Bounty Dog 【14Days】 31-33
本当は、全てに対して”本当”というものは存在するのだろうか。
31
断続的に、その空間にある全てが上下に揺れ動く。列車の車輪が線路のレールを滑り、繋ぎ目を轢いて鳴るカント音が響く。
薄暗い真四角の狭い空間の壁に付いた小さな窓から入り込む、トンネル照明の光が粒になって物の一部を照らし、消える。地下を走る列車の貨物車両の一角に、人のような影が1つある。黄色味のある肌にざんばらに切られた短い茶髪をした若い青年が両腕を組み、両足は胡座をかいて薄手の絨毯が敷かれた床の上に座っている。
目を瞑り、感情の読み取れない無表情の顔を俯かせている。黒いライダースーツのような服に、左右で形の違う肩当てが付いた丈の短い白銀の鎧を付けており、カーキグリーンの革靴を履き、腰に赤い布を巻き垂らした格好をしている。
武器は持っていない。眠っているように微動だにしない青年の胸部を、トンネル照明の光の粒がレーザーライトのように照らしては消える。時と共に徐々に車両全体が明るくなると、地上に出た列車の窓から淡い太陽の光が差し込んできた。
『ヒュウラ、もう直ぐ現場に着く。そのまま待機をしていろ。動くなよ』
首を覆う、長いアンテナが付いた黄金色の機械から若い男の声がする。名を呼ばれた青年は瞼をゆっくり開けると、瞳孔は赤く虹彩は金色の稀覯な目を僅かに釣り上げた。
「御意」
32
人間以外のほぼ全ての生き物を絶滅から救う事を目的に設立された国際組織『世界生物保護連合』。全9班から成るチームの3班『亜人課』を統括する28歳の班長デルタ・コルクラートは、通信機を持ったまま物思いにふけていた。
脳内の記憶を巡る意識が向かった旅先は、今日から6日前の午後。新人のミト・ラグナル保護官が亜人・ヒュウラを保護した翌日に出席した、組織の上層部との会議の時の、過去の自分に憑依する。ーー当時の自分が手に掴んでいたのは通信機では無く机の端だった。震える指が強ばり、重厚で頑丈な木の板をへし折ってやろうと力を加えている。
とある国のとある丘の上にある、我々3班の支部の一室に設けられた会議室の一席で、照明を付けず自分は1人、だだ広い空間の中で木の椅子に座って、壁に取り付けられたスクリーンを眺めていた。ーー
3メートル程ある巨大な布に、部屋の入り口近くの棚に置かれたプロジェクターが光を当てている。布に映っている5人の男女は胸から上だけを枠に収めて並んでおり、年齢はいずれも高齢者と言っても失礼にならない程に歳を取っている。皆、眉間に皺を寄せ、正面を向いて威圧的な眼光を放っている。ーー要するに、他の殆どの人間社会の上層部にいるモノ達の例から外れない、オブラートを重ねて包んで言えば、ユーモアを欠片も持ち合わせていないお堅い頭のお偉いさん連中。
画面に映る、違う国の違う場所にある本部に居る彼らは、如何にも上役という出立ちで高圧的な態度を曝け出している。普段は上層部と現場は全く連絡を取り合わない。故に異例となる緊急通信会議が始まって、先ず初めに彼らが口を開いて自分に言ったのは、中傷だった。ーー
『コルクラート保護官。君の頭は正常か?自分が我々に何を相談しているのか理解しているのか?どうやら現場で物理的精神的に打たれ過ぎて、マトモな思考ができない脳に変わってしまったようだな』
開口早々にモラルハラスメント。デルタは返事をしなかった。ーープライドを捨てて道化になり媚びを売るのが、出世する為の手段で1番手っ取り早いのだろう。だが、俺は今の役職が自分にとって最も理想的な位置だと確信している。保護対象”ターゲット”と直接関わり合う事が出来る、最良の位置だ。此処から一歩も動くつもりは無い。ーー
次に浴びせてきたモノも、想定通りの文句の数々だった。
『異常な思考をする者に、絶滅危惧生物の保護という大役は任せられんな。この申し出を君が撤回するのなら、今の役職より上を近いうちに用意しよう。だが断るのなら、我々は君の辞職を考えなければならない』
脅迫。
『そもそも、お前のような下っ端が何故我々と直談判出来ると考えたのだ?お前のような下っ端が。常識外れにも程がある。先ずは3班の情報部の統括に伝えるべきだった。現場は最も地位が下っ端なのだからな。そのあとその者から上の者へ伝え、その更に上の』
正論と見せかけた、侮辱。
『私からは何も言う事は無い』
己に火の粉が被らないようにする為の、自分可愛さの責務放棄。
