Bounty Dog 【アグダード戦争】19-20
19
ミトはアグダード地帯に来てから、今現在が最も混乱していた。ただし今現在メンタルに受けているショックは破壊的なモノでは無い。希望だった。
壊れている筈のヒュウラが、己を”また”助けてくれた。片腕に己、もう片腕にシルフィを抱えて、脅威から”正常に”逃げてくれている。地雷を求めていた死にたがりが、死を与えようとしてくるモノに背を向けて逃げている。
(彼はパラシュートが焼けた時も助けてくれた。どうしてなのかは全然分からない。……だけど)
ミトはサブマシンガンを持った腕で、ヒュウラの首に抱き付いた。何も反応されない。首に付けられている機械から伸びているアンテナに、ミトは頬を擦り付けて嬉しそうに微笑んだ。
「待てニャ。ブニャー!置いて行くニャー!!」
リングがブニャブニャ怒りながらヒュウラを追い掛けてくる。シルフィは白銀のショットガンを抱えながら、ズレた銀縁眼鏡を指で調整した。己の胴を片腕で抱えながら彼方に向かって走り続けるヒュウラに顔を向けると、”正常”の状態になっているヒュウラが、仏頂面で口だけを動かして呟いた。
「嫌だ」
「ええ、そうね。アレは私も嫌だわ」
シルフィは目を瞑った。口角を上げる。ヒュウラは元に戻った訳では無い。直ぐにまた金と赤の目を剥き出すだろう。
シルフィは彼の『本能』が動いたのだと確信していた。生き物は例え心が壊れても『本能』は限界まで生きようとする。その本能を動かして生きようとしている亜人の青年に語り掛けた。
「貴方も私達も、安全で幸せなのが一番。だけどヒュウラ、忘れないで頂戴。貴方は亜人で、人間になっちゃ駄目よ。
貴方は野生なの。野生は自由よ、自由を思い出しなさい」
シルフィの言葉に、ミトが熱心に耳を傾けていた。ヒュウラの首輪のアンテナから頬を離して、後ろ向きにアグダードの街を一望する。
紛争地帯の街は、やはり独自の文化が色濃く残る美しい街だった。だが此の地は”戦争”という人間が齎している脅威によって、狂気があらゆる場所から噴き出している。此の街に住んでいる人間達も、当たり前のように狂気に支配されている。
ミトは再び思考する。
ーー此の世界に存在している狂気を生み出す存在は、人間。此の地を狂気の場所にしている原因も、人間。
人間は、同じ人間達も含めてあらゆる生き物の生き方を歪めている。他の生き物達は人間の事を、どんな存在だと思っているのだろう?アグダードの人達は、人間をどんな存在だと思っているのだろう?ーー
真顔で街を眺めているミトに、瞼を閉じているシルフィが声を掛けてきた。
「ラグナル。さっきの出来事を国際法違反だと考えているのなら、筋違いよ。戦争地帯での爆弾人間の逮捕の仕方なんか、うちの組織が作ったあの無意味な法律に書いている訳がない」
ミトは意地悪い笑みをする”眼鏡畜生女”に、睨み目だけを返す。シルフィは口角を更に上げて言葉を続けた。
「ラグナル、貴女も目覚めなさい。保護は”依存”じゃ無いわよ。ヒュウラは貴女のモノじゃ無いわよ」
「違う。私は」
抗議の途中で、右方向の彼方にある地雷が弾けた。ヒュウラが地雷に反応して右折した。
ミトは無表情から狂犬の顔に戻っている亜人の目に写った己の姿を見た。壊れたヒュウラの剥かれた金と赤の目が、やはり死を求めて爆弾を探している。
走る。走る。走る。背後から相棒の猫が鳴き声を上げて静止を促しても、ヒュウラは返事も反応もせずに目を剥いたまま走る。走る。走り続ける。
