Bounty Dog 【清稜風月】233-235

233

 狼の唸り声は聴こえない。聴こえる筈が無かった。今居る此の東の島国では、遥か遠くの昔に存在していた動物の狼は他の多くの生き物と同じく人間によって、寿命を全うするという自由を全ての個体が奪われた挙句、死に絶えている。
 西洋の山々で生き残っていて東の島国にやって来ている人間に姿が酷似している1体の狼も、唸り声というモノは産まれてから一度も出した事が無かった。グルルルという唸り声を良く出していた雄体の狼は、彼にとっては遥か過去に出会って別れている存在である。唸り癖があった狼と別れてから遥か未来で出会って別れた人魚のような姿をしていた白い川魚は、唸り声では無いが「うふふふ」と良く口から漏らしながら笑っていた。
 此処に今は居ない相棒の雌猫は、生理現象で頻繁にニャーニャー、ニャーニャー鳴く。中東に残している雄の子分モグラは関わっている間、四六時中「セールでやんす」だの「割引でござんす」だの云々かんぬん謎の言葉を連呼しては、あぎゃあぎゃ、あぎゃあぎゃ喚きまくっていた。
 亜人は何かあれば直ぐに唸ったり喚く奴が多い。狼の亜人である彼も口癖が幾つかあるが、唸り声を出さなければ機嫌が極端に悪くならない限りバウバウ吠えをして喚く事も無いので「珍しい」と人間達に言われていた。“ノウ”と一緒に山の何処かで身を潜めているのだろう、虫の亜人の日雨も機嫌が悪い時に人間が使う「プンプン」の擬音を「ブーン」と言う事はあったものの、ブンブンやブーンブーンやカサカサ、カサカサ等という虫を示しているような言葉を頻繁に漏らすような意味の無い喚き声は出さず、唸ったり鳴いたりも勿論しなかった。
 日雨は、8歳の頃から”人間”として此の山で生きている。ヒュウラは、産まれてから19年以上”亜人”として生きていた。

 天高く弾かれて宙でグルグル高速で回っていたコインは、地上に落ちて止まろうとしている。太陽の位置はますます傾いていた。夕刻が近付いている。
 夕刻から宵の刻になる前に、此の山で起きている全ての事が片付いた。

234

 彼女の最も叶えたかった夢は、余りにも短く設定されている己の生涯で可能な限り多くの存在と”友達”になる事。
 此の島に住んでいる固有の存在であっても、外の世界から来た外来の存在であっても彼女にとっては何の問題も無かった。彼女は此の世に生きている全ての命を、どんな命も心から深く愛していた。
「友達になりたい」
 最期に伝えた言葉も、夢と意思を貫き通した、彼女らしいモノだった。

235

 現刻の日雨は極めて元気だった。今は狼の亜人から名付けられし渾名”ノウ”は烙印のように押されていて何をどう抗おうとも足掻き倒そうとも激推し亜人から決して喪失しないだろうと悟りし不憫な人間の女・コノハに連れられて、山の頂上に避難している。
 桃色の振袖を捲り上げて、白み掛かった黄色い肌をしている細い両腕に丸めた黒い着物を抱えていた。ヒュウラが櫻國滞在中に着ていた寝巻き用の着物は現在、非常に小さな別のモノを包んで、未だ肌寒い山の空気と”汚染”から保護している。
 日雨は、山の頂上で双眼鏡越しに山の麓近くで白い煙を吹き上げている火事跡を観察している”ヒュウラさんのノウ”の横顔を繁々と観察していた。機嫌の良い虫の亜人は背中に生えている4枚の羽を広げてリンリン美麗な音を鳴らしながら、汚染されていない澄んだ山の空気で深呼吸をした後に双眼鏡を目から離した”ヒュウラさんのノウ”に話し掛けた。

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