Bounty Dog 【14Days】 87-88

87

 南西大陸の端にある人間だけの楽園は、人間だけの地獄と化していた。人間によって自由を奪われた木々の前で、四肢が吹き飛んだ死体が崩壊した建物に潰されて燃えながらアスファルトの地面に転がっている。
 赤ん坊から年寄りまで、あらゆる世代の人間だった肉塊が黒煙と一緒に不快な臭いを周囲に漂せている。死体、死体、死体、死体ばかりに埋め尽くされた惨たらしい地の遥か上にある、オフィスビルの非常階段の一角に幼い1人の子供が座っていた。
 黒いローブを着た白い肌の子供は、フードを脱いで銀色のショートヘアの髪の上に巻いた黒いバンダナと大粒の数珠飾りを露わにしていた。それら髪飾りよりも目立ったのは、頭から生えている黒い獣のような大きな三角形の耳だった。
 子供は獣耳を折って伸ばしてを繰り返すと、人間から盗んだスティックチーズを口から離して、ぼんやりと独り言を呟く。
「カイ、元気かなー?『原子操作術』、空気から出来るようになったのかなあ?……うーん。カイは人間だから、やっぱり空気からは無理そう」
 遠い地に居る友を想うと、チーズを全て食べ切って包装のプラスチックゴミを放り捨てた。瞳孔が濁った赤い大きな目で空気の一点を見つめると、目の色が次々と変化する。
 赤が真紅に、水色に、黄緑色に、黄色に、灰色に変わり、赤に戻った。子供は独り言を呟く。
「此処の『原子』は皆んな不機嫌。ボクと同じ気持ちみたい。”お願い”すれば、凄く暴れてくれそうだね」
 子供は右腕を天高く伸ばし、手の指を数字の1を示す形にすると、空中に文字を書いた。ミミズ字のような特殊な文字を書くと、人差し指を親指で押さえて、弾いた。
 向かいのビルが大爆発して崩壊した。子供は目を三日月形にして笑った。
「原子お願い。ボクの復讐、手伝って」

『リーダー。先鋭部隊、各自所定場所にて全員準備万端です。何時でも御指示を下さい』
「了解した、皆の勇気に感謝する。ターゲットの居る推定ポイントはS742。此処が最新の犯行現場だ、この近くに潜んでいる可能性が高い」
 ヘッドフォンとマイク越しに現場の担当保護官と通信を交わすデルタは、機械と液晶画面に囲まれた部屋の片隅に置かれた小型テレビに目を向けた。液晶画面に写る20代程の見た目をした若い女のアナウンサーが、南西大陸の惨劇を緊急速報ニュースとして報道している。
 テロップに『犯人 不明』と書かれている事に安堵して、デルタは保護官達の居る現場を示した電子地図を凝視した。保護官達の手首に付けた発信機から出る電波を拾って、電子地図に白い点として其々の位置を示している。
 ポイントS742を囲むように、保護官達が配置されている。デルタは別の機械の画面で保護組織が作った亜人・ローグの情報データを確認しながら、マイクを指で摘んで口を開いた。