ミトは可笑しな行動ばかり取る亜人の青年の事が、理解出来なかった。壊れた『理性』と決して壊れる事が無い『本能』が、表裏があるコインのように回り変わりながら無意識に肉体の支配権を奪い合っている相手の精神状態に、国際保護組織に入隊して2週間足らずしか経っていない新人保護官は全く勘付けなかった。
一方で保護組織に所属して亜人達と10年以上関わっているベテラン保護官は、亜人のヒュウラに抱えられながら、瞼を開けてのんびりと周囲を見渡す。剥いた目をしながら地雷を探し求めている狼の亜人の顔を下から覗き込むと、微笑みながら亜人にアドバイスした。
「もう少し右ね、煙が見えたわ。塀を伝って行けば直ぐかも。気になるものを、早く見に行きなさい」
ミトは耳を疑った。リングが目を丸くしながらニャーと鳴く。シルフィは白銀のショットガンを愛おしそうに両腕で抱えた。再び目を瞑って己を捕獲している亜人に身を委ねる。
ミトもヒュウラにしがみ付いた。彼女は必死に相手の足を止めようと努める。顔を覆うつもりで己の体を動かしてみたが、抱えられた胴から上を自由に動かせなかった。静止を促す言葉を口から出す。仕切りに出すが、切り裂くように突然放たれた轟音に掻き消された。
地雷が何十個も弾けた。俊足の足が弾けた場所に向かって走り出す。リングが大きな鳴き声を何度も出した。ヒュウラは猫を無視して走る。走る、走る、走る。未だ弾けていない”己を殺してくれる”地雷を求めて、壊れた理性が絶対的な本能を抑圧して、目を剥きながら塀の上をひたすらに走る。
走って、走って、走って、走って。
突然ヒュウラは停止した。
狼の亜人は左側に首だけを動かして、顔の向きを固定した。シルフィは目を開けてヒュウラが凝視している方向を見る。ミトとリングも同じ方向を見つめた。
茶と、青と、橙色と、虹彩が金で瞳孔が赤い計8つの目が1点を見つめると、目線の先にある背の高い建物の一角に、布の塊達が居た。
其れは土と岩を使った独自建築の建物達が密集している街の神秘性にそぐわない、鉄で出来た大きな醜い建物だった。壁が無い10階建ての鉄塔の5階程の場所で、黒い布を被った人間達が犇き合って動いている。
ミトは生きて動いている布達の一部に不思議な感覚を抱いた。建物の周りに撒かれている地雷が仕切りに弾けている。力任せに鳴らされる打楽器のように、人間が地面にばら撒いた爆弾が崩壊したリズムを鳴らしながら地から砂柱と火柱を噴き出している。
建物の下層に骸を包んだ布達が転がり落ちていた。アサルトライフルと狙撃銃を掴んでいる大量の布が、塗料が塗られていない丸裸の鉄床の上で忙しなく動いている。幾つかの布が布の大群の中から建物の外に放り捨てられて、地面に落ちて地雷にぶつかって粉砕した。
(また命が喪失[ロスト]していく)ミトは心の中で呟いて顔を逸らした。
「戦争ね」シルフィも口に出して呟いたが、顔は逸らさなかった。
布達は2派に分かれており、布の群と布の群は殺し合いをしていた。銃撃音が聞こえてくる。音が止むと茶色い布の塊が2つ、布達の中から建物の外に向かって放り投げられた。
残っている生きた布達が一斉に動く。布達の上部が一斉に1点を見上げると、視線の先に鉄の階段があった。何時の間にか布の群から飛び出していた青と黒の布が1つずつ、縦に並んで上に上に登っていく。
ミトはヒュウラの顔を見た。建物を眺めているヒュウラの目は大きさが”正常”になっている。リングが不思議そうに布達を見ながら一声鳴いて、ヒュウラに向かってもう一声鳴いた。ヒュウラがシルフィとミトを腕から降ろすと、2人の人間と2体の亜人が塀の上で横に並んで、アグダードの布人間達を繁々と観察した。
