Bounty Dog 【14Days】 28-30

28
 
 肺が全力で酸素を全身に送り込む。忙しく前後する足の振動に負けじと胴が大きく前後する。小さな少年の身体も、その後を追う大きな2つの身体も疲労が限界まで蓄積されているが、マラソンの勢いは衰えない。鬼ごっこは延々と続く。
 カイは感覚が無くなりかけている足を高速で動かして距離を一気に離し、ショートブーツの踵を踏んで急停止をしてから振り向いて人差し指で空気を突く。大きく円を描くように5箇所を刺激した指で大きなミミズ文字を書き出すと、親指に引っ掛けて勢いよく、弾く。
 指は原子に当たっていない。風の吹かない空間に、濡れている袖から振り落ちる雫が靴に当たる小さな微音だけが響くと、眉間に小皺を寄せたカイに太った男が接近してくる。 
「さっきから指を目の前でぐるぐる回しやがって!俺は蜻蛉じゃねえよ!!」
「お前にしてるんじゃねえよ!原子に呼び掛けてるんだ!!」
 横に振られた鞭を膝を曲げてかわす。攻防者双方の服と髪から飛び散った水飛沫を見てから身を翻して再び走り出したカイを追う2人の男達の顔が、疲労と怒りでますます赤くなっている。
「待て待て待て待てー!!」
「バシのビシして、こんがり焼いてやるー!!」
 黒ローブの子供は、沼の縁にしゃがみ込んだ状態で追いかけっこの様子を眺めている。袖を捲り上げた小さな両手で沼の水をすくうと、微笑を浮かべた顔に付いた目の色が赤から水色に変わった。
(密集)
 荒くなった息を吸って吐いて、大きく吸ったカイの走る速度が徐々に落ちてくると、不気味な笑顔を浮かべた太った男と痩せた男が、横並びになってラストスパートの加速をする。横目で見たモノに惹かれるように向きを変えて走るカイの背後を捉えた痩せ男が鞭を振り上げて下す。距離が僅かに足りずに、攻撃は空振りする。
 カイの左手に掴まれている原子操作術の本が、汗と振動で地面に落ちかける。右手に本を持ち替えて白い鞄の中に本を押し込むと、焚き火の脇を通り過ぎてから、塩胡椒の小瓶と皿と串が乗ったアウトドア用のテーブルを両手で掴んでちゃぶ台のように投げ倒した。

 ハーブ入りの調味料が瓶から溢れて宙を舞い、何本かの串が芝生の隙間に突き刺さる。草を潰しながら重々しい音を立てて倒れた金属製のテーブルを折り目から内側に3つに折って、カイは中に逃げ込む。両手で上側になった2本の脚を引っ張って即席のバリケードの角度を狭くしていると、隙間から容赦なく2本の鞭が振られた。
 鞭が全身に当たって小さな裂け傷が無数に出来る。頬が裂けて血が顎から地面に雫を落とすと、カイは怒りに任せて咆哮のような声を上げた。
「痛い痛い痛いっつってるだろ!!これ虐待だぞー!大人気ないぞ、テロリスト!!」
「知るかガキ!怒らせるような事をするお前が悪いんだよ、クソ餓鬼!!都合の良い時だけそういう特権使いやがって。生意気なんだよ、エゴだエゴ!!」
「お前だって、禁止されているのを勝手に破るのはエゴだ!!」
「煩せー!!其処の焚き火で燃やしてやる!!」
 痩せた男が介助して、太った男が倒れたテーブルの天板に片足を掛ける。鞭を振るう、振るう。カイの頭が鞭でぶたれる。数回ぶってから、手を伸ばしてくる。
「塩胡椒をかけて、焼いてやる!!」
「串で刺して丸焼きにしてやる!良い加減にしろガキンチョ!!」
「うわああ!捕まるー!もう駄目だー!!」
 涙目で腫れた頭部を抑えるカイは、テーブルの脚を引っ張ろうとするが乗っている男の体重が邪魔をする。宙から伸びてくる大人の腕をうつ伏せになってかわしながら、天板の裏に目を這わせていくと、
 端に貼られている、製造シールを見付けて凝視した。
 銀色の四角いシールには、製造ロット番号と製造品番と寸法が縦並びに書かれており、最下部に製造会社の名前と連絡先。その間に材質が記載されていた。ーースチール。
「コレ、素材はスチールなのか。スチール、スチール……」
 カイは独り言を呟いて考える。ーースチール。元素記号はFe。ーー
 頭の中で、知的な青年の声が聞こえる。
(この技術で必要な『術式』は、ローグの遺した文献を頼りに解明するしか無い。それに人間の技術、科学の力を合わせれば)
 痩せた男は横からテーブルの脚を持って支え、頭上ではカイの髪を掴もうと太った男の短い指が三角形になった天板の隙間から伸びて忙しなく動いている。遠方の沼の淵で様子を伺っていた黒ローブの子供は、目を釣り上げて腕を伸ばす。が、短い思考をしてから直ぐに引っ込めた。水を再びすくう。
(”それ”も、密集)
 倒れたアウトドアテーブルを見て、目の色が黄色に変わる。
 天板に乗っている太った男の上半身が隙間から潜ってくる。左手でスチールの板を持って身体を支えながら、右手が頭頂部のツンツンと逆立っているカイの水色の髪を鷲掴みにして引っ張った。
「わははははは!引き摺り出して燃やしてくれる!!」
「痛いー!うわー時間が無い!!これは、どうだああ!!」
 頭から感じる強い痛みに半泣きになりながら、カイは人差し指で天板の裏側を突く。ランダムに5箇所を刺激してから勢いに任せて文字を書き、天板を指で弾き鳴らすと、
 スチールのテーブルは、黄色く光って金属の粉に変わった。

