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第44章 熱月9日後のわが父と大叔父の逮捕

 わが父が記録の最後の部分で言及した事件は重大な性質のものであり、危うく命に関わるところであった。父が以下のような説明を書いたのは数年後のことであった[アンリ=サンソンの記録は原文では括弧書きになっているが、煩雑なので括弧を省略する]。


 ブリ地方への遠征の後、私はパリに戻った。パリで私は通常の軍務を逸脱するようなことをほとんど何もしていなかった。私は兵士たちを訓練して軍事技術の研究を深めた。ある任務を遂行するために召集された時、私と近親者の1人にとって危うく命取りになるところであった。

 熱月9日[[7月27日、ロベスピエールが失脚したテルミドールの反動が起きた日]のことであった。首都のすべての地区に大きな不安が広がっていた。国民公会における政治闘争の結果についてあらゆる種類の噂が流布していた。我々は自分たちの地区のいつもの集合場所へ急いだ。そして私が何が進行中かを聞いた。その時、中隊を率いてグレーヴ広場に向かうように求める命令がパリ市当局から届いた。私は少しためらった。そこで私は集まった人びとから助言を得るのが賢明だと考えた。高級副官の署名があるので命令に従わなければならないというのが答えであった。私はさらに助言を求めた。委員会の構成員たち[仏原文はmembres des comitésとあるだけで具体的にどのような組織の構成員なのかは不明]が個人的な知り合いだったので、私は彼らに相談することにして、我々の地区の問題に直接関与しない上官の命令に服すという特殊な状況においても、自分が地区に所属していると見なせるのかと言った。委員会の構成員たちは、私の率直さを賞賛したが、受け取った命令に従うべきであるという全会一致の意見を示した。

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