ミュージカル『ハミルトン』歌詞解説29―The Room Where It Happens 和訳
はじめに
ミュージカル『ハミルトン』は、ロン・チャーナウ著『ハミルトン伝』(邦訳:日経BP社)をもとにした作品である。
物語の舞台は18世紀後半から19世紀初頭のアメリカ。恵まれぬ境遇に生まれたアレグザンダー・ハミルトンは、移民としてアメリカに渡り、激動の時代の中を駆け抜ける。アメリカをアメリカたらしめる精神がミュージカル『ハミルトン』には宿っている。
劇中では、友情、愛情、嫉妬、憎悪など様々な人間ドラマが展開される。ここでは、そうしたドラマをより深く理解できるように、当時の時代背景や人間関係を詳しく解説する。
”The Room Where It Happens”
※歌詞の和訳はわかりやすく意訳。
※歌詞の原文は『Hamilton the Revolution』に準拠。
BURR:
Ah, Mister Secretary.
「やあ財務長官殿」
HAMILTON:
Mr. Burr, sir.
「バー氏よ」
BURR:
Didja hear the news about good old General Mercer?
「昔懐かしいマーサー将軍のニュースを聞いたかい」
解説:ミランダによる注釈
リズムは予期せぬ場所でひらめくものだ。私はショー全体で「Burr, Sir」という言葉で遊んでいる。だから私は「Mercer」という言葉を思いついた。ではマーサーとは誰か。マーサーをググれ。革命戦争で死んだ将軍である。でもグリニッチ・ビレッジ[訳注:ニュー・ヨークの地区]のダウンタウンで彼にちなんで名づけられた通りなんかないのでは。彼が死ぬ前にどう呼ばれていたのか。ググれ。クレルモン通り。ふむふむこれは完璧だ。レガシー[訳注:後世に残る名声といった意味]に関する歌で我々は、戦争を生き延びれなかった男が自分の名前にちなんだ通りを持てるようになったことについて、生き延びたハミルトンとバーが話し合っているシーンから始めた。権力とレガシーに恵まれなかったことについてバーがこの歌の冒頭でレガシーについて触れているのに注目せよ。ありがとう、マーサー。
マーサー通りはニュー・ヨーク・シティのグリニッチ・ビレッジにある。1799年にアメリカ独立戦争で戦死したヒュー・マーサー将軍にちなんで改名された。クレルモンはフランスの古い街である。そこからレガシー云々の話に繋がっている。
HAMILTON:
No.
「いいや」
BURR:
You know Clermont Street?
「クレルモン通りは知っているだろう」
HAMILTON:
Yeah.
「ああ」
BURR:
They renamed it after him. The Mercer legacy is secure.
「クレルモン通りはマーサにちなんで改名された。マーサーの死後の名声は保たれるだろう」
HAMILTON:
Sure.
「そうだな」
BURR:
And all he had to do was die.
「マーサーがやらなければならないのは死んでいることだけさ」
HAMILTON:
That’s a lot less work.
「たいした仕事じゃないな」
BURR:
We oughta give it a try.
「ちょっと試してみるか」
HAMILTON:
Ha.
「あはは」
BURR:
Now how’re you gonna get your debt plan through?
「ところで公債償還はうまくいきそうなのか」
HAMILTON:
I'm guess I’m gonna fin’lly have to listen to you.
「まずまずだね。君にいろいろ聞かないといけないと思っていたんだよ」
BURR:
Really?
「それで」
HAMILTON:
Talk less. Smile more.
「あまり口を挟まない。にこにこする」
解説:第I幕でバーがハミルトンに助言した言葉。
BURR:
Ha-ha.
「あはは」
HAMILTON:
Do whatever it takes to get my plan on the Congress floor.
「議会の議場で何とか私の政策を通すために手を尽くしてくれ」
BURR:
Now, Madison and Jefferson are merciless.
「でもマディソンとジェファソンは手強いぞ」
解説:マディソンはジェファソンと密かに連携して下院でハミルトンの公債償還に反対する論陣を張っていた。もともとマディソンは連邦政府の権限を強化するべきだという理念でハミルトンと一致していたが、ワシントン政権発足後、しだいに両者の政治的対立が顕在するようになった。
HAMILTON:
Well, hate the sin, love the sinner.
