ビリー・ザ・キッド、死の真相―序文
※『ビリー・ザ・キッド、死の真相』に関する説明は「はじめに—コンテンツ紹介」にまとめています。
※序文は1933年に歴史家のモーリス・ガーランド・フルトンが付け加えた文章であり、ポーの文章ではない。
実直で平明で事実に基づく記述様式は回想に真実味を加えるものであり、故ジョン・W・ポーはビリー・ザ・キッドの死に関する状況を完全に記録している。彼の知識はその目で見たものである。というのは彼は一八八一年夏に、彼ら自身とあらゆる者にとって予期できなかったことだが、ニュー・メキシコとテキサス州パンハンドルから厄介者を永久に排除した三人の一人だったからである。その記録は三五年後まで書かれなかったが、ポー氏のはっきりした記憶と正確な記述に対する愛好心は、語りをまるで直後に書かれたような信頼できるものにしている。
七〇年以上にわたる彼の人生の晩年、すなわ1922年から23年の静かな時期、たまたまポー氏に会った私のような者からすれば、フロンティアにおける彼の初期の人生がどのような困難と危険に溢れていたのか示唆することはほとんどできないだろう。大きく肩幅が広い体型に加えて重々しい振る舞いは、ニュー・メキシコ準州ロズウェルにあるシチズンズ・ナショナル・バンクの頭取席に座っている男が重要人物であり、おそらく大きな勇気と決意を持った人物だが、猥雑な南西部のフロンティアに法と秩序を導入するために果たした役割を通りすがりの人物には明かそうとしない人物であることを示している。
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