Bounty Dog 【アグダード戦争】34-35
34
シルフィ・コルクラートが言った通り、建物の裏側にある大きな岩の影に黒布被りの人間達が居た。黒布達はミト・ラグナルを無言で迎え入れると、何の声掛けもせずに行動を開始する。
事情が全く飲み込めないミトは、困惑しながら布達の後を付いていく。移動途中で突然静止を促されると、群れの中で最も小柄な人間が脱いだ黒い布を頭から被せられた。
新たな黒布被り武装兵になったミトに、浅黒肌に朱色の目をした軍曹の側近の黒布人間が近付いてくる。ミトに布を渡して姿が露わになった、浅黒い肌に淡い茶色にも見える短い白髪をしている焦げ茶目の少年にアグダードの独自語で指示を伝えてから、朱色目はミトに『気にせずに黙って付いてこい』と、布から出した腕を使ってジェスチャーした。
アサルトライフルを背負っている少年が群れから抜け出した。斜め後ろにある岩の影に向かって走って行く。少年の手に無線機のような小型の機械が握り絞められていた。
強い違和感を持ったミトは、嫌な予感も心に強く抱いた。少年を追い掛けようと足を踏み出した少女の肩を掴んで静止させた朱色目の黒布は、首を横に振りながら言ってきた。
「ラーラー(駄目です)。コレは我々が決めている、隊長を保護する作戦です」
ヒュウラを連れてカスタバラク軍第二修練場の1棟内を疾走している軍曹は、施設2階の兵居住エリアで目に付く物を手当たり次第に壊していた。破壊行動は全て足で行う。人間の足では100回蹴っても破壊出来ない大型の家具や什器は、強靭的な脚力を持つ亜人のヒュウラが軍曹を真似して簡単に蹴り壊していた。
人間が作った道具達が瓦礫ゴミに変わっていく。土と木で出来た2段ベッドを斜め蹴り1撃で難無く崩し壊したヒュウラを見て、軍曹は澄んだ水色の目をキラキラ輝かせた。
興奮混じりに、ヒュウラに話し掛けてくる。
「手伝ってくれてすまねえなー!お前のヤベエくれえ凄え強え犬キック、喰らっちまうとおっ死んじまいそうだな!!」
真面に受ければ粉砕死する凶悪キックに感動している。瓦礫の山が積み上がった空間を満足そうに眺めてから、軍曹はヒュウラを連れて部屋を出た。
居住エリアにある兵士用の寝室は数十あったが、嫌がらせ破壊行動は軍曹が直感で選んだ適当な数部屋だけ行った。1人と1体は散々に暴れ暴れていたが、破壊行動中に敵兵と1人も遭遇しなかった。
場が余りにも静寂過ぎていた。罠を張られているとヒュウラは勘付いていた。だが、罠であれば”保護対象”である軍曹の身が危険になる。軍曹の身が危険になれば、己の身も危険に晒される。今の彼はこの状況を大いに”歓迎”していた。
故に、保護対象に罠だと一切知らせなかった。何も知らない軍曹は、何も考えていなさそうだった。破壊活動が楽しいのだろう、ずっと上機嫌にケラケラ笑っている。
ヒュウラは、この直ぐ楽しそうに笑う人間の男の事が良く分からなかった。今居る場所はとても理不尽で、人間の脅威に晒されながら生きてきた、絶滅危惧種と人間に称されている己も『地獄』という場所だと思っていた。そんな地獄で楽しそうにケラケラ笑いながら生きているこの人間の男から、己が此れまで関わってきた人間達から良く漏れ出ている、邪気というモノを微塵も感じなかった。
軍曹は不思議な人間だった。軍曹とデルタ・コルクラートの共通点は、人間達の群れの長で、群れの仲間達から好かれている事だった。己を物凄く好いている事も同じだった。だが、好き方が全然違う。
やはり軍曹はデルタと全然違う人間だと思った。ヒュウラは未だ軍曹を”友”だと思っていない。
軍曹はヒュウラに振り返ってくると、満面の笑顔を見せてきた。サッパリした態度でケラケラ笑いながら、ヒュウラに言ってきた。
「やっぱコレ、がっつり罠に掛かっちまってるよな!?カカカ、まあ良いや!このまま、やってやらあー!!」
戦況は、ヒュウラと軍曹が思った通りの展開になっていた。軍曹とヒュウラの奇襲が”民間人ゲリラ部隊”の罠だと勘付いた敵勢力の兵士達は、軍曹とヒュウラを無視した。生き残りの門番から連絡を受けた兵士達は居住エリアから脱出して、並んで建っている2つの建物の奥側にある、修練エリアで”別軍”を待ち構えていた。
