Bounty Dog 【アグダード戦争】15-16

15

「ヒュウラ、気が落ち着いたようで良かった。取り敢えず街から出ましょうね」
 ミトはヒュウラの首輪に手錠の片側を掛け、自分の左手首にもう片側を掛けた状態で相手を引っ張りながら街路を歩いていた。鎖が非常に長い保護組織特注品の亜人捕獲用手錠を使うのは久々だったが、ヒュウラに使うのは2回目だった。
 リードのように使うのは初めてだった。同じく保護組織が作った特注品である首輪型発信機に手錠を取り付けられたヒュウラは、連行される奴隷のようにミトに引っ張られて、ユラユラ身を揺らしながら顔を伏せて歩いている。
 ミトは疲労困憊していた。これ以上メンタルを何かに強く殴られてしまったら、己も心が壊れて喪失(ロスト)して、頭が狂ってしまいそうだった。
 今のヒュウラは相手の前方に居ても己を蹴ってこない。脅威になっていない。だが、目を背けたくなる程に哀れな状態になってしまっていた。
(此の街は危険過ぎる)
 絶対に死なせてはいけない死にたがりの亜人を引き連れて、ミトは地雷を踏まないように建物の壁沿いを歩いていた。ヒュウラが地雷を踏みに行かないように、手錠の鎖はお互いが歩ける最小限の長さだけを垂らし、残りは左手に巻き付けて握っていた。右手にドラム型弾倉付きのサブマシンガンを掴んでいる。
 ミトは用心深く壁に肩が付く程の位置を保って歩きながら、背後にいる護衛対象に話し掛けた。
「此処にあなたが探しているモノは絶対に無いから。”良い所”も嘘。保護対象(ターゲット)も、こんな危ない所には居ない」
 途中から完全な独り言になった。
「一刻も早く此の街を出る。街を出たら本当の”良い所”……安全な場所でヒュウラを隠して私も隠れて、コルクラート保護官に連絡して、それからーー」
 唐突に、強い気配を感じた。
 地雷を踏んだのかと恐怖して己を足を見る。ミリターブーツを履いた足には、砂漠地帯特有の赤みを帯びた乾いた土がへばり付いているだけだった。サソリや蛇等といった、人間にも命に関わる脅威を与える砂漠地帯の毒持ち動物達の姿も無い。
 背後に振り向く。ヒュウラは顔を伏せたまま両手をダラリと下げて大股で立っている。肉体と命は無事だった。念の為に相手の心拍数や血圧等々の生体情報を確認しようと、腰ポケットから通信機を取り出して画面を操作して、
 ミトは驚愕した。次のショックは小さかったものの、メンタルに引っ掻き傷が付けられる。ヒュウラの首輪が計測して発信している生体情報を数値で確認する機能が、持っているアンテナ付き通信機に備わっていなかった。
 ミトは機械の画面から目を離してヒュウラを見た。見た途端に、彼女は再三のショックを受ける。
 ヒュウラが壁の上から飛び掛かってきた謎の存在に襲われる光景を、目の当たりにした。