 南西大陸の都市の崩れた建物の一角で、狙撃銃を構えながら身を伏せている32歳の角刈りの男性、テセアラ・ルキス保護官は、年下だが心から尊敬している班長、デルタ・コルクラート保護官から伝えられる情報に耳を傾ける。
『この街でローグが1番初めに殺害したのは、赤ん坊と若い母親だそうだ。兎に角、奴は人間が憎くて憎くて仕方が無いらしい』
 絶滅危惧種を”奴”と称した班長に、ルキス保護官は驚きと称賛の念を感じる。デルタの声は片耳に挟んでいるヘッドセットから、重々しい口調で指示をしてきた。
『細心の注意を払って任務に当たれ。今任務で保護するターゲットは、これまでの任務で扱った、どんな生き物よりも危険だ』
 ルキスは小さな溜息を吐いてから、デルタに応答する。
「ええ勿論です、リーダー。今も充分過ぎる程、肌で感じています。私の目の前には化け物が暴れた、残虐極まりない地獄絵図が広がっています」
 ルキスは釣り上げていた目を細めた。眼前に広がる光景は、正しく死体が其処ら彼処で山積みになって燃えている地獄だった。現場に到着した時に空間を支配していた、合唱のように叫ばれる老若男女の悲鳴すら現在は全く聞こえなくなっていた。
 この都市に住んでいた人間の殆どが、ローグによって喪失(ロスト)させられたのだろうと推測する。生き残りが未だ居る可能性も大いにあるが、大勢の人間達がローグに殺されたのは確実だった。故郷に居る自分の子供達と同じくらいの歳だろう、人間の子供の死体達も四肢が砕けて燃えていた。
 デルタの声がヘッドセットから指示をしてくる。
『ターゲットは、組織のプロファイリングでは推定、”20代前半から30代前半の見た目の雄体”。性格は我儘で傲慢、まるで”幼児”のような自己中心的な思想をしている。白肌、銀髪、黒い大きな耳をした人間のような生き物を見付けたら、直ぐに麻酔弾で撃て。決して此方の姿を見せるな!接近もするな!遠方から狙撃して眠らせろ!!』
 ルキスは目を限界まで釣り上げた。目の前に見えた獣の耳を生やした人間のような人影に向かって、狙撃銃の銃口を向けると、引き金に指を掛けてデルタに返事した。
「ラジャー!リーダー、参ります!!」
 背の高い獣人の影を睨んで、ルキスは引き金に掛けた指を引く。指に力を加えて、
 加えろと命令した身体の部分を失った。
 爆発音に鼓膜が破れて、瞬く間に視界が真紅から黒になり、永遠の無になったルキス保護官は、32年の生涯を唐突に閉ざされた。首から上が爆発した彼は狙撃銃を発砲する事なく、この世に残った亡骸をうつ伏せにしてコンクリートの床に倒れる。
 デルタは異変に気付いた。生命が絶たれると消えるよう設定されている電子地図の白い点が1つ消える。マイクを掴んで、消えた点の主に呼び掛けた。
「ルキス保護官?!どうした、応答してくれ!!」
 返事は当然、永遠にされない。部下の死を悔やむ余裕無く、ヘッドフォンから爆発音が連続で響いた。点が次々と消えていく。
 部下の命が雪崩のように喪失”ロスト”していく。デルタは確信した。
 ーーローグが我々の存在に勘付いている。ーー

 黒ローブの子供は、自分の影を見て大きな欠伸をした。周囲で燃え盛る激しい炎が作り出す逆光で、本来の身長の倍近くまで縦に伸びていた。
 つまらない玩具を無理矢理遊ばされた時のような不機嫌顔をすると、人差し指で空気を5回叩く。宙にミミズ文字を書いてから、指で弾いて原子を活性させると、遠くで爆発音が響いた。保護官がまた1人爆死すると、子供は人差し指を見つめながら独り言を呟く。
「此処の『原子』は凄く不機嫌。原子って意思があるんだよ。ボクの目が凄く良く見えるんじゃ無い、ボクは炎の原子に『術式』でお願いをしているだけ。
 『気に食わないもの、壊して』。ボクが作った術式だけど、どうやら此処の原子達は気に食わないものが沢山居るみたい。あはは」
 歯を見せて、笑った。