「罪を憎んで罪人を愛せよ[訳注:キリスト教の格言]」
Madison & Jefferson enter.
MADISON:
Hamilton!
「ハミルトン」
HAMILTON:
I’m sorry Burr, I’ve gotta go.
「バー、すまないが私は行かないといけない」
BURR:
But—
「だが・・・」
HAMILTON:
Decisions are happening over dinner.
「決定は晩餐で起きている」
BURR:
Two Virginians and an immigrant walk into a room.
「2人のヴァージニア人と1人の移民が部屋の中に入った」
解説:「2人のヴァージニア人」とはヴァージニア出身のジェファソンとマディソンのことである。「1人の移民」とはハミルトンのことである。ここで言及されているのはいわゆる1790年の妥協と言われる取引である。簡単に言えば、ハミルトン陣営が首都をポトマック川沿いに置く案を支持する代わりに、ジェファソン=マディソン陣営が公債償還計画を支持するという取引である。詳しくは以下にまとめてある。
新政府の樹立で必ず問題になることがある。首都の設置である。権力の中枢をどこに置くかは非常に重要な政治問題である。現代の首都ワシントンはどこの州にも属さない特別区である。なぜか。各州の間で公平を期すためである。
それは新政府が樹立される前に既に決定されていた方針であった。しかし、特別区をどこに設けるかはまだ決定していない。そのため各州で首都誘致合戦が行われた。
特別区の設置は各州にとって重大な問題だ。なぜならもし自州の近くに特別区が創設されれば、周辺の地価が上昇し、多くの人口が流入する。それに首都が近くにあれば連邦の政治動向に影響を及ぼしやすくなる。なぜなら通信手段が未発達な当時において、連邦議員が耳にする人民の声は首都周辺の住民の声が大多数を占めることになるからだ。
ワシントンが大統領に就任した頃、ワシントンはまだ存在しない。では、ワシントンが設置されるまで首都はどこにあったのか。改めて確認してみよう。
大陸会議と連合会議が開催された地が首都であったと考えると、フィラデルフィア、ボルティモア、ランカスター、ヨーク、プリンストン、アナポリス、トレントン、ニュー・ヨークなどが挙げられる。なぜそのように頻繁に会議の開催地を変えたのか。もちろん戦局の悪化や兵乱などによるやむを得ない移転もあったが、根底には北部と南部の均衡を保つという政治的配慮があった。つまり、どこを首都にするか決めかねていたと言ってよい。
それは憲法制定会議でも変わらなかった。首都選定問題は国家にとって重要な問題だが、憲法制定会議の代表達はほとんどそれについて話し合おうとしなかった。なぜなら容易に妥協できる問題ではなかったからだ。それで首都選定問題にできるだけ触れないようにした。
ロバート・モリス上院議員を中心とする一派は、フィラデルフィアを暫定首都にしようと運動していた。一旦、暫定首都になれば、誰もそれ以上、首都を移す気にならない筈だ。当時、フィラデルフィアはニュー・ヨークと並んでアメリカの文化と政治の中心であった。大陸会議と連合会議が開催されていたことからも分かるように、連邦政府を収容する施設には事欠かない。
ジェファソンとマディソンを中心とする南部人たちは、ヴァージニアが革命で果たした功績から、ポトマック川沿いに首都を置くべきだと主張した。また彼らは農本主義の考え方に基づいて、大都市や北部の製造業の影響から首都をできるだけ離そうと努めた。さらに奴隷制度の存続を願う人々にとって、北部の奴隷制度廃止論者の影響が首都に及ばないようにすることも重要であった。こうした思惑が重なって南部の議員たちはポトマック川の畔に首都を置くべきだと提案した。
候補地の中でもハミルトンが強く推すニュー・ヨークは、既に暫定首都となっていたので有利な立場を占めている。しかし、ハミルトンの公債償還計画に反感を抱く者は、ニュー・ヨークを首都にする案に激しく反発する。共和主義を損なおうとする投機家や商人に新政府の主導権を譲り渡すことに等しいと思ったからだ。そして、ニュー・ヨークのことを憎しみを込めて「ハミルトノポリス」と呼んだ。
その一方で妥協を考える者たちの中には、サスケハナ川沿いを候補地として挙げる者もいた。サスケハナ川はニュー・ヨーク州中東部に端を発し、ペンシルヴェニア州を縦断してメリーランド州で大西洋に注ぐ大河である。
