Bounty Dog 【Muchas gracias. Te amo.】 24-26
24
この世界で生きていたジャック・ハロウズは、心優しい人間の子供で疫病神では無かった。周囲を理不尽に不幸にしていた疫病神は、ナスィル・カスタバラクの実の父親であるタラル・カスタバラクの方だった。
タラル・カスタバラクの本当の夢は、警察官では無く陸軍第1部隊の軍人だった。1度目であれば大抵の重犯罪が許されるという、異様な”自由”を保証している此の国で産まれ育ったタラルは、息子のナスィルと違って平凡な顔をしていて窒息呪いも勿論持っていなかったので、極々普通に幼少期を過ごし、少年期を過ごし、青年期で軍人になる夢が破れて、仕方無く警察官になった。
警察の仕事は苦しくは無いが、達成感も無く微塵も楽しいものでは無かった。英雄として国の為に闘える軍人とは程遠い小さな町の警察官の仕事で溜まりに溜まるストレス発散とカクテルの味が好きで通っていた行きつけのバーで、当時パティシエを目指している女学生だったビアンカと偶然隣の席になって出会い、何気ない会話をしている内に気が合って、極々自然に付き合い、結婚して、随分と苦労はしたものの念願の子供も授かる事が出来た。
子供は男の子だった。男の子が欲しかったタラルは妻から妊娠したと聞いた時、大いに喜んだ。初めは普通の父親として、産まれてくる己の息子と妻と家族3人で幸せに暮らしたいと心底に思っていた。
だが産まれた息子は非常に特殊な人間だった。己にも妻にも全く似ていない、顔を一部でも見ると息が全く出来なくなる程に余りにも美人で、鳶の己達は鷹では無く、鷹も他の猛禽類も人間すら小腹満たしのおやつのような餌にする、空想世界の最凶の鳥・ロック鳥のような子供が産まれてしまった。
正義感が強いタラルは、己の持つ正義感が喪失しないように警察官になった。しかし役職が付いて収入も十分過ぎる程に得ているにも関わらず、心の中では未だ幼い頃から夢見ていた”軍人”という職業に憧れていた。
軍人になりたかったのも、初めは『人殺しが大量に出来る』という最低の理由では無かった。此の国の歪んだ”自由”の中で産まれて育って生きている内に、国の為にする人殺しは栄誉であるのだと、思い込みが激しい息子同様に父も強く思い込んでしまっていた。
かつてはジャックのように天に浮かぶ沢山の星粒として心の中で輝いていた夢は、数多のライバル達との競争に負けて履歴書と一緒に破れ、破れた夢の欠片と履歴書は、心の中で絶望という雲に変わって冷たい雪を降らすようになった。路線を変えて警察という悪人を裁ける職に就いても心の中で降る雪が止む事は無く、延々と、延々と絶望の雪が降り続けて彼の心を冷やし切ってしまっていた。
彼の心に降り積もっている分厚い雪原の底に、癒されていない未練の結晶があった。ナスィルが持っていてタラルに無いものは、殆どの人間が思い通りにいかない生涯の中で咎のように心の中に宿し続けている雪原の中に埋まった未練を取り出して癒してくれる存在。『未練があっても良い。悔しいと正直に思って生き続けても良い』と、空から落ちて雪の中に埋もれるまで叶うと信じて行った夢への幾多の努力、今も変わらず想い続ける夢への純粋な愛を一切否定せずに、全てを肯定して己の努力と想いと生き様を讃え、慰めて保護してくれる”真の理解者”だった。
タラルには愛して愛されている妻のビアンカが居たが、妻はタラルの真の理解者では無かった。未練の結晶は解放されて空に再び昇って輝く希望の光になる事はなく、凍えるような冷たさに耐え切れずに闇と狂気を宿していった。
タラルが心に持っている”軍人”への未練は、いつしか絶望の雪を雲ごと溶かして彼の心を支配していた。彼が可笑しくなったキッカケは、特殊な見た目と能力を持って産まれてきた1人息子。息子に罪は何も無く、息子の方が遥かに哀れな存在だとタラルも充分過ぎる程に分かっていた。
