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第27章 贖罪のミサ

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 ルイ16世の死はシャルル=アンリ・サンソンとって大きな衝撃であった。それは彼のすべての幻想を打ち砕いた。そうした状況においてのみ見いだせるひときわ優れた品性について理解してもらえるか私にはわからない。

 シャルル=アンリ・サンソンはマルト・デュビュの孫にふさわしかった。幼い頃から祖母の考え方と原理に染まっていた彼は、自分の職務が正当な社会的責務を持っていると信じていた。彼は、達成困難だが、あらゆる文明社会で法と秩序を維持するために必要な法的責務を自分が担っていると考えていた。まさにそうした信念があるからこそ、彼は生まれつき持っている良識に明らかに反するような残酷な責務を実行するための勇気と力を引き出せたに違いない。

 約40年にわたって法の剣で犯罪者と悪辣な者の首だけを刎ねることで彼は心を強く保っていた。時にはダミアンの事例のように残虐な処罰があり、彼の責務に関する強い信念が揺るがされることもあった。また時にはラリー・トランダルやラ・バールのように犠牲者が品性に優れているだけではなく、判決が下された後に犠牲者に寄せられた同情があったせいで、処刑を執行する恐ろしい瞬間に手が震えたり心が慄いたりすることもあった。というのは自分が処刑しようとしている者が罪ある者なのか罪無き者なのか確信が持てなかったからである。しかし、感情を持たずに職務を果たさなければならないという意識によって振り上げた手は力を取り戻し、流血の責任は自分ではなく法官たちに帰し、自分はただ判決に従っているだけだという確信を前にして躊躇や良心の咎めは消えた。

 こうした覆されることがない厳密な論理があるからこそ、彼は自分の職務に向けられた非難が最悪の偏見に基づくものであり、尊厳のために断固として戦わなければならないと考えていた。それは1766年の高等法院での訴えや1789年の国民議会への要望書で私がすでに指摘したとおりである。

 1789年の国民議会への要望書の顛末について述べるためにクレルモン=トネール伯爵とロベスピエール、そしてモーリー神父が議場で論じた会期の後に起きたことを付け加えておきたい。広く処刑人に対して掻き立てられている強い嫌悪感をモーリー神父が正当化しようと展開した白熱した議論によって感情を害されたわが祖父は、国民議会に次のような意見書を送った。

「国民議会の諸君へ。諸君、重大犯罪執行人たちは、司法が犯罪を処罰するために職務を果たしてきましたが、彼らも犯罪にともなう恥辱に染まっているのではないかという不公正な偏見によってずっと悩まされてきました。今日まで彼らはこうした恥辱を耐え忍んできたのであり、同胞市民による不公正な仕打ちに対して純粋な良心のみに慰めを見いだしてきました。今日、国民議会は、国民議会の規定によって禁止されている市民権の剥奪を認めて彼らの市民権は失われたと宣告しました。それこそ今月23日の会期でモーリー神父があなた方に提唱しようとした制度なのです」

「ルーアンの高等法院の著名な判決、とりわけ1681年11月7日の判決や1781年7月7日の判決、1787年1月12日の判決によって同院は、重罪判決執行人を処刑人と呼ぶことを厳しい処罰の下、禁じています。そうした判決を下した法官たちは、非の打ち所がない者たちが果たしている職務を不名誉なものだと宣告することが不公正だと感じていました。それは道徳の格律に何も反していないからです。執行人が市民権を持たないと宣告するような法令が制定されれば、こうした判決で示された叡智は侵害されるでしょう。犯罪によって司法の厳しい処断を受けることになった者を処罰しなければならないことは非常に残念なことです。ただ執行人は汚名を分かたれるべきではありません」

「モーリー神父の提案は、我々に動揺を与えて懸念を感じさせました。もしそのような提案が認められれば、司法は執行する力を失って、執行人を見つけられなくなるでしょう」

「その点について敬意を込めた勧告をあなた方に示しているパリの執行人であるシャルル=アンリ・サンソン(とその例に倣おうとするすべての同業者たち)は、もしあなた方が処刑人から市民権を剥奪しようとするなら、その前に辞任を認めていただきたいと申し上げます」

「嘆願者は、あなた方がこの問題をしかるべき熟慮とともに検討して、もし確かに道理があると思うのであれば、あなた方の信条が十分に涵養されるまで先送りしてただくことを希望します。国民が完全に生まれ変わり、長い間にわたって無視されてきた権利を司法が取り戻している時に、有用かつ必要な人間である嘆願者と同業者たちの人格を侵害するようなことを黙認しないでほしいのです」

「サンソン、パリ市重罪判決執行人。1789年12月26日」

 こうしたさまざまな要望について国民議会は何も決定を下さなかったとすでに述べた。法令の曖昧な文言に関して問題が残されていたおかげで、執行人たちは自分たちが望んだものを得ることができたと信じることができた。なぜなら彼らはいかなる形でも排斥されておらず、名誉回復を見れば反感を抱くはずであった世論を敵に回さずにすんだからである。

 既判事項の効力を獲得することが執行人たちにとって有利な解釈であった。前巻の終わりで見たように、わが祖父と父は地区の集会に参加するようになり、国民衛兵の階級が与えられた。

 ルイ16世の死まで、わが祖父の性質には稼業の栄誉と呼ぶものに関する不動の意志があった。死刑に関する信念、執行人の品位の尊重、そして執行人の職務を貶める偏見との熾烈な戦いがあった。

 国民議会が流すように彼に命じた血はしだいに彼の目を湿らせるようになった。ずっとを尊重してきた社会という構築物が瓦解しそうになっているのを見た彼は、この地上において何が確実なものであり絶対的なものなのかわからなくなった。王権の倒壊を見た後、処刑台で何を信じらればよいのか彼はわからなくなった。あらゆるものがつながっている社会において、王権の倒壊によって処刑人の職は廃止されるのか彼は不安に思うようになった。さらに彼は、イエス=キリストの頭が打ち落されている時代において、自分の職務が神の思し召しにかなうのか疑問に感じるようになった。

 シャルル=アンリ・サンソンの精神にはこうした強い不安があった。それは1793年1月20日から21日の運命の夜に彼をさいなんだ不安であった。彼がこの不運な君主に対して同情していたことに加えて、二度にわたる面会の記憶を持っていたことを考えれば、彼がどれほど苦悩した想像することは容易だろう。一度ならず彼は逃げ出そうと思った。しかし、それは家族を捨てることを意味した。家族が大きな危険にさらされる恐れがあった。職務に縛られていた彼は、きっと殺されるほうがましだったのに殺さなければならなかった。

 それはその長い夜に彼が部屋で静かに歩き回っている間に彼の心につきまとって苦しみのもとになった懊悩であった。わが祖父は歩き回りながら祈ったり、泣いたり、崩れ落ちるかのように祈祷台に跪いたりした。あらゆる地区で召集を知らせる太鼓が打ち鳴らされ、革命広場に行かなければならなくなった時、彼はそれまで経験していた葛藤の反動によって、ほかの場合であれば思索と理性に基づく意思の結果として生じるような沈着冷静さを取り戻した。まったく違ったものが同じ結果を生むことはよくあることだ。今回の場合、シャルル=アンリ・サンソンが個人としての人格を放棄したのは何らかの強制力に従った結果ではなく、すべての精神的かつ肉体的な力を完全に失った結果であった。彼は運命という抵抗しがたいばね仕掛けによって動かされる器械のようだった。先に見たような王の死について彼が我々に残した記録にはこうした状況がよく反映されている。それは心理学における顕著な実例である。彼はそこで自分が見えないものを見て、聞こえないものを聞き、重荷を担うために兄弟の手助けに行った時に現実に戻り、さらに犠牲者よりも処刑人が経験することが多い無感覚な状態に陥ったと記している。

