Bounty Dog 【アグダード戦争】28-29
28
昼食はフムスとライムと茹で野菜だけで質素だったが、リングとヒュウラは満足しているようだった。地中で過ごしているので時間の感覚が余り掴めなかったが、『世界生物保護連合』3班・亜人課の超少数保護部隊がアグダードに潜入してから3日目の午後は、”アグダード民間ゴミ人間掃除部隊”のアジトで保護任務の情報収集に費やされた。
洞窟の壁に寄り掛かって立っているシルフィは、手に掴んだ通信機を操作しながら、画面に表示されている文字の羅列を黙読している。シルフィが持っている通信機にアンテナは付いていなかった。代わりに端に焦げ跡が付いている機械の背面に『御愛好御礼・弊社煎餅詰め合わせプレゼントキャンペーン』と書かれた、東洋菓子専門メーカーが主催している贈呈企画応募用ポイントシールが数枚貼り付いている。
弟が使っていた通信機を、彼女はアグダードに持ち込んでいた。機械の画面を見つめながら亜人種達の生体情報を確認しているシルフィの前方で、軍曹とリングがヒュウラに戯れ付いて遊んでいた。シルフィと向かいの壁側に座っているミトが、警戒しながら2体の亜人と1人の人間を監視している。朱色目の黒布は居なかった。朱色目を含めた部下の黒布達が作戦会議の準備を整えるまで、隊長の軍曹は亜人と遊びながら待機していた。
ドラム型弾倉付きサブマシンガンを抱えて座っているミトは、軍曹が昼食で潰し絞ったライムの残骸を手に持ちながら繁々と観察しているヒュウラを、彼を背中から抱えて頭を撫でている軍曹ごと睨む。軍曹の頭の撫で方は非常に乱暴だった。頭部を鷲掴みされてブンブン振り回されたヒュウラは無表情だったが、脳震盪を起こして前のめりに倒れた。
リングがブニャブニャ鳴いた。軍曹に怒る。気絶したヒュウラを汚れたカーペットの上に寝かせた軍曹は、ミトに顔を向けて不敵な笑みをしながら話し掛けた。
「俺は唯の虫ケラで、別に好きで隊長になった訳じゃねえ。最初は最下っ端で入隊したし、んな事もあって部隊では上手く」
唐突に軍曹は物思いに耽る。直ぐに笑顔になると、ケラケラ笑いながら言葉を続けた。
「適当にやる事やって、兎に角、楽で居る為にワザと下っ端を貫こうと目立たずに居た。筈が、笑えるくれえに此処のお偉いどもは、おっ死んでの入れ替わりが激し過ぎてな!とうとう俺に白羽が立って、テッペンに引っ張り上げられちまった!!」
足元に寝かしているヒュウラを見下げたままケラケラ笑っている軍曹に、ミトは眉をハの字に寄せた。戸惑う少女を無視して、軍曹は話を続ける。
「んで、しょうがねえから俺的の作戦を変更した!さっさと俺の代でゴミ掃除を全部終わらせて、戦争終わらせて、とっとと部隊を解散させて楽になって、俺はそれから絶対に何もしねえ屑として、怠けに怠けて生きてやると!!」
独特の野心を語った軍曹は、ミトに向かって言った。
「俺の夢は、平和なアグダードで『咎められない屑』になる事!其処に昨日から追加してるモンもある!俺はヒュウラと一緒に、死ぬまで此の地で怠けて暮らす!!」
ミトはポーカーフェイスをしたが、内心は何とも言えない気持ちになっていた。密かに思う。
(この人、何処までも自己中心的だわ。しかもサッパリした態度で我儘を平気で言うから、どう反論すれば良いのか分からない……)
「勝手にヒュウラを自分のモノにしないで頂戴」
シルフィが顔を上げて軍曹に言った。軍曹はサッパリと解釈違いをする。
「あ?ヒュウラは生きてるぞ?”物”だと思ってねえよ」
「もう良いわ」一言だけ呟いて、シルフィは通信機の画面を再び凝視した。
ミトはシルフィが持っている通信機の背面に付いている海苔付き醤油煎餅シールを暫く見てから、目を吊り上げた。軍曹に尋ねる。
「あなたの事情は分かったわ。で、結局あなたは何て名前なのですか?」
「ニャー。ミト、さっき、こいつ、言った。虫ケラ、ニャー」
「そうだ!俺は虫ケラ、虫ケラ軍曹だ!ソレでずっと覚えていろ!!」
軍曹は代わりに返事をしてくれた猫の頭をポンポン掌で押し撫でてから、ミトに向かって威勢良く言った。
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ミトは周囲を見渡す。黒布達がなかなか軍曹を呼びに来ない事が気になった。手首に巻いているスポーツウォッチの文字盤を確認すると、未だ軍曹が待機してから5分程度しか経っていなかった。
