Bounty Dog 【14Days】 54-56
54
ヒュウラは首輪の後ろに手を伸ばそうとしていた。網が身体に食い込んで腕を殆ど動かす事が出来ない。
両膝を折った三角座りの格好で、袋のようになった網の中で拘束されている。謎の女はポニーテールにした長い金髪を揺らしながら、網の端を両手で掴み、肩に担いでヒュウラを袋ごと引っ張っていた。
時々、独特の鳴き声を口から発する。
「ニャー」
女は山道を延々と走り続ける。坂道を登りきってからへの字に下る道を走っていると、道の先に人間の集落らしきものが見えてきた。
一鳴きしてから、独り言のように呟く。
「ニャー。此処、凄く危ない。でも此処、近道ニャ」
ヒュウラは無表情で、折れた両膝を腕で抱えた。女は橙色の目を釣り上げると、足の速度を上げた。ヒュウラは網ごと宙に放り出されて、地面に落ちて引き摺られる。
数分走ると、女の目線の先に人間のような女が座っていた。
鮮やかな紫色のワンピースを着た黒髪の女は、狐のような細い目と面長の顔が印象的だが、亜人の特徴は何も持っていない。胸まである長い髪は良く手入れがされており、顔は穏やかで、敵意を感じなかった。青いプラスチックのジョウロを手に持っており、道に咲いている花に水を与えている。
金髪の女は目を更に釣り上げて、全力疾走した。黒髪の女が迫ってくる女に気付くと、振り向いて立ち上がってから、
顔から表情を消す。ポケットから拳銃を取り出すと、銃口を女の眉間に向けてきた。
金髪の女は独特の鳴き声を叫ぶ。
「ブニャー!!」
足首を捻ってヒュウラごと身を縦向きにすると、人間の女が発砲した弾丸が首の前を通って彼方へ飛んでいく。両足で地を踏んで大ジャンプし、天に飛び上がった金髪の女は、ヒュウラを包んだ網の端を持ったまま、黒髪の女の両肩に飛び乗った。
足で首を挟み、捻って首の骨をへし折る。
生々しくて鈍い音が響くと、顔の向きが180度曲がって即死した人間の女が倒れる様を見ずに、地に降り立った金髪の女は先を急いだ。ヒュウラは死体を見て若干目を見開き、手を膝から離して網を足で蹴る。
柔らかい網が、凶撃の力を完全に吸収する。金髪の女は目を釣り上げたまま首を後方に向けた。怒鳴るように鳴いてから告げる。
「ブニャー!動くな!!コレ外れる、また捕まえる!ニャー、逃がさない!!」
ヒュウラは返事をせず、足を再び折って膝を手で抱える。女は顔を前に向けると、網を担ぐ手に力を込めて言った。
「お前、人質!大人しくしろ!!」
口を閉じて、女はせっせとヒュウラを運ぶ。時々ニャーニャー鳴き声を発しながら山道を下っては登ってを繰り返していると、目の前に吊り橋が現れた。底の深い谷に掛かっている、厚い木の踏み板と主索を繋ぐ吊索(ハンガー)は解れ掛かっている。
女は躊躇せずに橋を渡り始めた。2人分の体重が踏み板に掛かると、橋が悲鳴のような音を出した。板が左右に揺れる度に、吊索の綱が解れていく。半分程渡ると、女は立ち止まって網を持つ手を握り直した。肩に掛けた網の端の位置を調整しようと、その場で2、3回ジャンプをすると、
吊索が解れ切れて、橋が崩れた。
目を見開いたヒュウラは、三角座りをしたまま女と一緒に落下する。足を付けた踏み板の角度が垂直に近付いてきても、女は微塵も慌てなかった。自信満々に笑みをすると、
板に足を付けたまま、前方に走り出した。
