Bounty Dog 【Muchas gracias. Te amo.】 8-9

8

 ロボットも、背が低かった。ジャックと丁度同じくらいの背丈をしている。
 義父のタラルに『絶対に近付くな』と忠告されたロック鳥というロボットは、凶暴な巨鳥でも凶悪なメカでも無く、長方形の紙袋を被っている何処からどう見ても己と同じ人間の子供だった。裸足で、手足の肌は己と同じ小麦色だった。日に当たっていないからか小麦色だが肌が少し青白い色になっていて、蓬色の長袖パジャマを着ている。
 パジャマは男児用だった。ロック鳥は男の子のようである。紙袋を慌てて被ったのか目用に開けていた横並びの2つの穴が、背中側に向いていた。慌てふためいているロック鳥は、当然訪問してきた転職歴を超短期間で4回も積んでいるスキルが幅広い光の勇者に向かって、ユラユラ身体を左右に揺らしながら話し掛けてきた。
「何も見えない。誰?誰?」
「うわああああ。ロボットさん、こんばんは」
「ろぼっと?」
 ジャックは扉をゆっくり閉めて、義父母が起きないように声を小さくしてロック鳥という名のロボット少年に驚愕しながら挨拶した。相手はやはりモンスターでは無さそうだった。ただ1つ、頭をスッポリと覆っている紙袋以外で非常に気になるものがあった。
 相手は声も完全に男の子供だった。だが、出されている声が物凄く格好良い。極め尽くした理想の少年の声を聞いているような気がして、ジャックの全身が柔らかくなってきた。
 未だ緊張しているのか、やはり呼吸がしにくい。息苦しさも感じていると、紙袋の位置を己で元に戻した少年は、史上最高のソプラノ声で己に向かって尋ねてきた。
「お前、誰?」
 少し偉そうな態度をしてくるが、孤児院で多くの子供達と接してきたジャックは何も思わなかった。光の勇者は装備をパーカーのポケットから取り出す。脇に挟んでいた擬似戦争ボードゲームを床に置いてから装備を手に持つと、選ばれし者だけが持てる伝説の剣を振るように、携帯酸素ボンベを使用した。

 使う前に、モンスター(?)に謝罪する。
「ごめんね、ごめんねロック鳥のロボットさん。えい!ぶしゅー!!ぶしゅー!!」
 勇者は酸素ボンベを相手に向かって勢い良く噴射した。紙袋が風圧で押し回される。ロック鳥と勝手に呼ばれている少年が頭に被っている紙袋が、目の穴が開いている面を再び後ろに向けられる。
 光の勇者に光を奪われたロック鳥兼紙袋被りのロボット少年は、史上最高の男児声でジャックに言った。
「違う、違うぞ。そうじゃない」
 ジャックは半泣きになりながら酸素ボンベを噴き続ける。風圧攻撃を喰らわされている紙袋少年は紙袋の位置を手で戻してから、ジャックから携帯酸素ボンベを取り上げた。酸素ボンベを紙袋越しに口に当てて正しい使い方を教えてから、ボンベを勇者に返してやる。
 ジャックは探偵と忍者と盗賊の職業は才能があったが、勇者としては極めて無能だった。討伐(?)相手に装備品の使い方を指導されたポンコツ勇者は、簡単に勇者を退職しない。
 何故かポンコツであればポンコツである程に長い間企業に散々迷惑を掛け続ける疫病神と化していても決して己から退職しないのは、大人も子供も一緒だった。ジャックはエンエン泣きながら、今度は相手の頭に被さっている紙袋を両手で掴む。
 ロック鳥が慌て出した。紙袋を顔から引き抜こうとするパニック無能勇者の暴走を止めようと、掴まれている部分よりも下の面を押さえながら、極め尽くされている美声で勇者に向かって抗議する。
「いやいやいや、いや!それも違う!1番違うって!止めろ!!止めなきゃお前が危なーー」
 力の限り引っ張られて、ロック鳥が押さえ込んでいる部分から上の紙袋が破れた。ジャックは破れた紙袋を持って、後ろ向きに転倒する。
 エンエン泣きながら、ジャックが起き上がる。酸素ボンベは転がってベッドの下に入ってしまう。目の前に現れたモンスターの真の姿を見て、ポンコツ勇者は役目を果たして漸く勇者を自主退職した。
 ジャックは目を限界まで見開く。涙は止まっていた。代わりに大いに驚愕する。
 目の前に現れたロック鳥の正体は、人間史上最も美しい顔を持つ少年だった。

