ミュージカル『ハミルトン』歌詞解説25―What'd I Miss 和訳
はじめに
ミュージカル『ハミルトン』は、ロン・チャーナウ著『ハミルトン伝』(邦訳:日経BP社)をもとにした作品である。
物語の舞台は18世紀後半から19世紀初頭のアメリカ。恵まれぬ境遇に生まれたアレグザンダー・ハミルトンは、移民としてアメリカに渡り、激動の時代の中を駆け抜ける。アメリカをアメリカたらしめる精神がミュージカル『ハミルトン』には宿っている。
劇中では、友情、愛情、嫉妬、憎悪など様々な人間ドラマが展開される。ここでは、そうしたドラマをより深く理解できるように、当時の時代背景や人間関係を詳しく解説する。
”What'd I Miss”
※歌詞の和訳はわかりやすく意訳。
※歌詞の原文は『Hamilton the Revolution』に準拠。『Hamilton the Revolution』は歌詞だけではなく、オールカラーで劇中の写真が掲載されている。英語が読めない人でも眺めているだけで嬉しいファン・ブック。
ACT II
"Am I then more of an American than those who drew their first breath on American ground?"—Letter from Alexander Hamilton to Rufus King, 21 February 1795
「アメリカの大地で最初の息をした者よりも私はアメリカ人らしくなれるのだろうか」
COMPANY:
Seventeen. Se se seventeen Se se seventeen
「17・・・17・・・17・・・」
BURR:
Seventeen eighty-nine. How does the bastard orphan, Immigrant decorated war vet Unite the colonies through more debt? Fight the other Founding Fathers 'til he has to forfeit? Have it all, lose it all, You ready for more yet? Treasury secretary. Washington’s the president. Ev’ry American experiment sets a precedent. Not so fast. Someone came along to resist him. Pissed him off until we had a two-party system. You haven’t met him yet, you haven’t had the chance. ‘Cause he’s been kickin’ ass as the ambassador to France But someone’s gotta keep the American promise. You simply must meet Thomas. Thomas!
「1789年、私生児の孤児にして戦争の退役軍人に衣替えした移民がどのようにして公債を増やすことで植民地をまとめようとしたのか。どのようにして彼が[名誉を]剥奪されるまで他の建国の父祖たちと戦うようになったのか。すべてを得るか、すべてを失うか。さあ準備はいいかな。財務長官。ワシントンは大統領。すべてのアメリカの実験が前例を作る。ちょっと待て。彼に抵抗する者が現れる。二大政党制ができるまで彼を苛立たせておこう。まだその者には会っていないはずだ。そんな機会はなかったはずだ。なぜなら彼はフランスへ外交官として叩き出されていたのだから。でも誰かがアメリカの約束を守らないといけない。トマスを呼べばいいのさ。トマスを」
解説:この部分はこれからワシントン政権で巻き起こる政争について概要を述べている。ハミルトンはジェファソンやマディソン、ジョン・アダムズといったワシントンを除く主要な建国の父祖たちよりも先に亡くなったので、長らくその名誉が剥奪されていた。その名誉を回復させるべく尽力したのがイライザである。ワシントンは初代大統領として現代にまで続くアメリカ政治の前例を多く打ち立てた。二大政党制とは、ハミルトンが中心となる連邦派とジェファソンとマディソンが中心となる(民主)共和派である。その当時、政党は君主制の悪弊だと見なされていたので明確に「政党」を名乗っていたわけではないが、連邦派と(民主)共和派の成立はアメリカ二大政党制の始まりと考えられている。
改訂:コメント欄参照、 ‘Cause he’s been kickin’ ass as the ambassadorは、「なぜなら彼はフランスへ外交官として叩き出されていたのだから」とジェファソンがフランスに赴任するまでの経緯を考えて訳出したが(赴任が何度も沙汰止みになって行くのか行かないのか決めてくれという意味合いか?)、「大活躍」と訳出したほうが意味が通りやすいかもしれない。
COMPANY (EXCEPT HAM, PEG, PHIL):
Thomas Jefferson’s coming home! Thomas Jefferson’s coming home! Thomas Jefferson’s coming home! Thomas Jefferson’s coming home! Thomas Jefferson’s coming home Lord he’s been off in Paris for so long! Aaa-ooo! Aaa-ooo!