88

 支部の通信室でデルタは絶望感に襲われていた。電子地図に表示されている白い点は、もう10個程度しか残っていない。
 点がまた1つ消えた。勇敢な人間の保護部隊が、人間では無い生き物が操る星の力によって此の世から喪失されていく。
 デルタは部屋の片隅に置かれている小型テレビの画面を見た。依然として一般の人間達は、速報ニュースとして今まさしく繰り広げられている大虐殺爆弾テロ事件を報道している。テーブルの上にアイスティーと茶菓子を置いて椅子に座っている専門家と称する人間達が、同じ種が大量に殺されている現場の映像をのんびりと見ながら、頓珍漢な推理を鼻高々に語っている。
 同種がされている殺戮劇を対岸の火事として、更に火事を祭りのように楽しみながら騒ぎ立てている、そのエゴの極みにデルタは強い吐き気を覚えた。電子地図の上の白い点がまた数個消えた。己は共に過ごしてきた大切な部下達が無惨に殺されていく状況の只中にいる。人間が人間に人間らしく居させる為に作った法律を全て破って良いと許されたのなら、テレビに今映っているエゴイスト達を皆殺しにしてやりたいとも心底に思った。
 デルタは反社会的な感情が身の底から沸き上がるまでに焦っていた。怒りと焦りを落ち着かせる。鎧に覆われた青い迷彩服の胸ポケットに収まっている、”気付け”用のミニウイスキーは取り出さなかった。
 テレビを消し、深呼吸をして、銀縁の眼鏡を目から外してレンズを拭き、目に掛ける。冷静さを取り戻すと、ローグの情報を表示している機械の画面を見つめながら思考に耽た。
 ーー俺のローグの知識は、情報部所属時代に調べた程度のものだが、ローグの使う『原子操作術』は、自然現象を凝縮させたものだ。応用すれば、資源を一切犠牲にせずにエネルギーが無限に作り出せる。だから彼らが絶滅した後の今でも、世界中の研究者が解明と再現に血眼になって取り組んでいるそうだ。
 ローグが人間によって絶滅するまでの間に人間が集めに集めた『原子操作術』に関する知識と情報は、今も文献として幾つか残されているらしい。その中で特に”魔法”を再現する為に重要だとされているのが、術の発動に必要となる『原子』と、ローグと原子だけが読める特殊な文字だそうだ。
 研究者達は文献を『ローグが遺してくれたもの』と言う。実際は遺したのでは無く、愚かな過去の人間達がローグから技術を無理矢理奪い取ろうとした残虐な記録の塊だ。
 人間はどうして、あらゆるものを自分達の利益になる・邪魔になるの2つでしか考えられないのだろう?ーー
(……俺も含めて)デルタは苦虫を噛み潰しているような顔をして笑った。涙も流しそうになった。今、己の心を支配しようとしている新たな感情は、挫折による悔しさと惨めさだった。
 動かせない右足を見て、険しい顔をしながら正面を向く。キーボードを操作して液晶にスクリーン画面を表示させると、現場で生存している保護官が付けている、ヘッドセットに取り付けられた映像カメラを起動して、現場の景色を確認した。
 故・ルキス保護官が伝えてきた通り、カメラの先にはこの世のモノとは思えない地獄絵図が広がっていた。
 デルタは目を限界まで見開いて、映像を見ながら思う。ーー平和しか知らずにこれまで生きてきた人間ならば、瞬時に心が砕け散って狂い果てるか生きた屍になるだろう、生々しい野生の世界のリアルだ。
 頭がおかしい、気が狂っていると称されるのは人間だけ。化け物にとってはこれこそが、自分が暴れた後に起こる当たり前の光景なのかも知れない。
 亜人を化け物だとは思わない。だがローグは化け物、化け物だ。ーー
 過去の人間達がどうやってこの化け物を絶滅させたのか、デルタは無性に知りたくて堪らなかった。  
 爆発が連続で起きた。気まぐれの子供が駄々を捏ねて目に付く物を手当たり次第に壊していくように、人間の街のありとあらゆる物が次々と砕けて燃え上がる。
 人間以外のありとあらゆる命も生を奪われた。木々が燃え、鳥が煙に視界を奪われて建物に当たって砕け落ちて燃え、湯になった水の中の魚が茹で上がる。人間だけの地獄は、全ての生き物の地獄になった。地獄を作り出した1体のローグだけの楽園が出来上がった。
 デルタは炎が延々と襲ってくる死の世界を見ながら思う。
(研究者達に聞きたい。コレの何処が一体、科学なんだ?)
 ポケットの中の通信機が激しく震えた。
 デルタは直ぐに通信機を取り出して応答する。現場に居る保護官の1人がパニックを起こして連絡手段を間違えてきた。
『リーダー!リーダー!!任務なんか無理です!!近付くどころかターゲットを探す事も出来ません!!』
 保護官は狂乱していた。注意する事なく、デルタは気を落ち着かせようと努める。が、爆発音が聞こえると保護官はますます興奮した。
『支部に帰りたい、支部に帰して』
 一方的に延々と訴えるようになり、会話が一切成り立たなくなる。保護官は幼い子供のように本能的に泣き叫んだ。
『リーダーお願いです!支部に、どうか支部に帰してください!!私には出来たばかりの家族がーー』
 エゴを叫んで、保護官は爆発して死んだ。
 デルタは通信を切った。ヘッドフォンを頭に付けたまま机に身を伏せる。現場に行けない身体である自分と、無力である自分を頭の中で責めに責めていると、
 ヘッドフォンから声が聞こえた。小さな小さな声だったが、人間が助けを呼んでいる声が聞こえた。

 デルタは机から身を起こして、マイクを掴んで電源を入れる。電子地図に表示されている数個の白い点を凝視すると、生き残っている現場の保護官達に指示をした。 
「皆、聞いてくれ。これより作戦を変更する。
 ローグ保護は中止だ!私の指示を聞いてくれている保護官全員で、この街の人間と他の生き物達を、一刻も早く1人でも1体でも多く避難させろ!!」