板が垂直になっても、足裏が板に吸い付くように触れている。足の甲が二の足にほぼくっ付く格好で壁のようになった踏み板を難なく登り切り、女は網を担いで板のてっぺんで大きくジャンプした。踏み台にされた板は勢い良く谷の底に落ちていく。
宙でくるりと一回転して、対岸に降り立った女は再び走り出す。無表情に戻ったヒュウラは上下左右に揺さぶられながら網の中で静止していると、女が再び話し掛けてきた。
「アレ、ニャー、得意技。ニャー、直ぐ着く」
返事も反応もしないヒュウラに、機嫌良く話し続ける。
「何処に着く、教えるね。ニャー達、住処」
55
木々に囲まれた広場に着くと、女は仕切りに鳴き声を上げた。同じような鳴き声がこだまのように聞こえてくると、女は声が返ってきた方向に歩き出す。
網に包まれているヒュウラは、網が伸びて地に引き摺られていても微動だにしない。暫く移動されると、獣道の先に洞穴が幾つも空いた土山の犇く場所に辿り付いた。
穴のなかから少年と少女が1人ずつ出てくる。女とよく似た金髪の髪と黄色い肌、頬に赤い三角形の模様が付いた見た目の子供達は女の傍に近付いてくると、満面の笑顔をして迎えた。
「ミュー。リング、帰ってきたミュ」
「ニュー。おかえりー、おかえりニュ」
「ニャー。ただいま。お土産、あるニャ。こいつ人質」
独特の鳴き声を上げる2人の子供は、女が担いでいる網の中にいる亜人の青年を観察する。双方無言で暫く見つめ合うと、女児が呟いた。
「こいつ、焼いて食べるニュ?ちょっと硬そう」
ヒュウラは目を大きく見開く。ニャー鳴き女は大きく被りを振ると、網を引っ張りながら歩き出した。同行しようとする子供達に返事をする。
「ククの所行く、人質見せる。ニャー、お願い、クク、聴いて貰うニャ」
女は土山が犇く広場を歩いていき、1番奥に掘られた洞穴の中に入る。狭い通路を這うように進んでは、ヒュウラを包んだ網を引っ張ってを繰り返す。横向きに倒れたヒュウラの片頬と半身に擦り傷が幾つも刻まれると、やがて辿り着いた天井が低い空間の中央に放り投げられた。網ごと転がって停止する間も、ヒュウラの顔に表情は現れない。
腰をかがめて静止している女は、最奥に座っている年配の男を見つめて一礼する。長い金色のおさげ髪を肩から垂らした老人も女と同じく黄色い肌に橙色の目をしており、両頬に赤い三角形の模様が施されている。
男はヒュウラを一瞥すると、低い声で独特の鳴き声を発する。応えるように女も一鳴きすると、男は女に話し掛けた。
「ミャー。コレは何だミャ?彼を出してやりなさい。リング、可哀想な事をしているミャ」
「ニャー。こいつ人質。自由にする、怖い。こいつ、足蹴り、凄く怖いニャ」
女は何度も被りを振るが、男は険しい顔をしながらヒュウラと女を交互に見る反応を示す。一鳴きした女は渋々中央まで移動して縛っていた網の端を解くと、ヒュウラは網を身体から取り除いた。自由になった身をその場で屈めると、周囲を見渡してから胡座を掻いて座る。
女は目を丸くしながら呟いた。
「ニャー。逃げない?変な奴」
ヒュウラは金と赤色の不思議な目を女に刹那だけ向けてから、男に話し掛けた。
「リング?」
「ミャ―。そう、彼女の名前はリング。そして私の名前はクク、ミャ。君の名前は?」
名を尋ねてきたククという名の男に、ヒュウラは直ぐに答える。
「ヒュウラだ」
「ミャー。ヒュウラ君だね、ミャ。名前は良いものミャ。亜人も他の生き物も、人間のように自分達で名前を付けるモノは多い。人間は知ろうともしないが」
