Bounty Dog 【14Days】 34-36

34

 偶然に捲れて挟まった絨毯が衝撃を緩和したお陰で死を免れたものの、外れた鉄格子に潰されたアノルド保護官は、通信機と煎餅の袋を掴んだ両手を伸ばして痙攣している。
 牢から出たヒュウラは、列車の屋根に乗っている。口に咥えた海苔煎餅の欠片を飲み込むと、屋根の横半分を失った最後部の車両から無表情で駆け出した。
 首を覆うアンテナ付きの機械が、晴天から注ぐ陽の光を受けて輝く。
(数字を付けておこう。このボロ列車は全部で10両、最前部の此処を1、最後部を10とする。9、8)
 繋ぎ目を飛び越えながら屋根を疾走してくる影を一瞥して、デルタは手に掴んでいる通信機の画面を凝視する。遥か天を舞っていた10両目の屋根が、丘陵の一角に落下して轟音を響かせた。
(7、6)
 ヒュウラは巨斧が乗せられている5両目の上まで到着する。

 車両の中央で立ち止まると、僅かに開いた天板の隙間から、仁王立ちをしたまま中を覗く。丸められた分厚い絨毯とアルミの壁に挟まれた首斬り斧は刃を下にしており、長い柄に巻かれた滑り止めの布が解れて肩掛け紐のように垂れている。
 地上で保護官が2、3人、手に銃を掴んで後ろの車両に向かって走っていく。ヒュウラは何も反応せずに片足を振り上げて屋根を勢いよく踏むと、列車の屋根は轟音を響かせて薄い木の板のように容易に割れ落ちた。
 廃棄寸前のボロ列車は、一足お先の解体処理を受ける。強靭な脚力が5両目に最後部と同じ大穴を開けると、ヒュウラは斧の上に設置されている金網に飛び乗る。上半身を乗り出して斧の緩んだ布を掴み、腰から上を逆さ釣りにした身とともに引き上げて、自らの武器を回収する。
 金網から跳ねて屋根に飛び乗り、更に前列の車両を目指して走り出す。巨斧の布を肩に掛けて背を守る盾のように装備したヒュウラは5両目の繋ぎ目を軽く飛び越えて4両目に移ると、助走を付けて4両目の中程から3両目へ一気に飛ぶ。
 宙で跳ね上がった斧の刃が、着地と同時にアルミの天板に当たって鋭い金属音を響かせると、鉄が細かく振動して持ち主に伝導する。やや不快な感覚を背中から全身に感じて目を若干開きながら静止したヒュウラは、直ぐに顔を仏頂面に戻して柄を掴み少し持ち上げると、上半身を伏せて前進を再開した。
(予想以上に早いな。3、2……)
 通信機の画面から目を離さずに、デルタは心の中でカウントダウンを続ける。徐に歩き出すと、車両に立て掛けていた白銀のショットガンを掴んだ。
 伏せていた顔を上げ、列車の屋根を見上げる。
 ヒュウラは2両目の屋根も半分を一撃で踏み壊す。内部の金網の上に降りて、歴史の遺産のようにアルミの棒からぶら下がっている握り輪の大きい吊り革を3本、斧で斬り落として赤い長布に覆われたポケットに入れる。金網を足場にして屋根の上に戻り、繋ぎ目を越えて1両目に移ると、車両の裏側に飛び降りて、窓越しに人間達の様子を眺めた。
 2枚の汚れた硝子を挟んで、デルタが睨み目を向けてくる。
 ショットガンを上下逆さにして、麻酔弾を素早く2発装填する。クワッドロードで撃つ準備を万全にしたデルタは、早足で車両の裏側に回り込んで銃を構える。が、線路の縁に生える小さな草花だけが己を出迎えた。ヒュウラは屋根の上に登っている。
 眉間に皺を寄せたデルタは、持っている通信機で車両の壁を強打した。鈍い金属音が鳴り響いた。
「隠れても無駄だぞ、ヒュウラ!お前の居場所は首輪に付いている発信機で丸分かりだ。出てこい、斧もこっちに渡せ!!」
 通信機の画面には、赤い点と青い格子状の線、列車を表している縦に並んだ緑色の長方形が写っている。長方形の一端に赤い点が乗っている。
 ヒュウラが屋根から顔を出した。首輪が逆光で輝る。無表情で口だけ動く。
「捕まえるのか?」
「だから、お前は今回は切り札(カード)に使わないと言った筈だ!!」
 微動だにしない亜人に銃口を向けるが反応が無い。双方無言で風が錆びた窓を揺らす小さな音だけが響くと、
 デルタが静寂を怒鳴り声で打ち消した。
「ああ!もう分かったよ!!ターゲットの場所を教えてやるから降りてこい!今回だけの特別だからな!!」