 小麦色の肌に短い黒髪、鶯色の目をした人間の美少年だった。絶世を超えて余りにも異次元的に美麗だったのでジャックの視線が相手の顔に釘付けになる。
「うわあああああああ!物凄い美人!!」
 唯の子供になっているジャックは、鶯色の目をキラキラ輝かせて興奮しながら相手を凝視した。突然現れた同じ鶯色の目をしている黒髪の美少年は、目を激しく吊り上げて首に残った紙袋の一部を千切り取ると、ジャックから直ぐに顔を背けてベッドの傍に置いている玩具箱へと駆けていく。
 玩具箱の中をガチャガチャ漁って、中から潰れている犬の着ぐるみの頭部を引っ張り出した。犬の頭の被り物を被って超絶美少年から草臥れた犬人間に変身すると、口をあんぐり開けて呆然としているジャックに向かって超絶な美声で言った。
「誰だか知らないけど、今直ぐ出て行け。お前が危ない。此処から出てーー」
 ジャックは少年に走り寄って、犬の被り物も両手で掴んだ。引っ張り取ろうとする。少年は抵抗を始めた。同じ目の色をしている茶髪のポンコツ少年に、現在犬人間になっている黒髪の少年は喚きながら抗議する。
「あー!わー!止めろ、止めろって!!お前の息が出来なくなる!お前の息が出来なくなるから、もう俺の顔を見るな!!」
 ジャックが被り物をグイグイ引っ張るだけ、相手にグイグイ押さえ込まれる。ジャックは再び目を丸くすると、被り物を引っ張るのを止めて、返事をした。
「え?息?ぼく、息出来るよ」
 少年の抵抗も止まる。ジャックは笑顔になって深呼吸を数回した。隙を突いて犬の被り物を引っ張り取る。再び現れた美少年の顔をマジマジと見つめながら、ジャックは満面の笑顔で深呼吸をしてから言った。
「ほら、息出来るよ。だからずっと綺麗な顔を見せてよ。ぼく、凄く感動してる。見た事が無い美人さんに出会えて」
 今度は少年が目を丸くした。チアノーゼを起こさずにマジマジと顔を見続けてくる同じ歳の相手に、少年も彼の可も無く不可も無い平凡な顔をマジマジと見つめる。
 黒髪の少年にとって、相手は産まれて初めて出会う”窒息呪い”が効かない存在だった。己の”産みの両親”ですら、己の顔を見ると窒息してしまう。何時も2人共に携帯用の酸素ボンベを持って己に会いに来ていた。其れが一切要らない存在に、産まれて初めて彼は出会った。
 ニコニコ微笑みながら延々と窒息せずに顔を見続けてくる同じ背丈と目の色をした茶髪の少年に、黒髪の少年は驚愕しながら尋ねる。
「不思議なお前。お前は一体、誰?」
 ジャックは即答で自己紹介をした。
「ぼく、ジャック!ジャック・ハロウズ!!」
 直ぐに相手に尋ね返す。
「君の名前は?」
「ナシュー」
 黒髪の少年は即答してから、急に口を結んだ。ジャックは不思議そうに首を傾げる。
 少年は己で気が付いた。ーーコレは親が呼んでくる俺の愛称だ。名前では無い。ーー 
 少年は産まれてから一度も此の家から出た事が無かった。産みの親のタラルとビアンカによって、この屋根裏部屋で幽閉されて生きている。無論、自由を謳う先進国で産まれ育っているのにも関わらず、己は学校にも通わせて貰っていない。
 勉強は学校の先生では無く、親に教えられていた。母親のビアンカから字を教えて貰っていた時に、己の名前を何度も書いて覚えた。その時に不思議に思った。己は祖国の人間らしくない不思議な名前を付けられている。
 母に尋ねると、己の家にある名付けのしきたりらしい中東の言葉から付けられているもので、意味は『清流』……綺麗な水の川。
「貴方が余りにも物凄く美人で、心も綺麗だからお父さんが名付けたのよ」
 母からそう説明されていた。
 少年は、自分の名前が全く好きじゃなかった。少し言い辛いのもあるが『綺麗』とか『格好良い』とか『美人』といった、見た目を褒めちぎられるのが幼少期から吐き気がする程に大嫌いだった。
 故にそんな意味を込められている名前も嫌いで、愛称の”ナシュー”の方が好きだった。だけど相手に促されていて仕方がないので、少年はジャックにフルネームで自己紹介をし直した。
「ナスィル。俺は、ナスィル・カスタバラク」