リングという名の女は、眉を寄せながらヒュウラとククを眺めている。ククは長いおさげの金髪を手で触りながら大きく鳴き声を上げると、仏頂面で見つめてくるヒュウラに眉尻を下げて話し掛けた。
「コレは私達の種の生理現象だから、許して欲しいミャ。私達は人間に喵人(みゃおれん)と呼ばれている亜人。猫の人間という意味らしいミャ」
もう一声鳴いて、リングも一声鳴く。仏頂面のまま腕を組んだヒュウラに、リングは鳴きながら長の言葉に補足した。
「ニャー。猫、生き物、動物、居たニャ。でも絶滅した。理由はーー」
56
迷彩服の上に短い西洋鎧を付けた若い男が、身の丈と同じくらいの巨大な斧を担いで走ってきた。迎えたデルタは部下に礼を言ってから斧を受け取ると、足元に倒し置く。
「リーダー、これはヒュウラの斧ですよね?リーダーの予想は当たっていそうです」
「ああ、拉致されたな。しかも相手は凄腕だろう。斧を奪い捨て、しかもあいつの最も脅威である即死キックも封じて連れ去ってる」
不安そうに眉を寄せた部下の男を励ましてから、デルタは手に掴んでいる通信機の画面を見た。『世界生物保護連合』3班・亜人課の特別保護官兼、保護済超希少種の発信機と繋がっている機械から生体情報を確認すると、出血しているのか血圧が僅かに変動している事以外は、兼ね兼ね正常値で異常は見当たらなかった。
「一応今は無事なようだ。部隊に探しに行って貰っているが、一体誰なんだ?複数か、単独なら人間が出来る芸当を恐らく超えている。となると……」
「リーダー。彼の首輪にカメラとスピーカー、付いてますよね?思い付くだけのあらゆる機能を付けてくれと頼んで情報部に作らせた、特注の首輪型発信機だと聴いていますが」
デルタは五十音の最初の仮名を口から漏らして、目を大きく見開いた。冷たい視線を向ける部下の保護官の後ろから、ミトが真顔で近付いてくる。デルタは咳払いをしてから、通信機を操作して忘れていたスピーカー機能を起動させると、機械から独特の鳴き声が聞こえてきた。
3人ともに、眉を寄せながら声に聞き入る。暫くして男の保護官が、肩を落として口を開いた。
「ニャーニャー言ってますね。ミャーミャーとも言ってます。何ですか?コレ」
「リーダー。この声、何処かで聞いた事がある気がします」
ミトは真顔のままデルタを見る。返答を気迫で促してくる部下達に、上司は小さく溜息を吐いてから要求に応えた。
「気がする所か、其処ら辺で聞くぞ。猫だ。だがな、猫は既に絶滅しているんだ。だからこれは喵人という猫の亜人だろう」
デルタは通信機を一旦ポケットの中に収めると、左手の首を右手の指と平で包む。左手首を幾らか回してから、手を逆にして交互を回しながら説明を始めた。
「喵人は獣犬族のように凶暴な力は無い。ただ、強靭的に関節が柔らかいのが特徴で、垂直の壁を足だけで登ったり出来る。足首や指の関節も非常に柔らかいからだ」
「凄いですね……。ヒュウラもだけど、亜人って」
ミトは感心して呟く。デルタは話を続けた。
「人間以外の生き物は、人間には無い特別な力を持っているからな。兎に角、ヒュウラを拉致したのが喵人だって事は分かった。非常に厄介だな、何故ならこの種は」
「リーダー。そういえば猫って何故絶滅したのでしたっけ?」
男性保護官は、首を傾げながら質問を投げてくる。デルタは手首を回すのを止めて通信機をポケットから取り出すと、鳴き声を出している機械のスピーカーを切ってから部下に答えた。