 ミトは絶叫しそうになった。ヒュウラを襲った人間のような影は、獣のような動きで獲物を押し倒すと、仰向けにした獲物の胴に乗る。
 足元に落ちていた石が騒動中に蹴り飛ばされて、遠くの地に跳ね落ちた。埋められていた地雷を作動させる。強い衝撃波と熱風と轟音が襲ってきたが、ヒュウラは一切反応しなかった。
 仰向けで倒れたまま微動だにしないヒュウラは、剥かれている金と赤の目で影を凝視している。影が大きな鳴き声を上げた。ミトは鳴き声を聴いて、影が亜人だと勘付いた。
 其れが、己が良く知っている亜人だとも直ぐに勘付いた。
「ニャー!ヒュウラ!ニャー、来たニャ!!」
 ヒュウラの胴に乗っている猫の亜人のリングが、音調の高い鳴き声を上げてから相棒の狼に話し掛ける。リングは愛嬌がある橙色の目でヒュウラを見つめながら、手でヒュウラの頭を優しく撫でる。もう一声鳴いてから、微笑した。
「ニャー。ニャー、お前、守る。此処、凄く怖い。でもニャー、守る。安心するニャ」
 リングはヒュウラの頭を両手で撫で回しながら、ニャーニャー鳴いてニッコリ笑った。壊れたヒュウラは元のヒュウラに戻っていた。仏頂面で、されるがままになりながら”友”を見ている。
 ミトは絶望していた。口から声を漏らすように、ぼやく。
「リンちゃん……どうして此処に居るのよ」
 直ぐに勘付いた。憤怒する。
「あの眼鏡女!本当に一体、あいつは何を考えているのよ!?」
「ニャー。ミトお。シルフィ、居る」
 のんびりとした態度で、リングがミトに告げた。ミトは猫の言葉を聞く前に、新たな気配を感じる。後頭部に硬い物が当たって小突かれると、振り向いた先に銀縁の眼鏡を掛けた長髪の女が立っていた。
 リングがヒュウラの胴に乗ったまま、片腕と鳴き声を上げて新参者に挨拶した。白銀のショットガンの銃口をミトに向けているシルフィ・コルクラートは、銃を下ろして微笑みながらリングに挨拶を返してから、部下の保護官に話し掛けた。 
「ラグナル、御苦労様。意外と早く合流出来たわね。デルタの導きかしら?」
 ミトはシルフィを激しく睨んだ。シルフィはミトを無視して、ヒュウラとリングに視線を向けている。
 猫の亜人は狼の亜人の胴から降りて、背中に回り込んでから狼の上半身を地面から起き上がらせた。胡座を掻いて座り出した狼に、猫は大きく一言鳴いてから、のんびりと話し掛けた。
「ニャー。ヒュウラあ、死にたい?」
 猫は直球で心境を尋ねる。
 ヒュウラは無表情のまま返事も反応もしない。リングは大きな声で一言鳴いた。言葉を続ける。
「ニャー。死ぬ、空、行く。空、クク、魚、デルタ、居る。多分会える。ニャー、お前の友。ニャー、残すな、死ぬな。ニャー」
 リングはヒュウラの額に自分の額をくっ付けた。ゴロゴロ喉を鳴らしながら相手の額を己の額で擦ると、額と頭部を相手から離してからヒュウラの頭を両手で再び撫でた。
 リングは橙色の目を細めながら、ヒュウラに言った。
「ヒュウラ、辛い。ニャー、元気、出させるね」
 リングは服のポケットを弄る。折り畳まれた生の白ネギを数本掴んで取り出した。
「ニャー。コレ、食う。ピリピリする、でも美味いニャ」
 猫は狼に、おやつとして持ってきたらしいネギを与える。
 亜人はネギでは死ななかった。ヒュウラは口に押し込まれたネギを食う。何処で盗んできたのか分からない野菜が突然登場して、地雷と爆弾にまみれた紛争地帯の街の真ん中でのんびり食うという、人間には理解不能の行動をし始めた亜人達を、2人の人間は真逆の態度をしながら観察する。
 リングは、死んだ目をしながらネギを延々と噛んでいるヒュウラを見て悲しそうに一声鳴いた。新たに数本のネギを相手の口に入れてやって、己もネギを数本食べて、ニャーニャー鳴きながらヒュウラの頭を両手で優しく撫でた。
 ミトは益々心が痛んだ。同時に気になった。ショットガンを背負って腕を組んでいるシルフィは、ヒュウラを甘やかすリングを放置したまま様子を見守っていた。
 壊れたヒュウラは、友とネギでは復活しない。噛み千切ったネギの塊をボタボタと口から零すように吐き出して、金と赤の目を不気味に剥いた。
 壊れたヒュウラの剥かれた目を見て、リングは叫んだ。
「ギニャー!お前、怖いニャ!!」
 シルフィが小さな溜息を吐いて動き出した。ミトの手から伸びている手錠の鎖を一瞥すると、亜人達に歩み寄る。
 困り顔をしながらウニャーと鳴いた猫を無視して、シルフィはヒュウラの眼前で中腰になって話し掛けた。
「行くわよ。ヒュウラ、私に付いてきなさい。貴方は何も考えずに、何もせずに私に付いてくるだけで良い」
 ヒュウラは金と赤の目を剥いたままシルフィを見つめた。壊れた狂犬の目を見ても、シルフィは全く動じない。
 シルフィはミトに指示をした。
「ラグナル、ヒュウラを引っ張りなさい。私が先導するわ。リングは一番後ろ。オニヴァ(行きましょう)」