9

 ナスィル・カスタバラクと名乗られて、ジャックは此の家に来た日に渡された1枚紙を思い出した。タラルに「名乗れ」と言われた名前が、其れだった。
 タラル・カスタバラクとビアンカ・カスタバラクに孤児院で初めて会った日。養子を欲しがっている理由を孤児院の院長が尋ねた時、後にジャックの義父母になる彼らは涙ながらにこう伝えてきた。
「実の子を死産で亡くした。妻はもう子供を作れる体じゃない。未だに心の傷が癒えない。実の子が成長した姿だと想像出来るような子供が欲しい」
 今、ジャックの目の前に、死んだと伝えられている義父母の実子が生きて立っている。義父母は半分嘘を吐いていた。生存はしていた。が、存在は産まれた時から親以外の誰にも全く認知されていなかった。
 此の国の行政で密かに作られている、此の国の人間達も他の国々の人間達も知らない諜報組織が、己の国の”自由”を拡大する為に他の国の”自由”を奪って支配するべく、此の国の人間達から最適な人材を密かに選び出し、対象を拉致して諜報員に就かせ、対象にこれまで関わっていた全ての存在を抹殺して逃げ場と居場所を奪い取る事で『生きた幽霊』にしている。
 そんな祖国の根の先にある歪んだ”自由”が産んだ国家のエゴについては、ジャックは生涯、全く勘付く事は無かった。だが今、目の前に居る別の『生きた幽霊』は、この屋根裏部屋で実の両親に閉じ込められているのだと、彼は瞬時に勘付いた。
 何故こんな美人な子をモンスター扱いして不自由にしているのか、己がナスィルの顔に美貌と一緒に付いている”兵器級窒息呪い”を全く受けない特殊な人間である事も気付いていないジャックは、理由が全然分からなかった。
 ナスィル・カスタバラクもこの時は未だ7歳だったが、この時から既に一人称が”俺”になっていた。30年以上過ぎてから紛争地帯で出会ったモグラの亜人にしつこ過ぎる程に強請られる”あっし”な訳は、勿論無い。
 “ぼく”と己の事を呼ぶ幼い他の人間達と全く関わった事が無い彼は、これまでの生涯で唯一関わる人間達である親の父側が言っている一人称を真似ていた。
 ナスィルの知っている世界は、己が閉じ込められているこの部屋の中だけだった。家の外の世界を一切知らない少年だった彼に、家の外の世界から来た同じ歳の少年は、この状況に強い違和感を持った。
 同時に思った。
(この子、全然モンスターじゃない。凄く可哀想。ぼくが助けてあげないと)

 ジャックは此の国の半ば機能していない警察官では無く、世界を股に駆けて犯罪者を徹底的に逮捕する国際警察官になるのが夢だった。右胸にクリスマスツリーのてっぺんに付いていた星の飾りと布で作った、手作りの警察官風バッジを付けている。
 里親が警察官だと知った時は、飛び跳ねて大喜びした。だがその里親達が自分の本当の子供を死んだ扱いにして家の中で閉じ込めている事実を知った今、ジャックは里親達に対して、初めて不信感を抱いた。
 ナスィルの両親は、長い不妊治療の末に漸く授かった己達の1人息子を溺愛していた。己達のたった1人の子供は、此の世で見た事が無い程に余りにも美人だった。故に1度目であればどんな重罪でも大抵許されてしまうという、此の国の歪んだ”自由”の犠牲にならないように保護した結果が幽閉だった。
 息子が外で遊んでいる間に連れ攫われてしまう事を酷く恐れた。役職持ちの警察官である父親は、到底理解に苦しむような悍ましい考えをする人間達を、仕事を通じて大勢見て関わっている。大事な1人息子がそのような悍ましい人間達の餌食になってしまう事だけは、何としても避けたかった。
 行き過ぎた不安と愛情が、大事な1人息子から”自由”を奪い取っていた。ジャックを養子にした理由も、彼を盾にして本物の息子の存在を隠しながら、此の国だけでも夥しい数で存在している悪党達から、己の本当の子供”だけ”を護る為だった。
 ジャックは、己がナスィルの盾……影武者で囮なのだとも全く気付いていなかった。ただ、直感的に相手が物凄く可哀想だと強く思った。
 ーー重い病気じゃ無いのに、部屋から一歩も出られない。ただ顔がとんでもなく綺麗なだけ。ーー大人達のしているエゴが、子供の彼には全く理解出来なかった。

