ミュージカル『ハミルトン』歌詞解説28―Say No To This 和訳
はじめに
ミュージカル『ハミルトン』は、ロン・チャーナウ著『ハミルトン伝』(邦訳:日経BP社)をもとにした作品である。
物語の舞台は18世紀後半から19世紀初頭のアメリカ。恵まれぬ境遇に生まれたアレグザンダー・ハミルトンは、移民としてアメリカに渡り、激動の時代の中を駆け抜ける。アメリカをアメリカたらしめる精神がミュージカル『ハミルトン』には宿っている。
劇中では、友情、愛情、嫉妬、憎悪など様々な人間ドラマが展開される。ここでは、そうしたドラマをより深く理解できるように、当時の時代背景や人間関係を詳しく解説する。
”Say No To This”
※歌詞の和訳はわかりやすく意訳。
※歌詞の原文は『Hamilton the Revolution』に準拠。
Maria Reynolds enters. Burr enters.
BURR:
There’s nothing like summer in the city. Someone under stress meets someone looking pretty. There’s trouble in the air, you can smell it. And Alexander’s by himself. I’ll let him tell it.
「この街の夏よりも素敵な夏はない。ストレスにさらされている者が魅惑的な誰かに会う。何だか雲行きがあやしいが、気づいているかな。アレグザンダーは自ら厄介ごとに首を突っ込んでいるようだが。さて彼は何と言うかな」
HAMILTON:
I hadn’t slept in a week. I was weak, I was awake. You never seen a bastard orphan More in need of a break. Longing for Angelica. Missing my wife. That’s when Miss Maria Reynolds walked into my life, she said:
「1週間も寝ていないよ。私は弱り切りながら起きている。これまで以上に休息を必要としている私生児の孤児を見たことがないだろう。アンジェリカが恋しい。妻が恋しい。マリア・レノルズが私の人生に踏み入ってきた。彼女は言った」
解説:いわゆるレノルズ事件である。1791年、ハミルトン一家は当時、暫定首都であったフィラデルフィアに移っていた。夏の間、イライザは子供たちとともに父スカイラーのもとへ避暑に出かけていた。そして、マリア・レノルズと名乗る女性がハミルトンの自宅にやって来た。ハミルトンは夫に捨てられたと訴えるマリアに同情してお金を渡すようになっていつしか不倫関係になった。
しばらくしてマリアは夫ジェームズと和解したと告げた。そして、助けてくれた恩人としてハミルトンをジェームズに紹介した。どうやらマリアは夫と組んで影響力のある人物に取り入ってゆすりを働こうとしていたらしい。ジェームズは財務省の職を得ようとしていたが失敗した経験を持つ。投機家の依頼を受けて公債を退役軍人から安く買い集めていた。もし公債償還計画が議会を通過すれば、公債は高騰するはずであった。それは投機家にとって大きな利益を上げる機会であった。
1791年12月15日、夫がイライザに不倫を暴露しようとしていると告げるマリアの手紙がハミルトンのもとに届いた。さらにジェームズの脅迫の手紙が届いた。事務所に乗り込んできたジェームズにハミルトンはお金を渡した。その後、ハミルトンは何度かお金をゆすり取られた。
1792年になってもハミルトンとマリアの関係は続いていた。ジェイコブ・クリングマンという男はマリアの家でハミルトンの姿を見て不審を抱いた。マリアから事情を聞いたクリングマンはハミルトンがジェームズを介して職務上、得られた知識を投機家に不正に横流しして私腹を肥やしているのではないかと疑念を持った。
しばらくしてクリングマンはジェームズと組んで連邦政府に対して詐欺を働こうとして逮捕された。何とか罪を免れようとしたクリングマンは、ハミルトンと対立する民主共和派のフレデリック・ミューレンバーグ下院議員のもとに赴いてハミルトンが不正な投機目的でレノルズにお金を渡していたと訴えた。
ミューレンバーグはジェームズ・モンロー上院議員とエイブラハム・ヴェナブル下院議員とともにジェームズを尋問しようとした。しかし、ジェームズは姿を消した後であった。そこで3人はハミルトンに直接事情を問い質した。ハミルトンは職務上の不正について否定したが、驚くべきことにマリアとの不倫を自ら暴露した。ジェームズにお金を渡していたのは、不正な投機目的でお金を渡していたわけではなく、個人的な不倫をもとにゆすられていただけだと証明するためであった。こうした弁明を受けたモンロー達は告発を見送った。ハミルトンの告白を聞いた3人は口外しない旨を誓約した。そして、モンローが証拠文書の写しを預かった。
『1796年のアメリカの歴史』という本が出版されて物議を醸した。この本はハミルトンの不倫問題を公に暴露しただけではなく、それが汚職と関係していることを示唆していた。そこでハミルトンはいわゆる『レノルズ・パンフレット』で自ら不倫問題について認めて、汚職とはまったく無関係だと釈明した。
ハミルトンは不倫の証拠文書をモンローが『1796年のアメリカの歴史』の作者に横流ししたのではないかという疑いを抱いた。この問題をめぐるハミルトンとモンローの確執は決闘寸前まで紛糾したが、幸いにも決闘は立ち消えになった。モンローは生涯にわたって証拠文書を横流しした事実はないと一貫して否定している。
MARIA REYNOLDS:
I know you are a man of honor, I’m so sorry to bother you at home But I don’t know where to go, and I came here all alone.
「私はあなたが有名人だと知っています。あなたのお宅にお邪魔してすいません。でも私はどこに行けばわからなかったのです。私はここに独りで来ました」
HAMILTON:
She said:
「彼女は言った」
MARIA:
My husband’s doin’ me wrong Beatin’ me, cheatin’ me, mistreatin’ me. Suddenly he’s up and gone I don’t have the means to go on.
「私の夫は私にひどいことをします。私をぶったり、だましたり、ぞんざいに扱ったり。夫が突然、姿を消したせいで私は暮らしていけません」
HAMILTON:
So I offered her a loan, I offered to walk her home, she said:
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