 ルイ16世は王権とともに死んだ。彼の最期の言葉は後世まで響き渡り、タンプル塔で書かれた優れた遺言書[遺言については安達193頁参照]を補足するものになった。彼の意志の固さと勇気、そして冷静沈着さは処刑を見た者たちに深い感銘を与えた。運命の日の記憶をできるだけ思い起こさないようにしながらもわが祖母は、気高き受難者よりも13年長生きしたシャルル=アンリ・サンソンは最期の瞬間まで威厳ある受難者の姿を忘れることがなかったと私によく言っていた。まるで祖母は祖父の眠りにまで入って行って、苦痛に悪夢を追い払えるかのようだった。

 1793年1月21日、いつもであれば出不精のわが祖父は少しの間しか家にいなかった。処刑の後、彼は妻と息子を抱き締めたが、もはやそれにふさわしくない存在であるかのように震えていた。さらに彼は優しい気遣いから逃れて姿を消して夜更けになっても帰って来なかった。

 わが祖母は祖父が帰って来るまで寝ずに待っているつもりだったが、召使いというよりも親友になっていたシェノーの言葉を聞いて強い不安をなんとか克服することができた。

「奥さま、心配なされることはありません。私は旦那さまがどこに行ったか知っていますから」

「このような日にいったいどこへ」

「私には前々から旦那さまに伝えていた秘密があります。それはある粗末な家の場所です。そこには年老いた神父と修道女たちが隠れ住んでいます。私は彼らを助けてくださいと旦那さまにお願いしていました」

 わが祖母は黙って待つことにした。彼女は、このような苦悩を前にした時、信仰による慰めは家族による慰めよりも効果的であるということを理解していた。また彼女はわが祖父の信仰心が篤さを知っていて、困難で危険な行動にもかかわらず、無限の慈悲を持つ神のしもべの導きで良心の呵責をなだめるようとしているのだと固く信じていた。

 午前1時から2時の間に戻ってきたシャルル=アンリ・サンソンは、依然として暗鬱であったが落ち着いた様子であった。ただまるで避けられているかのように彼は何も質問を受けなかった。

 彼は「シェノー、私は君が保護している者たちに会って来た。厳しい冬だ。翌朝、彼らのもとに薪と食料を持って行かなければならない。また数日後にもそうしなければならないだろう」と言った。

 シェノーの表情は満足げだった。

「薪と食料がここから届けられたとわからないようにしなければならない。私は援助がどこから来たのか彼らに知られたくない。貧しい人びとが援助を受け取ろうとしないかもしれないので」

 それから彼はわが祖母に向き直ると「マルトよ、本当に困っていそうな修道女が2人いる。ちょっとしたリネンや服を用意してもらえればとてもありがたい」と付け加えた。

 こうして少し言葉を交わした後、要望がかなえられることを確信したわが祖父は部屋に引っ込んだ。翌日になって彼は次のようなことを祖母に話した。ラ・ヴィレット[パリ中心部から北に離れた地域]にある粗末なあばら家に行っていたこと、そのあばら家は修道院から追い出された2人の修道女の避難所になっていること、神父の慈悲のおかげでミサをおこなえることになったこと。そして、そのミサは、その受難によってきっと天国の扉を開いたに違いない王の御魂に安息をもたらすためにおこなうのではなく、むしろ、そうせざるを得なかった行動のせいで良心の呵責に耐えられなくなった自分の心に平安をもたらすためにおこないたいと。

 わが祖父が生きている間、この贖罪のミサの秘密は細心の注意を払って守られた。しかし彼の死後、わが祖母と父は、祖父のすばらしい思い出を友人に伝えずにはいられなかった。父は有名な作家であるバルザックと知り合いであった。バルザックはそれを聞いて確かめたいと思って、父の口から詳細を知った。父はバルザックの好奇心を満足させた。その時に話されたことが王政復古時代[1814年~1830年]に刊行された出所の怪しい回顧録[1829年に刊行された『フランス革命史に貢献するための回顧録』。安達249頁参照]の序文に使われた小説を書くのに使われた。

 ヴォルテールは、何かを見つけただけで利益になるとどこかで言っていたように思う。したがって、私はわが家系の名前を勝手に借用した回顧録を再び取り上げることに気が引けているものの、詳細な事実をまとめた話を見て内心驚いている。ただ私は将来の創作者のためにバルザックの作品で失われた利点を示しておきたいと思う。そしてバルザックがその回顧録の不可欠な部分として次のような事実を親しみやすい形で示したと私は指摘したい[以下はバルザックが『フランス革命史に貢献するための回顧録』に寄せた序文(5頁~66頁)から引用されている。引用部分は全体ではなく1頁~52頁までである。後に序文は「恐怖時代の一挿話」という短篇に書き直された。なお「恐怖時代の一挿話」は『知られざる傑作』(水野亮訳)に所収されている。「恐怖時代の一挿話」の成立背景については同上書の193頁~196頁参照]。


 1793年1月末、1人の老女がパリのサン=マルタン地区[パリ中心部から見て北東にある地区]にあるサン=ローラン教会の前で終わる坂を下っていた。夜の8時頃であった。朝からずっと雪が降っていたせいで舗装の上でも足音はほとんど響かなかった。寒い日だった。通りは人気がなく、沈黙による自然な恐ろしさは、フランスを呻吟させていた恐怖のせいでよりいっそう募るばかりであった。老女はまだ誰にも行き会っていなかった。弱っていた視力のせいで老女は遠くを見渡せず、街灯の光を頼りにこの地区の幅広い道に影のように散らばっている数人の通行人を認めることができなかった。自分の年齢をあらゆる不幸から守ってくれる護符であるとでも思っているのか、老女はこの寂れた界隈を勇敢にも独りで歩いていた。

 モール通りに差し掛かった時、老女は1人の男が重々しいしっかりとした足取りで後ろを歩いているのを聞いたように思った。思えば、そのような音を聞いたのは初めてではないような気がした。後をつけられていたことが恐ろしくなった老女は、明るい灯りが点っている店になんとかたどり着こうと足を速めた。灯りさえあれば、自分にとりついた疑念を確かめたいと思ったからだ。光の筋が通りに漏れ出しているところまですぐに到達した老女はさっと向き直った。すると霧の中におぼろげな人影が見えた。はっきりとしない影だけで十分であった。一瞬、老女は恐怖の重みのせいでたじろいだ。というのは、家を出た直後から見知らぬ男に後をつけられていたことがはっきりしたからだ。この無言の追跡者から逃れようという望みが老女に力を与えた。きっと自分よりも敏捷なはずの男から逃げられるとでも思ったのか、老女はわけもわからず歩みを速めた。数分間にわたって走った後、老女は菓子店にたどり着いて中に入ると、カウンターの前にある椅子に崩れ落ちるように座った。

 老女が扉の掛け金をきしませた時、忙しく刺繍に励んでいた若い女が目を上げた。ガラス越しに老女が身にまとった紫色の絹の古風な外套を認めた女は、まるで何か渡さなければならない物があるかのようにあわてて引き出しを開けた。若い女のそうした身振りや表情には、見知らぬ老女をさっさと追い出したいという願いがありありと現われていた。それはまるで老女が会いたくもないお客の1人であるかのようだった。引き出しが空であることに気づくと、女はいらだちの表情を浮かべて、老女のほうを見ることもなくカウンターを離れて店の奥へ行って夫を呼んだ。夫はすぐに姿を現した。