ヒュウラが目を覚まして起き上がったので、軍曹が再び抱き付こうとしたが、リングが先回りした。胡座を掻いて座ったヒュウラに猫は横から抱き付きながら、拳を握った右腕を浅黒肌の人間の男に向かって素早く伸ばし曲げる。
寸止めの威嚇パンチを繰り出しながら、猫の亜人は橙色の目を吊り上げて、口でも威嚇を始めた。
「ニャー。ニャー、強い。ニャー、凄く強いニャ」
軍曹は嘲笑しながら、猫から売られた喧嘩を買う。
「お、やるかー?言っとくが、俺に殴り合いで敵うと思うなよ」
胡座を掻いて座った状態で、軍曹はシャドウボクシングを猫の前で披露した。キレの良いパンチとアッパーの連打に、仏頂面の狼を抱えた猫はニャーニャー鳴きながら目を丸くする。
だが猫は直ぐに、再び目を吊り上げた。不敵に笑う人間の男に、憤怒しながら挑戦状を叩き付けた。
「ブニャー!ニャー、お前より強い!お前、ニャー、負ける!ブニャー!!」
リングは右腕で高速パンチを繰り出した。寸止め右ストレート猫パンチを数発披露してからヒュウラごと立ち上がると、ヒュウラの両腕を片腕ずつで掴む。
覆うものが無い二人羽織のような格好になったリングは、抱えているヒュウラを操ってシャドウボクシングを開始した。
「ブニャアアア!パンチ、ぱんち!!シュシュ!シュシュシュ、バババニャ!!」
叫び鳴く猫に操られた狼は、怒涛の犬パンチを繰り出す。
洞窟内で次々と放たれる犬パンチは、プロボクサー並みのキレの良さを持っていた。ヒュウラは金と赤の目を不気味に剥き出しながらパンチを繰り出す。言いようの無い恐怖を与えてくる顔をしながら放つストレートパンチとフックとアッパーカットに、ミトは慄いた。
軍曹は座ったまま、真顔で犬パンチを眺める。
シルフィは、全く反応しない。リングはヒュウラを操って犬パンチを放ちながら、ぼやくように叫んだ。
「ニャー。お腹、未だちょっと、空いてる。ニャニャー、美味しい、食べたい!ネギ!魚!さ、か、な!!」
食べ物の名前をリズムにして、パンチが次々放たれる。剥いた目をしているヒュウラはシルフィの持っている通信機の背面を見ると、一言だけ呟いた。
「煎餅」
リングが反応する。
「ニャー。煎餅!せ、ん、べ、いいいいい!!ニャー!!」
猫の食いしん坊パワーが加えられて、犬パンチが高速化した。首を僅かに傾けて更に怖さが増したヒュウラの顔にミトがますます慄くと、
軍曹は真顔でリングに言った。
「テメエが自分でしろよ」
シルフィがヒュウラの視線に勘付く。小さな溜息を吐くと、弟がヒュウラの為に集めていた煎餅の応募シールを全て剥がした。
暫く経って、朱色目の黒布が部屋にやってきた。軍曹と短い挨拶を交わし合うと、作戦会議の準備が整ったと報告する。
朱色目は、目を吊り上げながら軍曹に告げた。
「襲撃地候補です。カスタバラク軍の第二修練場は、如何でしょう?」
軍曹は鼻で笑いながら返事した。
「良いねえ。最低のゴミダメだ」
リングから解かれて、ヒュウラは胡坐を掻いて座りながら手で握っている絞りカスのライムを凝視する。ポケットの中に入っている絞られていないライムを取り出して、手に並べ持って暫く観察する。丸々としたライムをポケットに戻した。絞りカスのライムは地面に置く。
立ち上がった軍曹が、シルフィに振り向いて話し掛けようとした。顔を上げたシルフィは、先手を打って質問される前に伝えた。
「悪いけど、私達は貴方の部隊に協力しない。だけどヒュウラを此処で保護するわ。それなら文句無いでしょ?」
「おー、良いぞ!俺もそれを頼もうとしてた!!」
軍曹はケラケラ笑いながら言葉を返してきた。朱色目の黒布を置いて部屋を出ていくと、シルフィは再度顔を伏せて機械を操作し出した。
ヒュウラは軍曹が去って行った先を見つめる。朱色目の黒布が近付いてきて、ヒュウラの傍に伏せた。耳元で何か囁いている。
ヒュウラは、返事も反応もしなかった。
狼は仏頂面で、去って行った黒布の背中を延々と眺めていた。延々と奥を眺め続けているヒュウラに、ミトは強い警戒心を抱く。
地面に置かれた絞りカスのライムから、場の空気に沿わない爽やかな香りが放出されていた。