ヒュウラは地雷に興味を無くしているようだった。ミトは隣に立っている亜人の青年の横顔を一瞥して安心した。
青い布が、階段の途中で止まった。高めの背丈をした人間が被っている艶がある布に砂漠の風と太陽の光が当たって煌びきながら揺れ動く。布の中からアサルトライフルと小さな黒い箱のような道具を片腕ずつで掴んで取り出すと、再び走り出した。
後を付いてきていた小柄な黒い布被り人間が、大声で中東の独自語を叫んだ。青布人間に静止するよう促している。独特の言葉を二言三言発してから、人間と亜人が使っている世界共通の言語を使って叫んだ。
「1人で行ってはいけません!撤退が出来なくなりますよ!!」
青い布が無視して階段を走り登っていく。追い掛ける黒い布が再び叫んだ。
「ハラス(止まって)!ハラス、軍曹!!」
青い布が漸く止まった。建物の屋上に着くと、何処からか放たれる機関銃の音が空間を盛大に騒がせている。
青い布が再び動いた。布が大きく揺れて片腕に掴んでいる箱のような物体を布に隠れている口元に添える。通信機らしき物体に向かって声を出していた。もう片腕も動く。アサルトライフルを掴んでいる浅黒い肌の手が、風を切って前方に伸ばされると、階下に居る黒い布達が一斉に動き出した。
機関銃の音が響く。建物の一角が爆発して、布を被った複数の人間達が死んで外に落ちていく。
青布人間が機械の箱に向かって声を発しながら屋上の端まで移動した。ヒュウラ達が居る側に近付いてくる。階下の黒い布達は建物の下に下に降りていった。青布の側に小柄な黒布が近付くと、
青い布を被った人間の目元がハッキリと見えた。布が長方形に切られており、浅黒い顔に澄んだ水色の目が付いている。
目も”青”かった。機械を布被りの耳に当てた青布の姿を見て、ヒュウラは己の目を大きく見開いた。見開かれた目は全く剥かれていない。亜人の感情が目と脳に集中する。彼は思い出していた。目の前で行われている人間の行動は、己が何度も見た事のある人間がしていた行動に酷似していた。
ヒュウラが見た青布は、彼の目だけ”あの人間”の姿になって写った。
ヒュウラは人間の名前を呟いた。
呟かれた名は、機関銃の銃声に掻き消された。
20
青い布が前方、黒い布が後方に斜めに並んで立っている。砂漠に吹く乾いた風が強く吹いて、2つの布を激しく靡かせる。
耳は爆発音と銃声に、肌は風が吹き飛ばしてくる砂と小石と地上から噴き出る地雷の炎による熱に始終襲われていた。機能が自由に働かない。目だけは自由に周囲の景色を見る事が出来た。
黒い布が青い布に向かって話し掛ける。
「軍曹。何か見付けられたのですか?」
軍曹と呼ばれた青い布人間は反応しなかった。布に覆われている耳に当てた黒い通信機で、建物を降りている別の布人間と連絡を取り合っている。
青布は踵を返した。布に開いている穴から露出している澄んだ水色の目が、眼前に居る黒布を見た。黒布も目元に長方形の穴が開いており、浅黒い肌の一部と薄紫色の両目が露出している。
水色の目の中に宿っている強く勇ましい眼力に、薄紫の目を持つ黒布人間は慄いた。水色の目を持っている青布が言葉を発した。絶え間ない銃声と爆発音でヒュウラ達には全く聞こえなかったが、言われた言葉を理解した黒布は布被りの頭を縦に大きく振って、独自語で返事した。
「インシャアッラー」
黒布は布を大きく揺らした。小柄な黒布は布から何も掴んでいない浅黒い腕を1本出して、やや大柄である青布の人間に向かって伸ばす。
伸ばし出している利き腕の掌を上に向けて、親指以外の指を軽く曲げた。相手の腕が差し伸ばされるのを待ち構えながら、黒布が言った。
「其方は危険です。直ぐに此方に」