 「おまえさんはあれをいったいどこへ置いたんだい.」と女は老女を目で示しながら意味ありげな調子で聞いた。

 女は言い終わらなかった。菓子職人は見知らぬ老女がかぶっている紫色のリボンで飾られている黒い絹の帽子しか目にしなかったが、「カウンターの上にあれを置きっぱなしにするとでも思ったのか」とでも言いたげな一瞥を妻に投げると姿を消した。

 老女が黙って動こうとしないのに驚いた女は向き直った。そして老女をじっと見つめた時、女に同情心、もしくは好奇心が湧いてきた。

 老女の顔色はもともと青白かったが、人知れぬ苦行に身を捧げている者の顔色のように、直近の心の動きのせいでただならぬ青白さが広がっているのがたやすく見て取れた。老女は、寄る年波によって白くなった髪を隠すかのように帽子をかぶっていた。服の襟が綺麗であることから、老女は髪粉を使っていないようだった。飾りが何も無いがゆえに、老女の表情にはある種の宗教的な厳かさが漂っていた。老女の顔立ちには謹厳さや気高さがあった。昔、階層によって礼儀作法はまったく異なっていたので、貴人を見分けるのは容易であった。それゆえ若い女は、見知らぬ女が貴人[仏原文はci-devant、貴族の称号が廃止されていたことから「旧貴族」を意味する]であり、かつて宮廷にいたと確信した。

 「奥さま」と女はそうした呼びかけが違法とされていることも忘れてついうやうやしく言ってしまった[monsieurやmadameという呼称は共和的精神に反するとして使用が禁じられ、citoyenやcitoyenneといった呼称を使うように定められていた]。

 老女は答えなかった。老女は、まるで何か恐ろしいものがあるかのように店の窓をじっと見ていた。

「どうかしましたか」と店主は顔を出して聞くと、青い紙で包まれた厚紙の小さな箱を手渡して老女を白昼夢から引き戻した。

 「いいえ、なんでもありません」と老女は優しい声で答えた。

 老女は、まるで感謝の眼差しを向けるかのように菓子職人を見上げたが、菓子職人の頭に赤い帽子[過激派がかぶっていた帽子、老女は過激派である菓子職人が自分の素性を明かして密告したのだと勘違いした]があるのを見て思わず叫んだ。

「あなたが私を売ったのですか」

 若い女と夫がさも恐ろしいという身振りで応じたので、見知らぬ老女は彼らを疑ったことを恥じたのか、それとも喜びからか赤くなった。

 「すいません」と老女は童女のような穏やかさで言った。そしてポケットからルイ金貨を1枚取り出すと、菓子職人に差し出した。

 「決められたとおりのお値段ですね」と老女は付け加えた。

 貧しい者だけがそれと推測できる貧しさがある。菓子職人とその妻は顔を見合わせて、同じ思いを抱きながら目で老女を示し合った。このルイ金貨はきっと最後の1枚に違いない。それを差し出す時に彼女の手は震えていた。老女はそれを痛ましそうに見ていたものの、物欲しそうに見ていたわけではなかった。しかし、老女はその犠牲がどれほどのものかわかっているようだった。恐怖と苦しい生活の痕跡が彼女の表情に刻まれていたが、さらにそれと同じくらいはっきりと飢餓と貧窮が彼女の表情に刻まれていた。服には栄華の名残があった。擦り切れた絹に小綺麗ではあるが色褪せた外套、そして丹念に修繕されたレースといった富の名残りであった。憐憫と利益の間に挟まれた菓子職人とその妻は、良心の呵責をまず言葉で軽くしようとした。

「ところでとても弱々しく見えますが」

 「奥さま、何かお召し上がりになったほうがよろしいかと」と妻が夫の言葉を遮って言った。

 「おいしいスープがありますが」と菓子職人は言った。

「とても寒いので、奥さまは道中で凍えてしまったのでしょう。ここでお休みになって暖まってください」

 「私たちは悪魔のように腹黒いわけではありませんよ」と菓子職人は叫んだ。

 親切な菓子職人の言葉にほだされて老女は、ある男に後をつけられているので怖くて独りで家に帰れないと言った。

 「そんなことですか」と赤い帽子をかぶった男は言った。「ではちょっとお待ちください」

 菓子職人はルイ金貨を妻に渡すと、ありふれた価値の商品に対して気前の良い代価を支払ってもらった時に商人が心に抱くような一種の感謝に動かされて、国民衛兵の制服を身につけて帽子をかぶり、短剣[仏原文はbriquet、歩兵が使用していた短く曲がった剣]を佩いて武装して戻って来た。

 しかし、妻には考え直す余裕があった。考え直したせいで親切心がしぼんでしまうことはよくあることだ。夫が厄介事に巻き込まれるのではないかと心配になった女は、制服の裾を掴んで夫を引き止めようとした。しかし、親切心に従った菓子職人は老女に護衛をすぐに申し出た。

 「あなたが怖がっていらっしゃる男は店の外をうろついているようです」と若い女は語気も荒く言った。

 「私もきっとそう思います」と老女は気遣わしげに答えた。 

「もしその男が密偵ならばどうするの。もし何かの陰謀だったらどうするの。外に出ないほうがよいのでは。それと老女から箱を取り返しておいたほうがよいのでは」

 そのような言葉を妻に耳元で囁かれた菓子職人は、せっかく持った勇気をすぐにしぼませてしまった。

 「でも何かちょっと言ってやればすぐに追い払えるさ」と菓子職人は叫ぶと扉を開いて飛び出した。

 老女は童女のように受け身になってほとんど呆けたように、ただ椅子に座っているだけであった。

 誠実な商人はすぐに戻って来た。生まれつき赤かった彼の顔はオーブンの火に照らされてさらに赤くなっていたが、いきなり真っ青になった。何か恐ろしい思いをしたようで彼の脚は震え、酔っ払った男のような目つきになっていた。

 「私たちの首を切らせたいのか、貴族さまは」と菓子職人は激しい怒りでどもりながら叫んだ。「おととい来やがれ、もう二度と来るな。なにか陰謀を俺から嗅ぎつけようとしても無駄なことだ」

 そう言い終わると菓子職人は、老女がポケットに入れていた小さな箱を取り返そうとした。

 菓子職人の粗暴な手が服に触れるか触れないうちに、見知らぬ老女は危険な通りに身を委ねることを選んだ。神のほかに守ってくれる者はいないのに。ただ買ったばかりのものを失うまいとして老女は若き日の敏捷さを取り戻した。老女は扉のほうに殺到して急いで扉を開けると、あっけにとられて震えている夫婦の目の前から姿を消した。

 外に出るとすぐに見知らぬ老女はすばやく歩き始めた。しかし、すぐに力がなくなってしまった。まさにその時、老女は、情け容赦もなく後をつけてきた密偵が重々しい足取りで雪を踏みつけて歩いてくるのを聞いた。老女は立ち止まらざるを得なかった。男も立ち止まった。恐怖にとらわれていたのか、それとも知恵が回らなかったのか、老女は男に話しかけることもなければ、男のほうを見ることのなかった。老女は歩き続けたが、しだいにゆっくりになった。すると男は歩みを遅くして一定の距離を保ちながら老女の様子をうかがっていた。それはまるで老女の影のように見えた。この沈黙の2人組がサン=ローラン教会のそばを通りかかった時、9時を知らせる鐘が鳴った。