29

 破裂して飛び散った大量の粉を浴びて、衝撃と反動で大人達が吹き飛ぶ。髪から手が離れて、景色が広がり、反射的に前方に駆け出したカイは走りながら身体に付いた黒い粉を手で拭い取り、掌を凝視する。
 見開いた紫色の目で、走りながら背後に振り返る。黒い粉の小山の上に倒れた太った男と、その側で跪いている痩せた男も、自分と同じくらいの大きさの目になってお互いの顔を覗き合っていた。
 何処となく黄昏るような表情をして、呟く。
「兄貴。やっぱりコレ、凄くダセえよ」
 そして同時に思った。
(って、アレ?今、原子が反応してーー)
 呆然と金属の粉を見ながら座り込んでいた大人2人が、我に帰る。走り去っていこうとする少年の背中に顔を向けると、鞭を掴む手に力を入れて立ち上がる。
 駆け出すと直ぐに、焚き火の脇を通りがけに炎に鞭のボディを入れて熱を含ませる。細く燃え上がった武器を垂らしながら迫ってくる敵を確認しないカイは、再び目に涙を浮かべると天に向かって叫んだ。
「でもオレはやっぱり!空気から操作したいんだああああ!!」
「おんどりゃー、ビックリさせるなー!お前も手品師かー?!」
「子供騙ししやがって!焼きウィップでビシバシだ!待て待て待て待てー!!」
 燃える鞭を振り上げて、太った男と痩せた男が横並びになって追いかけてくる。再び始まった鬼ごっこが沼を半周する距離まで行われると、
 距離が近い場所に走ってくるカイに、黒ローブの子供が呼び掛けてきた。
「カイー!こっちこっち!」
 小さな指を揃えた手を前後に振って手招きをしてくる。真顔で顔を向けたカイに、子供は目を三日月形にしてにっこりと笑うと、濡れた手を振って水飛沫を飛ばしながら話し掛けた。
「何か既に出来ちゃってる感じもするけどね、ボクの思った通り。でも、ボクが教えた術式もカイに使って欲しいな!」
カイは片眉を上げた。子供は沼に袖をまくった両手を突っ込むと、バシャバシャ音を立てながら水を外にすくい飛ばした。
「水の原子の密集。えいえい、えいえい、えーいえーい」
 掛け声とともに両手で水をすくっては、カイに向かって延々と投げる。宙を飛ぶ楕円型の水の塊が数十センチ先の茂みに落ちて水溜りになると、足の速度を緩めずに小回りで大きな円を描くように移動し始めたカイは、不思議そうに眉を寄せる。
 いつの間にか水面に戻ってきている仏頂面のフナが、口を閉じたまま無機質な魚の目で2人の子供の様子を伺っている。黒ローブの子供は首を傾けると、もう一度すくった水を投げてから微笑を浮かべた。
「うーん、全然届かない」
 カイの背を追いかける大人2人も、釣られて回り始める。藪の上で円を描きながらぐるぐる追いかけっこをする3人がお互い挑発をし合っている光景を眺めていた黒ローブの子供は、握った右手の親指を立てて口元に当てると、燃えて真っ赤になった2本の鞭と、分厚い本を入れた肩掛け鞄を揺らして疾走する少年と、スチールの粉が付いた少年の手と、少年が着ている黄色い服の口の広い袖から滴り飛ぶ水滴を順番に見た。
 閃いて、カイに再び声を掛ける。
「カイ、丁度良いや。濡れてるその服、絞ってー!」
「は?絞る?」
「ついでにお前も捻って絞ってやるー!!」
「雑巾みたいに絞ってから、叩いて焼いてやるー!!」
 首を傾けたカイを追いかける男達も反応して、ぐるぐる回る鬼ごっこは数周行われる。
「水は、水の原子が『密集』して出来ているんだよ!」
 補足の言葉を受けて、カイは意味を理解して握った片手で開いたもう片方の手の平をぽんと叩く。目を輝かせながら着ている黄色い服の両袖を絞った。
「おお!成る程、了解!」
 片方ずつ袖を絞り、水で両の手を濡らす。スチールの粉が洗い落ちて綺麗な水が滴っている自分の手を見つめたカイは円から外れて直線上に全力疾走を開始する。一気に距離を離してから意を決して振り返ると、迫ってくる男達が手に持っている、少し冷めて燻んだピンク色になった鞭を指差した。
 ーー水の原子の密集。H2Oが密集している、水。それがオレの指に付いている。ーー
(何処を突いても原子は反応するよ。原子が手を繋いで君の指にくっ付いているから)
 黒ローブの子供は不敵な笑みを浮かべる。
 紫色の目を釣り上げたカイは、水濡れの人差し指で空気を突く。ランダムに5箇所を刺激してから5秒以内に術式を書き、2秒以内に文字を書いた空間を指で強く弾くと、
 手に付いた水が熱を放出して氷の粒に変わった。
 感動と興奮を覚えながら、同時に湧き上がる正義の念を解き放つ。宙に浮かぶ鉄砲玉ほどの大きさをした氷達を握ると、痩せた男が掴んでいる鞭のボディにぶつける。
 熱された金属に氷がぶつかり、強制的に冷まされて鞭は柄と同じ色に戻る。左手を使って行った操作術で新たな氷の粒を作り出し、太った男の鞭にもぶつけて危険因子を取り除くと、カイは歯を見せながら勝ち気な笑顔を浮かべた。
 突然の不可解な攻撃を受けて、男達は足を止めて呆然とする。理解不能と顔に書いている大人達に、カイが再び袖を絞ってから操作術で生成した氷の粒を顔に1個ずつぶつけてやる。頬から転がり落ちた冷たい水の原子の結晶を一瞥して、男達は少年を眺めながらぼんやりと呟いた。
「これも……手品?」
「空気から氷を作った。坊主はやっぱり、手品師?」
 カイは怒涛の勢いで反論する。
「手品じゃねえよ!!勘違いするな、オレは科学者だ!科学は0から1を生み出すんじゃねえ、1が持つ無限の力を引き出す事!!」
 目を丸くした大人達を指差し、不敵の笑みをする。カイは軽い霜焼けをして赤く腫れている自身の手を、誇り高く見つめながら声を張り上げた。
「オレがしたこの技は『原子操作術』!これは魔法じゃねえ!科学だ!!」