16

 ミト・ラグナルは上司”面をしているだけ”の人間が最後に呟いた何処かの国の言葉が気になったが、無視した。人間の女2人・亜人の雌体1体と雄体1体で構成された現場保護部隊は、地雷原と化しているアグダードの街を移動する。
 シルフィを先頭に、ミト、ヒュウラ、リングの順で、縦に並んで歩いていく。ミトがヒュウラを引っ張りながら連れていた時と同じく、地雷を踏まないように壁沿いを歩いていた。
 今もミトは手錠でヒュウラを引っ張っている。ユラユラ左右に揺れながらミトに引き摺られるように歩いているヒュウラの背中を見ながら、リングが心配してニャーニャー鳴いた。ミトもヒュウラの様子を確認しようと時々振り返る。
 シルフィは部下の少女が振り返る度に、脅迫まがいの喝を入れてきた。
「私に撃たれて喪失(ロスト)したいの?前だけを向きなさい」
 ミトは喝を入れられる度に眉間に皺を寄せた。指示に従うが、底辺まで落としている相手への好感度は微塵も上がらない。
 シルフィは地雷原と化している戦争地帯の街を、まるで生まれ故郷の街を練り歩いているかように悠々とした態度で移動していく。当然彼女の生まれ故郷はアグダードでは無かった。弟のデルタにミトは直接尋ねた事は無いが、コルクラート姉弟の故郷は北東大陸の連邦国家の州の1つにある小さな田舎町だと、先輩保護官から非番の日の雑談中に教えて貰っていた。
 北東大陸は上部にある自然豊かな国を含めて平和な土地であり、自己責任の幅が広いものの治安も良い。本来の故郷とは真逆で治安が最低である南西大陸の紛争地帯を、シルフィは第二の故郷にでもしたいかのように何の恐怖も感じずに堂々と歩いていた。
 彼方此方で、地雷が何個も弾けて爆発する。爆発音が聞こえる度にヒュウラが立ち止まって、地雷が弾けた場所を見た。リングがニャーニャー鳴いて注意する。ミトはヒュウラが地雷に向かって走って行かないか心配だった。
 ヒュウラは相棒の猫から鳴かれる度に、地雷から目を離して歩いてくれた。だが目だけは不気味に剥かれたままだった。手錠のリードを少しだけ引っ張る。ヒュウラは散歩中の飼い犬ではなく人間の奴隷のように、首を強引に引っ張られながら付いてきた。ミトはヒュウラを己の前に歩かせて散歩中の飼い犬のようにしたかったが、ノロノロ鈍足で歩く彼は己の前に決して出てくれなかった。
 ミトは己のメンタルに限界を感じていた。己も頭が狂う機会を無意識に伺い始める。地雷がまた弾けた。ヒュウラと一緒に立ち止まって、地雷が弾けた方向を凝視すると、
 シルフィが振り向いて、ミトに話し掛けてきた。
「ラグナル。率直に聞くけど、貴女は此の土地に来て、どう思った?」
 ミトは我に帰った。ヒュウラもリングに鳴かれて地雷から目を逸らしている。シルフィは腕を組んで仁王立ちをしながら、己の顔を見つめてきていた。
 ミトは静止した。ヒュウラも静止している。シルフィは一方的に言葉の続きを話し出した。
「返事するしないは自由。だけど『酷い。有り得ない』と、ほぼ間違い無く貴女はそう思ったでしょうね?でも其れはエゴよ。貴女の中で無意識に染み付いている、エゴイスティックな考え」
 ミトは死んだ目でシルフィの顔を見返した。茶色の大きな瞳が、背後に立っている亜人の青年と同じように生気を失っている。
 シルフィは構わずに言葉を続けた。
「貴女だけが悪いんじゃ無い。そのエゴは此の土地の外では皆が持っている当たり前の”常識”。でも此処では、極めて”非常識”でイカレている考え方よ。例えば」
 シルフィは首ごと頭部を動かして、周囲を見渡した。1点に視線を固定すると、右腕を伸ばして人差し指で見付けた1点を示す。
 『見なさい』と無言のジェスチャーで指示されて、ミトは相手の指が示している場所を凝視した。ヒュウラとリングも同じ場所を見つめると、
 1キロ程離れた場所にある石の壁の上に、布の塊が1つ立っていた。