敵勢力の兵士達は、軍曹の無線機に度々発信してくる”声の主”の居場所も既に特定していた。アグダード地帯で生きている人間達が使うありとあらゆるモノは、アグダードを現在支配している3つの勢力によって管轄されている。この中東地帯の通信を管轄しているのは、ナスィル・カスタバラクを頭首とする『新アグダード王国』勢力だった。
“思惑通り”の展開になっていて、朱色目の黒布は安堵していた。修練エリアに向かって攻め込んでいる朱色目が率いている黒布集団は、待ち構えていた敵勢力の兵士達と戦闘を行う。
ゲリラ部隊に兵士として混ぜられているミトは酷く躊躇したが、自己防衛を優先した。実弾入りのサブマシンガンで、襲い掛かってくる敵兵達を撃つ。大きなドラム型の弾倉が横に回転してサブマシンガンが銃口(マズル)から火柱と共に無数の弾を吐き出した。周りに居た数人の黒布が敵に撃たれて倒れる。ミトは周囲の惨事を見ずに、敵兵を撃つ事だけに集中した。
ヒュウラの保護に行きたくて、生き残る事に必死だった。
敵兵を粗方一掃すると、黒布集団は朱色目を先頭に、ミトを直ぐ後ろに付けて奥側の大きな建物に向かって走った。アサルトライフルの銃身(バレル)が飛び出ている、朱色目が被っている黒い布が大きく揺れ動く。浅黒い肌をしている左腕が布から出てきて、手に掴んでいる無線機を頭部の耳がある部分に押し当てた。
朱色目は中東地帯の独自語を混じらせて、機械の先で繋がっている誰かに向かって呟いた。
「マアッサラーマ(さようなら)。あなたの勇気を忘れない」
”彼”の結末は直ぐに訪れた。岩陰に隠れて軍曹を無線機で指示していた少年兵は、敵勢力の兵士達に捕まって拘束され、後頭部にライフル銃を突き付けられていた。
未だ12歳だったアグダード人の少年は、間も無く訪れる己の死を全く恐れていなかった。目を瞑って、想う。ーー自分は此の”お掃除部隊”で最も新しく入隊した最下っ端で、今は偽りの頭首であり、囮として狙われて此処で死ぬ事は、作戦会議中に自分が指名された時に覚悟を決めていた。
真の頭首である軍曹も、この作戦を聞かされた時に自分を一切止めなかった。唯、アジトを出る時にサッパリとした態度だったが、謝罪をしてきた。酷く心を痛めていた。ーー
少年は笑った。死後や生まれ変わりの事は考えなかった。代わりに己を産んでくれた両親と、兄弟達と、大切だった家族をたった1個の爆弾で全て失くした己を戦力として受け入れてくれた、この民間革命部隊の皆に感謝した。軍曹に感謝した。彼を最も尊敬していた。
(軍曹、武運を。アグダードに保護を)心で呟いて、少年は頭部を後方から撃ち抜かれて絶命した。
ーー軍曹は罠に掛かっていても楽しそうだ。ずっと笑ってる。ーーヒュウラは益々、己を先導しながら無人の『箱』の中を歩いている浅黒肌の人間の男の事が分からなくなっていた。
軍曹は居住エリアの最奥まで移動すると、足を止めた。頻りに周囲を見回してから、ポケットを弄って無線機を取り出す。スイッチを押して、アグダードの独自語で機械の奥で繋がっている”筈”の人間に向かって呼び掛けた。
「おーい!テメエが偉そうに指示してきた内容、忘れちまったわ!!ミン・ファドゥリック・クル・マラッタン・ウフラ(頼むわ、もういっぺん言え)!!」
声の主は、もう此の世に居ない。当然返事はされなかった。長い溜息を吐いた軍曹は、ヒュウラと己以外の気配を何も感じない薄暗い通路の天井に向かって文句を叫んだ。
「あーくそー!どいつもこいつも俺の事、無視かよ!?許さねー!!」
仰いだ顔が直ぐに正面の方向に戻る。軍曹はヒュウラを見つめてきた。ヒュウラは軍曹の顔から表情が消えている事が気になったが、己も標準状態である無表情の顔を軍曹に見せる。
真顔で見つめ合っている人間と亜人の耳に、銃撃音と罵声が聞こえてきた。音の連打が建物の外から響いてくると、軍曹の澄んだ水色の目が吊り上がった。
無表情のまま微動だにしないヒュウラに軍曹は口角だけ上げて微笑すると、己の足を手でポンポン叩きながら、狼の亜人に依頼をしてきた。