「トマス・ジェファソンがお帰りだ。トマス・ジェファソンがお帰りだ。トマス・ジェファソンがお帰りだ。トマス・ジェファソンがお帰りだ。トマス・ジェファソンがお帰りだ。おやおや彼はずっとパリに行きっぱなしだったみたいだけど。やあやあ。やあやあ」
解説:1784年5月7日、駐仏アメリカ公使に選ばれたジェファソンはそれ以来、ずっとヨーロッパに滞在してフランス革命を見聞している。1789年9月26日、パリを出発。10月22日、アメリカに向けて出港。11月23日、ヴァージニア州ノーフォークに到着。ちなみにワシントン政権が始動したのは1789年4月30日のことである。ジェファソンが不在の間、連合会議[合衆国憲法成立以前のアメリカ中央政府]の外務長官であったジョン・ジェイが国務長官の職務を代行していた。
改訂:コメント欄参照。Lord he’s been off in Paris for so long!について、もともとずいぶん前にパリを出たのにまだ帰ってきていないのという意味合いで訳出したが、ずっとパリに行きっぱなしという感じに改めた。
JEFFERSON:
France is following us to revolution There is no more status quo But the sun comes up and the world still spins.
「フランスは我々に続いて革命を起こしている。もうこれまで通りにはいかないぞ。でも太陽は昇るし、世界は回り続けている」
解説:上述のようにジェファソンはフランス革命を目撃していて次のように『自伝』に記している。
ド・コーニーとその他の5人がバスティーユの司令官ド・ローネーに武器の引渡しを求めるために送り込まれた。彼らは、その場所[バスティーユ]の前に、既に多くの群集がいるのを見た。すぐに彼らが休戦旗を立てると、それに応じて[バスティーユの]欄干に同様の旗が掲げられた。[ド・コーニー達]代表団は群集に少し下がるように説得し、進み出て司令官に要望を伝えた。その瞬間、代表団のすぐ傍の4人がバスティーユから放たれた銃弾によって殺害された。代表団は引き下がった。ド・コーニーが自宅に帰って来た時、私はたまたまそこに居合わせた。そして彼からこうした一部始終を聞いた。代表団が引き下がった後、人々は前に押し寄せた。まさしくその瞬間、牢獄は100人の強健な兵士に守られていた。もし別の機会であれば、普通の包囲戦になって、要塞は占拠されなかっただろう。どのようにして人々が押し入ったのかは説明できない。人々は皆、武器を取り、囚人達を解放した。最初の激情の瞬間に兵士は殺害されなかったが、司令官と副司令官はグレーヴ広場(公開処刑場)に連行され、首を刎ねられた。そして、人々は街を練り歩いて彼らの首をパレ・ロワイヤルに送り届けた。
ジェファソンはラファイエットに代表される穏健的な改革派に好意的であった。中でも地方議会の設置については、「根本的な改善」であると高く評価している。ジェファソンの考えによれば、「人民によって選ばれた者は、過酷な法律の適用を緩和するであろうし、王に対して代表として意見を表明する権利を持てば、悪法を告発することができるであろうし、善法を勧め、[権利の]濫用を暴くこともできる」からである。
ジェファソンは、後年の流血については遺憾の意を示しながらも、1791年8月24日付の手紙の中で「世界中の苦しみつつある人間のために、この革命が樹立され、全世界に広がることを望みますし、またそうなると信じている」と述べているようにフランス革命自体は善であったと信じていた。また「フランス革命が長く続き、非常にたくさんの流血を要する」とはその当時、ジェファソンはまったく思っていなかった。しかし、フランス革命における数多くの流血を知ってもフランスに対するジェファソンの愛着はほとんど変わることはなかった。こうしたジェファソンのフランス革命に対する好意的な姿勢は、後にフランス革命に懐疑的なハミルトンと対立する原因となる。
ENSEMBLE:
Aaa-ooo!
