Bounty Dog【Science.Not,Magic】0-α

0-α

「本当、お前はクレイジーだよ」
 紫煙に包まれた空間で、その男は頭に装着しているヘッドセットに付いたマイク越しに”相棒”に向かって呟いた。
 男の名前はセグルメント・カッティーナ。東南の海に群れながら浮かんでいる小さな島の1つの上で、45年前に極々普通の人間として生まれた。魚や海老やタコ貝イカや南国の草木や派手な羽色の鳥や動物云々達と共に生きて育ち、魚と動植物達を島と海に置いてグッド・バイし、彼は結婚しており子供も4人おり、極々普通の所帯持ちだが家族も島に置いてグッド・バイして、家族よりも遥かに愛して止まない機械と煙草を相棒にして連れて行き、とある目的の為に国際保護組織に入隊し、現在は保護任務に明け暮れる毎日を送っている。
 そんな彼には今、機械と煙草とは別の相棒も居た。その相棒は”生き物”で、どんな生き物よりも狂っている。
 セグルメントは、とある国にある、とある安ホテルの客室のベッドの上で胡座を掻いていた。眼前に置いたノートパソコンを凝視し、部屋中を高濃度ニコチン入り煙草の毒煙で汚染させてベッドメイク担当者達と周囲の部屋に居る客達と次の利用客達に癌という不運サプライズプレゼントを与える個人任務を同時遂行しながら、クレイジー生き物こと相棒に向かって指示をした。
「E20な、E20な!其処はD25だ。道に迷うのも良い加減にしろよ!まどろこしいじゃ無えんだよ!!この、
 超人野郎が!!」

 摩天楼。近代から現在において、人間達が作り出した『異物』の束。華やかで美しく、不気味で悍ましい鉄と石と硝子の巨塊達は、規則正しく、そして競い合うように大地の上に建ち並べられている。
 夜闇を照らす太陽変わりのネオンの光が、都市全体を包み込んでいる。中央に立つ巨大なホテルからは白昼のように煌びやかな光が放たれており、黄金と白金が覆う壁の中は、資格のある『人間』のみ侵入が許される異質な空間が広がっている。
 真赤の布が四方を包む地下の大広間に金が舞う。エードと称される紙幣をチリ紙のように放り投げる人間達が見つめる先には、木槌を持った人間の男の背後にアラビア数字が並ぶ巨大なモニターが設置されている。
 モニターには世界共通文字で、2つの文章が表示されていた。
『当会員制競売場の売品は、厳重保管を御約束。犬1匹侵入させない、強固な警備も御約束。』
 幾千枚の1万エード紙幣が、クラッカーから出てくる紙テープのように大勢の人間の手から投げ上げられてシャンデリアが並んで吊り下げられている梁を越え、天井に叩き付けられて床に降り落ちる。目元に白金(プラチナ)の仮面を付けた百万長者達と億万長者達が今宵の競売主催者に莫大な額のチップを野蛮に渡すと、主催者が替わっただけで他は何ひとつ変化していない、人間のエゴ祭典が開幕した。
 超高級品の照明装置のアームに埋められている数百の天然ダイヤモンドが、豆電球の光を浴びて星のように光り輝いている。無数の人間が付ける白金の仮面達が放つ反射光と、宝石付き照明器具が放つ無数の光の粒に混じって、天井近くを覆う闇の一角にも、光が孤立して1つ輝いている。
『そう、其処こそE20』
 セグルメントが呟いてきた。闇の中に居る”生き物”が反応する。孤立している光の粒が動き出した。数センチ前進して、止まる。セグルメントが再び、声を潜めて相棒に話し掛けた。
『散髪屋や飯屋の予約だったら、遅刻し過ぎると自動キャンセルだが。こういう成金向けのクレイジー大会は、開催側が平気で遅刻するんだよ。良かったな、病的方向音痴野郎』
「まどろこしい」1粒の光以外の全てを闇に溶かしている其の”生き物”は、実年齢よりも渋い音調の声で独り言をぼやいた。東の島国で使われる『面倒臭い』という意味の独自語を口癖にしている其の生き物は、大きく前進して、止まる。競売品が置かれる舞台の真上まで来ると、光の粒が大きく揺れた。
 生き物が相棒に向かって言う。
「指示をくれ、セグルメント」
 セグルメントは要望に応えた。