35

 晴天の空が開けた、なだらかな丘に、一本の広いアスファルトの道路が伸びている。人間が慣らした非自然の道は脇の自然から転がってきた土と小石が所々に落ちているが、艶やかに黒々と光る道はその場所に明らかに似合わない異様な存在感を晒している。
 道の中央をヒュウラとデルタは横並びで歩いている。背負った巨斧の影に全身を覆われているヒュウラを横目で見ながら、デルタは通信機を耳に当てて独り言のように幾分かの会話をしてから、機械を離して通話を切った。
 ヒュウラに話し掛ける。
「ラグナル保護官を含めて部隊には周辺の包囲を指示している。お前が任務に参加するから、作戦を少し変更したんだ。ついでだからこの保護任務をポイント稼ぎにしようと思ってな」
 返事はされない。無表情で前を見ている少し背の低い相手に、デルタは更に話し掛ける。
「お前の猶予期間を伸ばす為のポイント稼ぎだ。だが気を引き締めろ。わざわざ抜いていた理由は、言わんが察しろ」
「何処でも分かるのか?」
 唐突に無関係の質問がされる。ヒュウラは顔を向けてきて、仏頂面のまま首輪を手で掴む。血圧、心拍数、体温諸々の計測機能が付加した長いアンテナ付きの首輪型の機械は、ある理由によりヒュウラの為に作った特注品であるが、特別なのは首輪型である事と通話機能を追加で付けている事だけだった。
 機械の本来の目的と機能をデルタは教えた。
「我々の組織が使う生体用発信機は高性能だ。例え水の中にいようと、砂塵に覆われようとも、地中に潜ろうとも何ならこの星の裏側に居ようとも、この通信機と組織の通信網で発信元の居場所を特定出来る」

 暫く進行した先に、道路に添えられたように一脚の色褪せたベンチが置かれていた。バス停のものらしく、標識が付いた細いアルミの柱が傍に建っている。
 デルタは此処までの道で人間の乗り物を1台も見かけていない事に気付く。が、任務に問題は無かった。寧ろ、その方がありがたかった。ーー何故なら。ーー
 ほぼ0%。数字が頭に思い浮かぶ。
 デルタはヒュウラをベンチに座らせて、目の前でしゃがみ、顔を見る。目線を同じ高さにして金と赤の不思議な目を暫く見つめると、ポケットから液体の入った太い打撃注入式の注射針を取り出して手渡した。
 ヒュウラは一瞥してから腰布を捲って自身の服のポケットに入れる。眼鏡を指で引き上げたデルタは、同じポケットから地図を取り出して地面に広げる。足元にショットガンを置き、現在地と周辺を記した地図に油性ペンで数字を書きながら、時々顔を上げつつ任務の説明を始めた。
「今回のターゲットは、Aランク『希少種』。種の名は『絹鼬族(けんゆうぞく)』。数年前に国際法で完全に狩猟が禁止されたが、毛革が高級服飾品に好まれて使われていた。特徴は黄肌で白髪、顔が面長で目は小さく、灰眼の長身。背、腕、足にも白い細かな毛が生えている」
 アルファベットと連続した数字が、流れるように土地の縮小図に次々と記される。
「激減理由は、お前と同じ乱獲。ただお前の種と違って凶暴な身体能力はターゲットに無い。だからこそ無闇やたらに、誰でも簡単に殺す事が出来るんだと言い換えられる」
 ほぼ0%。再び数字が頭に浮かぶ。ーー先進国の普段の生活で、故意を除いて人間が絶滅危惧生物に出会い、”利益の為に危害を加える”確率だ。
 だが、完全な0では無い。ーー
 追記を終えた地図を広げて渡す。ヒュウラは数秒見ただけで、直ぐに突き返してきた。
 無表情で見つめてくる亜人の青年に、保護官は話し掛ける。
「質問はあるか?今のうちに不足と疑問は全て消しておいてくれ」
 返事も反応も無い。デルタはヒュウラの首に両腕を伸ばす。首輪を掴むと、機械に不備がないか念入りに確認した。