そして最後にきたのは、あれ。
『私はとても素晴らしいと思うわ。保護側の気持ちに寄り添っている理想的な提案。だけどそれを許す訳にはいかない。分かって欲しいの、此処は規律を守らないと途端に崩れてしまう、人の大勢いる『組織』なのよ』
これ。あらかじめ決まっている役が掌を返したように労い、肯定をしながら説得で畳み掛けるお馴染みの説教手順。ここまで飴と鞭を揃えてきているにも関わらず、その全てに心が揺さぶられる本質的な魅力が無い。無痛・無意味な鞭打ちとベタつく古びた不味い飴。実に天晴な三流猿芝居だ。
俺は特質的な考え方をする“彼女”では無い。だが、彼女も今の俺と同じ場に居たなら、俺の中で渦巻いている不快なこの感情を共有してくれた筈だ。ーー
怒り。無意識に右手の指が椅子の前にある木の長いテーブルの端を掴む。癇癪を指先のみに閉じ込めて、デルタは気味が悪い程に冷静な態度で口を開いた。
机の上に置いた小さなマイク越しに話す。
「内容は”彼女”が既にあなた方に話した通りです。本来は今日にでもヒュウラは超希少種用の保護施設に送らないといけない。しかし談判し、彼に幾週間かの猶予を頂きたいです。これは組織が設立して以来、初めてで唯一の特別待遇です」
『その通り。特別待遇だ、あり得ない』
机を握る指の力が強くなる。感情を顔には出さない青年に、老幹部達は論する。
『同種はSランク『超希少種』の中でも、世界で7体程度しか生息の確認が出来ていないレッド中のレッド。にも関わらず、その目を3代まで潤す億兆の金を産み出す魔法の宝石として、未だに狩ろうとする不届き者が跡を絶たない』
「人間の身勝手な乱獲が原因で絶滅寸前まで激減した種は数多です。我々の管轄である亜人種でも、ヒュウラの種である『獣犬族』以外でも。そうなったのは彼らのせいではない、人のせいです。我々『人間』のせいでしか無いんです」
『故に!決して1体も喪失”ロスト”をさせてはいけない。『ローグ』のように!あの取り返しのつかない悲劇だけは繰り返してはならないのだ!!』
指紋の跡すら付かなかった机から手を離すと、背後からヒールの音が響いてくる。肩に手が置かれ、手の主が画面に一言発し、画面から三言発せられ、更に発した言葉の数々に上役達はたじろぎ、自分は気配を感じて後ろに振り返ってーー。
デルタの記憶の旅は、通信機から発せられた少女の声によって終了した。
『リーダー、ラグナルです。列車の一両目で待機しています。指示をください』
伏せていた顔を正面に上げ、デルタは丸められて椅子のように横倒しになった、褪せて硬くなっている絨毯から腰を上げる。分厚いステンレス材で長方形に覆われている貨物用車両の窓を覗くと、丘陵地帯の青々とした芝生と小山が硝子の付いた枠の外に広がっている。
背後に、絨毯と壁に挟まれて斧が立てかけられている。刃だけでも2メートルある巨大な片手斧は、元はある国の山近くの村に住む狩人の、今はヒュウラの所有物である。その刃に背を写されながら、デルタは徐に天井を見上げる。頭上にはアルミ製の網棚が取り付けられており、背後の壁にも同じ物が同じくらいの高さに向かい合わせに設置されている。
ーーこの列車も先進国にある物のような人間を規則的に並ばせて運ぶ乗り物として設計されて作られたのかも知れない。あるいは、実際に人間を運んでいた事もあるかも知れない。だが、今のこの車両に座席は1つも無く、我々部隊は今回任務の為に特別に搭乗しているが、普段は滅多に運行すらしていない、廃棄寸前のボロ列車。
人間が覇権を持つこの世界にあるものは、生き物以外のモノも魂が無くとも例外なく、何もしなければ時が経つ程に、滅びへの距離を着実に縮ませていくだろう。この星や宇宙すら含めた全てが、全て。
……『人間』も。ーー
『リーダー。指示を頂きたいのですが』
ミト・ラグナルの声が若干音量を上げて通信機から発せられる。デルタは機械を耳に当てると、遥か前方に止まっている1両目の中で指示を待っている部下に返事をした。
「すまない考え事をしていた。ラグナル保護官、他の保護官達も揃っているか?」
『アノルド保護官だけ居ません。他の作戦メンバーは、全員居ます』
「ああ、彼は其処に居たら問題だな。了解した、では先ずーー」新人保護官に指示を与えながら、デルタは再び窓の外を見る。広大な丘と奥に広がる小さな森を眺めて、次に背後の巨斧を見る。無機質な首斬り道具は異様な存在感を放ちながら、刃を下にして丸められた絨毯に支えられていた。
