
引き金を、引かずに構えたまま足の速度を上げた。獣のように全力で突進すると、門番の1人を体当たりで地面に倒した。
側に立っていたもう1人にも銃床(ストック)をぶつけて顎を強打させる。激痛と驚愕で身のバランスを崩した敵勢力の兵士を肩で担ぎ上げると、軍曹は兵士を広場に向かって放り投げた。
草木の無い土の上に落とされた兵士が仰向けに倒れた。油汗を垂らしながら、其の場で暫く硬直する。意を決して起き上がると、手に何かを圧迫させた感触があった。
起動した地雷が弾けて、兵士は瞬く間に粉砕死した。入れば粗全ての生き物が冥土に逝く死の地雷原から、悪臭と共に新たな黒煙が吹き上がる。軍曹は己に迫ってくる他の門番達を無視して、正面口から建物の中に入った。アサルトライフルを両手で持ちながら射撃を開始する。迎え撃ってくる兵士達を次々と倒しながら、怒号を発した。
「テメエら!さっさと袋に入れて燃やしてやる!!ゴミ掃除だあああああ!!」
突撃する軍曹の後ろで、騒動がもう1つ起きていた。
門番の数人が、新たな奇襲者を発見した。青い布を被った謎の影に向かって襲い掛かる。謎の青布も”影武者”のように、軍曹と同じく足を止めなかった。
横雨のように降り注いできた銃弾の雨を大きく跳ね飛んで避ける。獣のような動きを見て驚愕した兵士の1人の足元に着地すると、青布が起き上がるなり布が大きく揺れて、兵士が粉砕死した。
突然粉々になって死んだ兵士を見て、他の兵士達も驚愕する。布は軍曹を追い掛けて行った。侵入者達、特に青布被りの存在に脅威を感じた生き残りの門番達は、退治よりも建物の中に居る仲間達への連絡を優先した。
死んだ兵士が立っていた場所に、地雷は1つも埋まっていなかった。
ロビーに居た兵士達を一掃して、階段を駆け登っていく軍曹のズボンの中から声が聞こえてきた。ズボンのポケットに入れている軍用無線機から、非常に若い男の声が響く。
『ぐ……”私”だ!そのまま直進して、突撃だ!!進路を確保しろ!!』
軍曹は歯を見せて笑いながら、声に答えた。
「あいよ!御意、御意っとな!!」
階段を一気に上り切る。孤軍のまま2階に乗り込んだ軍曹は、空になったアサルトライフルの弾倉を素早く取り替えてから通路を走り出した。
気配を感じた。直ぐに急停止して振り返る。気配は階段の下から強く感じる。ーー上ってくる。ーー銃を向けながら気配がした方向を睨むと、
青い布を頭から被った人間みたいな存在が、階段の途中から獣のように飛び跳ねた。2階の床に飛び降りてくると、身を伏せている布に包まれた謎の生き物が軍曹を見つめてくる。
布の隙間から出ている顔の一部を見て、軍曹の目が丸くなった。銃を下ろしてから、二の腕部分に紺色のバンダナを巻いている浅黒肌の右腕を伸ばす。己の物である青い”身隠し布”を相手の頭頂部で鷲掴みにすると、
虹彩が金で瞳孔が赤い独特の目を持つ、黄色肌と茶髪も持っている人間に酷似した生き物から布を剥ぎ取った。
姿が露わになった狼の亜人に、軍曹は大声で話し掛ける。
「ヒュウラ!何で付いて来てるんだ?!」
仏頂面のヒュウラは、口だけ動かして軍曹に答えた。
「黒い布」
ヒュウラは軍曹の左腕を引っ張って掴んだ。アサルトライフルを握りしめている浅黒い肌をした腕の手首を見つめて、赤い布に覆われた腰の左ポケットから、金属製の大きなブレスレットを取り出す。
シルフィに持たされていたリングの発信機を、軍曹の手首に装着した。腕を振り解かずにヒュウラを見つめながら首を傾げている軍曹の左手首から、機械を通してシルフィの声が聞こえてきた。
『軍曹、調子は如何?私達も”保護任務”に来たわ』
33
ヒュウラは半日前、軍曹を呼びに来た朱色目の黒布から依頼をされていた。
「ヒュウラさん。あなたにまたお願いをしてしまって、恐縮ですが」
胡座を掻いて座っているヒュウラの隣に伏せて、朱色目は耳元で囁いてきた。
「軍曹の事、守ってあげて下さい。あの人、物凄く強いけど無謀なんですね。何も考えずにノリだけで判断しちゃう所があって。あなたが軍曹に出会った時も、関わっているこれまででも、一度は絶対思ったでしょ?あなたが昨日あの場に居なかったら、本当……」
周囲に聞こえないように、朱色目は溜息を吐いた。朱色目は軍曹を心配しているようだった。ヒュウラは別の人間で、同じような状況を見た事が何度もあった。
その時にその人間を心配させていたのは、己だった。朱色目の黒布は目を吊り上げると、再びヒュウラの耳元で囁いてきた。
「護衛をお願いします。あの人はアグダードを大きく変えてくれるかも知れない存在なんです。あの人を失くしてしまうと、部隊もアグダードも壊滅してしまう」
