Bounty Dog 【Muchas gracias. Te amo.】 15-17

15

 ナスィル・カスタバラクが産まれて初めて己の家の外に出たこの日、彼は家の外にあった此の星の上にある世界の、余りの広大さに驚愕した。
 絵本と両親から聞く話以外の世界を一切知らなかった箱入り息子は、”自由”になってからした事の殆どが初めて経験する事ばかりだった。
 最初にしたのは、初めて出来た”友”という存在と一緒に走る事。次にしたのは、その友と食べ物を食べる事。誰かと一緒に寝る事。夜の町を照らす人工の光を見る事。空と雲と星々の光と、太陽の光を見る事。
 殆どの人間と他の生き物達が当たり前のようにしている事を、ナスィルは此の世に産まれて7年も経ってから漸くする事が出来た。
 彼を自由にした”友”は、ナスィルが起きてから数十分後に起きてきた。ジャック・ハロウズは鶯色の目を緩ませながら空を見上げている友の横顔を同じ色をしている己の目で眺めながら、やはり彼は物凄く綺麗な人間だと思った。
 彼は神が此の世界に作った数多の命達の中で、最も美しい顔をしている。ジャックは其れでは無く、非常に薄い笑顔をしているが、初めて見る空と太陽に魅了されている相手の姿がとても純粋で綺麗だと思った。
 ジャックはナスィルに話し掛ける。
「おはよう、ナシュー。此処ちょっと寒かったね。風邪引いてない?……良かった。
 じゃあ明るくなったから、もう行こうか。町を歩きながら、これからの事を考えよ?ぼくは未来の国際警察官。だから安心してね、ナシューはぼくが護るから」
 満面の笑顔をしながら、ジャックは自信満々に言った。将来なりたい夢という憧れの未来が挫折を経て延々と心の中で降り続ける凍える冬の雪に変わっておらず、夏の夜に見れる天の川のように空に浮かんでキラキラ輝いている少年は、友の手を掴んでから、体力が少ない相手の身体に無理をさせないように祖国の郊外にある小さな町を探索し始めた。

16

 ジャックは予定通り、己を拾って育ててくれた先生達が居るハロウズ孤児院には行かなかった。ナスィルを連れて、先ずは町の何処かにあると思う本屋か案内看板で地図を見たいと思って移動する。
 交番を見つけたが、交番には近付かなかった。ジャックは将来警察官になる事を夢見ているが、今の己が会いたく無い人間も警察官だった。犯罪はしていないと確信している。己は『家の外に出たい』という友達の願いを叶えただけだった。人殺しをして欲しいとか物を盗めとか、自殺しろと命令したり爆弾を巻き付けて自爆しろと命令するといった非人道的なものでは無い。
 『1人でもう居たくない。外に出て他の子供達と遊びたい』。己と世界中の他の子供達は当たり前にしている事を、未だ出来ていない友達に願われて叶えようとしているだけだった。
 犯罪というものは、6割は絶対に犯してはいけないと世界中の誰もが確実に判断するモノである。だが人間達が例え法律で厳しく縛ろうとも”犯罪”だと認識するのが人によって曖昧なモノは、4割もある。更に犯してはいけないと誰もが思う6割の事すら、犯罪だと充分理解した上で『バレなきゃ無罪だ』『逃げ切れば無罪だ』と勘違いして実行するエゴイストの人間達は、どの国でもどの時代でも、我々が生きている世界でも後を断たなかった。
 ナスィルの両親も、動機は純粋だったがやり方が極端に歪んでしまい、そのようにしている人間達だった。養子の少年も実の息子も、2人がし続けている大罪を未だ完全には知らない。ぼんやりにはなってしまっているが2人共に、未だタラルとビアンカを”良い人”だと思っていた。