機械を伝って、ミトが話し掛けてくる。
『ヒュウラはどうします?私から彼へ指示は必要でしょうか?』
「いや、あいつは今回も私が対応する。ラグナル保護官、列車の外で他の保護官の者と共に待機してくれ。私も直ぐ其方に向かう」
通話を切り、耳から機械を離して天井を見上げる。僅かにつなぎ目が開いており、外界の光が線になって注いでくる。ーー強大な力を加えたら割る事が出来そうだなーー、と突拍子も無いことを考えてから、空想では無い事実に思考先を変える。
ーー俺”達”が上層部から勝ち取ったヒュウラの猶予期間は14日。それより短くなる事はあっても、1日も延びる事は無い……だろう。”今”は。
突きつけられたと言うより、此方から提案した条件を向こう側の予想の遥か上で達成してしまえば、何かが変わるかもしれない。
…………しかし。ーー
デルタは通信機のボタンを押して耳に当てると、呼び出し音の必要無い連絡先に話し掛けた。
「ヒュウラ、聞こえるか?動いて無いか?1ミリも」
相手の首輪に取り付けた通信機から、自分の声は聞こえているだろう。が、返事が無い。代わりに何か袋から軽い物をガサガサ取り出している音が聞こえる。ーー1ミリ以上、手が動いている。しかし自分が指示をしているのは足だ、足が全く動いていなければ問題ない。ーー
デルタは小さな溜息を吐いてから、ヒュウラに指示を与えた。
「そのまま動くなよ。お前は今回は不要だ。任務が終わるまで、絶対に其処から動くな」
33
ヒュウラは胡座をかいて座った状態で、煎餅を音を立てて食べていた。目の前には鉄格子。それがぐるりと覆う箱状の空間の中にいる。
膝の上に煎餅の袋が積み重なって乗っているが、封が開いているのは海苔付きの醤油煎餅だけで、無表情で黙々と齧られているのも同じ物である。
格子の外で1人の男が肘を突いて座りながら食事の様子を見物していた。30代程の未だ若々しさがある目と顔付きをしていて、カーキ色の迷彩服の上に黄緑色の鎧を着ており、肩に小さなマシンガンと結んでいる紐を掛けている。頬の直ぐ横で上がっている片手の指に通信機、もう片方の手の指に煎餅の袋を1つ摘んでいる。菓子袋は彼の背後にもあり、ヒュウラの膝上にある物の10倍以上の数が薄い絨毯の上に山積みになって置かれていた。
全部、ほぼ煎餅。スナック菓子の『蝦夷のお芋』が1袋だけ山の中に混じっている。お互い話し掛けはせず、無言のまま時が過ぎていく。貨物列車の最後車両の中は亜人が食う煎餅が砕ける音と、窓の外の丘陵地帯から注がれる淡い日の光に満たされていた。
「勝手に付いてくるとは思わなかった」
1両目の車両の前で整列している部下達と向き合いながら、デルタは呟く。最前列の中央で”休め”のポーズを取っていたミトは足を揃えて敬礼をすると、班長の独り言に返事をした。
「罠のように私が煎餅を大量に買い込んで私の部屋のテレビの前に積んで置いたから、勘付かれたのでしょうか?」
「そうだな。それは不自然過ぎて罠だとしか思わないな」
銀縁の眼鏡を指で上げて苦笑をしたデルタは、部下の列から距離を離すように歩いていく。背を追いかけてきたミトを迎えると、周囲に聞こえないように小声で会話を始めた。
「あいつはSランク『超希少種』、絶滅寸前の生き物だ。命の危険を伴う我々の任務に使いたく無いのが、私の本音だ」
「リーダー。だったら手伝って貰わずに、支部で保護しながら住まわせたら良いのでは?」
「ヒュウラに猶予期間を貰う条件が、希少種を使った希少種の保護任務で成果を出す事なんだ。正直私が上層部と交渉した訳じゃ無いが、事情があって必ず達成しなければならない」
(だが今回は不要だがな)フッと短い声を出して笑ったデルタを、ミトは不思議そうに見つめる。二言三言、言葉を交わしてから2人は部隊に戻ると、列に並んで目を見てくるミトを凝視しながら、デルタは指揮を開始した。
「これより任務の内容を伝える!ターゲットはAランク『希少種』の亜人だ、この丘陵地帯で生息確認が取れている。これより居場所を推測するポイントを記した地図を配る。後はこの任務で使う捕獲用の」
唐突に口を噤んだデルタの目が大きく見開いた。
最後車両にいるヒュウラの姿勢が、胡座から片肘を付きながらの寝そべりに変わっている。口には海苔付きの丸い醤油煎餅が咥えられており、口以外の顔のパーツ全てが微動だにしない。
