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第28章 ルエリーの陰謀

 王の死の直後、8月10日に設置された特別重罪裁判所は「革命裁判所」に取って代わられ、ギロチンはしばらくの間、血塗られずに置かれていたが、再び毎日必要とされるようになった。その時、執行された処刑はこの回顧録に記録するほど重要なものではなかった。共和国を転覆させようとした有名なラ・ルエリーの陰謀が起きるまで私がわざわざ言及する価値もない名前しかなかった。

 貴族の大部分は亡命していた。しかし、まだ多くの貴族たちがフランスにとどまっていた。そうした貴族たちはそれぞれはるか遠く離れた城館や田舎の居館に住んでいて、革命の進展を恐怖を抱きながら見ていた。新しい状況を嫌悪していた彼らは復讐の機会を狙っていた。しかし、貴族たちは恐怖のせいでなかなか踏み出せずにいたばかりか、それぞれ離れていたせいで革命を推進する者たちに対して陰謀を企てることができなかった。

 新体制に対して敵を持つ者たちを集結させて、まだ幼い共和国を破壊できるほど強力な連帯をフランス西部で形成したのが微賤の者であったことは興味深いことである。その男の名前はタフィヌ・ド・ラ・ルエリーであった。

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