 口角を上げて微々たる笑顔をした黒ローブの子供はダボダボに緩い服の袖を肘まで捲り上げる。背後に広がっている沼の水面に右の手の平を向けると、ゆっくりと泳ぎ寄ってきたフナが、小さくて細い白い手の平を見上げるように水面から顔を出した。
「ぶつけるよー!素早く突いてね、カイ」
 瞳孔の濁った赤い目が灰色に染まって原子を”見”る。一本だけを下向きに垂らした人差し指で空気を5回軽く押し、文字を書き、親指で弾く。直ぐに右手を上げて前方を示すように人差し指を伸ばすと、
 指の先に発生した重力の粒が、沼の水を吸い込んで膨張し始めた。
 口を大きく開けたフナが、巻き込まれて球の中に吸い込まれる。全長が術者の背と同じくらい膨らんだ水の塊が宙に浮かぶと、目を細めた子供はカイに向かって右手の指を再び弾いた。
 巨大な水の球がキューで突かれたビリヤードの手玉のように勢い良く飛んでいく。横から突然の攻撃を受けた少年は開いた両足に力を入れて倒れないように踏ん張ると、宙で弾け飛んで帯のように広がった水の束を凝視する。
 眉を寄せ、目を開いて狙いを付け、水の中に手を入れて指でランダムに叩く。文字を書いて指で弾くと、青く光り輝いて反応し、活性した水の原子が、瞬く間に杭のように大きな氷柱になった。
 宙に浮かぶ氷の塊に、カイは感動と興奮を覚えながら声を漏らす。
「これは絶対零度による断罪、氷結天襲”リフレーズ・ロア”!……いや!!」
 ーーこれは原子の活性。こんな凄えダセえ必殺技名なんか要らねえや。名前が無くても十分、格好良い!ーー
 片手を上げて、鋭い視線を2人の密猟者に向ける。口をあんぐりと開けながら衝撃を受けている大人達を見ながら微笑むと、カイは勢い良く手を振り下ろした。
「お前ら!原子の力を、舐めんじゃねえ!!」
 合図を受けたように氷柱が天から襲いかかってくる。悲鳴を上げて尻餅をついた太った男の足元に氷の杭が突き刺さる。原子の結晶は瞬く間に溶けて元の沼水に戻り藪の中に水溜りを作ると、
 側でピチピチ跳ね飛んでいるフナに目も暮れず、涙目を浮かべて吃音気味に叫んだ。
「おおおお、お、俺は、ゆゆ、夢でも見てるのか?!もうたまったもんじゃねえ!!ズラかるぞおお!!」
「ままま、ま、待ってくださいー!!阿仁いさーん!!」
 尻を藪から持ち上げるなり慌てて退散を始めた太った男を、痩せた子分の男が追いかける。遠くで放置された焚き火は何時の間にか鎮火しており、鉄粉の小山と化したアウトドアテーブルだったモノも、風に運ばれてその場から少しずつ姿を消していった。

 平穏を取り戻した沼と藪と林の広場は、魚が草を折りながら尾を動かして飛び跳ねる音と、風がそよいで木木の葉を揺らして鳴らせる小さな音色が断続的に聞こえてくる。危機を乗り越えたカイは暫くぼんやりと大人達が去っていった方向を眺めていたが、両手の拳を握りしめてから膝を折り曲げ、中腰になった状態で目を閉じて眉間と口元に皺を寄せると、飛び上がるように勢いよく身体全体を伸ばして、満面の笑顔で歓喜の声を上げた。
「出来た!うわーやったー!!格好良い原子操作術が、空気から出来たあああああ!!」
「おめでとー、カイ。よくできました」
 フードを深々と被った顔から覗く目と口で微笑みを浮かべている黒ローブの子供から花丸を貰って、カイは更に喜び勇む。ピョンピョンその場で跳ねながら伸ばした人差し指を頭上でぐるぐると回し回して原子に感謝の念を送ってから視線をふいに下ろすと、
 必死に息をしようと口を開け閉めしている窒息寸前のフナに歩み寄り、尾を掴んで住処へと投げ返してやった。
「悪い悪い、死ぬ所だったな。もう水から顔出してくるなよー、危ねえからなー」
(カイって、ボクが思ってるよりも遥かに凄いのかも)
 大きな水音を出して沼底に帰っていく魚を見ながら、黒ローブの子供は思いにふけた。