シルフィには1体と1人のやり取りが聞こえなかったが、様子を見ていて事態に勘付いていた。リングの手首に別途で用意している保護対象(ターゲット)用の発信機を付けながら、シルフィは現在、軍曹達が作戦前に居た荒地の一角で身を伏せていた。
隣で伏せているミトは、シルフィに軽蔑の視線を向けていた。部下には禁止させている戦争への加担をしている事もだが、デルタは絶対にさせなかった『ヒュウラに人間を蹴り殺させる事』を平気で指示してやらせたからだった。
シルフィは笑顔で鳴き声を上げるリングを見たまま、ミトに向かって話し掛ける。
「貴女の思ってる事、手に取るように分かる。私はルールを破っていないわ。”直接”戦争を終わらせる事は絶対にしない。それにコレは、軍曹を保護する依頼を受けたヒュウラを保護する任務よ。あと、あの子には『自己防衛』以外で蹴るなとも指示してる」
シルフィはミトに振り向いた。掴んでいる白銀のショットガンの銃口を彼女の額に向ける。銀縁の眼鏡を掛けた青い目が吊り上がった。部下を鋭く睨みながら、上司は部下に指示をする。
「ラグナル、何時まで此処に居るの?早く建物の裏に向かいなさい」
ミトは片眉を寄せた。不可解な指示をされて困惑する部下に、上司は言葉を続けた。
「貴女を待ってくれているわ。軍曹の手下達」
ヒュウラは軍曹に青い布を被せられた。再び軍曹の”影武者”のようになった狼の亜人に、軍曹は笑いながら頭を掌でポンポンと叩き撫でる。
指示をした。
「取り敢えず、其れで姿を隠してろ。あと、命が危ねえって思ったらお前優先でな。冥土行きは、俺が優先!!」
ヒュウラは返事も反応もしなかった。布も頭から脱いで、ポンチョのように首から下だけを包み込む。目を丸くしてから苦笑いした軍曹は、ぼやいた。
「しょうがねえなー」
命令無視を一言だけで片付けてしまうと、ヒュウラと一緒に物陰から立ち上がった。アサルトライフルを前方に構えながら、ズボンの腰の部分を手で触って、手持ちの道具達を確認する。ベルトに引っ掛けているパイナップル型の手榴弾5発、サバイバルナイフ1丁、銃の予備の弾倉2個。ポケットに入れている、アグダードの外から来て撤退した何処かの国の軍から拝借した小型無線機。
無線機から声が発せられた。若い男の声が、軍曹に向かって大声で指示をする。
『何をしている!?道草を食うな!進路を開け!”私”の指示通りに動け!!』
「あいよ!うっせえー!!ちゃっちゃと行きゃあ良いんだろ!?」
上司のように喋り掛けてくる謎の男に、軍曹は大声で文句を言い返した。暫く会話をしてから、通話を切る。ヒュウラに振り返ってニッコリ笑うと、軍曹は護衛を引き連れて特攻を再開した。
軍曹の背に付いて行きながら、ヒュウラも自分の腰ポケットの中を確認した。昨晩に軍曹から貰った生のライムが2個。ーー3個あったが、リングに1個食べられた。ーーそれと、テレビのリモコンが入っていた。
デルタが、ローグが暴れ回る3班支部で命懸けで回収して己に渡してくれた、テレビのリモコン。
デルタと別れてから、一度も電源ボタンを押していなかった。ポケットに入れたのは己では無くシルフィだった。デルタに似た女が無理矢理入れてきて、アグダードまでそのまま持って来ていた。
ポケットの中で、リモコンがライムを圧迫して押し潰そうとしていた。ヒュウラはライムを2個とも取り出して、右のポケットから左のポケットに避難させた。アンバランスに腰の部分が膨らんでいた赤い腰布が、バランスの良い形になる。作業は腰布とその他の服と装備を纏めて包んでいる青い布の中で行われていた。外からは布が大きく揺れているようにしか見えなかったが、周囲に生き物は前方を走っていく軍曹しか居らず、軍曹も此方に振り向いてこなかった。
前のめりになって走りながら、ヒュウラは軍曹の背中を見つめた。相手の腰に付いている燻んだ緑色の丸い人間の道具が気になったが、直ぐに視線を軍曹の後頭部に向けた。
淡い水色にも見える白い髪に紺色の布飾りを巻いた人間の男は、デルタに凄く似ていると初めは思ったが、デルタと全く違う人間だと今のヒュウラは思っていた。
この男の仲間である朱色の目をした黒布人間は、この男を絶対に殺すなと己に依頼してきた。ヒュウラは未だ死にたいと思っていた。デルタが殺されたのは己のせいだと、シルフィに言われる前から確信していた。
ヒュウラの目が剥かれる。心が壊れたヒュウラは剥き出した目で、眼前を走っているアグダード人の男を凝視した。
心の中で思った。ーーこの人間の男を守って死ねば、生きる事を辞めた俺をデルタは許してくれるだろうか?ーー