首都の位置を選定することは、国家目標をどこに置くか設定することである。近年の例ではブラジルが首都を海岸部のリオ・デ・ジャネイロから内陸部のブラジリアに移した例が有名である。ブラジリアに首都を移すことでブラジルは、内陸部の発展を国家目標にすることを示した。もちろんオーストラリアの首都キャンベラのように、シドニーとメルボルンという主要都市の誘致合戦を円満に決着させるためにその地が選定されたという場合もある。政治的妥協である。
そうした首都選定に関する問題はアメリカも変わらない。北部と南部のどちらに首都を置くかという問題はアメリカの国家目標を決定しようとする試みであった。つまり、北部、特にニュー・ヨークに首都を置くことは、アメリカが商業や工業を中心にした国家を目指すことを意味する。その一方で、南部に首都を置くことは、アメリカが農業を中心にした国家を目指すことを意味する。それに加えて首都の位置は、今後の西部への展望をも左右する。今後、アメリカがフロンティアへ拡大する道を選ぼうとするなら、西境がフロンティアと密接に繋がっている南部に首都を置くべきである。その反対に北部に首都を置けばどうか。フロンティアへ拡大する道は開けない。
こうした北部と南部の思惑が入り乱れ、首都をどこに置くべきかという問題は、マディソンの言葉を借りれば、「迷宮入り」した。フィッシャー・エームズ下院議員も「この問題よりも困惑を招く込み入った問題は他にあり得ない」と記している。議会は、公債償還問題と首都選定問題という2つの難問を抱えて、来る日も来る日も睨み合うだけで何も決定を下せない。
この2つの難問が解決されなければ、連邦が南部と北部に分裂する恐れさえある。しかし、ワシントンは、公債償還問題に介入しなかったように首都選定問題にも介入しようとしなかった。17世紀のフランスの宰相リシュリーは、「一国の政治をうまく運ぶためには、多くを聴いて、あまり口を利かないことが大切である」と言ったという。ワシントンはこの2つの問題について多くを聴いていたが、ほとんど口出ししなかった。ただワシントンが首都をポトマック川の畔に置きたいと考えていることはよく知られていた。
公債償還問題は、ジェファソンが秘かにマディソンに連携することでさらに紛糾の度合いを深めた。ジェファソンは、ハミルトンが提案する財政制度がイギリスを模倣するものだと疑惑を抱き、貧者や無知な者を騙して投機家に利益を与える企みだと思い込んでいた。ハミルトンはジェファソンの策動にまったく気付いていなかった。ジェファソンには狡猾な面がある。何でも率直に意見を言わずにはいられないハミルトンと比べてはるかに自分の意見を隠すことがうまかった。
1790年6月2日、下院はハミルトンの公債償還計画をようやく可決した。しかし、州債引き受けの条項は削除された。これでは画竜点睛を欠くと思ったハミルトンは、何とかして公債償還計画を全面的に下院に受け入れさせようと画策する。
ニュー・ヨークにはバッテリー公園という散歩に恰好な公園がある。マンハッタン島の南端にあるバッテリー公園は、ニュー・ヨーク市民の憩いの場である。この季節は海風が渡ってきてそぞろ歩きには最適だ。
今、ハミルトンはそのバッテリー公園に向かっている。ベルベットの上着に豪華な襞飾りを付けたシャツを着た紳士が優美な馬車から降り立つ。美しい絹や更紗のドレスを身に纏った淑女達がほとんど舗装されていない道を闊歩している。紳士淑女の間を豚がうろうろしているのは少し滑稽な風景だ。
誰もが金持ちになろうとニュー・ヨークにやって来た。イギリス軍の撤退後、一旦、ニュー・ヨークの人口は一旦、減少したが、今は3万人に迫っている。市域もバッテリー公園から1マイル半(約2.4キロメートル)のデランシー通りまで拡大している。それでもまだマンハッタン島の大部分は豊かに広がる畠や密生した森であった。
市域が狭かったのも無理はない。馬車を持っている富裕層を除けば、大部分の都市住民は自分の足でどこにでも行かなければならなかったからだ。この当時、道路網や運河網はまだ整備されていない。都市は外部から大量の物資を供給されなければ存立できない。
さてハミルトンはいったい何をするためにバッテリー公園に向かっていたのか。人と会うためである。誰と。ロバート・モリスである。