それなのに父親のタラルは心の中で暴走していた未練を、全て1人息子にぶつけていた。強過ぎる正義感で息子を産まれて直ぐから幽閉するという極端な事を行い、己の職業を隠蔽の手段にし、息子を洗脳する為の生贄にする目的で”影武者”の子供を選んでは連れてきて殺害し、今まで壁に飾っていただけの軍人用の武器を、実際の人殺しに使うようになっていた。
己もパティシエになれなかったが後悔をしていないビアンカは、夫のタラルの言いなりになるしか無い、奴隷のような存在にされていた。2人目の子供が出来れば理不尽に殺されてしまう”影武者”が不要になりタラルのナスィルへの執着も少しは無くなるのではとも思い、ビアンカはタラルに今でも時々、夫婦のスキンシップに誘っていた。
ビアンカはナスィルを普通の子供として育ててやりたかった。ナスィルも喜んでくれる彼の弟妹を作ってあげる為に、ナスィルに執着し過ぎてほかの子供を全く望まなくなっていたタラルに『避妊薬を飲んでいる』と嘘を吐いては、騙しながらスキンシップをしていた。
しかし不妊はビアンカ側が原因だった。ナスィルに弟妹を作ってやるという僅かな希望も叶わないまま、彼女は今までずっと心の中で、壊れていく夫と哀れな息子、そして哀れな影武者の孤児達への罪に苦しみ続けて生きていた。
神はナスィルの美貌に呪いが宿る程やり過ぎるというミスを犯していた。そして運命は神が作り出したモノでは無い。神も知らない間に何処かで産まれて、世界中のありとあらゆる存在に対して極めてエゴスティックに影響を及ぼすモノだった。
運命は神を含めて、どんな存在の言う事も一切聴かない。ナスィル・カスタバラクの人生は、誰よりも幸せになるように神から約束されたモノである筈だった。だが運命というエゴイストが勝手に脅威をばら撒いて、彼の生涯を真逆のものに変えてしまった。
25
ーーこの町と周辺は今日、余りにも”初犯”による殺人事件が多過ぎる。ーータラルが勤務しているこの町にある警察署の内部でも、2番目に権力がある警部補が無線機を通して知らせてくる残虐事件と”取り調べ”の状況について、部下の警察官が数人、疑念を抱いていた。
部下達にとっても普段のタラル・カスタバラクは何の変哲も無い”見本のような尊敬する上司”だった。正義感が強くて”2度目”の犯罪検挙率も人一倍高い優秀な警察官であるが、唯1つだけ、彼には不思議で仕方が無いものがあった。
家族の話を職場で一切、飲み会でもプライベートの雑談時でも全くしないのだ。タラルは結婚していて料理と菓子作りが得意な妻がおり、子供は”おらず”、養子を迎えて一緒に暮らしている事は、部下の誰もが噂を耳にしていて知っていた。
だが本人には幾ら質問しても全く答えてくれない。ある日部下の1人がしつこく尋ねてみると、タラル・カスタバラク警部補は一度だけ、渋々と警察手帳の中に貼っている家族写真を見せてくれた事があった。
手帳に貼られた家族写真は、一軒家の前で養子と撮った3人家族の写真だった。極々平凡な家族写真だったが、何故か余所余所しさを感じる写真だった。
子供が養子だからなのかと思いながら、写真を見せて貰った部下の警察官は、タラルが席を外してその場から居なくなった時に、何となくだが写真を抜いて裏側を見た。
写真の裏に『ノート。10ページ目。5秒』とメモが書かれている事に気付いた。気付いたが、タラルが直ぐに戻ってきたので部下の警察官は写真を直ぐに戻して、手帳のノート欄の10ページ目に貼り付けられている”タラルの実子の写真”に気付かないまま、上司に礼を言って警察手帳を返してしまっていた。