30

「ボクの恩返しはこれでおしまい。元気でね、カイ」
 太陽が西に傾きかけている時刻の、2つの道が上下に並んでいる2人が出会った場所で、黒いダボダボのローブを着た子供は向き合って立っているカイに別れを告げる。子供より少しだけ背が高い水色の二つ括りの髪型をした少年は片眉を寄せて懸念を示すと、フードの隙間から微笑み顔を浮かべている相手に話し掛ける。
「本当にもう行くのか?オレの村、近くにあるから兄貴に言ってオレん家で泊まるとか、出来るぞ」
「ううん、大丈夫。カイは外すって決めてるもん、カイの住んでいる所も、家族も外すね」
「ん?何かよく分かんねえけど……了解」
 大きく首を上下に振って承諾のジェスチャーをしたカイは、徐に肩に掛けている白いメッセンジャーバッグに手を入れる。中の荷物を少し掻き混ぜてから、寝ぼけ眼をしたカエルのキャラクターが描かれた小さなペールブルー色のがま口財布を開くと、中から銀色の硬貨を取り出した。
 100エードコインを5枚、黒ローブの子供の手に握らせる。
「この金やるから、腹が減ったら食べ物買えよ。オレの小遣いだから少なくてごめんな」
「カイ、ありがとう。また恩が出来ちゃった、カイ大好き」
 大きな赤い目を三日月形に細めると、くるりとカイに背を向けて子供は歩き出す。素足をペタペタと地面に付けては離してカイの立っている道から土掘を経て上にある街道まで移動すると、カイは頭上に立っている子供を見上げながら大声で話し掛けた。
「何時でもまた遊びに来いよ!……あ!!そうだそうだ、大事な事あった!忘れるなよ!ちゃんと聞けよ!!」
 数秒沈黙してから、カイは再び大きく口を開く。
「さっき言ったテロリストだけど、あのおっさん達じゃ無さそう!だからなー、頭おかしい爆弾テロリストがこの大陸で暴れてるから、変な奴見つけたら直ぐ逃げるんだぞ!気を付けて家に帰れよー!!」
「うん、原子はボクの味方だから大丈夫」
 にっこりと微笑んだ子供は、物を掴んだ手を大きく振る。皺々のラップに包まれたハムとチーズと輪切りトマト入りのサンドイッチを見ると、カイは紫色の目を大きく見開いた。
「コレ貰っていくね!ちーず!」
「あー!そのサンドイッチは!?」
 無意識に肩掛け鞄を片手で押さえながら、衝撃を受けて呆然としたカイに子供は悪戯っぽく笑う。カイは呆れたように目を細めて大きな溜息を吐くと、再び大きく口を動かして声を掛けた。
「何時の間に盗んだんだよ。しょうがねえなあ!それ1回落としてるからな!ちゃんと焼いてから食うんだぞ!!」

 生乾きの服と身体の臭いを気にしながらアーチ形をした寒村の門を潜ると、カイは前方に兄を見つける。樫の木の杖を組んだ腕に挟んで仁王立ちをしているタクトは鋭い睨み目を向けると、笑いながら手を振ってきた弟に向かって怒鳴り声を上げた。
「カイ!!居ないと思ったら、また勝手に。何処に行っていたんだ、村から出るな!この大陸にはーー」
 カイは目を輝かせながら返事する。
「悪い悪い、ごめん兄貴。あのな、やっぱり空気から原子操作術は出来るぞ!!ローグみたいな凄え友達から、教えてもらったんだ!!」