バッテリー公園で散歩にかこつけて首都選定問題を話し合おうという算段である。なぜそのような回りくどいことをするのか。当時、行政府に属する者が議員に直接働き掛けて立法の根回しをすることは禁忌とされていたからだ。あくまで偶然、散歩中に出会うという体裁を取らなければならない。
朝のバッテリー公園を2人は連れ立って歩く。ハミルトンはモリスに取引を持ち掛ける。もしモリスが公債償還計画への賛成票を掻き集めてくれれば、その見返りにフィラデルフィアに近いジャーマンタウンかトレントンを首都に選定するように取り計らう。
しかし、ハミルトンの申し出はまったく無駄であった。実は既にペンシルヴェニアの議員団とヴァージニアの議員団の間で、フィラデルフィアを暫定首都にする一方で、ポトマック川の畔に恒久的な首都を置くという妥協が成立しようとしていた。なぜペンシルヴェニアの議員団はフィラデルフィアを暫定首都にするだけで満足だったのか。前述のようにいったん暫定首都になれば、そのまま恒久的な首都になれるだろうと期待していたからだ。こうなるとハミルトンが差し出そうとした対価、つまり、ニュー・ヨークを恒久的な首都にしたいと望む者の票をフィラデルフィアに回すという計らいは必要なくなる。取引材料を失ってハミルトンは完全に行き詰まる。
6月19日、大統領官邸の前でジェファソンはハミルトンを見かけた。いつも小ざっぱりとした服装で溌溂としているハミルトンであったが、その時は疲れ切って服装も乱れていて憔悴しているようであった。もちろんジェファソンは、その原因が何かをよく知っていた。
両者は30分程、立ち話をした。ハミルトンは落ち着かなげに行ったり来たりしながらジェファソンに向かって連邦の危機を訴えた。各州は国家の統一を脅かそうとしている。それにも拘わらず連邦議会は、有効な対策を取ろうとせず、終わりのない議論を繰り返しているだけだ。さらにハミルトンは言葉を続けた。
閣僚は一致団結して行動するべきです。この問題はあなたの[国務]省の問題ではないかもしれませんが、[政権を担う者が持つ]共通の義務によって共通の問題になります。行政に関わるすべての問題の中枢に大統領がいます。したがって、我々は彼の周りに結集して、協力して彼が承認した政策を支持すべきです。もしごく僅かな少数派によってこの問題が行き詰まっていれば、投票を変えて欲しいとあなたの友達に要請してもらえないでしょうか。今、滞っている政府の機能を再び動かそうではありませんか。
静かにハミルトンの意見を聞いていたジェファソンは慎重に返答した。
私は問題の全体像にあまり詳しくありません。採択されようとしている財政制度についてまだよく知らないので、どのような結果をもたらすか分かりません。もしそれが否決されることで、この発端の時期において明らかに我々の連邦が解体の危機に瀕すれば、すべての結果の中で最も不幸な結果を避けるために部分的で一時的なすべての悪弊を容認するべきだと思います。
最後にジェファソンは協議の場を設けることをハミルトンに申し出た。冷静に話し合って互いに譲り合えば和解でき、危機を回避できるだろう。ジェファソンは立場を明かすことなく巧妙に自分を仲裁者の立場に置いた。
その翌日、ジェファソンは、約束通りハミルトンとマディソン、そして、南部の議員を自宅で開かれた晩餐会に招いた。その席で取引が成立する。まずハミルトンは、ニュー・ヨークを恒久的な首都にする案を放棄する。そして、フィラデルフィアを暫定首都にした後、ポトマック川沿いに恒久的な首都を設ける案を容認するようにペンシルヴェニアの議員団に働き掛ける。
もちろんハミルトンは愛着があるニュー・ヨークを首都にしたかった。しかし、公債償還計画の実現のほうが首都選定問題よりもはるかに重要である。ニュー・ヨークを首都にするという地域的利益よりも連邦全体の利益を優先するという政治的判断であった。そうすることでハミルトンは、公債償還計画に対する南部の議員の支持を得ることに成功した。
ジェファソンは、ほとんど自分の意見を述べなかった。ただハミルトンが提示した条件に従って、公債償還計画への反対を撤回してもよいという結論に同意した。マディソンもポトマック川の畔に首都を置くという交換条件があれば反対を撤回するという譲歩を示した。
いつもワシントン政権に批判的だったウィリアム・マックレイ上院議員は、首都選定問題が公債償還問題を解決する手段に使われたことにも不満であったようだ。ハミルトンがワシントンを籠絡して隠れ蓑として利用し、好き放題に振る舞っていると反感を抱いていた。ワシントンがハミルトンの盾になっていることは事実であったから、マックレイの指摘もあながち間違いではない。
