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アメリカ人の物語4 建国の父 ジョージ・ワシントン(上) 連載17号

連載1号から読む。

大統領夫人

ワシントンが宣誓の言葉を述べていた頃、マーサはマウント・ヴァーノンにいた。大統領夫人として公的な場に出ることはマーサにとって気後れすることだ。そもそもマーサの関心が政治に向けられたことはほとんどない。馴染みのあるマウント・ヴァーノンを離れて喧騒に満ちたニュー・ヨークに移ることを考えただけでマーサの心は沈む。もう自分たちは独立戦争で大きな犠牲を払ったのだからそっとしておいて欲しい。それがマーサの変わらない願いである。マーサは甥に宛てて心情を綴っている。

[ワシントン]将軍がニュー・ヨークに行ってしまったと告げなければならないことを非常に残念に思います。[4月]14日にチャールズ・トムソン氏が使者としてやって来ました。彼がいつ家に再び帰れるかは神のみぞ知ることです。再び公的生活に入るには彼は年を取り過ぎていると私は思っていますが、それが避けられないのであれば、家族は心を乱すかもしれませんが、私は彼に従おうと思います。

イギリス女王エリザベス一世は、なぜ結婚しないかと聞かれて「私はすでにイギリス王国という夫と結婚している」と答えたそうだが、マーサの夫もアメリカという妻と結婚してしまったのである。大切な夫を国家に奪われたマーサであったが、表立って不満を口にすることはなかった。独立戦争中に軍営を訪れたように、たとえ意に染まぬことでもやり遂げる強い精神がマーサには宿っている。

就任式から数日後、ワシントンは、マウント・ヴァーノンの管理を委ねたジョージ・オーガスティン・ワシントンに手紙を送った。その手紙には、ニュー・ヨークに向かうようにマーサを説得してほしいと記されている。五月七日に開催される就任記念舞踏会に大統領夫人がいないことには格好がつかない。

結局、マーサは就任記念舞踏会に間に合わなかった。出席者の数は政府の要人を中心に三〇〇人を数え、午前二時まで盛会が続いた。シュトイベン、ノックス、ジェイ、そして、ハミルトンなどワシントンにとって馴染み深い顔もたくさん見えた。ワシントンは数多くの淑女たちとダンスを楽しんだ。記念品として大統領の肖像をあしらった象牙と紙で作られたフランス製の扇が贈呈された。

ジェファソンによれば、舞踏会には大統領夫妻を迎えるために特注のソファまで準備されていたという。そのソファは少し高い場所に置かれていて、ダンスを始める前に紳士は相手の淑女を連れて大統領夫妻に向かって一揖する。そして、ダンスが終わると再びソファの前に出て深くお辞儀をして自分の席に戻る。まるで貴族が君主に礼を尽くす宮廷儀礼のようだったという。

こうしたジェファソンの記録は悪意に満ちたもので正確なものとは言えない。そもそもジェファソン自身はこの時、フランスにいたのでその目で舞踏会の様子を見たわけではなく又聞きである。君主制を目の敵にするジェファソンは、ワシントンが君主のように振る舞うのではないかと猜疑心を尖らせていた。他の者の証言によると、そもそも大統領のための定位置はなかったし、マーサは舞踏会に出席すらしていない。

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