 しかしながら、最も脆弱な者でさえ激しい焦燥の後に冷静沈着さを持つようになることは人間の本性である。おそらくそうした感情の動きがあったからこそ見知らぬ老女は、追跡者が危害を何も及ぼそうとしていないと感じて、彼はきっと自分のことを守ろうとしている秘密の友人に違いないと信じるようになった。そうした気休めになる考えを裏付ける確かな根拠を探そうとしているかのように、老女は見知らぬ男の出現にともなうすべての状況をいろいろと考え合わせてみた。そうすると、彼は悪意よりも善意を持っているはずだと認めるほうがよいのではないかと思えた。その男が菓子職人に抱かせた恐怖を完全に忘れてしまった老女は、サン=マルタン地区の高台をしっかりとした足取りで進み始めた。

 半時間ばかり歩いた後、老女は、その地区の大通りとパンタンの壁に至る通りが交差する場所からほど近い場所にある家に到着した。その界隈はパリの中で最も人気がない地域であった。サン=ショーモンの丘とベルヴィルの丘を通った北風が、ほとんど人気がない谷間に散らばる掘っ立て小屋としか言いようがない家々の間を吹き抜けた。この場所を表現するのに寂寥という言葉のほかにふさわしい表現はなく、ごく自然に貧しい人びとが身を寄せる場所になっていた。大胆にも夜に静まり返った通りを横切って哀れな女を追跡していた男は、目の前の光景に驚いたかのようだった。彼はそのまま直立したまま物思いにふけって何かためらっている様子だった。彼の姿は、かろうじて霧を通して差し込んでくる街灯の光にぼんやりと照らし出されていた。しかし、恐怖のせいで老女は、見知らぬ男の顔つきに何か陰鬱めいたものがあるものを見たように思って、恐ろしさが湧き上がってくるかのように感じた。それから男が何かにためらって立ち止まっている機会を利用して、老女はぽつんと建っている家の扉に闇に紛れて向かうと、ばね仕掛けのようなすばやさで幻のように姿を消した。

 見知らぬ男は動かずにその家をじっと見ていた。それは、パリの貧しい人びとが住む地区でよく見られる典型的な家であった。

 このみすぼらしい家は粗石で建てられていて、黄色の漆喰が塗られていた。大きな亀裂が入っていたので、ちょっとした風が吹いただけでも倒壊する恐れがあるように思えた。屋根は褐色であり、苔に覆われた屋根板はところどころ雪の重みでつぶされそうになっているかのように見えた。各階にはそれぞれ三つの窓があり、その窓枠は湿気のせいで朽ち果て太陽の光にさらされてばらばらになりそうであり、部屋の中に寒気が侵入していることを物語っていた。この寂れた家は、壊されずにそのまま時が経った古い塔のように見えた。この粗末な建物の頂上にある屋根裏部屋を不規則に仕切っている三つの窓ガラスには、ぼんやりとした光が灯っていた。そして残りの部屋は真っ暗であった。

 老女は、手すりの代わりに取り付けられてある縄に頼りながら古ぼけた険しい階段をなんとか登った。老女は屋根裏部屋の扉を静かに叩いたかと思うと、1人の老人が勧めた椅子にさっと腰を下ろした。

 「隠れて。隠れて」と老女は老人に言った。「我々はめったに外出しませんが、足取りが知られてしまっていろいろと詮索されるかもしれません」

 「いったい今度は何があったのですか」と暖炉のそばに座っていた別の老女が聞いた。

「ここ数日、家の周りをうろついていた男が今夜、私の後をつけていたのです」

 このあばら屋の3人の住人はそうした言葉を聞くと互いに顔を見合わせた。彼らの顔には強い恐怖がありありと浮かんでいた。最も大きな危険にさらされていたためか、老人はほとんど動転した様子がなかった。大きな不幸の重荷の下や迫害のくびきの下にいる者は勇敢な人間であり、言ってみれば自分自身を犠牲にすることを厭わず、毎日[を無事に過ごせること]を運命に対する一種の勝利だと見なしている。

 2人の老女の目が老人にじっと据えられていたことからすると、彼が彼女たちの唯一の不安のもとであることは容易に推察できた。

 「どうしてあなた方は神に絶望するのですか」と彼は低く穏やかな声で言った。「我々は、カルメル派[12世紀頃に現イスラエル北部のカルメル山を中心に創設された修道会、1792年の9月虐殺事件で多くの犠牲者を出した]の修道院で虐殺者たちと死に行く者たちの叫びの中でも賛美歌を歌いました。もし神が私を虐殺から救おうとお考えであったなら、それは私がある運命を不平を言わずに受け入れられるようにするためだったに違いありません。神はレビ族[『旧約聖書』に登場する部族]を守り、意のままに処分されました。私のことよりもあなた方のことを考えなければなりません」

 「いいえ」と2人の老女は言った。

 「シェル修道院[パリから見て東にあるシェルに7世紀に創建されたベネディクト派修道院、1790年に廃院になり、後に完全に破壊された]を出た時から私は自分が死んだものと思っています」と暖炉のそばに座っていた2人の修道女のうちの1人が叫んだ。

 「ここに」と戻ってきたほうの修道女が言って小さな箱を神父に渡した。「ここにご聖体のパンがあります。あれ」と彼女は叫んだ。「誰かが階段を登ってくる音が聞こえます」

 こうした言葉を交わした後、3人は耳をすました。音が止まった。

 「もし誰かがあなた方のもとにやって来たとしても恐れることはありません」と神父は言った。「十分に信頼のおける方が国境を越えるためのあらゆる手筈を整えてくれています。きっとその方がロルジュ公爵とベテューヌ侯爵に宛てた私の手紙を取りに来たのでしょう。彼らは、あなた方を待ち受けている死と貧困を免れるためにこの恐ろしい国から脱出する方法をあなた方に助言してくれるに違いありません」

 「あなたは我々と一緒にいらっしゃらないのですか」と2人の修道女は絶望に駆られた様子でたしなめるかのように叫んだ。

 「私がいるべき場所は犠牲者がいる場所です」と神父は何の気負いもなく言った。

 彼女たちは沈黙して喜びに満ちた尊敬とともに間借人[神父のこと、2人の修道女は神父を匿っていた。カトリックの聖職書は共和国政府に忠誠を誓うように求められた。忠誠を誓うことを拒んだ聖職者は国外に亡命した。ただこの神父のように忠誠も誓わず亡命もせずに国内に留まって聖職者の務めを果たしている者もいた。もし見つかれば重罪に問われる恐れがあった。『知られざる傑作』198頁参照。安達202頁参照]を見た。

 「マルト教姉よ」と彼は聖体のパンを買いに行った修道女に言った。「その使者は『助けたまえ[原文はHosanna、ヘブライ語。安達204頁参照。『知られざる傑作』198頁参照]』という言葉に対して『汝の意成就せんことを[原文はFiat voluntas、ラテン語。安達204頁参照。『知られざる傑作』198頁参照]』と答えるはずです」

 「誰かが階段のところにいます」ともう1人の修道女が叫んで屋根裏にうまく作ってある隠れ場所を開いた。

 静寂の中だったので今度は干からびて固くなった泥に覆われた階段を登る 男の足音を簡単に聞き分けることができた。神父はなんとか苦労して衣装戸棚のような物にもぐり込もうとした。修道女は神父に服を投げかけた。

