グラフィックス1

アンドリュー・ジャクソンの就任式

『アンドリュー・ジャクソン伝記事典&マーティン・ヴァン・ビューレン伝記事典』の草稿の一部。

マーガレット・ベイヤードによる1829年3月11日付の記録

「私はこの手紙の残りの部分を就任式の説明のためにとっておきました。小さな出来事のつながりではありませんでした。そうではなく、一つの大きな出来事であり、至高の道徳を持つ者の心に 訴えかけるような壮観でした。階級の区別なく非常に大勢の人々が連邦議会議事堂の周りに静かに秩序正しく集まっていて、その建物の正面に目をじっと向けて大統領が柱廊に姿を現すのを待っていました。円形大広間の扉が開いて守衛たちによって先導され、最高裁の判事たちに囲まれ、栄光を戴いた白髪の老人が進み出て群衆に向かって一礼しました。群衆は歓呼でもって応えて空を震わせました。周りにある高台やアレキサンドリア、そして、フォート・ウォーバートンの大砲が彼の誓約を高らかに宣告してすべての丘陵に音を 響かせました。それは壮観でした。本当に最高でした。息もつけぬ沈黙が続き、群衆は彼の声を何とか聞こうとしました。しかしそれはあまりに低かったので彼の近くにいた者たちにしか聞こえませんでした。演説を読み上げた後、最高裁長官によって宣誓が執りおこなわれました。守衛が聖書を捧げ持っていました。大統領は聖書をその手から取ると唇を押し当ててから恭しく下に降ろし、群衆に再び一礼しました。そうです。人民こそ偉大なのです。もしこの壮観がここで終わったとしても、自由な人民が自発的に静かに集まって、周囲に軍隊の影もなく道徳の力でのみ抑制されていることは最高にすばらしいことであり、軍隊や黄金のきらめきで囲まれている国王や君主の偉大さよりもはるかに優っているとヨーロッパ人でさえ認めることでしょう。就任式について詳細に説明するだけでは十分にあなたを説明したことにはならないでしょう。前日から多くの人々があらゆる場所から街へやって来て、泊まる場所が確保できず、新たに到着したものはジョージタウンに行かなければなりませんでした。そこもすぐにいっぱいになってしまったので他の者たちはアレキサンドリアに行かなければならなくなりました。 [ペンシルヴェニア]大通りと近隣の通りが非常に混雑するので火曜日の午後は通れないと私は言われました。早朝、礼砲が放たれ、3月4日の幕が開けました。10時までに大通りは、バルーシュ型馬車や四輪大型馬車から荷馬車や荷車に至るまで女達や子供達を満載したあらゆる種類の馬車で埋まりました。美しく着飾った者がいたかと思えば、襤褸しか着ていない者もいました。というのは人民の大統領だからです。誰もが彼を見たがっていました。男達はすべて歩いていました。ジュリア、アナ・マリア、そして私(その他の女性は行きたがりませんでした)はウッド氏とともに11時前に出発して、連邦議会議事堂に沿って流れる人の波に続きました。我々が通る時に見たテラスやバルコニー、張り出し玄関はすでにいっぱいでした。我々は広場全体をぐるりと回って活き活きした情景を視野に収めました。それから柵の外に馬車を残して囲われた場所に入りました。そこでジョン・クラネット氏ともう1人の紳士と合流しました。2人はそれぞれ我々の保護者になってくれると申し出てくれました。我々は何度もテラスの周りを歩きました。そのたびに顔見知りの淑女たちと紳士たちの集団と新たに遭遇しました。全員が笑顔を浮かべていまし。その日は暖かく心地良い日でした。南側のテラスから我々は、連邦議会議事堂に向かって急ぐ人々で混み合っているペンシルヴェニア大通りとルイジアナ大通りを見渡せました。それは最も爽快な光景でした。淑女たちの大部分は連邦議会議事堂の中と東柱廊にいたがりました。湿気があって寒くかったのですが、そこは朝9時から将軍が話す時に近くにいたいと願う淑女たちでいっぱいでした。すべての部屋がいっぱいであり、窓も混雑していました。すべてを見渡せるような場所ではなかったうえに、そこから抜け出せませんでしたが、壁の中にいる者たちよりも全体や詳細についてしっかりと見ることができました。我々はテラスの南の階段に立っていました。指定の時刻が来て、将軍と一行が大通りをゆっくりととてもゆっくりと前進するのが見えました。それは彼の行進を周りに集まった群衆が妨げたからです。離れた場所からでも彼は随行する者達とはっきり見分けることができました。というのは彼だけが帽子を被っていなかったからです([彼は]主権者である人民の前では召使い)。連邦議会議事堂がある丘の南側は文字通り群衆で賑わっていました。群衆は英雄と随行者を立って迎える準備をしていました。『あそこにあそこに彼がいる』と異なる声が叫びました。『どれなの』と別の声が聞きました。『白髪頭なのが彼です』と答える声がありました。『ああ、白髪頭の老人がいる。老兵がいる。ジャクソンがいる』と他の者達が叫びました。ついに彼は丘の麓にある門に入って、連邦議会議事堂の正面に回り込む道に方向転換しました。その瞬間、その時まで眼下を凝視する石像のように立っていたすべての者達が右へ左へと走り出て彼を正面で迎える準備をしました。もちろん我々の一団はよく考えて、群衆が通り過ぎるまで待ってからテラスを離れて広場の反対側まで歩きました。そこには邪魔になるような場所がなく、我々は連邦議会議事堂の正面にある門に入りました。そこには開けた場所がありました。我々は中央にある砂利道に陣取って、すべての情景をはっきりと完全に見られるように立ちました。連邦議会議事堂はあらゆる物が壮観で美しかったです。