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『ロラン夫人回顧録』第二部④

修道院の友人たちがどうなったのか見ることにしよう。私のアガートは心の込もった手紙を時々書いてくれていた。手紙の文体は悲嘆に暮れる心優しい人に特有のものであり、友情によってのみ可能なものであった。友情は彼女の真摯な魂によってさらに強くなった。彼女は手紙にかわいらしい箱、きれいな針刺し、お菓子などをできるだけ添えてくれた。時々、私は彼女に会いに行った。修道院長のために祝宴が催されている時に修道院の中に入ったこともあった。この特権は、私が知らない間に大司教から許可を受けて特別な好意として与えられたものである。私はその価値を十分にわかっていた[P注:『カヌ家の女たちへの書簡集』1774年2月22日を参照せよ]。あらゆる準備が進んでいた。若い娘たちはできるだけ着飾っていた。居間は花で飾られ、大食堂には美味しいものが用意されていた。貧しい修道女たちの祝宴がちょっと馬鹿げたものであることは認めなければならないが、私にはよくわからないものであるにせよ、その雰囲気には心優しく想像力が豊かで無邪気で陽気な女だけが持つすなおさや純真さ、そして楽しさがある。女たちを興奮させるまでではないにしろ慎ましやかにさせるような男たちの目から離れると、女たちは自分たちの中だけで浮かれ騒ぐものだ。ありきたりだが若い娘たちが声を揃えていくつかの連を読んだおかげで命が吹き込まれた短い劇が最初の出し物だった。にぎやかなダンスが続いた。喜びや笑いをともなう愉快な出し物は、いつものような厳格さと比べるとより際立っていたので、修道女たちとその生徒たちにまさにお祭り騒ぎをもたらした。修道院つきの医師が病人を診るために医務室にやって来た。祝宴の光景が医師の目に入ったのは当然のことである。医師は葉で編まれた輪で飾られた回廊に導かれた。そこではまさに余興が進行中だった。若い修練女たちが歌を売り物にしたり、またほかの者たちは甘味を配ったりしていた。ある者が籤を引いたかと思えば、別の者が当たりを告げている。果物を詰めたバスケットを運んでいる年少の生徒たちがいたかと思えば、楽団を組織している者たちがいる。鬘をつけた医師の姿が見えると、修練女たちはヴェールを深々とかぶった。年長の寄宿生たちは自分たちの服が乱れていないか確認した。年少の寄宿生たちはおとなしくなった。私はギターを無頓着に持っていた。ギターは肩にかけられたリボンで吊り下げされていた。彼女たちが私の歌を聴きたがったので、私は雰囲気に呑まれてありきたりな歌を2節披露した。その場にぴったりだったので絶大な効果があった。カホンはきっと私の歌唱法に満足したはずだ。なぜなら感情に身を委ねて抑揚を制限することなく歌ったからだ。彼女たちは医師の前で歌をくり返すように求めた。そうなるともう同じように歌えなかった。声は芯を失い、表現はまるでヴェールをかぶったようになった。年老いた修道女は、私の表情がより面白くなったと意地悪な感じで言った。医師は去った。誰も医師に来てほしいとは思ってなかったので、医師が去るのを見て全員が喜んだ。

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