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第42章 シャルル=アンリ・サンソンの日記

草月21日[6月9日]

 昨日、最高存在の祭典が催された。10リュー[約40キロメートル]四方から最高存在を祀るために花が集められたが、最高祭祀官は期待されていた寛容の言葉を発しなかった。もしそうしていれば、通りを行き交うたくさんの薔薇、穀物の穂、葡萄の枝[を持った人びと]よりも最高存在から祝福されたはずだ。[旬日の]第9日の夜、我々は処刑台を解体して完全に撤去した。そうしたことが本社があるのではないかという噂の信憑性を高めた。人間の血が泡立っている見るもおぞましい下水溝は厚板で覆われ、砂が撒かれたが、そこから漂い出る悪臭を緩和することはできなかった。残酷な者たちが正義と寛容の神に捧げると称した冒涜的な賛辞に対して墓場の底から哀れな死者たちが抗議していたのだろう。その日は晴れがましい日であったが、誰も好印象を持ったわけではなかった。国民公会の議員たちにとってこの祭典は最高存在の祭典というよりはむしろ不和の祭典だったようだ。ロベスピエールは国王の特権の中で最もすばらしい特権である寛容を主張しなかったが、少なくともその形式的な高慢さは自分のものとしたようだ。共和国の標語によって我々に約束されている「自由」はこれまでのところ非現実的なものだとわかっているので、我々は標語の最後の二つの言葉に大きな価値を与えている。どうやら曖昧な「平等」は我々に残されているようだが、「博愛」は欠如している。我々の綱領の中で残っているのは「死」という最後の選択肢のみである。というのは「平等」という点からすると、ロベスピエールは能力を誇示して同僚の中で抜きん出た存在になることによって「平等」をぞんざいに扱ってしまった。国立庭園の円形階段席で国民公会の議員たちを長く待たせたことでロベスピエールは非難されている。またチュイルリーからシャン・ド・ラ・レユニオンまでの道中、ロベスピエールが議員たちからかなり距離を取って先行したせいで、群衆から見れば、まるで主人の足跡を従順にたどって歩く羊の群れのように見えたと非難されている。彼の気取った身なりからその手に持った巨大な花束に至るまで非難の対象にならないものはなく、少数の急進的な共和主義者にとってそれらは彼が王政に傾いている明白な証である。もし彼らが間違っていなければ、ロベスピエールは絶好の機会を逃してしまったと言えるだろう。私自身がさまざまな人びとから聞いたところによれば、人民は死刑に飽き飽きしているので、ちょっとした合図があればロベスピエールを王座に登極させるに違いない。ロベスピエールがそのような機会を再びに出せることはあるだろうか。[旬日の]第10日にギロチンが置かれている広場がすっかり片付いているのを見た通行人が[旬日の]第1日の朝にまたギロチンを見れば、おとぎ話のように思うかもしれない。深夜から我々は処刑台の再設置を始めた。シャン・ド・ラ・レユニオンからの帰りが遅くなった花飾りを持った人びとがまだそこを通っていた。そして午後4時から[ギロチンの]刃は22回落ちた[仏文原注:草月21日に判決を宣告されて処刑されたのは、敵と通謀して反革命的な発言をした[ことで有罪になった]旧貴族のルイ・ド・ポン、その息子でアメリカ合衆国海軍士官のロベール・ド・ポン、ルイ・ド・ポンの姉妹で修道女のマリー=ロザリー・ド・ポンとエリザベート・ ド・ポン、ムランの調停裁判所の元裁判長のエティエンヌ・ルガンヌ・ド・プランサ、煙草商人のアントワーヌ=ジョゼフ・ヴェイラール・フォン=ブイヤン、ディジョンの元会計係のシャルル・ペレイ、エタロン(ソーヌ=エ=ロワール県)の元主任司祭のルイ=フィリップ・クロワシー、専制を助長する請願、自由の木の破壊、ヴァンデの反逆者の黙認、反革命的な発言などをした[ことで有罪になった]元弁護士で立法議会議員のラウル=マリー=レオポール・スタバンラートとその兄弟でシャトーヌフの町の書記官のマチュ=レオポール・スタバンラート、ラフェルテ=レ=ブワ[Laferté-les-Bois]郡の治安判事の小ピエール=ルイ・ボー、シャトーヌフ郡の総代官のルイ=ジョゼフ・ルペルティエ・ラ・ビドーデリ、ラ・フェルテ・レ・ブワ[La Ferté-les-Bois]の国有林管理局長のジャン=ジョルジュ・レ・ブーランジェ、旧貴族でシャンパーニュ擲弾兵隊の中佐のニコラ=マリー=アントワーヌ・フォルティアン・デピネ、シャトーヌフの農夫のジャン=アントワーヌ・エルボー、ラ・フェルテ・レ・ボワ[La Ferté-les-Bois]の管理人のピエール・ロベール・ゴーリュ=ドゥヴォー、ミュンヘン([現ドイツ南東部の]バイエルン)のカフェの主人のジャック・ルペルティエ、ジルベール・デ・ヴォワザンの家具職人のアントワーヌ・ゲールボワ、年金支払局の事務員のジャン=バティスト・オーヴレイ、ピュイ=ラ=モンターニュ郡の行政官のピエール=ルイ・ヴァレ、プランテル(コート=デュ=ノール県)の元主任司祭のフランソワ=ジェラール・コルモーである]。

草月22日[6月10日]

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