 「アガート教姉、閉じてください」と神父は押し殺したような声で言った。

 神父が隠れるや否や、三度扉を叩く音がして2人の神の娘たちを身震いさせた。彼女たちは一言も発することなく互いに見つめ合った。

 両人ともに60才ばかりに見えた。40年ほど世間から離れていたせいで彼女たちは温室の空気に慣れていた植物のようなものであり、もし外に出されてしまえば枯れてしまうかもしれなかった。修道院での生活に慣れていた彼女たちは、そのほかの生活を想像することすらできていなかった。ある朝、修道院の門が破壊され、彼女たちは自分たちが自由になったことに戦慄した。革命の激動が彼女たちの無垢な魂にもたらしたまやかしの無力感を想像することは容易である。彼女たちは修道院での考え方と[外部での]困難な生活の違いを折り合わせることができず、自分たちの状況さえ理解できず、それまで子供のように母なる神から世話を受けていたものの、見捨てられてしまったので、泣き叫ぶ代わりに祈っていた。したがって、危険が目前に迫っていると予見しながらも彼女たちはただ黙って受け身でいるだけであり、キリスト教徒らしい諦観のほかに身を守る術を知らなかった。

 この静寂を自分なりに解釈した男は扉を開いて突然姿を現した。二人の修道女は、男が彼女達の家を5、6日前からうろついていて詮索していた男だったことを認めて身震いした。彼女たちは身動きせずに落ち着かなげに探るように男をじっと見つめた。それはまるで野生児が黙って他所者たちを探るかのようだった。

 普通の背丈で少し太った男はその足取りにも雰囲気にも顔つきにも悪人であることを示す特徴は何もなかった。彼は修道女たちに倣って身動きせず、自分がいる部屋をゆっくりと見回した。

 床板に敷かれた2枚の藁筵はどうやら2人の修道女のベッドとして使われてるようであった。部屋の真ん中にテーブルが一つだけあった。テーブルの上には銅の燭台、数枚の皿、3本のナイフ、そして丸パンの塊が一つあった。暖炉の火は控えめであり、隅には薪が少し積み上げてあり、2人の世捨て人のわびしい暮らしの証となっていた。古びた塗装で覆われた壁は、屋根がひどい状態にあることを示していた。茶色の縞模様のようなしみは雨漏りがすることを示していた。シェル修道院の略奪から免れたに違いない聖遺物が炉棚に置かれていた。椅子が三つ、櫃が二つ、粗末な箪笥が一つでこの部屋の家具のすべてであった。炉棚のそばに扉があり、もう一つ部屋があることが推察された。 

 不吉な前触れの下、この住居に侵入した男によって独居房の財産目録がたちまち作成されてしまった。男の表情には憐憫の情が浮かび上がっていた。そして彼は2人の修道女に思いやりのこもった一瞥を投げた。少なくとも彼は2人の修道女と同じく困惑しているようだった。少しの間、3人全員の間で沈黙が続いた。しかし、男は2人の哀れな者の心の弱さと世間知らずな様子を見て取ると、なんとか調子を和らげた声で彼女たちに言った。

 「私は敵としてここにやって来たのではありません」と彼は言っていったん言葉を切った。「教姉さま、もしあなた方に何か起きたとしても、それを私のせいだとは思わないでください。私はあなた方にお願いがあります」

 彼女たちはずっと黙っていた。

「もし私があなた方にとってご迷惑でしたら、もしあなた方にとってお邪魔でしたら、遠慮なくそう言ってください。私は立ち去りますから。ただ私があなた方のためを思っていることは知っておいてほしいのです。もし私があなた方のためにできることがあれば、遠慮なく私を頼ってください」

 こうした言葉には真実味がこもっていたので、ベテューヌ家に連なる2人の修道女のうちの1人であり、その洗練された物腰からすると、きらびやかな饗宴をよく知っていて宮廷の空気を吸った経験を持つことを示しているアガート教姉は、まるで着席を求めるかのように椅子の一つを指し示した。そうした動作に対して見知らぬ男は悲しみと喜びが入り混じった表情を見せると、2人の尊敬すべき修道女が座るのを待って腰を下ろした。

 彼は「あなた方は、カルメル派の虐殺から奇跡的に逃れた非宣誓派の尊敬すべき神父を匿っていますね」と言った。

 「オザンナ[先ほど神父から教えられたばかりの使者であることを確かめる合言葉]」とアガート教姉は言って見知らぬ男の言葉を遮り、食い入るように男をじっと見つめた。

 彼は「そのようなお名前ではなかったように思います」と答えた。
アガート教姉は「でもここには神父さまなどいません。それに......」と語気も荒く言った。

 見知らぬ男は「それならもっと気をつけて用心深くしなければなりません」と優しく答えると、テーブルに腕を伸ばして1冊の聖務日課書を手に取った。「あなた方がラテン語をご存知だとは思えません。それに......」

 彼は言葉を続けなかった。というのは、2人の哀れな修道女の表情にただならない感情の色が浮かんでいたので、行き過ぎではないかと心配になったからだ。彼女たちは震えていて、その目は涙でいっぱいであった。

 「心配しないでください」と見知らぬ男は包み隠しのない声で言った

「私はあなた方のお名前も間借人のお名前も知っています。5日前から私はあなた方の苦境についてもあなた方が立派な修道院長をお世話していることも知っています」

 「お静かに」とアガート教姉は思わず唇に指を当てて言った。

 「教姉さま、もし私があなた方を売ろうという恐ろしい魂胆を持っているなら、もうすでに一度ならずそうしているはずです」

 こうした言葉を聞いた神父は閉じこもっていた場所から抜け出して部屋の真ん中に戻った。

 「あなたが迫害者の1人とは思えません」と彼は見知らぬ男に言った。「私はあなたを信用します。ところであなたは私に何をしてほしいのですか」

 神父の清らかな信頼と顔つきに広がる気高さは、いかなる暗殺者でも懐柔してしまっただろう。このみじめさとあきらめに満ちた情景に息吹を吹き込むためにやって来た奇妙な人物は、この3人によって形作られる群像をしばらく見つめていて、打ち明け話をするかのような調子で神父に次のように話しかけた。

「神父さま、私はある方の魂の安息を願って弔いのミサをおこなっていただきたいと思ってここに来ました。その方の遺体が聖なる地に安置されることは決してないでしょう」

 神父は思わず身震いした。2人の修道女は、見知らぬ者が誰のことを話しているのかまだ理解できず、興味ありげに首を伸ばしたまま、2人の話者に顔を向けていた。

 聖職者は見知らぬ男をじろじろと見た。彼の表情には疑う余地がない切望がありありと出ていて、その眼差しには熱心な懇願の色が浮かんでいた。

 「では」と神父は言った。「今日の深夜、また来てください。罪の償いのために我々ができる限りの弔いのミサをおこなう準備をしておきます」

 見知らぬ男は身震いしたが、同時に心地良く大きな満足感が人知れぬ苦悩に打ち勝ったように見えた。そして見知らぬ男は親父と2人の神の娘にうやうやしく挨拶すると、無言の感謝とともに姿を消した。そうした感謝は、3人の高貴な魂の持ち主によって理解された。

 こうした情景から2時間後、見知らぬ男が戻って来た。屋根裏の扉を用心深く叩いた後、彼はシャロスト嬢[修道女のこと。「恐怖時代の一挿話」では「ランジェー嬢」になっている]に導かれた。シャロスト嬢はこの慎ましやかな住居のもう一つの部屋に彼を案内した。そこで儀式のために準備がすべて整えられていた。

 二つの煙突の間に、2人の修道女はくたびれた箪笥を据えていた。その古めかしい輪郭は、祭壇の前面を覆う緑色のモアレ[仏原文はmoire、波紋加工を施した織物]の下に隠れていた。黒檀と象牙の十字架の大きなキリスト像が黄色の壁に取り付けられていた。それはむき出しの壁に突き出ていたので、必然的に関心を引きつけた。修道女たちが黄色の蝋を冷やして即席の祭壇になんとか固定した4本の細い蝋燭が青白い光を投げかけていた。その光が壁から弱く反射していた。このほのかな光がかろうじて部屋のほかの部分を照らしていた。しかし、聖具にのみ光が与えられることで、まるで飾り気がない祭壇に天から光が降り注いでいるかのように見えた。床板は湿っていた。物置のように両端で急に低くなっている屋根にはいくつか亀裂が入っていて、そこから冷たい風が吹き込んでいた。この陰鬱な儀式よりも厳かな儀式はなく、また悲痛な儀式もなかった。アルマーニュ通りの小さな声さえ聞こえそうな深い沈黙が、この夜中の情景に一種の暗鬱な荘厳さをもたらしていた。厳粛な儀式とみすぼらしい聖具は強い対比をなし、宗教的な畏怖の念を醸し出していた。