柱廊に至る大きな階段は淑女達でいっぱいでした。白大理石の柱の中で緋色、紫色、青色、黄色、白色の垂れ幕とあらゆる種類の色とりどりの羽飾りが振られている様子はとてもすばらしかったです。柱廊の中央には緋色の布で覆われたテーブルがありました。その背後にある閉じられた扉は円形大広間に続いていました。連邦議会議事堂の中やその周囲には群衆がいましたが、それは雑多な群衆ではなく、綺麗な衣服を身にまとって上品に振る舞う尊敬すべき価値ある市民達でした。私に腕を貸してくれていたフランク・キー氏は何度も偉大な光景を目撃した老人でしたが、まるで新参者のように「美しい。最高だ」と私と同じく何度も叫んでいました。霧や霞のせいで太陽は朝よりもおぼろげになりました。しかし、大砲の発射によって空が揺らされて霧は打ち払われ、太陽はその輝きを完全に取り戻しました。将軍が柱廊に入ってテーブルの前に進んだ瞬間、叫びが空気を震わせましたが、その響きは私の耳にまだ残っています。演説が終わった時、大統領は別れの礼をしました。群衆と彼を隔てていた障壁が破壊されたせいで、彼と握手を交わしたいと熱望した群衆が階段を駆け上がりました。 連邦議会議事堂を通り丘を下って、大通りに向かって開けている門を通ることは難しそうでした。しばらく彼はここに立ち止まりました。群衆を突き抜けることはできませんでした。しばらくして通路が開かれ、彼は帰還のために準備された馬に跨がりました(というのは彼は連邦議会議事堂まで歩いたからです)。彼の後ろにたくさんの人がついて行きました。田舎の男、農夫、紳士、馬に乗った者、馬を下りた者、少年、女、子供、黒人、白人。馬車、荷馬車、荷車が彼を追って大統領官邸に向かいました。私はそれを聞いただけです。というのは我々の一団は広場の反対側から出て、ベントン大佐の下宿に向かってベントン夫人とギルモア夫人を訪問したからです。本当にすばらしい集会でした。少なくとも100人の紳士淑女がいて全員が幸せそうで喜んでいました。ワインとケーキがたくさん手渡されました。我々はこの一団と一緒に丘の上に座って大通りが空くのを待っていましたが、ひどい混雑がどれくらい続くかわかりませんでした。徒歩の人々とあらゆる種類の乗り物が大統領官邸に向かって流れていました。[中略]。約1時間経って我々が歩けるくらい歩道が空きました。あなたの父、ウッド氏、ウォード氏、ライアン氏は我々と一緒に大統領官邸に向かいましたが、接近してみると入り口を見つけられそうにありませんでした。庭と大通りが人でいっぱいだったからです。その日は心地良い日であり、賑やかな情景でした。我々が右往左往していると、あらゆる場所で新しい知人を見かけたので立ち止まって話したり握手したりしました。[中略]。誰かがやって来て、大統領官邸の前の群衆がかなり減ったので中に入れるのではないかと教えてくれた。今度こそ我々は目的を果たした。しかし、我々は何という光景を見たのでしょうか。人民の品位を失われ、烏合の衆、暴徒、少年、黒人、女、子供が乱暴狼藉を働いていました。何と嘆かわしいことでしょうか。何と嘆かわしいことでしょうか。職務に就く警官は配置されておらず、官邸全体が暴徒によって略奪されました。我々は来るのが遅すぎました。オールド・ヒッコリーと握手したいと熱望する人々によって文字通り圧死させられそうになったり、ほとんど窒息させられそうになったり、ばらばらに引き裂かれそうになったりした後、大統領は裏道、もしくは南正面を抜けてギャッツビーズ[・ナショナル・ホテル]まで逃げました。たらいやバケツで運ばれてきた飲み物やパンチやその他の物を求める争いの中、数千ドル相当の切子ガラスと陶磁器は破壊されました。ホグスヘッド単位で持ってこなければそれは役に立たなかったでしょう。アイスクリーム、ケーキ、そして、レモネードは2万人は必要だったでしょう。というのは、私の見積もりは過大かもしれませんが、それだけの人数がそこにいたからです。淑女達は卒倒し、男達は血塗れの鼻をしていました。そうした混乱は筆舌に尽くし難いものです。中に入った物は扉から再び出ることができず、窓からようやく這い出ました。ある時などは、大統領は後退に後退を重ねて壁に押し付けられました。多くの紳士達が彼らの体を使って彼の周りに壁を作って彼を守ろうとしました。圧力があまりに大きかったので、その中の1人であったボムフォード大佐は、自分たちが大統領の上に押し倒されるのではないかと思ったと言いました。その時、窓が開かれ、人の流れは出口を見つけました。さもなければ致命的なことになっていたでしょう。大島成幸は予期できないものであり、したがって対抗措置をとれませんでした。紳士淑女による接見会が予期されていただけであり、群衆が押し寄せるとは予期されていませんでした。しかし、それは人民の日であり、人民の大統領であり、そして、人民が支配するということでした。人民がすべての法と支配者を打ち倒すような日がいつか来ないように神に祈ります。すべての年代とすべての国々で見出されてきたように、啓蒙化された自由民が彼らの手中に権力を収め、暴君の中でも最も残酷で残忍で専制的な者達になることを私は恐れています。大統領官邸での騒音や無秩序な暴力は、テュイルリー宮殿やヴェルサイユ宮殿における暴徒について読んだ話を思い出させました。私は、絨毯や家具が破壊され、通りが泥だらけになり、すべての客がそこから徒歩で逃げたと聞いています」

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