 盛大な拍手の嵐が巻き起こった。セグルメント命名”成金のクレイジー大会”こと会員制超高級オークションが開催される。黄金の仮面と蝶ネクタイを付けた燕尾服姿の男達が、金の台座に乗った売品を舞台まで運んでくる。
 天井近くの梁に乗って闇に溶けている其の生き物は、両の目で物体を見下ろした。目の色は左右共に赤。紅蓮の炎が燃えているかの如く真っ赤な色をした目が、気怠さそうに”ターゲット”を見つめる。
 シルクの布を取り払われて、姿を現した物体は”生き物”だった。ルビーとサファイアを散らし埋めた悪趣味極まり無い金の仮面で目を覆っている司会者らしき男が、新たな命の代わりに内臓脂肪を孕んでいる見事なビール腹を包んだ高級スーツの上着を翻し、腕を高々と上げて、声も高々と張り上げた。
「紳士淑女諸君、お待たせ致しました!最初の商品はこちら!何と、1品目から非常に貴重な品です!当社の特別ルートで仕入れた逸品!1万年前に中央大陸で大帝国を築き上げた、歴史で今尚も語り継がれる、かの伝説の征服王の姿を形取った青銅像です!200万エードから入札を始めます。挙手をどうぞ!」
「出ました、900万エード!他に挙手は御座いませんか?」
「1500万エード!未だ出せるか?」
「2800万!2800万エード!!3000万エードを出せる人は?……おお!素晴らしい、3200万エード!!さあ、この金額を超えてくる人はーー」
『ありゃあ、中央大陸の博物館から奪われた盗品だよ』
 セグルメントの声がぼやいた。彼の肉体は遠く離れた下町にある安ホテルのベッドの上で両足を投げ出して軽く柔軟体操をしてから、胡座を掻いて座り直し、ナイトテーブルに置いているマグカップに入った温くて不味いインスタントのブラックコーヒーを一口飲んで、横に置いたキャパシティオーバードライブが掛かっている灰皿にシケモクを追加し、新しい紙巻き煙草をシガレットケースから1本出して咥えてから、オイルライターで火を付ける。
 猛毒の紫煙が吐息と混ざって大量に吹き上がった。副流煙を一切浴びていない赤目の生き物は、煌めく光を放つ物体から小さな金属音を連打で響かせる。
 煌めきの範囲が広がった。糸のような細い光が数本、天井を覆う闇の中で舞い踊ると、声だけが同行してきているセグルメントがウンザリしているようにぼやいた。
『あーあマジかよ。中央大陸全域から南西大陸の東までと北西大陸の東まで纏めて植民地にした、伝説の征服王の唯一残ってる偶像の文化遺産が、たったの3200万エードかよ。もう見たく無えわ、このクレイジーフェスティバル。さっさとアレ、保護しちまえ』
「承知した、セグルメント」
 返事して直ぐに、其の生き物の赤い目が吊り上がった。光の糸達が宙を舞う。十時に光る白銀の物体が闇から姿を現した。
 其の生き物は”人間”になった。動き出す。