 小さくて短い白い手が100エードコインを1枚摘んで太陽の光に当てている。黒ローブの子供は街道を港町の方角へ歩きながら、夕刻へ向かう直前の緩やかな日差しに反射する銀色の人工物を興味津々に眺めると、硬貨をダボダボの服のポケットに慎重に入れてから、頭に被っている刺繍入りのフードを指で上げる。
 左右に膨らみ伸びて、萎む被り物を少しずつ持ち上げていくと、大粒の数珠のような髪飾りが黒いバンダナの上に巻かれた銀髪が露わになる。小さな溜息を吐いてから子供は両手でフードを掴んで脱ぎ取ると、
 黒い大きな獣のような耳が、頭から生えていた。
 ショートカットの癖がない銀色の直毛と、顔の右側に垂れた数珠髪飾りとバンダナの端が、湿り気のある風を受けて靡く。顔を覆うものが無くなった中性的な容姿の黒獣耳の子供は鼻歌交じりに数十分歩いてから、立ち止まって手に掴んでいるラップ包みのサンドイッチを見つめる。
 萎びた具が挟まれた歪な形のパンに食欲が刺激されて、口から僅かに涎を垂らす。辺りをきょろきょろと見回して、道の側に落ち葉の小束と長い木の枝を見つけると、子供は何も持っていない方の手を数字の「1」を示す形にした。
「とんとんとん、えい」
 呟くような掛け声に合わせて赤い目が真紅に染まる。空気を軽く突き、宙に文字を書いて指で弾くと、空中で発生した火の玉が落ち葉に飛んで行って小さな焚き火になる。皺々のラップを外して丸裸のサンドイッチを拾った木の枝に突き刺すと、即席のバーベキュー串を火にかざしてじっくりと食べ物を焼いた。
 焚き火に土を掛けて炎を消し、チーズがとろけた狐色のサンドイッチを枝から引き抜いて口に法張る。片手に木の棒を持ったまま食事をしながら暫く歩いていくと、
 前方に、横倒しになった馬車と2つの人影が見えた。
 風に動かされて上部の車輪が空回りするカラカラという音と共に、肉が燃えて焦げたような強烈な臭いが立ち込めてくる。焼いたサンドイッチの具のハムが焦げているのかと思った子供は手に掴んでいる一口分だけ残ったソレを確認するが、ハムも溶けたチーズも胃の中に入り、焦茶色のパンの欠片が2枚重なっているだけになっている。
 不思議そうに首を傾げながら、足を止めずに前進を続ける。徐々に馬車に近付いて影の正体が分かると、
「……あー」
 記憶を思い出して、首を浅く振った。
 馬車の傍でしゃがんでいたのは、洞窟の先にある沼でカイが退治した密猟者達だった。
 生乾きの作業服を着ている痩せた男と太った男が横並びになって目の前の状況を観察している。恐ろしいものを見たように顔面蒼白になった2人は、うつ伏せに倒れている男らしき人間から目を背けてお互いの顔を見合うと、冷や汗を流しながら会話をする。 
「うげーエグいなー。この御者の首、爆発したみたいに無くなっちまってるぜ」
「荷台の麦やワインに全然手を付けてねえっすねー……馬は居ないですし、きっと荷物より馬の方が今は売れるんでしょうねえ」