青い布が動いた。差し出された黒布の腕と言葉を無視して歩き出す。耳に当てた機械で別の存在と会話しながら黒布の脇を通り抜けようとすると、
青布が突然バランスを崩した。何かに躓いて、うつ伏せで床に倒れる。黒布は足元に倒れた青布を見下ろした。青布の介助をしようと相手の上に覆い被さると、遠くからミサイルが1本飛んできた。
黒い布は空を見上げる。此方に向かって飛んでくる爆弾を見付けるなり薄紫色の目を見開き、露出させている手の指を曲げて親指だけを上部に突き出すと、大音量で悲鳴を上げる。
青布はうつ伏せになったままバタバタ手足を激しく動かしていた。青布の上に乗っている黒布は体が硬直している。空を飛ぶ爆弾が迫ってくる。黒布が見開いた目で人間が作った狂気の産物を見つめていると、
虚空を舞いながら振り落ちてきた大きな布が、黒布人間の視界を奪った。
鉄塔の一角に転がっているアグダード人の死体の1体から、布が剥ぎ盗られていた。彼方から放り投げられた茶色い布を頭から被って目の機能を突然奪われた黒布は、驚愕して混乱した。
同時に身が浮き上がって、勝手に動き出す。
視界を何にも奪われていない青布も、身が浮き上がって勝手に動き出した。己達を攫っていく影を見つめる。己を肩に担ぎ、先程己がしていたように手足をバタバタ暴れ振っている黒布の胴を腕で抱え持ちながら走っている影は、生き物だった。一目では人間だと思ったが、虹彩が金色で瞳孔は赤い色をしている、見た事が無い不思議な目をしている。
其の生き物は、若い人間の男のような姿をしていた。小柄で、身に張り付いているような真っ黒い服に、肩部分の形が左右で違う白銀の短い鎧、赤い腰布、カーキグリーンの革靴という珍しい格好をしている。更に”外から来た存在”だと分かる黄色い肌をしており、切り揃っていないざんばらな短い茶髪と不思議な目をしている人間と殆ど変わらない見た目をした生き物が、2人の人間を抱えたまま疾風のような速さで建物の屋上の端まで走ってから跳ね飛ぶと、
ミサイルが屋上に落ちた。激しい爆発が起きて、建物が瞬く間に崩壊した。
突然起こった映画のような救出劇に、建物から離れていた布達と彼方の塀の上に立っている見学者達は同時に驚愕した。走り出そうとしたミトを静止させたシルフィが、レディーススーツのポケットからアンテナが付いていない通信機を取り出して口元に添える。
己の隣から消えている、亜人の青年に向かって機械越しに叫んだ。
「ヒュウラ!貴方は一体、何をしているの!?」
ヒュウラの首輪から放たれた女の声を、彼の肩に担がれている青い布被りの人間が聞いた。屋上から飛び降りて宙を落下しているヒュウラは返事も反応もせずに上空から落ちてくる金属の板の1枚に足裏を付けて跳ね飛ぶ。別の建物の屋根に弾丸のような速さで着地した。屋根を足裏で砕いて小さな穴を開けると、腕で抱え持っていた黒布の人間を放り捨ててから、青布の人間だけを担いで塀に向かって走り出した。
屋根の上に置き去りにされた茶布被りの黒布は、仰向けのまま茶色い布を顔から引き剥がして太陽を見た。混乱したまま其の場で硬直する。ヒュウラは俊足で塀の上に飛び移って、彼方へと駆けた。街中に撒き散らかされた地雷の上に瓦礫が落ちて、次々に弾ける。ヒュウラは背後で破裂している爆弾達も全て無視した。仏頂面で人間を1人担いで走る、走る、走る、走り続ける。
肩に担がれている青布被りの人間は、己を連れて走っている謎の生き物が付けている首輪から放たれる声に再び耳を傾けた。
シルフィがヒュウラに向かって叫ぶ。