 祭壇の両側には、2人の年老いた隠棲者が八角形の床板の上に跪いていた。彼女たちはひどい湿気を気にすることもなく神父とともに祈っていた。神父は聖職衣を着用していて、貴石で装飾された黄金の聖餐杯を持っていた。それはシェル修道院の略奪から免れた聖具であった。王者にふさわしい荘厳さの記念物である聖体盒の隣にミサのための水とワインが場末の酒場にはありそうにはない二つのグラスに入れてあった。祈祷書がないので神父は聖務日課書を祭壇の隅に置いていた。血の穢れを知らぬ罪無き手を洗うためにありふれた皿が準備されていた。すべての物がとてつもない物であったが小さかった。みすぼらしかったが気高かった。俗にして同時に聖なる物であった。

 見知らぬ男は2人の修道女の間で敬虔な態度で跪いていた。しかしながら彼は聖餐盃と十字架のキリスト像に喪章がついているのを見て、弔いのミサが誰のためのものか示すものがないので神そのものが喪に服することになっていると悟り、突然、悲痛な思いに襲われたせいか、広い額に大粒の汗をにじませた。
 この場面における4人の沈黙の演者は意味ありげに互いを見合った。それから彼らの魂は互いに働きかけ合って敬虔な憐憫の情けで気持ちを一つにした。

 生石灰の中に遺骸を放り込まれた受難者[の魂]をまるで彼らの思いが予備探そうとしているかのようだった。そして、彼らの前に受難者の亡霊が威厳を保ちながら姿を現しているかのようであった。彼らは死者の遺骸もなく弔いのミサをおこなっていた。ばらばらの屋根板と木摺[仏原文はlattes、天上や壁に漆喰や塗装を施す前の下地となる簀子状の板材]の下で4人のキリスト教徒はフランス王のために神にとりなしを願い、棺もなく葬儀をおこなおうとしていた。それはあらゆる献身の中でも最も清らかなものであり、微塵の邪心もない誠実さが示された驚くべきおこないであった。それは神の目の前において、最も崇高な美徳と等しい価値を持つ一杯の水のようであった[神の使いを正しく迎え入れる者には正しい報いが与えられるというマタイ伝をもとにした比喩]。

 君主制全体が神父と2人の哀れな神の娘の祈りのうちに現われていた。そして、おそらく革命もまた見知らぬ男によって代表されていた。その表情に良心の呵責があまりにも露骨に浮かんでいたせいで、彼が強い決意を持って悔悛を果たしているとは思えないほどであった。

 「神の祭壇に赴かん[Introibo ad altare Dei、ミサの冒頭で述べるラテン語]」というラテン語を唱える代わりに神父は、崇高な霊感に打たれたのか、キリスト教のフランスを代表する3人の列席者を見て言った。

「われら神の御許に参らん」

 胸を突き刺すような感動的な口調で投げかけられたこうした言葉を前にして列席した男と2人の修道女は聖なる畏怖の念を抱いた。ローマのサン=ピエトロ大聖堂の穹窿の下に神が現れても、この粗末な隠れ家にいるキリスト教徒たちの目の前に現れた神よりも荘厳な姿ではないだろう。人と神の間においていかなる仲介も無用であるということ、そして神の偉大さは神そのものに由来することは紛れもない真実である。

 見知らぬ男の熱情は本物であった。この4人の神と王のしもべの祈りを結びつける感情は一致していた。聖なる言葉が沈黙の中に天上の音楽のように響いた。ある瞬間に見知らぬ男の目に涙が浮かんだ。それは「われらの父[Pater noster、「主の祈り」の最初の言葉]」に差し掛かった時であった。

 神父はラテン語の祈りを付け加えた。それはおそらく見知らぬ男にも理解できるものであった。

「Et remitte scelus regicidis sicut Ludovicus eis remisit semetipse[ラテン語、その意味はすぐ下でフランス語で示されている]」

「また弑逆の罪人たちをルイ16世ご自身が赦されたように赦したまえ」

 2人の修道女は、見知らぬ男の頬を2粒の大きな涙がつたって床に滴り落ちたのを見た。

 死者の祈りが唱えられた。「願わくは王の命を永らえんことを[Le Domine salvum fac regem、ミサの終わりに王のために捧げる祈りの言葉]」と低い声で歌われ、忠実な王党派の心を感動させた。彼らは、敵の手中にある幼き王[タンプル塔の中に囚われていたルイ16世の王子、すなわちルイ17世のこと]のために至高なる存在に祈りを捧げた。

 葬儀が終わった時、神父は2人の修道女に引き下がるように合図した。見知らぬ男と2人きりになるとすぐに神父は穏やかで悲しげな表情を浮かべて、父親が話しかけるような声で言った。

「信じる者よ、もしあなたがその手を王の血で染めたなら、私に打ち明けてください。神の御目からすれば、あなたのように心から悔悛することによって消えない罪などありません」

 聖職者が最初に発した言葉を聞いた見知らぬ男は、思わず畏怖で身震いしたが、落ち着いた様子に戻って、神妙な顔をした神父をしっかりとした眼差しで見据えた。

 「神父さま」と彼ははっきりと変化した声で言った。「あの流血に関して私以上に無実な者は誰もいないでしょう」

「私はあなたを信じます」と神父は言った。

 神父はしばらく間を置いて男の悔悛を再び確かめた。それから神父は、彼のことを、自分たちの身を守るために神聖にして侵すべからざる王を見捨てた国民議会の卑怯者たちの1人だと思い込んだのか、低い声で言った。

 「よく考えるように、信じる者よ。手を貸さなかったからといって大罪を赦されるわけではありません。王を守ることができたのに剣を鞘に収めたままにしていた者たちは、天上の主の御前で重い証を立てなければならないでしょう。ああ、そうだ」と神父は言うと、いわくありげに頭を左右に振りながら付け加えた。「ええ、とても重いものです。というのは何もせずにいたせいで彼らは恐ろしい罪において知らず知らず共犯者になってしまったからです」

 「間接的に関わった者も処罰されると思いますか」と衝撃を受けた見知らぬ男は聞いた。「それでは人垣を作るように命じられた兵士にも罪があるのでしょうか」

 神父は決めかねた。

 君主制の支持者によれば無抵抗の服従という軍規の基本となっている教義と、王自身に敬意を捧げるべきであるという同じく重要な教義の間で板挟みになったからである[もし兵士が王殺しに間接的に加担せずにすむように命令に反すれば軍規に背くことになる一方、軍規を守るために命令に従えば間接的に王殺しに加担してしまうことになる]。この真摯な王党派が置かれた苦境をなんとかしようと、見知らぬ男は悩みの種であったように思われる疑念をそのためらいの中でうまく解決する策をすぐに見つけようとした。それからジャンセニウス派[17世紀にオランダの神学者ヤンセンが唱えた厳格な改革運動を信奉する一派に神父をたとえている]の聖職者をこれ以上考え込ませないようにするために見知らぬ男は言った。

