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第38章 ダントンとデムーランの裁判

 シャルル=アンリ・サンソンの記録には、ダントン派の裁判に関する情報が何も含まれていない。しかしながら、わが祖父はこの裁判を強い関心を持って見守っていたはずだ。祖父の日記のいくつかの部分を見ると、ダントンとロベスピエールの間で起きた争いの帰結によって革命裁判所が下す死刑判決の数が多くなるが少なくなるか決まると祖父が考えていたことが容易に読み取れる。革命史のこの時期において祖父に対して関心が持たれることは不思議なことではない。わが父は、シャルル=アンリ・サンソンが革命裁判所のほぼすべて裁判を傍聴していて、見聞きしたことをすべて家族に伝えていたと私に言った。祖父の日記に欠落があるのは、祖父が抱いていた感情によるのだろう。

 しかしながら、ダントン事件はとても重要なので、シャルル=アンリ・サンソンの日記に戻る前に何も言及せずにすませるべきではないだろう。

 ダントンに対してどのような意見を持っても、彼の失脚が革命期における重大事件であることは誰もが認めなければならないだろう。それまで革命は革命の敵だと見なされる者のみを攻撃の対象としてきた。高名な指導者の弾劾は共和国の信奉者たちを標的にした最初の攻撃であった。少しずつ革命を推進する者たちは争い合って互いを破滅させるようになった。最終的にバリエールやタリヤンの介入によって共和国という堂宇の倒壊が決定的になった。 

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