『ヒュウラ、聞いているの?!戻ってきなさい!!私は任務前に貴方にも言った筈よ!戦争に絶対関わるな!!これは彼らの闘い!!』
青布が便乗する。ヒュウラに向かって大声で言った。
「そうだ!これは俺達の闘い!邪魔すんなら容赦しねえぞ、滅茶苦茶な動きをしてるあんた!!」
ヒュウラは足を止めないが、反応する。口だけを動かして青布に返事した。
「死んでた」
青布の隙間から覗く澄んだ水色の目が大きく見開かれた。ヒュウラの背後から爆発音が鳴り響く。何処からか飛んでくるミサイルが次々に落ちて爆発していた。機関銃の音も鳴り響く。火の海が大きく広がりながら追い掛けてきている。
青布が背後を見た。”敵”が己を狙って攻撃をしている事に勘付いた。
澄んだ水色の目がキラキラ輝く。布から無線機とアサルトライフルを掴んでいる浅黒い腕を出すと、銃を掴んでいる方の腕でヒュウラにしがみ付いた。
水色の目が三日月形になった。命の恩人に礼を言う。
「そうか、お前は俺を助けてくれたんだな!すまねえ、凄え有難え!!」
ヒュウラは返事も反応もしなかった。彼の目は今も全く剥かれていなかった。
ミサイルという脅威が1人と1体を喪失(ロスト)させようと街の空を乱れ飛ぶ。ピンポイントでされる空爆で四方に広がっていく火の海を見て、塀の上に居たシルフィとミトもリングを連れて避難した。
青布被りの人間は、ヒュウラに指示をして相手の背に移動した。狼の亜人に背負われながら彼方の1点を凝視する。通信機のような黒い箱を掴んだ浅黒い左腕をヒュウラの目に付くように伸ばす。黒い機械は通話専用の無線機で、背面に鷲と星の絵が描かれた先進国の軍隊の紋章が彫られてる。
機械から伸ばした黒いアンテナを、指し棒のように前方に向けた。ヒュウラに『前進しろ』と無言で指示をする。ヒュウラは目を吊り上げて青布に無言で従った。青い布は機械を布で覆っている口元に添えると、仲間と連絡を取り始める。
1人のアグダード人を背負った1体の狼の亜人は、襲い掛かってくる火の雨と炎の海を背に置き去りにしながら走る、走る。眼前に湾曲した巨大な壁が現れた。ヒュウラは昨晩”無意識に”行ったように壁に向かって跳ね飛ぶ。緩やかなカーブを描いて建っている巨大な石壁を途中から登って、斜めから横に向かって走った。
機関銃から放たれる無数の弾が、亜人が通り過ぎた地に無数の小穴を開ける。ヒュウラが再び塀の上に跳ね飛び乗って走り出すと、青布が口に添えた機械に向かって独自語の言葉を叫んだ。遠くにある高い建物の1つからアサルトライフルの銃声が聞こえてくる。穴のような窓から茶色と灰色の布の塊が次々と放り投げられて落ちていく。地雷と兵器が爆発する轟音も鳴り響く。
青布の仲間の黒布達が、青布の指示を受けて奇襲者に逆襲していた。仲間達に指示をしている青布を背負いながら、ヒュウラは全速力で走る。ミサイル攻撃から逃げるヒュウラの背に乗った青布が機械越しに仲間達に指示をして、仲間の黒布達が建物から建物に移動して攻撃元を討っていった。やり取りが数回繰り返されると、弾丸と爆弾がヒュウラと青布に飛んで来なくなった。
攻撃が完全に止んだ。ヒュウラが塀の上で停止する。青布を背負ったまま無表情で暫く立っていると、黒布達の1人らしき人間の男が青布の持つ機械越しに、世界共通語で『殲滅しました』と、伝えてきた。
塀の根元に避難していた2人の保護官達と1体の猫の亜人は、塀の上に登って彼方の塀の上に立っているヒュウラ達を眺めた。ミトは通信機を両手に握り締めている。リングは手を大きく振りながら大きな声でニャーと鳴いた。