6月23日、マックレイのもとにモリスがやって来て「遂に取引が成立する。ハミルトンはニュー・ヨークを首都にするのを諦める」と言った。翌日、モリスが言ったように、ペンシルヴェニアの議員団は、フィラデルフィアを暫定首都にした後、ポトマック川沿いに恒久的な首都を設ける案を容認した。マックレイは日記に次のように記している。
[首都選定に関して]合衆国大統領の利害がポトマック川[の畔]を押したのは事実であり、彼[ワシントン]、ジェファソン、マディソン、[チャールズ・]キャロル[上院議員]とその他の者達がそれを促進する手段を講じたのは間違いない。もし我々[ペンシルヴェニアの議員団]がそうした条件で取引に応じなければ、暫定首都はニュー・ヨークになっていただろう。
この1790年の妥協の結果、7月10日、下院は暫定首都をフィラデルフィアに移転させた後に恒久的な首都を建設する法案を通過させた。ハミルトンは約束を果たした。同法により、候補地を選定し、その建設の監督委員を任命する権限が大統領に与えられた。
その一方で7月26日、州債引き受け案も下院を通過した。マディソンも誓約を守った。こうして成立した妥協は、ジェファソン、マディソン、そして、ハミルトンが協力し合った最後の機会になった。公債償還計画で激しく対立したマディソンとハミルトンであったが、これ以上、争えば国家を分裂させる危険性があるという思いでは共通していた。そうした危機感が両者に迅速な合意をもたらした。ただ仲介役を務めたジェファソンは後に「財務長官に騙されて陰謀に引き込まれ、彼の計画を進める道具として使われた」と述べている。しかし、明らかにジェファソンは自分が何をしたか明確に理解していた。その一方でワシントンは、2つの重要な問題が解決された喜びを友人に書き送っている。
公債償還計画と首都選定問題はその他のどのような問題よりも政府自体を揺るがす危険がありました。今、期待でき得る限りの満足できるやり方でそうした問題が解決されたと私は思っています。
ワシントンが1790年の妥協の成立背景を知っていたかどうかは不明である。先述のようにマックレイはワシントンが妥協に一枚噛んでいたのではないかと思っていたが、真偽はわからない。たとえワシントンが知っていたとしても意見を表明しなかったはずだ。なぜならワシントンはポトマック川沿いに多くの土地を持っていたので、もしそうした妥協を支持すれば自分が所有する土地の価格のつり上げを狙っていると誤解を招く恐れがあった。事実、暫定首都の地位も恒久首都の地位も奪われることになったニュー・ヨークの市民の中には、ワシントンが首都選定に何らかの影響力を及ぼしたのではないかと疑いの目を向ける者もいた。そして、「大統領の神聖な名前は罰当たりな者の口でさえあまり尊重されなかった」と当時の記録は語っている。
驚いたことにワシントンは、マウント・ヴァーノンのすぐ北の地を首都の建設地として指定した。私利私益を追求していると誤解される恐れがある。ワシントンの死後、ジョン・アダムズは首都選定によって「彼は、人民を犠牲にして彼と彼の家族の土地の価格を1,000パーセントも引き上げた」と批判している。それに公平を期すのであれば、大統領は自ら建設地を指定せずに監督委員に判断を委ねるべきだという意見もあった。
ワシントンは自分の利益に目が眩んで首都選定を行ったのか。それは違う。偶然に過ぎない。現在の場所にワシントンが築かれたのには合理的な理由がある。
まず首都選定の前提条件はポトマック川の畔である。つまり、ポトマック川の畔であればどこでもよい。それならば海運に便利なように河口部を選べばよいのではないか。しかし、防衛上の問題がある。
ポトマック川の河口部は、複数の河川によって半島状の地形が形成されている。つまり、もし敵軍が優勢な海軍力を持っている場合、首都が河口部に置かれていれば完全に他の場所から遮断される。そうした危険性を避けるために河口部に首都を置くことはできない。したがって、上流に首都を置いたほうが安全である。
その一方であまりに上流過ぎると北部の主要都市との距離が遠くなるし、航路開拓がまだ完了していないので船舶の運行に支障をきたす恐れがある。