「私の良心の慰めのために、そして王の御魂の安息のためにあなたがおこなってくれた葬礼のために恥ずかしながらお礼を差し上げたいと思います。本来、値段のつけようがないものには、同じく値段のつけようがないもので報いるべきです。では私からあなたへの贈り物である聖遺物をご嘉納ください。あなたがその価値を理解する日がきっと来るでしょう」

 このように言い終わると、見知らぬ男は聖職者に小さな軽い箱を差し出した。神父は否応なしにそれを受け取った。すなわち、男の厳粛な言葉、それに込められた声音、うやうやしく箱を差し出た様子などは神父に深い驚きを感じさせた。

 それから彼らは2人の修道女が待っている部屋に入った。
「あなた方がいる家の主はミュシウス・セヴォラ[仏原文はMucius Scœvola、明らかに偽名である。ラテン語ではGaius Mucius Scaevola。Scaevolaは紀元前6世紀のローマの伝説的英雄である。エトルリアの王の暗殺に失敗して捕われ火責めにすると脅されたが、自ら右手を焼いた。そのためエトルリア王は驚嘆してローマと和睦したという。その名はscaevus、すなわち「左利き」にちなむ]という左官です」と見知らぬ男は彼らに言った。「彼は1階に住んでいて、この地区では愛国心で有名です。しかし、彼は秘かにブルボン家を信奉しています。彼はかつてコンティ公の馬丁として働いていました。そのおかげで財産を作ることができました。この家を離れずにいれば、フランスのどこよりもあなた方は安全でいられるでしょう。ここにいてください。信心深い魂があなた方の助けを求めています。良い時代が来るのを安全に待つことができます」

「これから1年後の1月21日に.....(この最後の言葉を発する時に男は湧き起こる思いを隠せなかった)もしあなた方がこの寂しい場所を隠れ家として使っていたら、私はあなた方とともに贖罪のミサをおこなうために戻って来るつもりです......」

 男は終わりまで言わなかった。屋根裏の無言の住民たちに挨拶すると、彼はみすぼらしい様子を一瞥してから姿を消した。

 2人の無垢な修道女にとって、このような出来事はまるで小説のように関心を引くものであった。その男が厳かに差し出した不思議な贈り物について立派な神父から教えられると、彼女たちはすぐにテーブルの上に箱を置いた。蝋燭の光にぼんやりと照らし出された3人の不安な顔には、言葉では表せないような好奇心が浮かんでいた。シャロスト嬢は、箱の中に非常に上質な亜麻布のハンカチが収められているのを見つけた。ハンカチには汗のしみで汚れていた。灯りの下で3人がハンカチを丹念に調べてみると、ほぼ黒くなってくっきりとした斑点がまるでリネンに泥水がはねたように浮かび上がっているのが確認できた。

「血だ」と神父は低い声で言った。

 2人の修道女は恐ろしさのあまり聖遺物を落としてしまった。

 2人の純真な魂にとって、見知らぬ男に関する謎は不可解なものになった。そして神父はその日以降、謎について自分で納得できる説明を求めようとしなかった。

 3人の隠遁者たちは、恐怖時代の絶頂期にあっても、力強い庇護の手が自分たちの上に差し伸べられているとすぐに悟った。まず彼らは薪や食料を与えられた。2人の修道女は、ある女が自分たちの保護者に協力していると推測した。肌着や服を受け取ったおかげで彼女たちは、これまで貴族風の服を着るしかなかったせいで目立つ恐れもなく外出できるようになった。さらにミュシウス・セヴォラが彼女たちに2枚の市民証を与えた。

 神父の安全にとって必要な忠告が紆余曲折を経てしばしば届けられた。彼らは、そうした時宜にかなった忠告を送ることができるのは国家の枢密に関わっている者しかいないと悟っていた。

 パリで飢饉が起きたにもかかわらず、彼らはあばら屋の前に置かれている白いパンの配給品を見つけた。それは見えない手によって定期的にそこに運ばれていた。彼らは、ミュシウス・セヴォラが奇妙な仲立ちとなって、いつも配慮が行き届いているだけではなく気が利いている恩恵をもたらしているのではないかと考えていた。

 屋根裏部屋に住む気高き住民たちは、自分たちの保護者が1793年1月21日の夜[『サンソン家回顧録』の引用部分では「1月21日」、ただバルザックが『フランス革命史に貢献するための回顧録』に寄せた序文を確認すると「1月27日」になっている。また同じくバルザックによる「恐怖時代の一挿話」では「1月22日」になっている。『サンソン家回顧録』の引用部分の前にある記述からすれば、最初の贖罪のミサがおこなわれたのはルイ16世が処刑された日の夜、すなわち1793年1月21日だとするのが妥当だと考えられる]に贖罪のミサをおこないに来た人物だと確信していた。したがって、その人物は3人にとって特別な崇拝の対象となった。彼が唯一の源であり、その力で生かされていたからである。彼らはその祈りの中に彼のための特別の祈りを付け加えた。朝に夕に敬虔な魂は彼の幸福、繁栄、そして救済を願っていた。彼らは、あらゆる障害を彼から取り除くように、敵の手から彼が免れられるように、そして長く平穏な人生を彼に与えるように神に祈った。

 彼らの感謝は、毎日のように新鮮になる好奇心を感じることと相まって日増しに募る一方であった。見知らぬ男の出現にともなったさまざまな状況が彼らの会話の主題になった。彼らは見知らぬ男について数知れない推測をした。見知らぬ男を会話の主題にして気を紛らわせることはある種の新しい恩恵であった。彼らは、見知らぬ男がルイ16世の悲しい年忌をおこなうために約束したように戻って来る夜にきっと自分たちの友情から逃れられなくすることを互いに誓った。待ちわびたその夜がついにやって来た。

 真夜中、見知らぬ男の重々しい足音が古い木造の階段に響いた。部屋は彼を迎え入れる準備を整えていた。祭壇が設けられていた。今回、修道女たちは前もって扉を開いて、2人とも急いで階段を照らそうとしたシャロスト嬢は少しでも早く保護者に会おうとして階段を少し降りさえした。

 「ようこそ」と彼女は感動と愛情がこもった声で見知らぬ男に言った。「ようこそ、私たちはあなたをお待ちしていました」

 男は面を上げて修道女に陰鬱な一瞥を投げかけたが何も答えなかった。彼女は冷水を浴びせられたように感じて沈黙した。見知らぬ男は部屋に入った。その姿を見ると、彼らの心の中から感謝と関心が消え去ってしまった。友情を披瀝しようとする気持ちが彼らの魂から消え去ってしまったものの、彼はそれほど冷淡でもなければ寡黙でもなければ恐ろしくもないように思えた。3人の哀れな隠遁者は、この男が素性を明かしたくないのだと理解した。そこで彼らは自分たちの願いを放棄することにした。神父は、見知らぬ男の唇に微笑みが浮かんでるように思った。迎え入れる準備ができているのに男が気づくと、その微笑みはすぐに消えてしまった。男はミサを聞いて、祈りを捧げると、用意しておいた軽食を一緒に食べないかというシャロスト嬢による招待を丁重な言葉で断った後、姿を消した。

 第一統領[ナポレオンのこと]によってカトリックの信仰が復活するまで贖罪のミサは屋根裏部屋で秘かにおこなわれていた。

 恐れずに外に出られるようになった時、修道女たちと修道院長は見知らぬ男を見かけなくなっていた。その男は彼らの記憶の中で謎として残っていた。

 2人の修道女は家族の助けを得ることができた。家族の中には亡命者の一覧から名前を除外された者がいた。彼女たちは隠れ家を出た。ボナパルトは立法院の法令を執行して彼女たちにふさわしい年金を授与した。彼女たちは家族のもとに戻って隠遁生活を再開した。