 テーブルを叩く木槌の打音と、参加する富豪達の歓声が混じり合う。割れるような拍手を浴びながら3200万エードという破格で叩き売りされた人間の歴史遺産にシルクの布が覆い掛けられると、落札者の名前が書かれたプレートが貼り付けられた。膨らみに膨らんだビール腹が本体であるかのように目立っている司会の男が、木槌を打ちながら声を張り上げる。
「静粛に!静粛に!!未だオークションは始まったばかりです。続いての御品も非常に希少品ですが、商品の確認と用意に少々お時間をーー」
「否(いな)」
 天井から声が響くと、祭典が突然喪失した。高速で回転する巨大な十字形の刃物が天井から舞い飛んでくると、舞台裏に貼られたモニターを横に二分割する。電子機器が壁ごと切り裂かれて崩れ壊れると、瞬く間にシャンデリアが1つ残らずチェーンを切られて、競売参加者達の頭上目掛けて落ちてきた。
 狂った祭典にふさわしい、狂ったような悲鳴と怒号が無数吠え上げられる。白銀の十字刃物が宙を高速回転しながら、生き物のように部屋中のあらゆる無機物を切り裂いていく。二分割に切られた扉が倒れ崩れると、仮面人間達が仮面を付けたまま押し合いへし合い会場から逃げ去っていく。
 金仮面を付けた司会者はショックを受けて気絶した。舞い暴れる十字形の刃物はテーブルを切り、卓上に置かれた無数のワイングラスを切り裂いて葡萄酒を絨毯に降らし溢れさせる。キャビア乗せクラッカー入りの皿を切り、椅子を切り、絨毯も切り、無機物を手当たり次第に切り裂いて回転しながら天井に舞い上がっていく。
 巨大刃物が闇の中に潜ると、何かに掴まれたような音がしてから、短い金属音が連打で聞こえた。続いてひとつの影が、闇の中から宙返りしながら落ちてくる。唯一切り裂かれずに無傷である”ターゲット”の前で着地した影は、色が黒から赤になった。東洋の人間の特徴である黄色い肌以外が、赤。特に長めの前髪をしているショートヘアの髪は、燃えるような赤色に染まっていた。
 其の人間は小柄だが、胴と同じ大きさがある『クナイ』という櫻國の独自武器を右手に掴んでいる。白銀のクナイは4本の糸で結ばれており、糸は左腕に巻いている赤紫色の手甲と繋がっていた。手甲と、草鞋と足袋を合わせたような独特の靴は赤紫色だが、其れらと武器と肌以外は赤。袖に膨らみが無い赤い和式の装束着の上に、赤系の色で塗られた和式の鎧を装着している。
 赤毛赤目の其の人間は、20代前半の若い男だった。右手に掴んでいた糸付き巨大クナイを腰の背側に取り付けている専用の鞘に収めると、同じ手で絹の布ごと”ターゲット”である盗品文化財を掴み持った。室内が暗転する。赤いテールランプが、けたたましいサイレン音と共に半壊した部屋中を踊り照らし出した。
 セグルメントが、のんびりと言う。
『うん、お約束のベタ展開も俺の期待通りに発動したな。よし、超人よ!華麗にズラかるのだ!!』
 赤ずくめの櫻國人の男は、破れた壁紙の奥から見える、隣室に置かれている売買予定だった商品達を眺めた。
 真紅の目で物品を観察してから男が小さな鼻息を吐くと、仰向けになって気絶している司会者のビール腹の上に乗った売品リスト帳を奪い取る。赤装束の腰にある物入れ用の隙間に放り込むと、セグルメントに短い返事をしてから部屋を出て走り出した。