そんな部下達も、タラル警部補には伝えずに捜査を開始していた。タラルの家の近くにある小さな町は、何時もは長閑な田舎町である。しかし今日は仕切りにパトカーが鳴り響いていて、緊迫した空気が流れていた。
屋根の上で寛いでいた『超過剰種』の猫の亜人は、とうの前に異変に気付いて町から出ようと動いていた。だが増えに増え過ぎて数減らしの為の討伐対象にされているこの生き物は、町から出る途中で人間に見つかり、何の感情も抱かれずに虫のように銃で頭を撃たれて殺された。
ジャックとナスィルが先程まで居た本屋の店員も、ショットガンで頭を撃たれて理不尽に殺された。彼は唯、子供2人の話を盗み聞いていただけだった。更にした事といえば、紙袋を頭から取っている見た事が無い美しい顔をした短い黒髪の男児が、短い茶髪の男児に抱き付いて感謝を言っている姿を遠くから見ていただけだった。
聞こえてきた言葉は、とても心温まるものだった。
「ジャック。俺も君をメホル・アミーゴ(親友)だと思ってる。ムーチャス・グラシアス (本当にありがとう)。テ・アモ(君を愛してる)」
猫の亜人を殺したのは2人と全く関係が無い人間だったが、本屋の店員を殺したのは”取り調べ”にやってきたタラル・カスタバラク警部補だった。タラルは無線機で部下に連絡も取らず、本屋を直ぐにC4爆弾で破壊した。
もはや無差別爆弾テロリストとしている事が全く変わらなかった。傍で様子を見ていたビアンカは、恐怖で気が可笑しくなりそうだった。幼い子供が2人家出しただけなのに、何故この人は何人も何人も関わった存在の命を奪っていくのか、やはり理解が出来なかった。
「おい、手分けするぞ。餓鬼が居そうな所を全て襲え。ナスィルは絶対に傷1つ付けるなよ、俺の大事な大事な可愛い1人息子だ」
タラルはビアンカに滅茶苦茶な命令を平然としてきた。
優しいと思っていた夫は、既にもう何処にも居なくなっていた。
26
ナスィル・カスタバラクは、後に己が疫病神では無いかと長年苦しんだ。苦しみ抜いた末に偶然のように出会い、雪除けの傘を渡してくるように『其れは勘違いだ』と諭してくれた存在は、今は此の国に居なかった。
ナスィルに産まれて初めて出来た、唯一のメホル・アミーゴであるジャック・ハロウズは、住宅街の一角にある小さな公園まで己を連れてきた。己が持っている擬似戦争ボードゲームで遊ぼうと誘ってくる。
ナスィルは応じた。今日こそ『無敵王』に勝つと意気込む。ジャックはニコニコ笑いながらベンチの上にゲームを組み立てて、ルーレットを2人で一緒に回して、何戦も何戦も友と一緒にゲームで遊んだ。
ジャックはやはり異次元レベルで強かった。3日戦って3日連続で完全敗北したナスィルは、泣きはせず悔しさも見せずに大好きな友達に”どうしてこのゲームに強いのか”純粋に理由を尋ねた。
ジャックは微笑みながらメホル・アミーゴに応える。
「何でも思い通りに操ろうと思ったら駄目なんだ。駒だって皆んな平等。このゲームは国民の駒が1番大事な駒なんだよ。
戦争が嫌だって国民さん達が思うから反乱が起きるの。国民を守る為に敵を追い払うんだってカードで伝えたら、国民さん達も納得して反乱は起きないよ。皆んな幸せにする為に勝つって決めてゲームをするんだ。倒す国の悪い王様を倒して、相手の国も皆んな幸せにするんだ」
ジャックの言った事は、良く考えるとエゴ極まりなかった。植民地を作る国がする言い訳の1つにしか過ぎない、自分勝手な内容だった。
だがジャックは実際の国の王では無く、戦争というモノを一切知らない子供が純粋に思い遣りを言葉にしていただけだった。ジャックに対して完全に心を開いているナスィルは、親友の言葉を聞いて強く思い込む。
ーー悪い存在は倒さないといけない。『エゴイスト』という悪い存在を全部消してしまえば、俺もジャックも皆んな幸せになる。ーー
そう強く思い込んだ。