36

 バス停を背の遥か先に置き去りにして、2人は更に数十分歩き続ける。日差しがアスファルトで照り返して身体に当たり、皮膚の表面温度が上がってじわりと汗が滲み出る。
 銀縁の眼鏡を指で押し上げ、デルタは隣を歩くヒュウラに顔を向ける。無表情で黙々と前進する相手の肩を叩いて反応させると、双方、足を止めずにデルタは話し始めた。
「非常に申し訳ない話をするが、我々『世界生物保護連合』は国際組織であるが、全世界の人間達が我々の保護活動に協力的という訳では無い。どんなに重く処罰しようが密猟をする不届き者は後を絶たないし、お前の居た山の村の奴らのような、生活の糧として生物素材をアテにしている人間達もいる」
 先日の件については罪悪感を未だに引き摺っている。ーーヒュウラ本人からは咎められていないが、改めて痛感した。我々保護組織の敵は保護ターゲットでは無い。人間なのだ。ーー
 ヒュウラは無表情で見てくるだけ。デルタは話を続ける。
「保護に無関心な人間が、この世に生きている数の殆どだ。話が変わるが、実はラグナル保護官も単独で大きなミスを犯してる。が、もうどうしようも無いから彼女の処分は目を瞑ろう。先に言っておく、お前を後に送る予定になっている保護施設に煎餅は無い。あと明日から煎餅は1日1枚しかやらん」
 ヒュウラの目が限界まで見開く。動いたのは目だけだが、ショックを受けているのが容易に分かった。ーー人とほぼ同じ亜人種じゃ無かったら、即退職処分だ。ーー上司としての責任感で、デルタの罪悪感が更に増した。
 口を閉じて黙々と並んで歩いていく。太陽が天の真上に登った頃まで歩いていると、前方に点のように見えていた物体が徐々に大きくなって視界に鮮明に写る。
 未だ遥か先の道の一角に、地面からやや浮いた位置で横に一本のロープが張り巡らされている。その側に、1人の人間らしき男が立っている。手には黒光りする拳銃を握っている。
 デルタは足を止めると、ヒュウラの肩を強く掴んで並木が生えている道の脇に連れて行く。一本の太い木の下で向かい合うと、ポケットに手を入れた。
「ヒュウラ。少しだけで良い、動くな」