延々と同じ物を食べている亜人の青年を鉄格子越しに眺める監視役の男性保護官は、後方に片腕を伸ばして菓子の山から2つ煎餅の袋を引き抜く。小さな雪崩を起こした菓子袋達が頭に痒くなる程度の打撃を数回与えてくると、手に持った袋をぶらぶら前後に揺らし見せた。
「塩煎餅と海老煎餅もあるぞ。寧ろこっちの方が素材の味に近いぞ。なのに醤油味の方が良いんだな、ヒュウラ」
返事も反応もされず、咥えられた海苔付き醤油煎餅が齧られ食われていく。保護官は更に菓子山から別の味の煎餅袋を引き抜き、落石宜しく落菓子に上半身を襲われながら振り見せる。
「青海苔もザラメもあるぞ」
足元に置いている自分用に拝借した煎餅袋からレモン味の変わり種を1枚取り出し、齧り、物思いに耽る。ーーミト・ラグナルがヒュウラの為に買い込んだらしい山のようなこの菓子袋達は、実に様々な味の種類があるが彼女のお気に入りのスナック菓子1袋を除いて、全部煎餅に違いなかった。
亜人は、人間と殆ど姿も中身も変わらない生き物だが、こいつに接してる今は、まるで他人から預かっているペットに餌を与えているような気分になっている。こいつの不思議な目は、特殊な方法での採取と加工が必要だが、片目で5億エードは儲けられる価値がある生物素材だ。それに俺は全く興味無いし、乱獲された生物を保護するという保護官の職の責務に反する。
それは置いておいて。ーー保護官はヒュウラの顔を凝視する。ーー正直言うと、こいつは自分よりも遥かにイケメンだ。亜人種は何故かは知らんが美形が多いらしい。それを理由に亜人課に志願した、とんでもない邪な保護官が居るらしい。
それも置いておいて。ーー噛んでいたレモン煎餅を胃の中に飲み込んだ保護官は、再び菓子袋の山の中に手を入れて海苔付きの丸い堅焼き煎餅を取り出す。鉄格子の隙間に押し込んでやると、ヒュウラは無言の無表情で菓子を受け取った。
「やっぱり海苔付きのガチガチに堅いのじゃないと駄目なんだなー。お前、かなり偏食だよな?まあ、大人しいから良いけど」
楽しそうに笑い出した保護官は、牢の中で散らかされている空の煎餅袋達を一瞥してから、自分のレモン煎餅を袋から出して数枚一気に口に含む。と、左手に掴んでいた通信機が激しく振動した。
頬張っている菓子を急いで噛んで飲み込む。機械を耳に当てて檻に背を向ける前に、ヒュウラに一言声を掛けた。
「のんびり寛いでいてくれい。はい、こちらアノルド。如何しましたか?リーダー」
デルタの声が、不気味な程に落ち着いて話し掛けてくる。
『確認だ、アノルド保護官。ヒュウラの檻に電撃装置は付けているか?』
アノルドという苗字の保護官は、首だけ振り向いて牢を見つめる。寝そべっていたヒュウラはいつの間にか身を起こしており、胡座をかいて座りながら鉄格子に空になった煎餅の袋を捻って突っ込んで、観察するように見つめている。
暇潰しをしているらしい亜人に再び背を向けて、アノルドは上司に返事した。
「いいえ。でも彼、非常に大人しいですよ」
ヒュウラは尻を絨毯に付けた状態で両足を曲げ上げる。通信機の先ーー1両目の車両の傍。通信機を耳と肩で挟みながら、アルミの壁に片腕を伸ばして手の平を当てているデルタは、伏せている顔から眼鏡が落ちないよう指で支えながら真顔になる。(自分もラグナル保護官も、ヒュウラに出会って未だ1週間も経っていない。だが保護して数日一緒にいる内に、何となくあいつについて理解してきた事がある。
何を考えているかは顔の表情から全く読み取れない。無表情がデフォルトだ。が、あいつは別に感情が無い訳じゃなく、無口でも無く、知能が低くも無く……そして)
デルタはゆっくりと、通信機の先にいる部下に向かって呟いた。
「あいつは好奇心旺盛だ」
『好奇心?どういう事で……ーー』
通信が突然切れると、最後部の列車から地を割ったような轟音が響く。続いて、爆発したように飛び上がった列車の天板が1両目からでもハッキリと見えると、デルタは機械を耳から離して大きく被りを振る。
ミトは目と口を限界まで開いてから、デルタに深々とお辞儀をする。背中に紐でぶら下げていたドラム型の弾倉付きサブマシンガンを手に掴み、遥か先にある列車の最後部に向かって走ろうとすると、
デルタがミトの肩を抑えて強制停止させる。他の保護官にも制止を指示した班長は渋い物を噛み潰しているような顔をすると、半泣きになっている新人保護官の少女に、自分の首を人差し指で数回叩くジェスチャーを見せた。