「馬鹿!俺達は強盗なんかしねえよ!!ひゃーおっかねー。コレが噂の連続爆弾テロリストの仕業かあ」
 頭部のない死体に向かって、2人仲良く手を合わせて黙祷を捧げる。呪われないようにブツブツと念仏を唱え出した男達の背後にまで歩み寄ってきた黒獣耳の子供は、声を掛けながら痩せた男の肩を木の枝で叩いた。
「また会ったね、おじさん達」
 痩せた男が絶叫して飛び上がる。
「ぎゃあああああ!ひいいいい!!阿仁いさんの方を呪ってー!!」
「んだとオラ?!いきなり誰だー!何だおま……あー!お前ー!!って、あー!その耳いー!!」
 子供とその頭に生えた耳に気付いた太った男が指差ししながら腕をブンブン上下に振る。興奮して喚き始めた密猟者を子供は無表情で見つめると、痩せた男も黒い猫のような耳を指で差しながら叫んだ。
「亜人ー!!お前、亜人だったのか!?だからかあの、おっかなビックリ手品したのは!!」
「いやいや、亜人でもあんな魔法みたいな事は出来ねえだろ!……しかし、よーく見たらお前、可愛いじゃん」
「やっぱり嬢ちゃんなのかな?」「いや、坊主も子供って結構可愛いっすよ」と顔を寄せ合って話し始める男達を子供は仏頂面のまま眺める。親指を口元に添えて少しだけ考え事をすると、直ぐに手を離して独り言を呟いた。
「確かに、頭おかしい変な奴らだ。まあ逃げないけど……、
 “壊す”の簡単だし」
 素足でペタペタ歩いていき、指を伸ばしている痩せた男の目の前で止まる。子供が近付いてくる間に手を引っ込めた男は、眉を寄せて怪訝そうに声を掛けた。
「何だ?また手品だったら止めろよな」
「うん。さっきはカイが駄目って言ったから止めたよ。でも今は駄目って言われてない」
 微笑を浮かべた子供は黒い獣のような耳を折って開いてで数回動かすと、手に持った長い木の枝の先を痩せた男の喉に添えた。
 数秒停止してから、子供の目が真紅に染まる。枝で空気を数回突いて、小刻みに動かしながら声を出す。
「とんとんとん、えーいえい」
 不思議そうに子供を見つめる痩せた男を、太った男が同じような顔をして凝視する。大きく振られた枝が喉の前で寸止めされると、
 赤く光って活性した原子が、痩せ男の首を巻き込んで爆発した。
 肉が焦げる強烈な臭いと黒煙を上げながら、頭部が無くなった死体が仰向けに倒れる。目と口を限界まで開けた太った男は、子供と目が合うなり腰を抜かして地に付けた尻で移動を始める。微笑みながら近付いてくる子供に数メートル後退りをしてから腰を上げて背を向けると、太鼓腹を揺さぶりながら全力疾走で逃げ出した。
「ててて、テロリ……テ……ーー!!」
 背後で袖を捲った小さな腕が伸び、掴まれている木の枝が小刻みに揺れて、目が深い紅色になり、枝が大きく振られて、子供の掛け声が聞こえて、
 地につまずいて上半身を起き上がらせた男が、振り返って甲高い悲鳴を上げた。