 ロープの前で仁王立ちしている男は、年齢は40代くらいのやや柄が悪い印象を与える強面で、筋肉質な身体は大きく、緑色の軍服のような衣装の上にプレート型の鎧を身に付けており、帽子を被っている。横に張られたロープには世界共通語で『私有地。立ち入り禁止』と書いた小さな看板がぶら下がっている。男の右腕に握られている拳銃は、野生の熊が倒せる殺傷力の強いタイプの物だった。
 前方から近付いてくる2人の男の姿を見るなり、軍服の男は警戒心を露わにする。己から見て、左側を歩いてくる青髪の背の高い眼鏡を掛けた男は、青い迷彩服に鎧を付けていて、手にショットガンを掴んでいる。そして右の小柄な茶髪の男は、何処か野生的な印象を受けた。黒服に鎧を付けていて、腰に赤い布を巻いていて、
 目に黒いサングラスを掛けている。
 スパイかボディガードみたいな見た目になっているざんばら茶髪の青年を、男はしきりに凝視する。背負っている巨大な斧も合わせて異質な存在に見える。男の目の前に立ってからも警戒と驚愕と興味とが混ざった視線を注がれているヒュウラは、腕を組むだけで他の反応は一切しない。
 デルタは軽く咳き払いをすると、澄ました顔をしながら男に話し掛けた。
「我々は絶滅危惧種を保護する国際組織『世界生物保護連合』3班・亜人課だ。此処を通りたい」
「……はあ」
 男はヒュウラから目を離して、デルタに向かって首を傾げるジェスチャーを返す。
 デルタは真顔で話を続ける。
「この先に保護する亜人が生息しているという情報を受けたのだ。協力してくれ」
「そうですか。そうだったら良いですよ……って訳にも行かないんだわ、兄ちゃん達。この先は私有地でさ、自分は土地の持ち主に警備を雇われてる身でさあ。誰も絶対に通すなって命令を受けてるんだわ」
「こういうのも人間の世の中では良くある事だ」ヒュウラに小声で伝えてから、再びデルタは男に話掛ける。
「我々が保護するのは世界でレッドリストに指定されている絶滅危惧種だ、早急に対処する必要がある。土地の所有者に連絡して交渉してくれないか?協力してくれるなら、組織からそれなりに礼をする」
「あー駄目ダメ絶対ダメ!!この先は関係者以外一切立ち入り禁止だ。俺だって先に行くのは禁止されてるし、何がこの先にあるのか俺も分からない。が、面倒事には巻き込まれたくねえから、俺は自分の仕事をするだけだ」
 ヒュウラは腕を組んだまま顔を向けてくる。サングラスで目の状態は分からないが、他のパーツは微塵も動いていない。デルタは小さな溜息を吐いて銀縁の眼鏡を指で調整すると、ショットガンを掴んでいる腕に力を加えた。

 番人の男は、微笑を浮かべて拳銃の撃鉄(ハンマー)を引き、銃口(マズル)を向けてくる。眉一筋動かさないヒュウラの横で、同じ顔の反応をしたデルタの眉間に標準を合わせた男の口角が更に上がる。
「悪いけど、今日の飯を食う為の給料が掛かった命令なんだ。諦めて引き返しな、揉められると最悪、穏やかじゃ無い手段も使わせて貰う」
「それはお互い様だ。が、私は暴力的な事をしたくない。誰も通すなって命令を受けているそうだが、具体的には?鳥や虫や獣等も通行禁止か?」
 突拍子の無い質問をされて、男は目を丸くする。銃を下ろすと、幼稚染みた内容を小馬鹿にするようにケラケラ笑い出した。
「流石にそこまで厳重じゃねえよ。通せんぼするのは人間だけだ。引き返しな、大人しく言うことを聞けば雇い主には通報しねえよ」
「ふむ」
 デルタは顎に指を添えて考える。凝視してくる番人の男から視線を逸らさずに、ショットガンに加えていた握力を緩めると、
 足でヒュウラの脛を2、3回小突いた。ヒュウラは反応しない。
 構わず、デルタは男に向かって口を開いた。
「もう一度聞く。通れないのは、”人間”だけか?」
「そうだ。人間だけだ。子供でも分かる事だろ?」
 ヒュウラの片手がサングラスの縁を掴む。企むように口角を上げて、デルタは更に質問した。
「念の為にもう一度、確認する。”人間”は、駄目なんだな?」
「おいおい何度も言わせるなよ!人間の通行は駄目だ!兄ちゃん往生際が悪いぞ!!」
 デルタは歯を見せて笑うと、ショットガンを左手に持ち替えて、右手でロープを掴んだ。
「よし、3回言ったな。了解、した!!」
 限界まで持ち上げたロープと地面の間を、影が高速で通り抜ける。飛んできたサングラスをロープを離した手でキャッチしたデルタは、影の過ぎ去った方角を唖然と見る男に、不敵な笑みを見せた。
 ヒュウラは側に、もう居ない。
「言っておくが、あいつは人間じゃない」
 飛び出しそうな程に目を見開きながら拳銃を向けてきた男に、デルタはショットガンの銃口を向ける。脇で銃床(ストック)を挟みながら右手をポケットに入れると、サングラスと交換して通信機と手錠を取り出し、男の眼前で左右に振った。
「そして一応、この通信機には録音機能もある。私は暴力はしたく無い。物理的なモノは、出来ればな」
 男の眉間にショットガンの銃口を付ける。デルタは満面の笑みをすると、手錠の拘束部をW形に開いた。