「至極単純な理由だ。単純で、とても人間らしく罪深い」
「猫、昔むかし、人間、凄く愛していたニャ」
仏頂面で腕を組み胡座を掻いて座っているヒュウラに、リングは真横から説明を始めた。ククは長いおさげ髪を手で撫でながら、仲間の話に耳を傾ける。
「ニャー達、喵人、猫と同じ。人間、特別扱いしたニャ。何をやる、許す。人間、喜ぶ、下僕になる。自分より大事にする、無条件。溺愛する、猫と喵人、甘やかす。ずっと甘やかされた。だけど」
リングの口が閉じると、代わりに目が釣り上がる。ククが話を引き継いで言った。
「ある日突然、人間は猫に飽きた」
リングは再び説明役になる。
「数千年、甘やかした。突然飽きた。甘やかされた、猫、喵人、凄く増えた。人間、態度変えた。飽きたから、見たくない、殺す。今、ニャー達、見付かる、殺される。猫、どんどん殺された。人間、全部殺した。猫、絶滅したニャ」
ヒュウラは返事も反応もしない。リングは声を荒げた。
「ブニャー!酷い、思うよね!?喵人、人間、Gって呼ぶニャ!!G、意味、知ってる?!人間、勝手に嫌う、見付ける、どんどん殺す、黒い虫!!」
ヒュウラの顔に吐くパーツは全て微塵も動かない。赤い布に巻かれた腰のポケットの中に手を入れて何かを探し始めた彼を見て、リングは肩で息をしながら呟いた。
「人間、最低ニャ。ニャー、とっくに限界」
「そうか」
ポケットを弄りながら口だけを動かして答えたヒュウラに、ククは微笑みながら一声鳴いて声を掛けた。
「ミャー。そう、興味なんて持たなくても良いミャ。リングは違うだろうが、私達はそれを望んでいる」
ヒュウラの探し物がなかなか見つからない様子を、ククは穏やかな目をして見守る。苛立ちを貧乏揺すりで体現しているリングに顔を向けると、長い金のおさげ髪から離した手を胸の前で組み合わせた。
ゆっくり鳴いて、話し出す。
「ミャー。リング。お前が私達に願っている事は分かっている。だけど私達は全く望んで無い。だからヒュウラ君は帰してあげなさい。巻き込まれて可哀想だミャ」
「ニャー。だけど」
リングが口を開いて直ぐに、ヒュウラは漸く探し物に手が触れる。ポケットから取り出されたビニール袋に包まれた物体を見ると、ヒュウラの目が限界まで開いた。
透明な袋の中で、海苔付きの醤油煎餅が海苔だけ残して欠片と粉だらけの残骸に変わっている。袋の中でバラバラに砕けてしまった好物に、ヒュウラはショックを受けながら呟いた。
「煎餅……」
リングは怒りを消失させて反応する。
「煎餅?クク、煎餅、知ってる?」
「知らないがミャ、多分ソレは人間が作った食べ物ミャ」
海苔と残骸入りの袋を握り締めている青年の見た目の変化が目の開き方だけだが、気配に哀愁感が漂ってくる。リングは茶色い手袋を付けた指の間から見える人間の菓子を一瞥すると、俯いている青年の顔に憐れみの目を向けた。
「ヒュウラ、餌付け、されたニャ。人間、飼われる、駄目。ニャー達、亜人。人間と見た目、同じ。でも亜人、他の生き物、人間いらない。生きられるニャ」
ククは一声鳴いて、ヒュウラに話し掛ける。
「ミャー。まあまあ、ソレが美味しいならば幸せな事だミャ。ヒュウラ君、他に何か人間の作ったもので知っている事は無いかね?ミャ」
ヒュウラは気配を出すのを止める。煎餅からククの顔に視線を移して、無表情で答えた。
「神輿。担ぐと頭が狂う」
「ブニャー!神輿!!」
「フミャー!!何と恐ろしい凶悪な物を作ったんだ!神輿!!」
猫達は人間に戦慄した。