 現在居る此の超高級ホテルは、7ヶ月前に”後輩”が盛大に暴れており、至る場所に爪痕が残されていた。壁の一角に木の板が貼り付けてシルクの布が被せられ『基礎から補修中』と世界共通語で書かれた木板が釘で打ち付けられている、上階の通路を”赤”は疾風の如く走り抜ける。己と同じ巨大刃物を当時持っていながらも防御に徹していた後輩に対し、赤は真逆の行動を取る。
 追手に背を追われず、前方から先回りして追手を倒していく。宙を高速回転しながら舞う十字形の刃物が、客室が連なる通路に置かれた無機物も手当たり次第に切り裂く。刃物はスーツを着たSP達が持つ銃火器も切り裂いた。目を覆っていたサングラスを髪の一部ごと切り壊されたSPは、意識も切り裂かれて気絶した。
 十字刃物は何時迄も回転速度が衰えない。生き物のように宙で舞い踊る巨大刃物が切り裂く獲物を失うと、漸く速度が落ちてきた刃物を糸越しに引き戻した赤の右耳に取り付けられた小型レシーバーの奥から、セグルメントが話し掛けた。
『よし、はい、その程度でマジOK。目的地はE82-R。此の上だ、屋上まで上れ』
「承知した、セグルメント」
 レシーバーから伸びている小型マイク越しに”赤”が返事をした。ゆっくりと舞い戻ってきた刃物を手でキャッチすると、連続音を響かせて十字刃物をクナイに変える。再び走り出すと、後輩がかつて通った道を辿った。屋上へ続く長い階段を高速で走り登る。其の人間は足が速かった。後輩よりも足が速かった。
 ものの数分で屋上に辿り着く。7ヶ月前に後輩は『B82-2A-R』と誘導役(ナビゲーター)から指示され、現在『E82-R』と相棒の誘導役に指示された同じ場所を、赤ずくめの巨大刃物使い人間も真っ直ぐ走った。此の場所も爪痕が残されている。建物の端に獣除けの電撃柵が新たに取り付けられていた。
 彼は人間であるが、大半の人間が持っている身体能力を易々と超えていた。セグルメントは彼を”超人”と呼ぶ。事実、亜人である後輩は苦手にしている電撃柵は、此の人間にとっては何の脅威にもならなかった。
『うーしうしうし、GO、GO、GO、GO!では30分後に、空港で落ち合おうベイビー。道に迷うなよ?』
「承知した、セグルメント」
『団子、しこたま買ってきておいてやるよ』
 赤が不敵な笑みを浮かべると、右手に掴んだクナイが連続音を響かせて十字刃物に変わる。勢い良く投げられた刃物が高速回転しながら鋼鉄製の電撃柵をV字に切り裂いた。柵に高圧電流が流れ走るが、倒れ落ちた部分に開いた隙間から、赤は一気に柵を潜り抜ける。刃物を空中で回転遊舞させながら、勢い良く跳ね飛んだ。
 宵闇に包まれた空に、無数の星が輝いている。見事な星の海である。何千光年も離れた遥か遠くの宇宙に浮かぶ恒星の粒は、1つ1つの星の周りにも多くの星が回っていて、己が居る此の惑星のように数多の生き物が暮らしているのだろうと、ロマンチックな想像をしてしまう程に今夜も絶景だった。
 彼も星の海をのんびり観察しない。だが余裕綽々だった。十字刃物と共に宙を縦回転しながら飛び舞う。亜人の後輩が実施した『壁蹴り降り』という人間離れの極みでしか無い技は流石に出来ないが、兎の亜人がかつて願った”隣接する高層建物の屋上に飛び移る”を容易に成功させた。


 セグルメント・カッティーナは安ホテルのチェックアウトを済ませて、下町の道路でタクシーの到着を待ちながら、相棒が任務を完了させた高級街の高層ビル密集地帯をのんびりと眺めていた。脇にパーツ諸々とCPUグリスとネジを使って組み立てた完全自作品のノートパソコンを挟み、口に煙草を挟んでニヤニヤ笑っている大柄の人間は、毛が生えている褐色の腕を伸ばして、天に向かって親指を突き立てた。
「んし!民族文化課でのラスト任務は無事完了!んじゃあシルフィ、あいつを回収してブツを9班の支部まで届けたら、そのままソッチに行くわ。ウチのクレイジー超人を一緒に連れて行ってやるから、文句無えだろ?あいつはマジでクレイジーな超人だ!クレイジー同士で仲良くやってくれ!!
 という訳で、亜人課への異動を記念して!カンパーイ!!」
 セグルメントは指の形を変えた。天に向かって高々と上げている腕の先にある手が見えないカクテルグラスの首を摘み持つと、空中で揺らして、見えない”幽霊”と乾杯した。