「ヒュウラ。悪いけど、またお前の背中に乗せてくれ」
左手首に付いている発信機を口元に当てる。目を更に吊り上げると、”もう1人の援護者”にも命令した。
「聞こえてるだろ、シルフィ。テメエも協力しろ」
シルフィは嘲笑していた。彼女は現在、敵軍の施設が見渡せる荒地の一角で白銀のショットガンを右手に、通信機を左手に掴んで横に寝そべっている。
スーツ用のYシャツを着ている胴の前に、見取り図のような図形が描かれている紙と赤いペンが置かれている。傍で猫の鳴き声が聞こえた。リングがシルフィを保護しながら襲い掛かってくる人間の兵士達を倒している。
護衛役を担ってくれている猫の亜人に己の安全を任せて、彼女は保護対象(ターゲット)に機械越しに返事をした。
「ウィー(了解)、軍曹」
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朱色目の黒布を先頭に、次に少年の形見の黒布で全身を覆っているミトの順番で、”アグダード民間ゴミ人間掃除部隊”は修練場エリアの最奥から侵入した。アサルトライフルの銃床(ストック)で叩き割った窓から、黒布達が1人ずつ次々と建物内に飛び移る。ミトも保護組織で実践訓練をしていたので、少しだけもたついたが難なく横跳び窓潜りを行った。
部隊を先導している朱色目は無線機を黒布の中に戻して、代わりに緑色の丸い物体を手に掴んで布から出した。ミトは物体を一目見て、レモン型の軍用手榴弾だと勘付く。茶色いミリタリーブーツを履いた足が急停止してから、安全ピンが引き抜かれて通路の曲がり角の先に放り投げられる。床に落ちた手榴弾が破裂して、激しい炎と衝撃波が発生した。
悲鳴も複数聴こえてきた。黒布達とミトは大量に吹き出た炎と白煙の中に入って、角を曲がって延々と走る。遭遇したカスタバラク軍の兵士達を銃と爆弾で”掃除”しながら、黒布達は縦に並んで疾走を続けた。
黒布集団の内の2人は、見張り役として建物の外に居た。割れた窓ガラスが張られている壁の傍で、一点を凝視している。雲一つ無い砂漠地帯の夜空は、地に広がる人間の混沌が渦巻く地獄と相反する、空気は凍えそうになる程に冷たいが非常に澄んでいる、満天の星が散りばめられた平和な絶景が広がっていた。
無論、黒布達は空を見ていない。見つめていたのは建物だった。軍曹が居る”筈”の居住エリアの2階の端の窓を凝視していると、
窓が周りの外壁ごと、突然爆発した。
驚愕した2人の黒布が頭首の通称を叫んだ。建物の外に残っている敵兵達も、皆が爆発した方向を見る。モクモクと立ち上っている白い煙の中から影が1つ飛び出した。無数の銃弾が影に向かって放たれる。影は空を飛んでいった。居住エリアの建物から飛び出した影は、修練場エリアの建物に向かって真っすぐ飛んでいく。
朱色目の黒布が足を止めたので、ミトと強襲担当の黒布達も止まった。爆
発音と銃声が聞こえてくるなり、朱色の目が限界まで吊り上がる。長い長い溜息が吐かれると、朱色目は周囲に聞こえる音量で舌打ちをしてから、独り言のように呟き始めた。
「軍曹……会議の時に『良いぞ』って、直ぐ了承したじゃないですか?昨日の事があったから、囮を作ってあなたを下っ端扱いにしてワザと突撃させて無視されて、私達が”掃除”を終わらせるまで適当に過ごして待ってるっていう作戦ですよ?またですか?また、あんたの気紛れですか?」
呟かれる言葉に、毒が篭っている。ミトは毒舌独り言を無視して別の音に耳を傾けた。外からの銃声が大きく激しくなっていく。
影が修練エリアの建物の屋上に着地した。直ぐに動き出して、建物の中に入っていく。朱色目の黒布は再び長い長い溜息を吐くと、何も掴んでいない片腕を上げて、停止していたミトと部下達に『気にせずに引き続き突撃するよう』指示をした。
ついでに、ぼやいた。
「ヒュウラさんを”ガビー”に付けていて良かった。あーあ、この作戦は失敗。何時も通り、彼を援護しましょう。彼がまた”お暴れ”を始めました。ノリだけでする、完全なる無謀」