 タラル・カスタバラクとビアンカ・カスタバラクの大罪については全く勘付かなかったが、ナスィルに宿っている悲劇的な能力に関しては、無効能力持ちのジャックも直ぐに勘付いた。
 未だ7歳の子供であるにも関わらず、彼は産まれた時から既に美の頂点に君臨していた。ジャック以外の生き物はナスィルの顔を見た瞬間に、余りにも美麗過ぎる故に緊張し過ぎて息が全く出来なくなる。
 先ず小鳥が数羽、空から地に落ちて痙攣した。次に通り掛かった10代のカップルが2人ともナスィルの顔を見るなり大いに驚愕してから、女の方が黄色い声を上げて倒れ、男の方も黄色い声を上げてから、嫉妬を瞬間で通り越して性癖もやや歪んでから倒れた。
 気絶から目を覚まして起き上がってから間も無く、子供だったが余りにも格好良過ぎる理想の顔の人間を見てしまったカップルの両方が、平凡な顔をしたお互いに興味を一気に無くして恋愛に終止符を打った事を、このモブ達と何の関係も無い子供2人は生涯知る事は無い。だが擦れ違った他の人間と生き物達も次々と驚愕させて窒息させては気絶させまくる『生きた窒息兵器』に、唯一幾ら彼の顔を見ても呼吸が簡単に出来るジャックは、己だけが本当に特別なのだと理解した。
 ナスィルが大きな溜息を吐いて、パジャマのポケットから折り畳んだ紙袋を出す。広げた果物屋の紙袋を頭に被ってから、目が被さる部分に穴を2つ開けた。
 再び紙袋ロボットに変身した友に、ジャックは眉をハの字に寄せながら話し掛けた。
「ナシュー。君が言ってた事、本当なんだね。鼻の所も穴、開けて良い?君も息がし難いでしょ?」
 許可を得たので、鼻の部分にも1つ穴を開けてやった。ナスィルが落ち込んでいるのが態度で分かったジャックは気分転換をさせたいと思い、本屋と看板を探す前に”あの場所”に行く事にした。

 其処に行く前に少し寄り道をする。祖国は今、6月の下旬だった。梅雨が無く快晴の日が多い、ジャックとナスィルの生まれ育った北西大陸南西部にある此の国は、6月から真夏のように暑い国でもあった。
 気温がグングン上がっていく中、ナスィルと己が熱中症を起こさないように、ジャックは町の一角にあったジェラート屋に立ち寄った。小麦色の肌と少し長い茶髪をしている陽気な大人の人間の男が、美味しそうな柔らかい氷菓子が入ったショーケースの後ろに立っている。
 ジャックは店員の男性に祖国の独自語で挨拶してから、様々な色と味付けがされているショーケースの中のジェラート達と、値段が書かれた札を見た。『1フレーバー・300エード。ハーフ&ハーフ・250エード』と値札に書いていたので、ジャックはハーフ&ハーフにすると店員に伝える。
 先に代金を支払ってから、ジャックは物珍しそうにショーケースを眺めているナスィルと食べたいフレーバーをそれぞれ選んだ。店員の男性に告げると、手際良く薄い木のカップに半量ずつ入れてくれる。
 木のスプーンを2つ刺してから、陽気なジェラート屋の店員はニコニコ笑いながら両手を伸ばしてきたジャックに、自慢の氷菓子を渡しながら話し掛けてきた。
「はいどうぞ!ハーフ&ハーフで、ピスタチオとハイビターチョコレート!大人だね!!ハイビターのチョコレート味が食べたいなんて……その」
 ジェラートを受け取ったジャックの隣に居る少年に視線を移した。言葉を続ける。
「ロボットみたいな子。何で紙袋を被ってるの?」
「グラシアス(ありがとう)!おじさん!!この子はナシュー。あのね、事情があってーー」
 ナスィルが無言で紙袋を取った。ジェラート屋の店員は美の頂点の顔を見て他の生き物達と同じように、驚愕してから瞬く間に窒息して倒れた。
 ジャックが慌ててナスィルを叱る。
「あーもう!顔出しちゃ駄目だよ、ナシュー!!ぼく以外は君の顔を見ると、息が出来なくなっちゃうみたいだから!!」
「知ってる。俺が君に教えたんだ」
 ナスィルは再び落ち込んでいた。紙袋を頭に被って俯いている。ジャックは此の星の生き物で1番綺麗なのに物凄く可哀想だと思う”不自由”な友達に同情しながら、相手の肩を掴んだ。
 氷菓子が溶けない内に、目的地に向かって早足で移動する。遠くからパトカーの音がした。そんな気がしたが、ジャックは歩みを止めはしなかった。