こうした条件から考えると現在のワシントンがある場所こそ最適の場所であった。それに南部に首都を置くことは、北部の投機家が連邦政府を支配するのではないかという南部や西部の人々の疑念を払拭するという政治的効果もあった。政治的効果に加えて、チャールストンを除けば交易の中心になるような都市がなかった南部諸州にとって、首都は新しい機会を生む。
こうして独立国家として今後、発展するために必要となる首都と国家の信用というアメリカの2つの礎が築かれた。アメリカは立ち込めた暗雲から脱した。今後の見通しは明るいように思えた。
BURR, ENSEMBLE:
Diametric’lly opposed, foes.
「真っ向からぶつかり合う敵同士」
BURR:
They emerge with a compromise, having opened doors that were
「彼らは妥協を成立させて扉を開いた・・・」
BURR, ENSEMBLE:
Previously closed, bros.
「君たちが今まで閉じていた扉をね」
BURR:
The immigrant emerges with unprecedented financial power A system he can shape however he wants. The Virginians emerge with the nation’s capital. And here’s the pièce de résistance:
「移民は前例のない金の力を得た。彼の望み通りに制度は作られる。ヴァージニア人たちは首都の問題を持ち出した。さあこれから本番だ」
BURR:
No one else was in The room where it happened. The room where it happened. The room where it happened. No one else was in The room where it happened. The room where it happened. No one really knows how The game is played. The art of the trade, How the sausage gets made. We just Assume that it happens. But no one else is in The room where it happens.
「それが起きた部屋には他に誰もいない。それが起きた部屋には。それが起きた部屋には。それが起きた部屋には他に誰もいない。それが起きた部屋には。どのようにゲームがプレイされたのか誰も本当に知らない。どのような交渉があって結果が出たのか我々は知らない。ただ何が起きたのか想像できるだけ。それが起きた部屋には他に誰もいない」
ENSEMBLE:
The room where it happened. The room where it happens. The game is played. How the sausage gets made. Assume that it happens. The room where it happens.
「それが起きた部屋には。それが起きた部屋には。ゲームがプレイされた。のような交渉があって結果が出たのか。ただ何が起きたのか想像できるだけ。それが起きた部屋には」
BURR AND COMPANY:
Thomas claims—
「トマス・ジェファソン曰く」
JEFFERSON:
Alexander was on Washington’s doorstep one day In distress ‘n disarray.
「ある日、アレグザンダーはワシントンの家の上り口にいて困っているようだった」
BURR AND COMPANY:
Thomas claims—
「トマス・ジェファソン曰く」
JEFFERSON:
Alexander said—
「アレグザンダーは言った」
HAMILTON:
I’ve nowhere else to turn!
「にっちもさっちもいかない」
JEFFERSON:
And basic’lly begged me to join the fray.
「それから私を騒々しい争いに巻き込もうとした」
サポートありがとうございます!サポートはさらなる内容の充実によって読者に100パーセント還元されます。