 ジャックは行動を起こす事にした。ただし夢の国際警察官になるまでにこれ以上無駄な職業には、もう就かない。
 己は光のポンコツ勇者では無く、相手も凶悪モンスター・ロック鳥では無い。己は唯の子供として、ナスィルという人間の子供に接した。
 ジャックは満面の笑顔をして話し掛ける。
「ぼくも君の事、ナシューって呼んで良い?ぼくと君は今から友達だよ!よろしくね!!」
 ナスィルは目を吊り上げた。突然やってきて酸素ガスを散々に浴びせ、顔隠しの紙袋を破り、犬の被り物も奪い捨てて友達宣言まで勝手にしてきた謎の無礼者に、例え己がこの部屋しか世界を知らない箱入り息子であっても、簡単に心を開く訳が無かった。
 当然のように、拒否する。
「嫌だ。勝手に決めるな!」
 ジャックは眉をハの字に寄せた。床の上に置いていた、世界中で大流行しているアナログボードゲームを拾う。最高に格好良い睨み顔を向けてくる相手の前でゲームを組み立てると、身を伏せていたジャックは顔を上げて、ニコニコ笑いながらナスィルに言った。
「じゃあ、このゲームを今からしよ?コレ知ってる?ルール分かる?ぼくが勝ったら、ナシューとぼくは友達になる。それで良い?」
 ナスィルは睨み顔をしたままだったが、視線はジャックからゲームの方に向いていた。小声で「知っている」と相手に伝えてくる。「俺の父さんが好きなゲームだが、父さんは凄く弱い」とも言ってきた。
 ジャックは口角を大きく上げる。このゲームがどうやら強いらしい相手に対して、嬉しそうに独り言を呟いた。
「楽しいゲームになりそうだね」
 ジャックに促されるままに、ナスィルは座った。ボードゲームを挟んで、2人は全く同じ崩した正座の格好で座る。専用カードの束を良く切って、上から5枚を相手に渡して、更に5枚取って己の手持ちにする。40枚ある残りのカードをまた良く切って、ボードゲームの端に作られている窪みの中に置いた。お互い交互に後ろに向いて、向いていない方が己の手持ち駒の1個に『諜報員』のシールを貼る。カードの山を置いている窪みの近くに付いている手回し式のルーレットをジャックは摘んだ。ナスィルにもルーレットを持つよう促したが、無視される。相手は手持ちのカードを見ている。駒は無意識だが、ジャックが白でナスィルは黒になっていた。
 このゲームはチェスを元にしているが、チェスのように駒の色で先後を決めない。ルーレットを回して針が指し示した数字で先後が決まる、先手だった場合・後手だった場合の何方でも勝てる、幅広い戦略が立てられる軍師としての能力が必要不可欠なゲームだった。
 ルーレットが示した数字が奇数だったら己が先手、偶数だったら相手が先手で良いかと聞いて、許可を得る。ジャックは1人でルーレットを回した。本来は公平になるように2人で回すものだが、相手はカードを確認してから目線だけをルーレットに向けてきた。
 ジャックは1人で、ゲーム開始の掛け声を言う。
「バイレ・アパシオナド(情熱的に踊る)!!」
 ルーレットが回って、止まった。針が示した数字は奇数。先手になったジャックは、伏せていた手持ちのカードを確認してから、
 不敵に笑った。お馴染みのチェスの駒に、戦場となるマス目が付いたボードの外に置かれている黒と白其々の『国民』の駒各10個を一瞥する。ナスィルが片眉を上げると、口角を上げたままのジャックは戦闘用の駒を動かす前に、戦場とお互いの”国”に特殊効果を与えるカードを1枚早速使った。


 ゲームは15分で終了した。結果はジャックの完全勝利。ナスィルも父親同様に最後は手も足も出せなくなり、王の駒を取られて自国を喪失させられた。
 擬似戦争ボードゲームでまたもや勝利したジャックの無敗記録が更新する。彼はこのボードゲームに関してはプロになっても世界一強いプレイヤーにすんなりなれる才能を持っているが、神童的な軍師としての才能は、国際警察官の傍でする副職にしようとすら微塵として思わなかった。
 『無敵王』ジャック・ハロウズは満面の笑顔で、ナスィル・カスタバラクに言った。
「約束したよ。これで友達だね!ぼくとナシュー!!」