目に掛けている銀縁眼鏡を指で調整したシルフィは、ヒュウラに背負われている青い布を頭から被った人間を凝視した。布被り人間はヒュウラに耳元で何かを言っている。ヒュウラが無表情のまま口を動かした。「御意」と言ったと判断したシルフィは、掴んでいる白銀のショットガンの銃口をヒュウラの足に向ける。
直ぐに銃を下ろした。シルフィは真顔で亜人とアグダードの現地人だろう布被り人間を凝視する。青布を背負ったヒュウラが、此方に向かって走ってきた。塀の上を暫く走ってから跳ね飛んで、低めの建物の屋上に飛び移ってから中程の位置で急停止した。
ヒュウラと青布が建物の屋上に居た黒布の集団に囲まれた。様子を見ていたミトが目を大きく見開く。手に掴んでいる通信機から幾多の声が聞こえてきた。ヒュウラが首輪の背面に付いているボタンを指で押して、通信機と首輪型発信機に付いたスピーカー機能を連動させて己の周囲の音を聞かせているようだった。
ミトとシルフィの通信機から聞こえてきたのは、布達の騒めく声だった。小さな金属音も連続で聞こえてくる。安全器(セレクター)が指で弾かれる音だった。ヒュウラに大量の突撃銃の銃口が向けられていた。
黒い布の1つが、ヒュウラに向かって大声で怒鳴る。
『シャイターン(悪魔)!軍曹を離せ!!軍曹、直ぐにそいつから御救いーー』
怒鳴り声が途中で止まった。金属音が1回響く。ミトとシルフィは通信機から聞こえる音と声に耳を傾けた。リングがヒュウラの居る建物に向かってもう一度ニャーと鳴くと、機械から新たな声が聞こえた。
声の音調がやや高い若い男が、布達に向かって己の突撃銃の銃口を向けながら野蛮な言葉を返した。
『俺の恩人を”掃除”してえだと?上等じゃねえか、ド一流ゴミども』
ミトとシルフィとリングが建物を凝視すると、布達がヒュウラと青布から離れていく様子が見えた。進路を開かれたヒュウラは青布を背負ったまま走り出す。俊足で保護官達が居る塀の上に戻ってきた狼の亜人は、背負っている青い布被り人間を己の横に降ろした。
頭から被って全身を覆っている青い光沢のある布を砂漠の風に揺らしながら、布被り人間はミト達を一瞥した。浅黒い肌に付いている水色の目に睨まれて、ミトは身を硬直させる。青布は直ぐに横に立っているヒュウラに顔を向けた。水色の目が放つ気が威圧から柔和に変わった。
三日月形になった目で、青布はヒュウラに話し掛ける。
「改めて礼を言わせてくれ!助かった!あんな所でおっ死ぬ訳にはいかねえんでな!!」
仏頂面のヒュウラは、返事も反応もしない。青布は視線を黒布達が居なくなっている建物に向けると、独り言のように呟いた。
「部隊も大分減っちまったが、壊滅は免れたようだ」
青布被りの人間の男は浅黒い手で掴んでいた無線機を布の中に入れると、ヒュウラに再び柔和な眼差しを向けた。声を出してケラケラ爽やかに笑う。程無くして、黒布達が塀の根元に集まってきた。塀の上で仁王立ちしているシルフィは、塀の根本からアサルトライフルを突き出してくる布達を真顔で見下げた。
黒い布を頭から被っている人間達は、塀の上でヒュウラの横に立っている青い布人間と同じく、布の目元だけを長方形に切り抜いて露出されていた。中東の女性が身に付ける宗教衣装『ニカブ』に似ていたが、塀の一角と塀の根本に居る布被り人間達は、全員男性のようだった。
アサルトライフルを手に掴み、手榴弾の安全ピンの輪が布から飛び出ている。男達はシルフィが想定していた通り、アグダードの兵士だった。
兵士である黒布の1人が、己達の部隊の長らしき青布に向かって尋ねる。
「軍曹。彼らは一体?」
布の前で浅黒い肌をした両腕を組んでいた青布は、振り返るなり威圧的な態度で部下に応えた。