 神父は家柄によって司教職を与えられてパリにとどまって、フォブール・サン=ジェルマン[パリ中心部、セーヌ川南岸にある地区]のさる高貴な家系の良心の指導者[仏原文はdirecteur des consciences、宗教上の問題で信者を指導する神父]になった。

バルザックの作品の引用部分はここで終わっているが、「恐怖時代の一挿話」と『フランス革命史に貢献するための回顧録』に寄せた序文では、この後の話が異なっている。まず「恐怖時代の一挿話」では、ロベスピエールの一味の処刑に向かうサンソンの姿を見かけた神父がその正体が贖罪のミサをおこなうためにやって来た男だと気づくという展開になっている。その一方、フランス革命史に貢献するための回顧録』に寄せた序文では次のような展開になっている。ある夜、神父は贖罪のミサについて親しい友人の前で語っていた。そこへ召使いがやって来て神父を訪ねてきた若者がいると告げた。若者は神父についてきてほしいと言った。そこで神父は若者と一緒に馬車に乗った。パリの街中を通った馬車は不思議な家の前で停止した。若者の案内で家に入った神父は、贖罪のミサをおこなうように依頼した男がベッドで横たわっているのを見た。男は、病気に侵されていてもう長くないので今のうちに信頼できる人に記録文書を託しておきたいと神父に懇願した。記録文書を受け取った神父は帰り際に御者に家の主の名前を聞いたが、「執行人の家」だということしかわからなかった。数日後、シャロスト嬢が亡くなって葬儀が営まれた。その葬儀用馬車の後に続く人びとの中に悲痛な表情を浮かべた男がいた。それは修道院長が「執行人の家」で見た男であった。そこで修道院長がそばにいた老女に名前を聞くと「サンソン氏」であることがわかった。1818年に修道院長は亡くなり、サンソンから受け取った記録文書は綿密な調査のすえ刊行されることになった。それがこの『フランス革命史に貢献するための回顧録』である。

 この優れた叙述に登場する見知らぬ男は、ご存知の通り、わが祖父のシャルル=アンリ・サンソンである。祖父はこの信心深い儀式を通してなんとか良心の呵責を和らげようとしていた。恐怖時代の終わりまでわが家系は、この貧しく見放された者たちを見守っていた。彼らは自分たちが受け取っている支援がどこから来ているのか疑問に思うことがなくまったく知らなかった。ただバルザックによって語られた話の続きによれば、祖父は死を前にして神父を訪問して草稿を手渡したという。それは彼らが出版しようと考えた回顧録の出所を信じさせるために作られた逸話である。

 信仰の復活の後も1月21日の贖罪のミサは続けられた。ただそれは我々の教区で公然とおこなわれるようになった。我々は全員それに参列した。わが家系の最後の者として私はわが父と同じく、わが祖父の誓いを果たしている。そして私が生きている限り、処刑人たちの厳粛な贖罪が王殺しの罪滅ぼしのために必ずおこなわれるだろう。

 シャルル=アンリ・サンソンが尊敬すべき神父に差し出した遺物は、王が処刑場に到着した時に手に握っていたハンカチであった。処刑場に到着するまでの間、王は額に吹き出る苦悶の汗を何度もハンカチで拭った。そして最期の瞬間にその高級な布地に数滴の血が滴り落ちた。わが祖父は、不運な君主が最期の瞬間に身につけていたさまざまな物をほかにもまるで聖遺物かのように収集していた。残念ながら手に入れられなかった物もあった。私が聞くところでは、貪欲な助手たちが勝手に売ってしまったからである。

 わが父は襟のブローチと靴を持っていた。私がこれから説明する事情がなければ、父はそれらを決して手放さなかっただろう。

 王の死から数日後、召使いを従えて馬に乗った男が玄関の呼び鈴を鳴らして家主と話したいと言った。わが祖父が外出していたので、父がその男に対応した。父は、品性を際立たせている黒いスーツに身を包んだ35才から40才くらいの見目麗しい紳士を見て驚きを隠せなかった。そのブルボン家の特徴を色濃く示した容貌は、亡くなったばかりの受難者をすぐに思い出させた。

 訪問者は強く心を動かされたようであったが、そうした感情を抑えるかのような調子の声で「亡き王の持ち物をあなたが持っていることを私は確信しています。そこで私は急いであなたにお願いに参ったのです」と言った。

 わが父は「我々が王の遺物を持っていることは本当のことです。しかし、我々がそれらを所有する権利に関して誰にも説明する必要はありません。率直に申し上げますと、いかなる価格であろうともそれらを手放すつもりはありません」と棘のある調子で答えた。

 見知らぬ者は驚いたように見えた。

「どれほどの代価を差し上げれば王の遺物を譲っていただけるのか」

「そのような申し出は無用です」

 こうした言葉を交わしている間、わが父は相手をずっと見据えていたが、あまりにもルイ16世に似ていることに驚いていた。その男の容貌は不運な王の容貌よりも優れていて、その鷲鼻、後退した額、厚い唇はブルボン家の血筋の特徴を示していた。幼少期のプロヴァンス伯爵[ルイ15世の孫にしてルイ16世の弟]とアルトワ伯爵[ルイ15世の孫にしてルイ16世の弟]を見る機会がなかったとはいえ、父はその2人の王子のうちの1人が不幸な兄の遺物である襤褸を集めるために秘かにフランスに戻って自分の目の前に姿を現したときっと思い込んだだろう。

 周りを見回していた見知らぬ者は、壁にルイ15世の版画がかかっているのを見つけた。すると彼の顔に驚きと感動が浮かび上がった。その版画は1733年にその当時、最も有名であったドール[仏原文はDaulle、18世紀前半に活躍した版画家のJean Daulléのことだと思われる]によって彫られたものだった。

 彼は「私がどのような権利を持って悲しい記念物を求めに来たのか知れば、きっとあなたは無慈悲にも申し出を拒むことはないでしょう」と再び口を開いた。

 わが父は「私の決定に影響を与えるのは価格よりも資格であることは確かなことです」と答えた。

「ああ、これは。あまり明かしたくない秘密なのですが、私は1月21日の尊厳ある受難者とつながりを持つ者です。私は、あなたがここに掛けている版画に描かれている王の息子なのです。私はブルボン修道院長[ルイ15世の庶子であるLouis-Aimé de Bourbonのこと。ただLouis-Aimé de Bourbonは1787年没なのでルイ16世よりも先に亡くなっている]と呼ばれています」

 わが父はルイ15世の版画に目を転じると、見知らぬ者が不幸なルイ16世よりもルイ15世にとてもよく似ていることを認めた[以下、一段落にわたってLouis-Aimé de Bourbonに関する説明が詳しく述べられているが、本書では省略する。ルイ16世がLouis-Aimé de Bourbonの信心深い態度に感心して庇護を与えていたと指摘されている]。

 ブルボン修道院長は、ルイ16世による庇護に感謝して深い敬意を捧げていた。したがって、彼が恩恵を与えてくれた者の形見を熱心に集めたことは驚くべきことではないだろう。わが父は、革命の不幸な巡り合わせによって尊い血で手を染めざるを得なかった宿命を持った者よりも、庶出とはいえフランスの王家の血が流れる者に聖遺物を委ねるほうがよいと考えた。

 そこで彼は、大地に最期の足跡を刻んだ靴と、恐ろしい刃で首を落とされるまで不運な君主の襟元に留められていたブローチをブルボン修道院長に与えたが、いかなる代価も受け取らず、ただこの無名の王族を抱き締めることを報酬とした。

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