 辺りに漂っていた焦げの臭いが一層濃くなる。ズボンを履いた膝から上が炎に包まれて丸焼きになっている死体から目を離すと、黒い獣耳の子供は倒れた馬車の荷台によじ登り、ワインと麦の入った麻袋を掻き分けて底から今日付の新聞を1部取り出す。
 荷台から飛び降りて、素足で歩きながら新聞を広げて読む。1面から3面までの主要ニュース記事は全て、今いる大陸で猛威を振るっている爆弾テロリストの事件について書かれている。子供は直ぐに興味を無くして木の枝と一緒に新聞を放り捨てたが、明日発行される新たな号の1面には、きっとこう見出しが書かれているだろう。『謎の連続爆破テロ 今度は寒村近くの街道。犠牲は3名 御者と客か』。
 ーーまあ、騒がれてるのは悪い気分じゃないね……でも。ーー
 黒い獣耳の子供は、小さな唇に親指を添えて思考する。
 ーーテロリスト。テロリストって何?ーー
(極悪非道の最低最凶の、悪い奴だ!!)
 命の恩人の少年の声が、頭の中から聴こえてくる。子供は声に答えた。
 ーーカイ。極悪非道の最低最凶なのは、『人間』だよ。この世界の動物や植物や、”ボクの種族”や……この星にある沢山のものを奪っているテロリストは、『人間』だよ。ーー
 殺戮現場を遥か後方に置き去りにして移動していくと、潮の匂いとともに前方に港町が見えてくる。両腕を真横に伸ばして手を大きく広げた黒獣耳の子供は短い直毛の銀髪と髪飾りを海風に靡かせて、鼻歌を歌いながら指をくねらせた。
 赤かった目が、真紅に、水色に、黄緑色に、黄色に、灰色に変わっていく。
「此処にも色んな原子が居る。ボクは、炎が好き。だって爆発して貰ったら壊れるから。人間が簡単に壊れるから」
 元の赤色に戻った目で空を見上げると、カモメが群れを成して雲の隙間を飛んでいく。高く、やや気の抜けた鳥の鳴き声を大きな耳を揺らして聴くと、子供は歯を剥き出して笑い出した。
「カイは大好き、カイは外すよー。だけどボク、外していない『人間』は全部壊すんだ!絶滅させちゃうよ!!あははははははははははは!!」

【14Days】続 31