17

 パトカーは町では無く町から少し離れた、とある大きな建物の前に止まっていた。響かせていたサイレンを止めて、紺色の警察用の車から同じ色の制服を着た人間の男が出てくる。
 タラル・カスタバラクは朝に目覚めて直ぐの時から自宅で起こった異変に気付いていたが、仕事を休まずに出勤していた。無線で他の警察官達と連絡を取りながら、扉を開けて建物の中に入っていく。
 ステンドグラスの窓が玄関扉に付いている西洋宗教の教会のようなその建物は、教会では無かった。外の壁に掛けられている看板に、祖国の独自語で『迷える子羊達を迎える場所。ハロウズ孤児院』と書いている。
 タラルは玄関から通路を歩いていくと、シクシク泣く複数の子供の声を聞きながら、粘り気のある液体が水溜りのように広がっている床を踏んで、大きなダイニングルームに侵入した。
 西洋宗教で崇拝する神を示している偶像の1つである大きな十字架が壁に掛けられているその部屋は、沢山の玩具が散乱していた。併せて今は血も大量に散乱している。人間の大人と子供が数十人、死体になってカーペットや床の上に転がっていた。
 タラルは手に、自宅から持ってきた軍隊用のショットガンを握っている。胸に付けている小型の無線機が振動した。片耳に付けているイヤホン越しに、部下の警察官の声が聞こえてくる。
『カスタバラク警部補。ハロウズ孤児院で殺人事件が発生したと報告を受けました。状況は如何ですか?』
「……いや、捜査は不要だ。此の国の恨むべき”自由”がまた使われてしまった」
 タラルの緑色の目が、眼前に居る”生き残り”の孤児と孤児院の職員達を見つめる。捕虜のように縛られているハロウズ孤児院の大人と子供達は、神に助けを求めるとショットガンの弾で撃ち殺され、泣き喚くとショットガンの弾で撃ち殺される理不尽に逢っていた。
 理不尽な殺戮をしていたのは、この国を悪人から守る仕事をしている筈の人間だった。本当の夢は敵国の人間達を大量に殺して英雄になる軍人だったタラル・カスタバラクは、家族旅行の後でしている”何時もの嘘”を、例え国から許されていようが1度も犯罪をした事がない真面な警察官の部下達に向かって、平気で吐いていた。
 己がしている新たな殺人事件を『1回目の重犯罪をした架空の犯罪者による惨殺事件』に平然と擦り替えた。タラルは拘束された状態で無言のまま睨み目を向けてくる、ハロウズ孤児院の院長である老婆に話し掛ける。
「ナスィルは何処だ?信じられない程に美人の男の子だが、俺の息子だ。此処に俺と俺の妻がナスィルの影武者に選んだあの糞餓鬼と居るだろ?ジャックと一緒にさっさと出せ」
「……実のお子さんが居たんですね。ジャックが影武者って……」
 孤児院長はゆっくりと口を開いた。拘束されて怯えている生き残りの孤児達をあやしながら、狂気を纏う奇襲犯に伝える。
「やはり神が私になさっていた、貴方がたはディアブロ(悪魔)だという囁きは正しかった。ジャックと貴方のお子さんは此処には居ません。本当です。……どうか」
 老婆は口を少しだけ閉じてから、再び開いてタラルに言った。
「罪を重ねてはなりません。子供を殺す事は、神が何よりも許さない罪。重ねれば重ねる程に早い時期、神が貴方に雷(いかづち)を浴びせるでしょう。貴方の魂を存在ごと消し去る、裁きの雷を」
 ショットガンの銃口を向けられても、老婆は怯まない。子供が2、3人またタラルに撃ち殺された。老婆は大粒の涙を流しながら、罪人に訴える。
「ナスィル君と仰いましたね。貴方はその子を深く愛している。其れは子を捨てる親が多い此の国ではとても素晴らしい想いです。ですが貴方がたも、子供の愛し方と護り方を根本的に間違えています。
 子は親や周りの大人達の生き様を見て、様々なモノを学びながら自らもやがて大人になります。だけど貴方のお子さんは、貴方がたでは無い大人の背を見て成長すべきです。じゃ無いと貴方と同じ道を歩む。血に染まった罪人の道、温かいモノが何も無く凍え倒れて消えてしまう哀れな道です。
 神よ、私の存在を引き換えにしても良い。此処で死んでしまった子供達の来世を、どうか幸せに溢れた生涯になさって下さい」
 最期に西洋宗教で神に祈りを捧げる一言を述べて、老婆はタラルの後ろに居たビアンカにショットガンで撃ち殺された。残りの人間達を大人も子供も赤ん坊も皆殺しにしてから、全身が血塗れになったカスタバラク夫婦は2人で孤児院を出る。
 ビアンカは身体中に痣も出来ていた。影武者がした実の息子の誘拐に気付かなかった妻を自宅で散々殴っていたタラルは、ショットガンを掴みながら静かに泣いている妻に背を向けて、血に塗れた制服の胸に付いている警察無線で部下に指示をした。
「ハロウズ孤児院の件は残念だが、生き残りは1人も居なかった。非常に酷い事件だ。本当に此の国の自由は歪んでいる。
 すまないが、個人的な依頼になってしまうが別の事件が起きた。自分の家で迎えていた養子が今朝から居なくなったんだ。攫われたかも知れない。直ぐに近隣の町を徹底的に捜索して欲しい。…………ああ……ああ。
 あ?これは1回目の犯行だろうが関係無い!もう居なくなったのは15人目なんだよ!!流石に限界に決まってるだろ!?それにあの子は警察になりたがっていて、特に可愛がってたんだ!直ぐに見つけてくれ!名前はジャック!ジャックだ!!特徴は……」
 口を一度閉じて、口角を大きく上げてからタラルは言った。
「紙袋を頭に被っている。恥ずかしがり屋の子なんだ」