「やあやあ」
JEFFERSON:
I helped Lafayette draft a declaration, Then I said, I gotta go. I gotta be in Monticello, now the work at home begins…
「ラファイエットが人権宣言を起草するのを手伝った。それから私はもう帰ると言った。モンティセロに帰って、いろいろと家の仕事を始めようと・・・」
解説:公職に就く者としてジェファソンは、表立ってフランスの政治に関与することはなかったが、ラファイエットの叔母テセ夫人を通じて名士会の議事手続きについて助言している。さらに1789年6月3日、第三身分の代表の1人であるラボー・ドゥ・サンテチエーヌとラファイエットに「人権宣言」案を送っている。
1、国民議会は、招集されていなければ、毎年、11月1日に招集され、そして議会が必要だと見なす限り[会期は]存続させられる。国民議会は自らの選挙方式と議事運行について定め、その他のやり方を制定するまでは、現在、遵守されている方式に基づいて3年に1回、選挙が行われるものとする。2、国民議会のみが、国民に税金を課し、その用途を定めることができる。3、法律は国民議会のみが制定することでき、国王の同意をともなうこととする。4、何人も彼の自由を制限されることないが、一般法に基づいて正当な法廷手続きによった場合は彼の自由を制限され得る(例外として、貴族は、12名の近親者の請願に基づき判事の命令によって収監され得る)。不法な収監に関する不服申し立てが行われた場合、判事は囚人を引き出し、もし収監が不法であれば囚人を解放しなければならない。5、軍は文民の権限に従わなければならない。6、印刷業者は、誤謬を印刷し発行した場合は法的責任を負い、関係者は侵害行為で告訴されるが、その他の制限を課されることはない。7、何人であれ彼が享受している経済上の特権や免除は廃止される。8、国王が既に契約した負債は、これによって国家の負債とされ、適時にそれに関する支払いがなされると誓約する。9、今、借入によって集められ国王に授与されている8,000万リーヴルは、国家によって返金され、これまで支払われてきた税金は、今年度末まで支払い続けるものとし、今後は廃止される。10、国民議会は今、解散し、次の11月1日に再び招集される。
モンティチェロはジェファソン自身が設計して建築した自宅である。古イタリア語で「小さな山」を意味する。
ENSEMBLE:
Aaa-ooo!
「やあやあ」
JEFFERSON:
So what’d I miss? What’d I miss? Virginia, my home sweet home, I wanna give you a kiss. I’ve been in Paris meeting lots of different ladies... I guess I basic’lly missed the late eighties. I traveled the wide, wide world and came back to this…
「何が懐かしいかって。何が懐かしいかって。我が甘美なる故郷ヴァージニアだよ。私は君に接吻したいくらいさ。パリでいろいろなご婦人とねんごろになったけどね・・・要するに1780年代後半が懐かしいってことかな。広く世界を旅して、それからこの・・・」
解説:駐仏アメリカ公使としてヨーロッパに滞在中、ジェファソンは、数多くのサロンの客となって著名な貴婦人と拘留している。またフランスの他にイギリス、オランダ、イタリアなどを訪問している。中でもフランスに魅せられたジェファソンは次のように書いている。ハミルトンからすればこうしたジェファソンの姿勢はフランスかぶれに他ならなかった。
[フランス人よりも]慈愛に満ち、緊密な友情の中で温かさと情け深さを持つ国民を私は知らない。他所者に対するフランス人の親切さともてなしは比類なく、パリで受けた厚遇はこのような大きな町で思い描く以上のものであった。科学に卓越していること、科学的な関心を持つ人々と気軽に話せること、礼儀正しい一般的なマナー、そして、気安く活気に溢れた会話は他では見られない魅力をフランス社会に与えている。他国と比べれば、フランスが優れていることを証明できる。[中略]。フランスを旅したあらゆる国の住民に、あなたはいったいどこの国に住みたいと思うかを問うてみよ。きっと私自身は、友人、親類、そして私の人生の最初期の甘美な愛着と思い出がある場所[であるアメリカ]を選ぶ。しかし、もしあなたが2番目の選択肢を挙げるのであればどうか。それはフランスである。
改訂:コメント欄参照、What’d I miss?について久しぶりにアメリカに帰ってきたジェファソンが自分がいない間の消息をたずねるという意味でも解釈できる。したがって、場合に応じて訳しわけたほうがよいかもしれない。
ENSEMBLE:
Aaa-ooo!
「やあやあ」
JEFFERSON:
There’s a letter on my desk from the president Haven’t even put my bags down yet. Sally be a lamb, darlin’, won’tcha open it? It says the President’s assembling a cabinet And that I am to be the secretary of state, great. And that I’m already Senate-approved... I just got home and now I’m headed up to New York.
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