 鮮やかなピンク色の布を頭から被っている存在は、人間だった。直ぐに被っていた布を脱ぎ捨てて、頭部を露わにする。浅黒い肌と桃色の目をした、光の当たり具合で先端が薄い桃色に見える、独特の白髪を胸まで伸ばした若い人間の女だった。顔がある程度整っている美人である。息が止まる程ではないが、見惚れてしまう理想的な顔をしていた。
 千切れ割れた鎖が付いているブレスレットを嵌めた両手を大きく広げて、アグダード人の若い女は天に向かって声を張り上げた。放たれた言葉は、街に居る同族の人間達に対する懇願だった。
「もう争いを辞めて下さい!もう争いを辞めて下さい!!」
 女は綺麗な桃色の目から大粒の涙を零して必死に叫ぶ。何処かで爆弾が爆破する轟音が聞こえてきた。女が流す涙の量が増える。周囲には他の人間が1人も居なかった。
 シルフィとヒュウラは無表情で女を見ていた。紛争地帯の外部から来たモノ達に見つめられている女は、己が念願である他の人間から認知されている事に勘付かずに、孤独と戦いながら泣いて叫んだ。
「私の言葉を、誰でも良いから聴いて!お願い!私の言葉を聴いて!!争いをもう辞めて下さい!!こんな無駄な戦争、今直ぐに辞めーー」
 返事の代わりに、女に向かって1発のミサイル弾が飛んできた。
 故郷の人間達に存在を否定された女は、誰が送ってきたのか分からない狂気を全身で受け取って、瞬く間に燃えて粉々になって死んだ。

 ミトは驚愕と恐怖を同時に感じた、眼球が飛び出そうな程に目を見開く。己もメンタルが粉々になりそうになる。リングもミトと同じ反応をした。
 残りの1人と1体は全く違う反応をしていた。人間が目の前で虐殺された光景を見ても、シルフィはつまらない映画を見たような態度で、眉をへの字に寄せて口を開く。
 死者を言葉で愚弄し始めた。
「彼女、物凄くどうしようもないお馬鹿さんだったわね。アレは『私は此処よ。今直ぐに殺して』って言っているだけの、自殺願望者の幇助依頼にしか聴こえなかった。綺麗事を抜かしていたけど、戦場で戦いを止めろと軍の将校でも無い人間から突然言われても、誰も辞める訳が無い。あんな寝言を言ったら直ぐ戦争が終わると思い付けただけで、さぞや彼女は幸福で堪らない生涯だったのでしょうね」
 シルフィは微笑みながらヒュウラを見た。狼の亜人がした態度も死者を冒涜していた。大きな欠伸をして、眠気を喪失させようと頻繁に瞬きをしている。壊れていない彼も同じような反応をしたのだろうと、ミトは死者を哀れみながら想った。
 シルフィの口角が更に緩む。ヒュウラに話し掛けた。
「貴方も実は幸福だったんじゃ無いの?私達人間に保護される前の、密猟者に追われていた山の中での御気楽暮らし」
 ヒュウラは無表情のままシルフィを見た。シルフィは憫笑しながら言葉を続ける。
「心を壊す余裕なんて微塵も無かった筈よ。貴方が腑抜けたのは、保護されて人間達に甘やかされたから。慈愛なんか要らない実力と頭脳と運だけで生き死にが決まる世界、野生を良い加減に思い出しなさい」
 ミトが抗議をしようと口を開きかけると、シルフィは会話の対象を部下の少女に変えた。
「ラグナル。さっきの話の続きだけど、結論を言うわ。此の土地では貴女の持つ全ての常識は通じないと思って頂戴。また例えてあげるけど、私も貴女もリングも女よね?」
 ミトは、突然言われた言葉を意味不明だと思った。シルフィは部下の反応を無視して続ける。
「そう、ヒュウラ以外は皆んな女。ヒュウラは男の子だから過ごし易いかも。此処では貴方も私も、あの子が普段晒されてる危険に近いモノを体験出来るわ。だって私達、女だから」
 ミトの頭に大量の疑問符が浮かんだ。シルフィは再び周囲を見渡して、一軒の家らしき建物に向かって歩いて行った。直ぐ近くで崩れた瓦礫が当たった1個の地雷が弾ける。激しい衝撃波と熱風と爆破音を無視して、シルフィは汚れた木の扉の前に立つ。白銀のショットガンを手に掴み、青い両目の上に掛けている銀縁眼鏡を指で調整すると、ヒールを履いた足で扉を蹴り倒した。
 建物の中に、大勢の人間の男達が居た。浅黒い肌と白髪をしている汚らしい格好のアグダード人達から一斉に凝視されると、シルフィは微笑みながら優雅に挨拶をした。
「コマンタレブ(ご機嫌よう)、腐れ外道」