「言っただろが、恩人だ。但し、俺の隣にいるコイツだけだ。他の奴らは知らん」
ミトとリングは黒布達と青布を交互に見ていた。リングは首を傾げながらニャーニャー鳴く。ヒュウラは無表情で青布だけを見ていた。金と赤の目は青布を、今は”青い布を被っている人間”としか認識していなかった。
青布は組んでいた浅黒い腕を解いて、右手に掴んでいるアサルトライフルを肩に乗せた。捲れた布の隙間から現れた黒い長ズボンと同じ色のミリタリーブーツを履いた足が大股に開かれると、傭兵を彷彿とさせるポーズをした青布は、少し音調が高い少年のような声で黒布達に指示をした。
「色々ヤベエ事が起っちまったが、コレで予定してた”ゴミ掃除”は全部終わったな!んじゃあテメエら、ちゃっちゃと寝ぐらに帰んぞ!俺の隣に居るコイツに恩返しもしてえ!!」
「インシャアッラー(了解しました)!軍曹!!」
黒布達がアグダードの独自語で一斉に返事した。軍曹と仲間達から呼ばれている青布がヒュウラの肩を叩いて動作を促すと、ヒュウラは動作だけで答えた。布と狼が一緒に塀から飛び降りる。
地雷が弾ける音が響いた。だが、弾けたのは遥か遠くの地でだった。爆弾が弾けても全く動じない青布が黒布の群が居る側に振り向くと、背中越しにヒュウラの両肩を掴みながら、塀の上を見てきた。
青布が睨み目だけでしてきた『降りてこい』の命令に、保護官達と猫の亜人が応じる。全員塀から降りた。布の中に混ざって緊張するミトとリングの横で、ショットガンを背負ったシルフィは開けたままだったカッターシャツの第一ボタン以外を止めた。布達は、ふしだらな格好をしていた女に誰も興味を示さない。青布もヒュウラにしか興味を示していなかった。
青布がヒュウラを背中から押して前進を促す。青布に従って他の布達とも一緒に歩き出したヒュウラを、ミトは慌てて追い掛けた。リングも追い掛ける。シルフィも腕を組みながら歩いて付いて行った。青布と狼と黒布達と保護官達と猫が塀に沿ってゾロゾロ歩いていくと、
青布が、唐突に大きな声で呟いた。
「そうだ。コレも、ヤベエくれえ凄え大事だった」
ヒュウラの肩を掴んで振り向かせる。無表情の亜人の青年に青布は布から出している水色の目を三日月形にして笑うと、青い布を頭から鷲掴みにして己から勢い良く剥ぎ取った。
青い布の中に隠れていた人間の姿が露わになる。布から出てきたのは、浅黒い肌をした20代中頃の見た目をしている若い人間の男だった。細身だが、程良く鍛えられた筋肉が全身に付いている。頭部に紺色のアラビアターバンをヘアバンドのように巻いており、右の二の腕にも紺色のバンダナを結んでいる。ターバンから出ている髪は光の当たり具合で薄い水色にも見える白髪で、短くざんばらに切っていた。真っ黒い長ズボンとミリタリーブーツを履き、象牙色の麻の半袖服の上に左胸に硬貨が収まる程の穴が開いている半壊したスチール製の肩当てが無い短い西洋鎧を付けている。
清らかな水のように澄んでいる薄青の目が最も印象的だった。少年のように大きい目だったが雄々しい強さが瞳の中に宿っており、強さと共に純粋さも瞳の中に宿っていた。
男の仲間達が全員驚愕する。ミトとリングも驚愕した。猫がニャーと鳴き声を上げると、黒布の1人が青布から出てきた男に、悲鳴のような声で尋ねた。
「軍曹!いきなりあなたは何を!?」
男は不敵の笑みを浮かべる。何の反応も示さずに己を無表情で見ている狼の亜人に満面の笑顔を見せてから、困惑している仲間達に向かって言った。
「コイツは俺の命の恩人!姿を隠しちまう無礼なんか出来ねえよ!!」
【アグダード戦争】続 21