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第49章 最初の死刑執行

 私の結婚の1年目は穏やかで平和であった。私には幸せになれるあらゆる理由があった。良き母の気遣いのおかげで、我々は自分たちの楽しみと慰めのほかにほとんど何も考えずにすんだ。若妻は美しいだけではなく愉快で心優しかった。我々の結婚には平穏な調和が約束されていた。

 父は、職務を受け継ぐという私の約束について何も言及しなかった。しかし、その約束は絶えず私の心の中にあった。それだけが私の幸福に翳りをもたらしていたように思われる。時々、若妻を見つめながら私は、彼女がマダム・ド・パリという称号を受け継ぐ時がやがて来ることを悲しく思っていた。私が誓いを果たさなければならない時は予想よりも間近に迫っていた。1819年の真冬、父は体調を崩して2ヶ月以上も病臥した。病臥している間の父の絶えざる関心事は、セーヌ県[パリを中心とする行政区分]の巡回裁判所によって、時計と耳飾りを強奪するために2人の不幸な女性を殺害したピエール=シャルル=ランドルフ・フーラルという親衛隊の兵士に下された死刑判決であった。フーラルは20才になったばかりであった。彼の犯罪があまりに残虐だったので執行猶予の望みはなかった。すべては破棄院に委ねられた。破棄院は実体的事項を扱わず、手続き上の判断を覆しただけであった[破棄院(Cour de cassation)はフランスの最高裁判所。破棄院に関する部分は英訳が不明瞭だったので仏原文から翻訳した]。父は、自分の健康状態を鑑みて死刑執行を監督できそうにないと思った。そこで父は地方にいる同業者たちに助けを求めようと考えた。それはあまりよろしくないことだった。私が父の後継者であることはよく知られていたからだ。司法当局はなぜ私が父の代理を務めないのかと質問するに違いない。結婚以来、私は父に同行して何度か死刑執行に立ち会った。ただ私は執行に積極的に関与したわけではなかった。父が果たした役割も私とほとんど変わらず積極的な関与とは言えないものであったと付け加えなければならない。助手たちがほぼすべてを実行することになっていて、処刑人はそれを監督するだけだと父は私に言ったが、それは本当のことであった。

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